もうひとつの街

  • 河出書房新社
3.59
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本棚登録 : 420
感想 : 43
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309206141

作品紹介・あらすじ

雪降りしきるプラハの古書店で、菫色の装丁がほどこされた本を手に取った"私"。この世のものではない文字で綴られたその古書に誘われ、"もうひとつの街"に足を踏み入れる。硝子の像の地下儀式、魚の祭典、ジャングルと化した図書館、そして突如現れる、悪魔のような動物たち-。幻想的で奇異な光景を目のあたりにし、私は、だんだんとその街に魅了されていく…。世界がいまもっとも注目するチェコ作家の代表作。

感想・レビュー・書評

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  • 読み初めはものすごく読みづらい。世界観が分かってからはページターナー。読み終えて数年経ってからもふと思い出して、また読みたいなあと思うことが時々ある。

  • タイトルも著者名も記されていない
    菫色のビロード張りの本を買った〈私〉は、その日から
    プラハに薄衣のように覆い被さる「もうひとつの街」の
    存在を認識し始めた……

    という幻想小説。
    何故だろうか、物凄く好みのストーリーのはずなのに、
    事前の期待値が高過ぎたせいか、
    どうにも入り込めなかった。
    面白くないわけではないのだけど、何かが違う。
    当たり前の風景に〈異物〉が混入してくる様子は
    諸星大二郎『栞と紙魚子』や『あもくん』にも似て、
    無気味かつ愉快なのだけど。

    一つ気づいたのは、主人公(語り手)が
    悩んだり苦しんだりしていないところが要因なのかな、と。

    でも、虚心坦懐に向き合わなければ
    「もうひとつの街」は新たな住人を
    迎えてくれないそうなので、
    主人公は正しい姿勢で
    取るべきルートに沿って動いた――と言える。

    残念、私は仲間に入れてもらえそうもない(笑)。

  • プラハの街のそこかしこから「もうひとつの街」にするりと入り込んでしれっと戻ってくるところが新鮮。スキーリフトと小さいヘラジカの章が楽しかった。そして舞台のプラハの魅力がじわじわ伝わってくる。プラハの居酒屋でビールを飲みたくなる。

    本書を楽しんだ人には『黄金時代』もおすすめ。よりなめらかな話運びと豊かな奇想を楽しめる。再会できるモチーフもあり。

  • するする言葉がながれ込む。こちらとむこうの世界、還りたい意識の在り方

  • サメのシーンにものすごい既視感を覚えたのが謎だったが、訳者あとがきを読んで納得した。『21世紀東欧SFファンタスチカ傑作集・時間はだれも待ってくれない』に一部収録されていたからか。
    大筋はとてもシンプルなのに、比喩というか表現が過剰なせいでずいぶんと読みにくい話になっている。それが魅力でもあるのだが、おかげで読後の疲労感が半端なかった。ストーリーを楽しみたい人にはおススメしないが、描写の面白さを味わいたい人はチャレンジしてみてもよいかもしれない。ちなみに自分は途中から、油断すると目が滑るようになった(笑)。

  • 『時間はだれも待ってくれない』に抄訳が掲載されていたもの。
    SFというより幻想小説に近く、『時間〜』のタイトルにもなっていた『ファンタスチカ』という概念が何となく理解できたような気がする。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「SFというより幻想小説に近く」
      東欧っぽい。と言う風に片付けちゃダメかな?
      しかし東京創元社じゃなく、 河出書房新社から出るとはねぇ~
      「SFというより幻想小説に近く」
      東欧っぽい。と言う風に片付けちゃダメかな?
      しかし東京創元社じゃなく、 河出書房新社から出るとはねぇ~
      2013/02/25
  • こういう文章を読む自分に酔うという行為がもう出来なくなっており非常に読むのが辛かった。思春期までに読んでおくのがいいかも

  • 「この世界の境界は遠くにあるわけでも、地平線や深淵でひろがっているわけでもなく、ごく身近な場所で、かすかな光をそっと放っている」

    世界の秘密をのぞいているみたいだった。めくるめく夢をみていたような。残酷で甘美な情景に酔いしれ、ときに可笑しくて可愛い戯れに虜になる。ここで彼らは、彼らのルールで言葉を紡ぐ。それは美しく奇妙な詩だった。
    彼もわたしもこの街に本に、どんどんと融けていって、あべこべなのに紙一重であるというわたしたちの内面の矛盾を優しく笑ってくれていたようなここち。恐怖や悲しみは、あるいは悦楽だったのかと、愉快な気持ちになった。メビウスの輪のうえで踊りましょ。未来を解き放って。魂の解放だ。
    さぁてあしたは、蒼い鳥たちのさかまく木立のなかにある先割れスプーンをこわがる猿が怒りに任せて捏ねくりまわした切り株のなかで上映される七色のドーナッツのそれぞれの穴の行方についての映画をかりとりにいきます。あれ、あなた、なんだかおかしくなってきてますよ。?? 「言語の論理的分析による形而上学の克服」?。なんだかもう、あっちの暗がりが、愉しくなってきたわ。そしてわたしたちはわたしちだけの宇宙をこの穹に描くのだ。

    言葉や文章や文字列は日本語だと漢字の意味とカタチが邪魔をして、"向こう側" になかなか行きづらいのかなとおもったけど、漢字をみていると起こるゲシュタルト崩壊のその先に、なにかが在るのかもしれない(?)。原文(原文、!!)で読んだら(読めたら)、きっとおもしろくて素敵でもっと魅惑的だったろうな、なんてこともおもった。

    「人生は、ジャングルにいる、いまわの際の若い神をめぐる猥褻な神話という終わることのない余興のなかで、ほとんど気づかれることのない脇役となるのだ」
    「どこに行くのだって。おまえさんが中心を探せば探すほど、中心から遠ざかっているんだよ。中心を探すのをやめたとき、中心のことを忘れたとき、おまえさんは中心から二度と離れることはない。」
    「だって、ぼくたちは現実を必要とするほど鈍くはないだろう…」
    「だが、自分が狂ったのか、それまでの人生のあいだわからずにいた宇宙の謎を理解したのか、おまえさんにはわからんだろう」

  • ふむ

  • 雪の降るある日、立ち寄った古書店で手にした本は見たこともない字が書かれていた。この現実の裏側にあるもうひとつの街への入り口は、市電の鉄路の先であったり、夜の駅であったり、あるいは図書館の奥であったり。作家の筆はときに思弁的だが、脳内で映像を再現しながら読んでいると、ひそやかな敵意を秘めたほの暗い世界に触れてぞくぞくする。手描きのアニメで映像化希望。

  • 雪降る街の古書店で、濃い菫色の装丁をした本を見つけるところから物語は始まる。この世のものではないらしい見たことのない文字で綴られた本は、不思議な「もうひとつの街」を見ることになる。今の世界とは異なる世界、そこへ主人公は接近を試みていく。内容は幻想的で、何が起こっているのかさえよくわからない。なのでとても難解だった。

  • 緑の大理石の路面電車、光る魚が中で泳ぐガラスの像、詩を朗唱するアヒル……プラハの背後に潜むもうひとつの街の、謎に満ちた世界観が魅力的だった。

  • 期待値が高すぎたのと、思った以上に難解で途中から目が滑って辛かった……。

    訳者あとがきより
    「作家に導かれるままにページをめくり、最後まで読み進めた毒者は、おそらく自問することになるだろう。私たちはいったい何を「見」ているのか、何を「理解」しているのだろうか、と。」

  • 文学

  • 2017.11.19 図書館

  • 偶然手にした本に、見たこともない文字が書かれていたことから、もう一つの世界に魅了されていく主人公。
    幻想的な物語の一つ一つに意味があるのだと思うのだけど、残念ながら私は何一つ読み取れない。
    けれど、それでもとても面白かった。
    情景の一つ一つが、脳裏に焼きつく。
    私もあちらに行っていたんじゃないだろうか。
    もしかしたら、本当はまだあちらにいて、こちらの世界の夢を見ているだけなんじゃないだろうか。

  • うーん。難しい。なんとかかんとか駆け足で読み終えたけど…
    表現は美しいが心に響かないのは自分が受け入れようとしないからなのか…はたまた…拒否しているのか…
    読み終わるまで、挫折とリトライを繰り返し半年くらいかかった…
    得れるものは、僕はなかったので残念。非常に残念だ。

  • もう一つの街と記憶の作り替え
    アイヴァス「もう一つの街」到着。パラレルワールドでボルヘスやカルヴィーノの名前出てきたら買わないわけいかない…
    アイヴァスはロシア系移民のチェコの作家…というか、家系はなんとハザール王国に遡る(というか末裔と称される)…
    (2016 05/04)

    読めない文字と描けない挿絵
    ミハル・アイヴァス「もうひとつの街」を今日から読み始め。タイトル通りパラレルワールドもの。
    どこかに通じているはずの半開きになっている扉のなかに足を踏み入れることはせずに、これまで何度も通り過ぎてしまったにちがいない。見知らぬ建物のひんやりとする廊下や中庭、あるいは街はずれのどこかで。
    (p8)
    語り手がパラレルワールドに踏み込むきっかけになったのは、プラハの古本屋で偶然みかけた古い菫色の背の本。その本にはこの世のものではないような解読不明な文字が記されていた。
    文字は身をよじり、のたうちまわり、街灯の光に照らし出されて、回転していく雪の渦と化していた。自分の部屋に持ち込んだ、まるで鶏の黒い卵のような、見たことも聞いたこともないものを目のまえにして、私は不安を覚えた。
    (p11)
    「鶏の黒い卵」という不安の源泉の比喩が合い過ぎて怖い…この文章の前に語られていたその本の挿絵の説明…そこでの挿絵は実際にはその通りに描くことはできない。
    さて、この第1章を過ぎて今日は第4章まで。第2章以降は幻想飛び過ぎでいきなりだとわけわからない(笑)。さっきのP8の文章ではパラレルワールドは何らかの扉的なもの1枚で隔てられているようなイメージ(一般的にもそういう感じかな)になっているのだけれど、この後読み進めていくと、毒の雨なんかでゆっくりパラレルワールドが侵食していく…というイメージになっていく。
    毒は私たちの言葉を蝕み、言葉を原生林から古来響いている不安の音に変化させ、彫像たちの孤独な音楽とさせる。
    (p37)
    この第4章の考察の部分は、著者が取り組んだデリダに近づいている。
    (2016 06/01)

    文字の世界
    刻まれた文字がその刻み込むという行為の為にそれだけで意味を為すというのなら、それを溶解するという毒の雨は…元に戻すこと以上の何かがあるのだろう。
    読めない文字は魔界の入口…
    (2016 06/02)

    異界へと導く緑の路面電車
    「もうひとつの街」1章分しか進んでいないけど…
    その前の章の最後に出てきた緑色の路面電車。それに乗ったものは再び戻ることはない…という。娘が戻らなくなった男の証言によれば、戻らなくなってから少しの間には手紙が来ていたという。その手紙の文字がだんだん読めなくなって、ついには手紙自体も来なくなった。ちょっと細かいところは忘れてしまったけど、文字を書くという行為の意味?が、こちらと異界とでは異なっているみたい。ということは、パラレルワールドは異世界なのではなく、異コミュニケーションなのだろうか。
    その他、古い絵画のさらに古層の絵に緑色の路面電車とおぼしきものが描かれているとか…
    荒川線も世田線も緑だっけ?
    (2016 06/03)

    タコと東欧
     それは、私たちの制御が及ばない、私たちの世界に編入不可能な空間であり、私たちはむしろその存在そのものを否定することを選択してきたのだった。
    (p65)
    「もうひとつの街」より第7章。このパラレルワールドはもちろんたった一つの意味に還元できるものではないのだろうけど、もうひとつのヨーロッパという観点からは、やはり社会主義体制の管理社会を思い起こす必要はあるだろう。しかし何故魚やタコやエイやサメなどが街の中で放り出されなければならないのだろうか。
    続く第8章はまだ途中なのだけれど(進みが遅い・・・)今度はパラレルワールドの司祭が、こっちの世界ではビストロの給仕であったことが判明し、その妻から相談を持ちかけられるというところ。この作品、東欧の人達と自分たちとでは、読後感がもしかしたら全く異なるのかも。この第8章と次の第9章は、「21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集、時間はだれも待ってくれない」東京創元社、高野史緒篇にて同じ阿部氏の訳で紹介されている。
    (2016 06/04)

    川と炎
    「もうひとつの街」第8、9章のサメとの格闘を終え、まずは第10章から。
     私たちは、硝子越しにしか見ることができないんだ。夢のようなに緊迫した身振りの波のなかに、存在という謎の川が出現する。ドレスの襞は、変わりゆく魅力的な文字を描き出すが、私たちは、その意味を考えはじめたばかりだ。
    (p87)
    解説によるとこの小説の中心テーマは「見ること」なのだという。今いる街と、それからもうひとつの街と、その溶解具合は見る人自身にかかっている。そういえば、語り手はどんどんもうひとつの街を中心に見ていて、合間に現在の街が返ってくる、そんな見方になりつつある。
    この部分とも呼応しているかのような第11章の文章。これは昼は靴屋、夜は彫像屋?の老店主の言葉。
     あるのは、たったひとつの中心、たったひとつの起源だけ。だが、それは、中心から成長したあらゆるもののなかにあるんだ。
    (p101)
    存在とは炎なのだという。炎のどごか中心でどこが周縁かという議論には意味がない。
    語り手はどこへいくのか。
    (2016 06/05)

    原生林と創られた伝統
    「もうひとつの街」半分越えてやっとのってきた感じ。この間はこのもうひとつの世界を東欧社会主義時代の管理統制などと見立ててみたけど、今回はもうひとつの世界が現在の世界より暑そうだということ、魚や船が街中を行き交うところから、昔の海進が進んだ時代(縄文時代くらい?)の世界を重ね合わせてみた。こうすれば作品中に頻出する原生林というのも説明がいく。ただ、原生林なる言葉は著者アイヴァスのお気に入り?でもあって、「明るい原生林見ることに関する考察」という著作もある(後気になる著作(小説以外)に「記号と空虚の物語」というのもある。こちらはミショー、リルケ、ゴンブローヴィチ、ギブソンらを論じる。前2つと後2つが自分の中で結びつかない…)。
    さて、彫像屋のくれた液体は飛べる薬?で、鳥人間よろしく語り手は飛び立ち、聖ヴィート大聖堂の屋根に腰かける。と、そこには先客がいて、オウムらしき鳥にパラレル世界の創世神話「壊れたスプーン」というのをを語らせる…のだが。
    ぼく個人は、叙事詩全体が前世紀につくられた出来の悪い贋作だと思いますね
    (p113)
    では、パラレル世界でも「創られた伝統」としての民族文化なるものがあるのか…普通(なのか?)、こういう陰の世界モノは陰側の成員の言動はなんだか怖いくらいに、少なくとも表面的には統一されている場合が多いけど、この作品の場合はなんだかみんなばらばらな個人の意見を持っている。それも不思議。
    (2016 06/06)

    ヱイ
    「もうひとつの街」では、空飛ぶヱイが登場。内陸国のチェコでは、タコにしろヱイにしろ、かなり異質なものと見ているとのこと。あと、この世界のマスコミにも気になる。新聞やテレビで語り手の行動が報じられていて、住民がそれを見ている…それがどっちの住民もなのだ。祭典の時のテレビも合わせ、主要なテーマとしていることは確かだろう。
    でも、ボルヘスやカルヴィーノというよりは、ギブソンとかの方に読んでいる感触は近いのだけど…
    頴娃(変換された)…

    あり得ないにあり得ない
    「もうひとつの街」から。
    道が風景のなかに溶け込み、もうこれより先に道はないって思うときが、一番、道が道になるというのにね。
    旅の終わりの地点にたどりついたという希望が持てるのは、目的地や道のことも忘れてしまうとき、空間に入り込み、その静かな流れに身をゆだねるときだけ。
    (p149)
    これらの言葉は例えば最終近いこの辺りの言葉と呼応しているのかな(そこまでまだ読んでいないけど、ちょっと先走って)。
    私がいま理解したのは、もうひとつの世界に足を踏み入れることができるのは、旅立ちを決意した旅に意味などまったくないと理解して出発するひとのみであるということ。なぜなら、目的地は、故郷を形作るさまざまな関係からなる織物のなかにあるからだ。
    (p195)
    ここに至る前後関係は後のお楽しみに…
    あと、この作品のベースになっているのは「オディセイア」。この閘門の中の船で繰り広げられる絵の連鎖は作品冒頭にあったあり得ない絵の拡大展開なのだろう。
    (2016 06/08)

    図書館海峡夏景色
    「もうひとつの街」ちょっと前に出てきた船に乗った男女がまた出てくるのだけど、女の方はなんと船が「図書館の海峡の壁に当たって座礁」し難破したという。その証言を元に語り手は図書館奥深く潜入しようとするのだが、第2章で出てきた図書館職員は危険過ぎると言う。本を探しに行った図書館職員がこれまでも何人も戻ってこない…それでも語り手が奥へ向かうと、そこは原生林化した図書館が広がっていた…引用とかはまた余力のある時に(笑)

    立ち去るものと留まるものとの対話
    というわけで「もうひとつの街」を今さっき読み終えたのですが…
    なんかいろいろはやっぱり後ほど?ということにして、書棚のジャングルや書籍のページに擬態した大トカゲの先には、崖の寺院の寺守の語るカルヴィーノの街の変装。出発の章での立ち去るものと留まるものとの対話のところでは、「オメラス」を思い出してみたり。解説では、ずっと使い続けているもの、ずっと見慣れている風景が、実は見過ごしているジャングルなのだ、というところ。
    明日か明後日に少しは引用しといてくれぇ…
    (2016 06/10)

    もうひとつの引用
    朽ちた書籍の内部、ページとページの暗い隙間には、植物の種が置かれていたのか、湿気のある闇のなか、芽が底に出て、紙のなかに根を生やしたり、本の端に枝をだしたりしていた。
    (p177)
    図書館がジャングル化した異様な光景が続く場面からなのだけど、これは比喩的には本を読んで他の本との繋がりを考えていくという人間の行為そのものでもあるのではないか。
    次は寺院の番人がカルヴィーノ的な街を列挙していくところの直前から。
    街という街が無限に連なる鎖でしかなく、変わりつづける法の波が容赦なく流れていく、終わりも、始まりもない円のようなものだ。
    (p187)
    前に朗唱する鳥フェリックスが似たようなことを言ってたみたいだけど…違いがよくわからない。
    自分の部屋に戻った語り手は、そもそもの始まりのもうひとつの街の奇妙な文字の本から、語り手が持っているの他の本へと、奇妙な文字が伝染しているのをみつける。蠢く虫か感染か。
    そして最後に、立ち去るものと留まるものとの話になる。
    あとどれくらい、この社会は、去りゆく者を蔑視するのだろう。去りゆく者と、留まる者の和解が成立するのは、いつになるのだろうか。
    (p198)
    200ページの本を10日。1日20ページ換算…

    おまけでもうひとつ引用。図書館原生林探検で文字の模様に擬態するイモリをみつけた箇所から。これはこの作品の文体論に使えるかも。
    文字はだいたいの場合意味をなさないまとまりだったが、意味のある言葉や、なんらかの意味を担う文章の断片を構成することもあった。
    (p179)
    人間の物語想像力と、意外な文章にぶつかった時の奇異感が微妙に折れ重なった、そういうこの作品の文体。
    (2016 06/11)

  • 菫色の古書との出会いをきっかけに、すぐ隣にあっていままで気づいていなかった街が見え――ああ、すばらしい。もっと早くに読めばよかったと思っている。行を追っていくのが楽しくて仕方ない本。抱きしめて眠ったら、わたしにももうひとつの街が見えるだろうか。

  •  古書店で菫色の装丁の本を手にしたことがきっかけで、"もうひとつの街"の中心を目指すお話。
     登場人物が語りに語るのでついていくのが大変だった。言っていることも私にはなんだか難しくて全部は理解しきれなかった…著者が哲学者でもあることに納得。でも分からないなりに読んでいて楽しかった。主人公と同じように、もうひとつの街にじょじょに惹かれた。だけどやっぱり、どこかにあるかもしれないもうひとつの街を知るのは怖い、だからこそ主人公のラストには驚き。

  • プラハの青年。古書店で手にした本。図書館。もうひとつの街への道。司祭。その娘クラーク−アルヴェイラ。動物たち。もうひとつの街へ飲み込まれていく青年。

  • 屋根の上でサメと格闘

  • 今夏プラハを再訪することになっているので、「世界が驚愕したチェコの想像力。代表作がついに日本初訳!」という帯文につられて即買いしたが、大正解。
    久しぶりに、幻想的な小説の世界を心から堪能した。

    物語は、雪の降るプラハの古書店で、語り手の「私」が謎の文字で綴られた書物を偶然みつけるところからスタートする。そして推理・冒険小説よろしく「もうひとつの街」へ足を踏み入れるのだが、そこは幻想的で不思議な世界でもあり、危険な場所でもあり、ありえない世界なのに、まるで語り手と一緒に、その世界に迷い込んだような感覚にさせられる。
    聖ミクラーシュ寺院の鐘楼でサメと無様に闘ったと思ったら、それが新聞にデカデカと事件として掲載されていたり、TV放映されてお笑いぐさにされていたりと、思わずクスッと笑わせてくれるシーンあったり、朗誦する鳥フェリックスが叙情詩を朗々と窓際で語ったかと思うと、バランスを崩して落ちてギャーという悲鳴が聞こえてきたり、哲学的な内容の中にも時々おかし味も加えられていて、最後まで一気読みしてしまう。

    こんな中途半端な感想より、先日芥川賞を受賞された小野正嗣さんが素敵な書評を書いて下さっている。
    http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013050500108.html       

  • 未知の文字で書かれた一冊の書物を手にしたことから始まる「もうひとつの街」を巡る探究譚。

    「もうひとつの街」は我々の世界のすぐそばに接していて、ほんのちょっとした切れ目や隙間からその世界に入っていけそうなのに、普段それを意識しない人には全く「見え」もしない不思議な世界。
    その「もうひとつの街」を支配する倫理や価値観や法則みたいなものは、こちら側の世界とは全く異なっている。
    繰り広げられる不可解でシュールレアリスム的な光景と、何か意味のあるようなことを言っているようで言っていないような登場人物たちの思弁的な会話。
    そんな独特の世界観を、理解するのではなく、あるがままに見、感じることに努めると、案外この本の読書体験は快感になる。
    そもそもこちら側の世界の論理で「もうひとつの街」を理解することなど矛盾したことだと端から割り切れば、読後感もそう悪くない。笑
    基本的に理解は困難だが、きちんと話が環として閉じるところが、ボルヘス的と言われる所以か。

    不思議な探検をし、日常と夢幻の世界を行き来したい人にお勧め。

  • すみれ色の装丁の本!から始まる幻想譚、でイメージはボルヘスに似てはいるが、町が全く違うため、風合いが違う。寒くてクリアなせいか、幻想が少しクリアすぎる。

  • もう一度読む

  • チェコという国は興味深い。長い歴史を持ちながらも20世紀には3つもの異なる国に占領された経験を持つ国であり、理想郷という名の地を持ちながらヨーロッパで最も無神論者の割合が多い国でもある。それ故かチェコにはカフカやクンデラといった不条理を主題とする作家の系譜が存在しており、アイヴァスもそれに連なると言っていいだろう。古書店でふと手に取った、解読不能な一冊の書物から「もうひとつの街」へと足を踏み入れるその内容は幻想と思弁が交わり合う芳醇な世界でありながらも、その景色には乾いた不条理の風が静かに吹き続けている。

  • 非常に読みづらい小説。
    つまらないとかでなく、なんでもないことのように幻想が綴られていて、それを呑みこむのが大変。読んで理解するのを早々に諦め、頭の中で再現映像にしたおかげで小説には入り込めたが、疲労感がとてつもない。
    ちょっと流し読みすると何が何だかわからなくなるし、登場人物の言動はおおむね理解できないけど、描き出される幻想風景はどこかノスタルジックで美しい。
    冬の寒い日に、暖かな部屋で読み返したい物語。

  • 古書店の棚から『私」がふと手に取った「菫色の表紙の本」。中には見たこともない文字が書かれていた。この文字の秘密をとこうとしていくうちに、「私」はこの世界のすぐそばにあるもう一つの異界の存在に気づいていく。

    次々と繰り出されてくるイメージに翻弄されるのを楽しみながら読む本。絶え間なくイメージが紡ぎ出されるのはボルヘスなどのラテンアメリカ文学を思い出すが、なにか深い陰影を感じるのはチェコが舞台だからだろうか。
    自分たちがすんでいるこの世界のすぐそばに薄い皮膜で隔てられた異世界があり、時にこちら側に様々な異形の姿で浸食してくる。目の前に二つの世界が重なって出現する様が素敵に怖い。

    実際のプラハの街を「私」は歩き回って異世界の住人と遭遇するので、Googleマップを見ながら読むと興味深さ倍増。

  • 何が何だかさっぱりわからない、というのが率直な感想かもしれません。プラハの街に隠された、もう一つの街へ足を踏み入れた男性の奇妙な冒険譚とまとめてしまえばまとめられますが、果たして現実なのか夢なのか。さっぱりわからないと書いたのは、作品中で描写される一つ一つのものの像がイメージできない、しづらいがためですが、全部が全部イメージできないわけでもなく、またこういった訳のわからなさ、あり得ない形象、矛盾に満ちた行動など、実はあたしも夢によく見ます。そう考えると、目が覚めたときに「この夢はいったい何だったんだ」と感じるときとそっくりな読後感です。主人公は結局もとの街へ戻れたのでしょうか?

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著者プロフィール

1949年プラハ生まれ。作家。1989年に詩集でデビュー以降、チェコ国内の様々な文学賞をはじめ、長篇小説『黄金時代』がAmazon.comのSF・ファンタジー部門で1位を獲得するなど世界的評価も高い。

「2014年 『黄金時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ミハル・アイヴァスの作品

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