- Amazon.co.jp ・本 (177ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309203812
作品紹介・あらすじ
パパは泣いていた。「ぼくは自分の生徒たちが怖いんだ」それからパパは、しばらく先生の仕事を休むことになった。そしてときどき、夜中にふらりと、いなくなってしまう。木靴をはき、ウインドヤッケを着て。近所に行くときの木靴。遠くへ行くときのウインドヤッケ。近くと遠く。いったいどこをさがしたらいいんだろう。そんなときはいつも、あの鳥が、ヨアキムの夜をおおった。ノルウェー文学賞、ドイツ・ユーゲンバッハ賞などに輝く北欧文学の傑作。
感想・レビュー・書評
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これは、衝撃的だった❢これまでに奴隷船に乗せられた少年の話や白人から理不尽な扱いを受ける先住民の話を読んで、非常に重い内容ではあるけれど、何処かで「お話」という感覚があった。
これもお話なんだけど…何処にでもあるテーマ、すぐ近くで起こりそうな内容なので、読んでいて辛くなった。それに表現力が半端ない詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
酒井駒子の描く表紙の少年の後頭部が、妙に大きい。
ここに、不安がぎっしりと詰まっているとでも言うようだ。
そして、頭上に覆いかぶさるように大きな鳥がいる。これが、不安の象徴なのだ。
ノルウェーの小説だが、後書きによれば1970年代のオスロあたりかと言うことだ。
夕食後にも外に出る場面がいくつか登場するあたりは、白夜の季節から晩秋頃までが舞台のようだ。
教職を目指していたのに、出勤三日後には出勤拒否した父親。
その父親は家事もロクにこなせず、たびたびふらりと外出しては、夜間になっても帰らない。
母親は幼稚園の保母になりたかった夢があるが、今は一家の大黒柱として洋品店で働いている。
ざわめく心を反映するように、主人公ヨアキムの前に現れるのが「夜の鳥」だ。
両親のなにげない会話にも胸を傷め、ふたりへのあふれるほどの愛を持ちながら手を差し伸べるすべもないヨアキムが、痛々しく切ない。
凝縮された簡潔な文体で、きびきびと展開していく。
反面、随所に叙情豊かな表現があふれて、特に自然描写は美しい。
ヨアキムを取り巻く子供たちも、実に個性豊かだ。
子供なりの力関係、恐怖や嫉妬や憧れなどが盛り込まれて、読んでいて飽きない。
近所の大人たちの登場のさせ方も上手い。
続編があるそうなので、ぜひ読んでみようと思う。
しかし、大人とはなんと理不尽に子供を傷めつけている存在なのだろう。
ヨアキムを見て、自分の子供時代を連想する大人が少ないことを祈らずにいられない。 -
「飛ぶ教室」2013.秋号で岩瀬成子さんがオススメされてた本。
ちょっと、かなり、ヒリヒリするお話だった。 -
40年前にノルウェーで出版され世界的に翻訳されている児童文学。親子3人暮らし。父親は教師として職を得ているも、教室にどうしても入れないので仕事をしてない。そういう人間だからしっかりしてる訳はなく、家出もする。子供8歳、不安。昨日、街でお父さんが歩いてるの見たよ、なんて言われる。どよーん。
いい家庭だと思う。父も素直に自分の気持ちを息子に話し、母も、あなたは知らなくていいの、黙ってなさいなどと言わない。それが余計に不安に重なり、クローゼットに隠れる黒い鳥が、夜羽ばたくという妄想につながる。頑張れヨアキム。 -
なかなか重いです、終わり方。そこで終わるか〜と溜め息ついてしまった。続編あり。そちらも重いです。表紙は酒井駒子さんだったんですね。
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きれいな物語
皆優しい・・ -
ヨアキムの毎日は心安まらない。階段のシミには呪いがあり、地下室には殺人鬼がおり、洋服だんすには鳥が… そしてパパは仕事に行けなくなってしまう。
酒井駒子の表紙絵に惹かれて手に取った本ですが、読むにつれて胸の奥をギュッと掴まれるようなヒリヒリした感覚に襲われました。父親は就業三日にして生徒の前に立つことができなくなり教職を辞してしまう。母親は望まぬ仕事に疲れてしまう。そんな両親のやり取りに心を痛め、隙あらば相手を攻撃しようとする友達関係に緊張を強いられる。今まで絶対だと思われていたものが崩れ、価値観がひっくり返る。小学二年生にしてヨアキムの世界はなかなかシビアです。それを象徴するのが夜になると洋服だんすから現れる(とヨアキムが認識している)鳥なのです。
寝る前にベッドの下を何度も確認し、廊下の明かりが入ってくるように少しだけドアを開け、鳥を閉じ込めておけるように洋服だんすに鍵をかける。そんな少し神経質にも思えるヨアキムですが、少年らしい冒険心や恋心や利己心も垣間見え、それが物語を重いだけのものにしていません。読後心の中にヨアキムがスッと佇んでいます。 -
ノルウェー児童文学。
子供が子供でいられなくなるときは、意外と早く来る。
すごく良いのが父と子の関係性。父は情けない。そして対等なのだ。子供のヨアヒムを一人の自立した大人のように扱う。
この作品は子供を除け者にはしない。その意味では垣根がない。実際、子供のころでも親を見るときは随分と下に見ることも多いものだ。子供なりの解釈は、けっこう正しい。大人は本当に情けない。ヨアヒムのようにじっくり見ればわかるし、父は弱さを隠すこともできない。けっこうそういうものだなあと思う。
不安の形に、夜の鳥がいる。子供の視点にマジックリアリズムはよく溶け込み合う。マイブリットの神秘性も、きっとヨアヒムの脳内で処理しきれない存在だから、この視点からは謎が多い。好意、というものがどのようなものかわからない年齢にとって、それを表現することはできないし、できることはハンカチをあげる、ということだけ。読む側からはわかるけれど、語る視点では理由も気持ちも語ることができなく、それがどうにも可愛らしい。
しかし、わかりやすいエンドを用意せず、成長や物語の落とし所が描き切れていない。終わりでもいいけれど。続編があるらしいので、そちらで補完でしょうか?
あと木靴履いてるっていいな。1975年に木靴履いてんのか。たまんねえな。
待つことは嫌だ、のヨアヒム。待つことというよりは、待たされているという被害者。真に待つことの楽しさを知るのは、ずっと先なのだろう。