- Amazon.co.jp ・本 (543ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309205427
作品紹介・あらすじ
すべての伝説はここから始まった!アメリカ大陸を、縦横無尽に車で移動し、さまざまな階層の人々と出会った経験をもとに、わずか3週間で書きあげたとされる伝説のオリジナル。ニール・キャサディ、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど、すべての人物が実名で登場し、決定版では削除された危ない箇所もそのまま読める「実録オン・ザ・ロード」。
感想・レビュー・書評
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言葉の津波。
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wired・カウンターカルチャー・2位
mmsn01-
【要約】
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【ノート】
(wired)
ビートの聖典は、ヒッピーカルチャーにおける重要作でもあった。文明からドロップアウトして旅に出る。この基本スタンスは、今なお若者のひとつのスタンダードだ。
◆ユーザーからのコメント
俺にとっては『路上』だが。これと『一九八四年』の間をウロウロして、こんな人間に育った/この本は机の手の届くところに常に置いてあったりする。いつでも出せるように/ビートニクからの西海岸カルチャーからのワイアード的教養ならマスト!/本当にどうしようもない馬鹿騒ぎなんだけど、うん、青春?
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小説版ではなく、このスクロール版を若い頃に読んでいたら。
きっと自分の人生も違ったものになったのではと思わされます。
ガールズ・オン・ザ・ロードと平行して読んだので、あの時代にただただ奔放に生きただけではない彼らのオン・ザ・ロードを感じました。 -
アメリカ中を、更にメキシコまでを旅した記録。
ニールが運転する車のように駆け抜ける文体。
(…けれども、なかなかページが進まない。)
人生はスクロール。巻き戻しはきかない。
クレイジーに飛ばすも良し、安全運転も良し。
いいね、いいね。 -
サイコーです。従来の『路上』よりこちらのほうが臨場感があって好き。
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NHKラジオで翻訳者、青山南さんがゲストでこの本が紹介されていたことから図書館で貸出。
スクロール版というのは、タイプで原稿を書いていた当時、
紙を一枚一枚交換しなくていいようにロール紙で書き上げたということ
しかも、改行なしで延々と文がつながっている。
とにかく作者は自身のヒッチハイクで全米を駆け巡った体験談をいっきに書ききることを第一の目的にしたんだろう。
実際日本語訳で500P以上の長編を3週間で書き上げたらしい。
登場人物がすべて実名、基本的にはノンフィクション。
この物珍しさからか、1950年代には世界中で大ヒットしたらしいけど、
私には無理そう
何の工夫もない、「ニートのちょっとした冒険」の殴り書きにしか感じられない
洗練さのかけらもない文章はこれ以上読めません、ごめんなさい
けど、こんな文章を訳し切った青山さんの根気強さには脱帽 -
『ぼくはアレン・ギンズバーグに一度、膝をつきあわせてそれぞれ椅子に座って顔を見合わせ、奇妙なアラビア人みたいなやつが砂漠を追いかけてくる夢をよく見るんだ、と話した。そいつから逃げたいんだ』
時に読み通すのに時間の掛かる本にはまってしまうことがある。読めども読めどもちっとも先へ進んでいかない。何日も本の中の同じような場所をうろうろしている。そんな錯覚におちいる。そういう種類の本でも、半ばを過ぎる辺りから急に加速度のようなものを感じることも多い。全体の登場人物の個性が把握でき舞台の設定が俯瞰できるようになることがその理由だと思う。だからそんな本にたどり着いてしまった時には、そのギア・シフトを待って我慢するような気持ちでゆるゆると読む。しかし。この段落すら一切ないスクロール版オン・ザ・ロードを読む自分のギアは、セカンド・ギアに常に入ったままであったような気がする。ただし、対応範囲の広い自動二輪のそれではあったけれど。
ケルアックの文章のテンポがスローな訳ではない。むしろそれはアップビートを感じさせるような律動的な文章ですらある。フリージャズのように次々に新しいビートが、メロディが、テーマが現れては空中に消え入っていくような文章だと思う。その音楽に身を任せてしまえば心地よさを感じるだろう、と理解はできる。しかし何かが身体を固くさせ、重くさせる。ジャンプできない。抑えつけられる。その正体は何か。
それはもちろん眼前に広がり先へと果てしなく伸びている、道程、だ。
一つ一つのテーマは刹那的とも思えるほどに、一瞬の躊躇もなく生まれ消えてゆく。先の事など心配しても仕方のないことだと言わんばかりだ。しかしそこには常に重くのしかかりビートを打ち砕こうとする未知への恐怖がある。先の見通せない未来がある。道がどこまでも続いているという理解だけが現在を支配する。その恐怖は人を既知の領域に留めさせようと働く。旋律は上昇しきらず同じリズムが繰り返される。
手元には今日を生き延びるための糧は辛うじてある。解る。全ての道はやがて終点にたどり着くはずだ。諦める。ならば今日を生きながらえたことに感謝しよう、生を喜び楽しもう。納得する(自分を騙す)。しかしやっぱりじわじわと未来は迫ってくる。そんな葛藤が道程の至るところにころがっている。
そこまでケルアックのロードに同行することが出来てくると、そこから新しいイメージが連想されてもくる。矛盾するように聞こえてしまうかも知れないけれど、正面に捉えて向かっている筈の未来が逆に後ろから追いかけてくる、というイメージ。能動的な進行のロードはいつの間にか逃避行のロードとなる。だからと言って立ち止まっていたのではたちまちに未来に呑みこまれてヨナのように囚われの身となる。そんな恐怖心がじわじわと若さというエネルギーを吸い取ってゆく。ビートに乗る筈の足元を覚束なくさせる。発火プラグを一つまた一つだめにする。
対立、テロ、危機、環境。それらに対する明確な答えは見えず、そして恐らくそんなものは存在しないだろうと誰も思っている現代。ケルアックの文章から読み取られ易いのは、ややもするとそんなネガティブなイメージだろう。しかし待て、切り取られた一瞬一瞬に満ちているエネルギーのことを忘れるな。そんな声が不思議と脳の奥の方から聞こえても来る。
長い道のりもやがては終点を迎えることを知りつつも、その時々で出せるスピードを出し切ろうとする二ール。その行動は滑稽で、でもどこか感動的で、やはり胸の奥を熱くさせる。歳をとって、一つ場所に落ち付かざるを得なくなったって、身体がビートに乗り損ねたって、ハンドルをもはや握ってコントロールしなくなったって、アクセルを踏み込んで西海岸から東海岸へ移動して来なくなったって、その懸命さは本物なのだと解る。それは決してネガティブなモードばかりの印象を残さない強いビート。
『はるかサクラメントにまでも届きそうなどでかい呻き声が轟いた。アー・ハアア!「ふーっ!」二ールが言った。胸を、腹を撫でていた。顔から汗が噴き出していた。ドカーン、キック、ドラマーが地下室めがけてバスドラムを蹴り、二階めざして殺人的なスティックをぶっ叩いた。ガラガラドカーン!』 -
どこがどう違うって、いきなり登場人物が実名で登場してくる。構成もいくらか違う。そしてここがスクロール版の所以だけれど、改行がない。疾走感というより、走り出した足を止められない焦燥感といったほうがいい。カバ本がケルアックになる前のケルアックだとすると、これは“オン・ザ・ロード”になる前の“オン・ザ・ロード”。舗装する前の道はいささかデコボコなので、この旅は足裏に痛みを感じる覚悟をして臨まれたし。まあ、ようするに下書きであって、犬がペーパーを喰っちまったので結末がないという、なんともヒトを喰ったオチ。
刊行版の初読からずいぶん日がたってしまったし、読んだのもあまり評判のよろしくない福田稔訳の河出文庫なのだけれど、これを脇に置いて読み進めた。割愛されたり変更された部分の多くは人間関係の親密さにかかわる点。いみじくもギンズバーグが予見したように、関係者がみな亡くなってからこの本は日の目をみることになった。ただ、ゴシップ的な興味より、作品の完成度を高めるために淘汰されたものがなにかがわかると、下書きと作品の間の葛藤やら逡巡やらが、ないはずの改行や見えない余白から浮かんでくる気がする。
簡潔にまとめるならば、美女のスッピンをみたら、ほらやっぱりメイクがじょうずだったんだ、でも土台がいいから化粧映えするんだよねということ。なんだかブスの僻みたいになっちゃったな。
付記:ちなみに犬に喰われたラスト数ページは付録に「推定版」が収録されているので、物語としては完結しているし、解説も充実している。ただし、カバ本同様、ボツ曲を集めて豪華なブックレットをつけ、レアトラック集として売り出す商売にムカつくひとは買わないこと。
なお2011年公開予定(US)で映画化が決定しています。
サル・パラダイス(ケルアック)はサム・ライリー、ディーン・モリアーティ(キャサディ)はギャレット・ヘドランド、オールド・ブル・リー(バロウズ)はヴィゴ・モーテンセン。
http://www.imdb.com/title/tt0337692/ -
ひとつながりの巻紙(スクロール)に3週間で打ちこんだという、伝説の『オン・ザ・ロード』草稿版。すべてが実名で登場し、刊行版では削除された部分も読むことができるファン待望の1冊。