- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309029429
感想・レビュー・書評
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『灰の劇場』は図書館で4カ月待ちで借りたのですが、『白の劇場』を先に買って(ブックガイド付きだったので)読んでいたので、ストーリーは大体わかっていました。
『灰の劇場』という作品を小説家が書き、それから舞台化されたという話でした。
『灰の劇場』は作者の恩田さんが、二十代の頃新聞記事で、同居していた大学の同級生だった女性二人が奥多摩町の橋から飛び降りて死亡したという事件をみつけて小説化したものです。
それをさらに舞台監督らと舞台化する様子を恩田さん自身のパートと物語のパートの二つのパートを織り交ぜながらラストシーンまで書いていきます。
読みながら「この本のレビューは私には書けない」と正直思いましたが、書ける範囲で書こうと思います。私の思い込みかもしれません。
この物語のテーマは人間の死ではないかと思いました。
心中女性はあくまで素材ではないかと思いました。
同居していた二人の女性は45歳と44歳だったそうですが、恩田さんは60歳くらいと間違えて記憶していたそうです。
あと人が集まるパーティのシーンで、このメンバーが次に集まるのは自分の葬式だろうというくだり。
恩田さんのお母様(多分)が亡くなった時の話。
人間が何故、遺書を書くのかなど、メインの同居女性の心中以外にも人の死に関する話が次々に登場します。
同居女性が飛び降りるシーンを恩田さんが目撃する幻想的なシーンで物語は終わるのですが、何とも言えない重たい哀しさが伝わってきました。
人には色々な死があると思いますが、女性二人の心中の理由はわかりませんが、死の直前の晴れた日曜日のような明るい会話とは裏腹にあまりにそれは哀しいものではなかったのかと思いました。
故に恩田さんはその新聞記事が目に留まったのではないかと。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新聞に掲載された三面記事の2人の女性の飛び降り自殺の件。
それが気にかかり小説にし、舞台化した像を浮かべる。
現実ではない虚像のまま何かもやもやとした気持ちだけが残るような小説である。
このもやもやは、はっきりとした答えというものがないからだろうか?
「死」について、考えたくない、目を逸らしたいことだと思っているからだろうか?
灰とはいろんな意味を持っている。
グレーな曖昧さだろうか…。
消えて灰になることからだろうか…。
読む人によって、さまざまな解釈がある。
これだと明確にはできないところもスッキリしない一因かも知れない。
私のなかでは「蜜蜂と遠雷」がとてもわかりやすく大好きな作品なので、どうしても比べてしまう。
とても難しいと思った。
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最近読んだ新書『映画を早送りで観る人たち』に、YouTubeなど「情報過多・説明過多・無駄のないテンポの映像コンテンツ」に慣れた現代人は、とにかく「わかりやすい」エンタメ作品を好むようになった、という説があった。
そんな時代において、作家が小説を書く前の構想段階、小説、その小説が舞台化された世界線が交錯しながら進み、はっきりした説明やストーリーもない本書は、めちゃくちゃ異端だ。
だけど、すごく面白い!!こんなの書けるの恩田さんしかいない!!!
今までの作品でも、死の予感を漂わせたり、テーマにすることは多かった恩田さんだけど、この本で満を辞して、自分の身近な現代の「死」に真っ向から向き合われた印象。
主人公の2人の女性が、最後には心中を選ぶのが分かっているので、物語の最初から最後まで、どんどん灰色の羽が心に降り積もっていって、息が詰まるような感覚だった。
「まだまだこれから先も、いろいろなものを調達して暮らしていかなければならないと気付かされた時。
「ついていけない」「やっていけない」「未来がない」という現実が身に染みて感じられた時。
その両者が、あるタイミングで絶望という言葉で暗く結びついても不思議ではないような気がする」
上記の文章に、特にハッとさせられた。
何気ない不愉快や不安が、この先日常としてずっと続いていくんだという思いが、思考の幅を狭くし、死という選択肢しか見えなくなること、怖いけれど、決して自分からかけはなれたことじゃない。そのことを突きつけてくる文章だと思う。
主人公2人が、いかにも普通、中肉中背、平凡な見た目として描写され、最後までちゃんと日常を送っているのも、死はすぐ隣にあるものだ、というメッセージのようで恐ろしい。
本書を読む間、自分の中で、テーマソングとしてジム・マクニーリーの『extra credit』が流れていた。
鬱気味の人には要注意ですが、恩田陸の不穏系な作品を愛する私としては、かなり好きな作品でした。-
111108さん
さすが一時期ハマってただけあり、結構読んでらっしゃいますね!
『六番目の小夜子』本でも結局はっきりした結末はないですが、ぜ...111108さん
さすが一時期ハマってただけあり、結構読んでらっしゃいますね!
『六番目の小夜子』本でも結局はっきりした結末はないですが、ぜひ笑
『朝日のようにさわやかに』『Q&A』も、多分お好きだと思います〜!
『ねじの回転』『夏の名残りの薔薇』、どちらもちょっと複雑だった気がしますが、面白かったと思います。
『夏の名残りの薔薇』は、ゴージャスで、まさに幻惑される感覚だった記憶があります。『ねじの回転』は日本史知識がなさすぎて楽しみきれなかった覚えがあるので、私も再挑戦してみたいです!!2023/03/05 -
ロッキーさん
『六番目の小夜子』もそうなんだ笑。恩田作品は面白いけど、よく考えちゃうと分からなくなりそうなのも多くて‥。でも夢中で読んであー...ロッキーさん
『六番目の小夜子』もそうなんだ笑。恩田作品は面白いけど、よく考えちゃうと分からなくなりそうなのも多くて‥。でも夢中で読んであー楽しかったで終わりたいので、深く追求しない事にしてます(^^)
『ねじの回転』は2.26事件?元ネタをちょっとかじってから私も挑戦します。いつになるか‥。2023/03/05 -
111108さん
恩田作品、ストーリーというよりかは雰囲気を楽しむ感じありますよね。深く追及しないの、正しいと思います笑
そう、2.26事件...111108さん
恩田作品、ストーリーというよりかは雰囲気を楽しむ感じありますよね。深く追及しないの、正しいと思います笑
そう、2.26事件の詳細を全く覚えておらず…わたしもちょっと勉強した上で、いつか再挑戦します笑2023/03/05
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ー 正直いって当初、物語は全く進まず、これは失敗作だろうと思った。
池上冬樹さんによる日経の書評の最初の一文である。
この一文を読んで「読んでみたい」と思った。文庫化されていない本は図書館で借りるのがふつうだが、なぜか「購入しなければならない」という強迫観念に駆られて大型本屋で購入した。
恩田陸さんは安定した作品を書くイメージがあるが、その恩田さんが書いた危うい作品というところに大いにそそられたわけだ。
我ながらひねくれていると思う。
奥多摩の橋から二人の女性が飛び降り自殺をした事件に着想を得て書かれた1章(虚構)と恩田さんの私小説的な文章が綴られる0章(現実的虚構)が行ったり来たりする小説。
文章そのものは平易。展開はしないがスルスルと読めて頭に入ってくる。特に退屈もしない。
だが、結局どこに辿り着くわけでもない。
非常に不気味な静けさの中で小説は終わってしまう。
どこに辿り着くわけでもないからこそ、「死」が日常から連続していてすぐ隣にあること、を感じた。
読後、少し身震いした。-
たけさん
なるほど!そうなんですね!
いやほんとに、事前に伺っておいてよかったです!
委ねる系が読みたい時とそうでない時があり、そう出な...たけさん
なるほど!そうなんですね!
いやほんとに、事前に伺っておいてよかったです!
委ねる系が読みたい時とそうでない時があり、そう出ない時に読んだ時のもやもや感といったらもう(笑)
ありがとうございます!2021/05/08 -
naonaonao16gさん
そのもやもや感わかります。
他の方のレビューももやもや感の中で書いているもの多いですね。読む前の下...naonaonao16gさん
そのもやもや感わかります。
他の方のレビューももやもや感の中で書いているもの多いですね。読む前の下調べってやっぱり重要ですね。
そういう意味ではこの本のオビの記述がどっちつかずなんですよね。ミステリー的な売り出し文句を書かないで、「著者の文学的新境地」とか書いといてくれれば、不幸な出会いをしなくて済むのになあ、と思いました。2021/05/09 -
たけさん
やはりもやもやされる方もいらっしゃるんですね~
帯や文庫本の表紙裏の文面て大きいですよね。読んだことないとそこだけで読むかどう...たけさん
やはりもやもやされる方もいらっしゃるんですね~
帯や文庫本の表紙裏の文面て大きいですよね。読んだことないとそこだけで読むかどうか決めちゃいますし…
ありがとうございます、とても参考になりました^^2021/05/09
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久しぶりに非常に辛気臭いものを読んだ。映画の話など、ニヤリとさせられる件が多く、同じ世代共通言語的ななにかを感じた、それに恩田さんの文章のうまさで最後までなんとか読めたが、本筋が今読みたい系ではなかったのがつらい(単に個人的な問題)。二人きりで同居していた40代の女性の心中(1994年)事件を題材にした作品を書いた小説家とその舞台化、小説の内容が同時進行で描かれていく。70年代80年代を生きた女性のサブカル的な話や、7〜80年代の女性が90年代になっても若い頃のファッションや文化を引きずっていく様子が非常に滑稽で悲しみがある。なぜ、この2人が心中をしたのか、というのがシームになってはいるが、うやむやした感じ。TとMの関係や、特にMがプロポーズされたときのTのサイコロジカルなリアクション部分、固めるテンプルのあたりが非常に怖かった。サイコホラーのカテゴリーに入れたい。
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彼女たちの絶望はなんだったのか?
恩田陸さんはこの小説で0・1・(1)を使っていて
正にその絶望を表してもいるのでは。
すべて0と1で置き換えられるデジタルコンピュータ。
〈新しい技術は新しい言語のようなもので、
歳を重ね、徐々に変化を厭うようになると、
受け入れるのが難しくなる。
特に、パソコンとインターネット環境のような
それまで全く存在しなかった、それまで持っていなかった概念の技術に接した時、「理解できないのではないか」「ついていけないのではないか」という恐怖を感じたのである。〉
まして出始めは値段も高く、大きかったのではないか?
(私の先入観)
〈それどころか、その後も新たな技術の賞味期限はいよいよ短くなってゆく。しかも、それ以前のものは共存を許されず、ばっさり切り捨てられていく。
常に市場はオールオアナッシングなのだ〉
そしてそれも0と1、ですね。
21世紀になってからは、それはそんなに深刻ではないように思います。
SNSが出てきてデジタルが身近なものになり
値段も大きさも出始めのころとは違う。
そして世の中のいろいろな人の声がはいってきて
孤立することがない。
最近の10代20代にはパソコンを扱えない人も多くなっているけど、20世紀末の深刻さは無いようです。
彼女たち、もう少し我慢していたら。
でもきちんとお勉強して大学を出た彼女たちには
他の選択肢は思いつかなかったのかも。
悩んで死を考えている人、
落ち着きましょう。 -
久しぶりに文学的な作品に触れた、そんな気がした。
心を揺さぶる劇的なことが起こるのではなく、
淡々と語られる「現実のようなもの」と「虚構」の世界。
実際に起こった事件と、
それを物語にしていく過程を記す “私” は「現実のように」思われる。
そして、そこで語られる物語は「虚構」。
両者が交差しながら話が展開していく。
「虚構」のなかで天井から降って来る白い羽根。
演じられる舞台の上では白い砂になり、
それは亡くなった二人の灰となった骨のようだと語られる。
そういえば、この中で演じられたはずの作品のタイトルは何だったのだろう?
「稽古」「上演」「初日」という言葉は確かに読んだが。
恩田陸のドキュメンタリーのように見える小説。
恩田さんの引き出しはいくつあるのだろう。
本を開くとまず1のチャプターから始まる。
タイトル名をつけないでチャプター番号で進むパターンかと思う。
すると次は0になる。時間を戻すということ?
でも、次からは1、0、1、0、(1)になる。
そして、途中で納得する。
そういうことか!言葉でなく、あえてコンピューター言語のような0と1で綴る。
題名の「灰色」に呼応したような無機質なチャプターの名付け方も面白い。
ただ、コロナ禍の今、読書で明るい気持ちになりたい人にはお勧めできないかな。 -
恩田陸さんの作品
図書館予約したときからワクワク
でも、え~
あっちへ行ったりこっちへ行ったり
作者に刺さった棘小さな新聞記事
現実と小説と舞台化と
その上作者のエッセイのような部分も
交錯して
それがとても興味深いいのだろうけれど
ついていけない
そう思いながらリアルな細やかな描写に引き付けられる
なんだろうね、これ
今まで読んだ作品とかなり違うなあ
作者の挑戦かなあ
私は「蜂蜜と遠雷」「スキマワラシ」
などの方が好きだなあ
≪ 降り積もる 羽毛か骨粉? 灰色に ≫ -
女性二人の心中事件を題材に小説を書いた小説家。書くまでの心情、小説の内容、小説刊行以降の話がそれぞれ交差しながら描かれる。
読んでいくうちに、どの話なのか迷ったり、戸惑ってしまうこともあり、けっこう読み進めるのに難儀した。また小説家サイドで幻想的なシーンもあり、誰の心情かわからなくなるようなところと相まって、困惑されていく感じがある。
世情と絡んだり、授賞式のシーンとか著者自身のことも入っているように思えたりするシーンもある。自分は背景詳しくないので、ちょっと迷う感じなくらいで、その迷い感を楽しむ感じでした。
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94年のGW初日に起きた実際の衝撃的な出来事(正確には事件ではないかもしれないが以後「事件」とする)を主題にし、3つの時間での話が同時進行していく作品。
「0」は本書を執筆する著者の日常
「1」は2人の女性の日常(94年の事件当事者である女性たち)
「(1)」は本書が完成し舞台化に立ち会う著者
を描いている。
恩田陸さんは初めて読んだ『蜜蜂と遠雷』、その続編の『祝祭と予感』(いずれも面白かった!)のイメージが強く、とても幅広い作品を書く方なんだなと実感した。真相は誰もわからないこの事件をここまでのストーリーに仕立てられる力量はさすが。「0」の部分もどこまでが事実なのかわからない。時間が交錯しつつ、最初から最後まで幻想的な雰囲気に包まれ進行していく話で、一気に読んでしまった。新聞の片隅に小さく載っていたというこの事件のことは知らなかったが、確かに真相が気になってしまう。だがそれはこの女性2人以外、決して誰にも分からない。そういうことも含めて心に残る作品になっている。