北の愛人

  • 河出書房新社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309201788

感想・レビュー・書評

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  • 確かに『愛人』と同じプロットではあるが印象はまるで違う。そう、デュラスは別の物語として15才の自分を書いたのであろう。一人称が三人称になり、会話が増え、シークエンスは明快に、カメラアングルが意識的により映像へと導く。禁断の愛、狂った家族を広漠としたインドシナの夜の光景をバックグラウンドに視覚が捉える。身を切るような情念が静かに切々と少女の姿態に憑依し、この後もずっと絶望のワルツを踊り続けるであろう人生を示唆する。全てを諦め全てを受け止め老いてしまった15才の少女。とても悲しく美しい情愛の物語、素晴らしかった。

  • 「愛人」よりも登場人物たちの内面が、行動の理由がていねいに描かれていて、わかりやすく、個人的にはどちらか選べといわれれば「北の愛人」の方を選ぶかな、という感想。「愛人」との大きな差異は、少女の愛が、中国の男だけでなく、下の兄ポーロ、母が引き取った孤児で家宰のタンにも大きく向けられていること。「愛人」ではある意味誇り高く、中国の男を無視して無きものと扱っていた上の兄が、「北の愛人」ではまっこうから直接抗議され怯え、またアヘンやお金を渡される存在だったこと。「愛人」ではフランスへ向かう船の中で、もしかしたら私はあの男を愛していたのかも知れないと激しくこみあげてくる少女、「北の愛人」では最後のほうだけれど、◆---ぼくの一生で、ぼくが愛したということになるのは、きみだけだ。(p.258)◆--そして、あたしの愛したひとも、あなただけ、ということになる。--そう。たったひとりだけ。きみの人生で。(p.260)◆とお互いにまっすぐ気持ちを伝え合うところ。心にとまったのは、次の二節。◆男は言う、たとえそうだとしても、いまの自分にはどうでもいいことだ。何もかも追い越されてしまうものなんだ---と。(p.158)◆おわかりにならなければ、あなた、たとえ犬っころに対する愛でも、侵すべからざるものなのですのよ。それにまた、権利があるのです、---生きるための権利と同じように、侵すべからざる権利、---その愛については、だれにでも知らせる必要はないという権利が。p.195(少女の母親)◆

  • 『愛人 アマン』の焼き直しのようではあるが、老年になって再び筆を執ったので、さすが感性が理知にくるまれるとこうなるのか。

  • もうひとつの『愛人』。
    あの時から幾許かの時が経つた。年を取り、誰かが生まれ、誰かが死んでいつた。
    あの時はただ書くことで精一杯だつたが、今は違ふ。苦しみながらも生きてきた。まだ生きてゐる。ここまでやつて来た今ならまた書ける。
    『愛人』の時と比べて深く自分の記憶に沈んで漂ふ感じではもはやない。あの瞬間を感じるのではなく、この目で見つめやうとする強固な彼女の文体が息を吹き返す。
    『破壊しにと彼女が言う』や『エミリー・L』にみられる強烈なまでの映画的な文体。カメラワークと役者の動きを重視した簡潔だが複雑な文体。この文章をそのまま映像化するとなると、かなりの監督や役者の技量が求められるやうに感じられる。
    あふれる性愛と肉欲を撮しながら、そこに横たわる絶望と死を表現することを求められる。
    身体中満たされれば死にたくなるやうな恐怖。快楽を知つて何かになつてしまふことに伴ふ死。どこまでもふたりの間に横たわる無限にも等しい孤独。それにもかかはらず、相手を求めずにはいられない焦燥。愛せないとわかつてゐるからこそ、愛してしまふ不条理。求めれば求めるほど乾いてゆく。
    それだけを描けばこれは小説となつてゐただらう。けれど、それを見つめるからには時間の流れや空間の隔たりをも含めて見つめなければならない。
    インドシナの印象。家族や学校での生活の印象。さうしたものなしに見つめることはできない。何か生きたものを見つめるためには時間と空間の中でなければ見つめることはできない。
    ただ、見つめてゐるものが必ずしも史実や地理的事実に基づいてゐるわけではない。彼女の映画はドキュメンタリーではない。歪んだ地理や記述、年号それ自体が彼女の映画なのだ。彼女の感じたままなのだ。だから映画の中ではそれが感じた事実となる。
    この作品は死んだ北の愛人でもなければ下の兄でもエレーヌ・ラゴネルでもなく、行方知れずのタンに捧げられてゐる。この作品を映画にしたら誰よりも真つ先にみてほしかつたに違ひない。そして死んでいつたひととの愛を泣きながら話したことだらう。
    しかしすでに通り過ぎていつたものはあまりに多かつた。アルコールの心地よい酔いだけが彼女を懐かしいひとびとへの縁となつてゐたやうに思へてならない。それぐらい、大切で愛ほしい記憶だつたのだ。
    彼女の描く愛はさういうところで生きてゐる。

  • 愛人よりこちらのほうが少女が中国人の男に愛を持っていたこともわかるし、読みやすかった。
    結婚できなくても、会わなくても、生涯愛し合っていたんじゃないかなと思うとかなり切ないけど、美しい愛だなとおもえます。

  • 「愛人」の続編、というかスピンアウト、でもない。

    「愛人」と同じ道具立てを使ってはいるが、確実な別れを前にお互いの想いをぶつけ合う会話に引き込まれる。

    中国人の男が、上の兄の侮辱に対して脅しをかけるところが、「愛人」と違っていて少しスカッとする。

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著者プロフィール

仏領インドシナのサイゴン近郊で生まれる。『太平洋の防波堤』で作家としての地歩を築き、『愛人(ラマン)』はゴンクール賞を受賞、世界的ベストセラーになる。脚本・原作の映画『ヒロシマ・モナムール(24時間の情事)』、『モデラート・カンタービレ(雨のしのび逢い)』、『かくも長き不在』は世界的にヒット。小説・脚本を兼ねた自作を映画化し、『インディア・ソング』、『トラック』など20本近くを監督。つねに新しい小説、映画、演劇の最前線にたつ。
第2次大戦中、ナチス占領下のパリでミッテラン等とともにレジスタンスに身を投じ、戦後も五月革命、ヴェイユ法(妊娠中絶法改正)成立でも前線にたち、20世紀フランスを確実に目に見える形で変えた〈行動する作家〉。

「2022年 『マルグリット・デュラスの食卓』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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