こびとが打ち上げた小さなボール

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207230

感想・レビュー・書評

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  • 1978年出版。目覚ましい経済成長の裏の深刻な社会問題を描き、驚異的なロングセラー・ベストセラーとして読み続けられている。

    2年半ほどの間に、8つの雑誌と1つの新聞に12編の短・中編を散発的に発表。検閲対策のため連作小説という形をとった。
    多様な階層と立場の人々の声が響いているポリフォニックな構成。平易な短文を連ねた文体が特徴的。

    物語の中心はこびとの一家。低身長症の父親、母親、長男ヨンス、次男ヨンホ、長女ヨンヒは家族全員で力を合わせて生活している。だが、住んでいる地域一帯が大規模開発されることになり、立ち退きを要求される。代わりに、新築高級マンションに入居する権利を与えられるが、高額な家賃を払えないため、そこに転居することはできない。それを見越した不動産ブローカーが貧しい人々から入居権を買い集め、高額で転売するという状況が起きている。選択肢を持たない人々が蹴散らされるように追われていく。


    フィクションだということを忘れてしまうし、遠い過去のことだとも思えない。迫ってくる。そういう力がある。

    冒頭とエピローグは、高校教師と生徒の対話、「メビウスの帯」、「いざり」と「せむし」の話が語られる。ここで、物語全体をどう受け止めるかを考えさせられる。

    そして、自分自身が抱えている傷跡にも気づかされる。たとえちっぽけなものだとしても無かったことにはできない痛みが。

    ”私たちもこびとです。お互いに気づいていなかったとしても、私たちは仲間よ。”

  • 打ちのめされる本。心を揺さぶられる名作。断片的な連作で、全てを理解し消化できたわけではないが、とてつもないものを読んでしまった感が凄い。この文学の強靭さに、蹴散らされた人々の生き様に動揺してしまうのは、隣国として彼らを犠牲にしたうえで豊かさを無邪気に享受した事実と、表面的なことで精神が乱れてしまう自分の甘さを突き付けられるからだろう。

    今の時代、キラキラしてて当たり前という風潮が蔓延し、特にSNSがさらにその空気を助長しているように感じるこのご時世に敗北を覚える時、この物語にある「蹴散らされた人々」の存在に、はっとさせられる。何というか、人と自分を比較し闇のコントラストで心が掻き乱れる時や、自分の存在の希薄さを感じる時、「こびと」の存在が私にはとても必要なのだ。

    私はこびとらのような低下層の立場にある者ではないが、「私たちもこびとです。お互いに気づいてなかったとしても、私たちは仲間よ」とこびとを蔑む者に立ち向かうシネ(『やいば』)のような姿勢でありたいと思うし、私に必要なのは気休めの自己啓発本ではなく、甘ったれた心を打ちのめす小説であり、激しい時代にリスクと隣り合わせで書き上げられたこのような胆力のある文学を心から尊敬し信用する。

  • 意識して「韓国文学」を読むようになってから韓国の映画やドラマの時代背景や人々の描かれ方が巧みなこと(誇張した表現が実はピンポイントで問題点を指摘していたり)に気づいてハッと驚かされることも多い。本書でもこれまでどれだけ私達(少なくとも私)は親世代の陰に隠れて見て見ぬふり、気付かないふりをしながらのほほんと「高度成長期」を生きて来たのかと愕然とするばかり。それにしてもこのタイトルの言葉選び‥哀しくて鋭くて物語の様々なシーンや登場人物が目に浮かんで印象に残る。巻末の「作家のことば」や四方田犬彦氏の解説、訳者あとがきも必読。

  • 1970年代を舞台にした社会派小説です。圧倒されます。日本語訳韓国小説の中で、一番おすすめしたい作品です。

  • 書店で見かけてなんとなく気になり
    図書館で借りてみた本。
    1970年代の韓国の、
    重く重く救いのないお話。
    感想を書くのがとても難しい本。

  • せむし、こびと、いざり…最初はなかなかピンとこない単語の登場とその背景に、この本の世界に入ることが難しかったのだが、読み進めるうちにぐいぐいと引き込まれた。またそれと同時に、言葉では表せないほどのやるせなさに胸が締めつけられ、読み終えるまでとても時間がかかった。

    この本を読む前と後では、韓国カルチャーの見え方が全く違う。この本を知ることができ良かった。

  • 70年代の韓国を舞台に、この「こびと連作」は書かれた。発行禁止を避けるため短編にして色々な雑誌でこの連作は発表されたという。韓国では、1976年の出版以来驚異的なロングセラーとなっているという。それを日本で読めるようになったのは、2016年である。小説中に数学教師が話すメービウスの輪の話があるが、この小説も最初と最後でメビウスの輪のように繋がっている。どちらが表でどちらが裏かが分からない帯のように。いざり、せむし、こびとという言葉が出てくる。日陰に追いやられた人たち、過酷な労働環境で働く人たち、富者と貧者。当時とは違って高度に発展した韓国。しかし、今でも解決できない問題を抱えた韓国、そして日本を考えざるをえない短編集だった。

  •  読了3時間半。

    韓国の作家さんの物語を読んだのははじめて。

     子どもたちが夢中になっていたり、人気のメイクアイテムやファッションが話題になる韓国。
     漫画でもっと宮廷時代ものとかは読んだことはあったのだけれど、それも何か哀しい話が多かった記憶がある。身分制度ものとか、地位が低かった女性の悲恋ものとか、役人に虐げられる話とか。

     でも、その近代に、貧民層を搾取していた、こんな哀しくて重い歴史があったなんて知らなかった。読むのがしんどくなりそうな内容だと思うかもしれないけれど、目が離せない本だった。何より、最初の教師の「メビウスの帯」の挿話がいい。最後の長男くんの裁判のシーンもいい。

     短編集だけれど、ひとつづきのおはなし。いっぺんいっぺんはちいさな物語だけれど、韓国についてだけでなく、とても大きなことについて考えさせられ続ける話。

     本当の痛みに根付いて語られた物語は、ひどく心を揺さぶると実感した。

  • 兎に角、すごい衝撃を受けた。韓国にこんなにすごい作家が居たことを今まで知らなかったのは、すごく損した気分だ。1970年代の産業成長期の韓国の話。労働者側と経営者側の格差。財閥と貧困、異形や貧困に対する差別。それらが当たり前にあった世の中がそのまま描かれている。ついつい弱者の方だけが描かれるものだが、この小説は労働者側の苦悩だけでなく、経営側の苦悩もきちんと表現されており、その点はすごいと思った。大学受験を直前にした生徒に向かって話す数学教師の言葉から物語が始まる入り口も良かった。韓国文学は力強い文学だ。

  • 1970年代の韓国に書かれた、こびとの家族と、その周辺の人々に関する短編連作集。
    話の冒頭と最後がメビウスの輪になっている、内側が外側で、外側が内側になる。話の中には、大都市で暮らす最底辺の労働階級の人々と、お金持ちの人々、またお金持ちでも最底辺でもない人々が出てくる。そしてその中の誰も最も幸福ではない。どんな人々でも内側であって、外側になる。ただおんなじことはおんなじ場所で暮らしていることだけ。
    宇宙人の夢を語る小人のお父さんがすごく良かった、そしてそれと似たような夢を語った人に、それは社会的ストレスを受けた人の自己防衛の話ではないかと問いかける人が出てくる。本当に宇宙人がいるのかいないのかは私たちは知らなくて、彼らも知らないのだ、誰も知らないからあるかもしれない。外側でも内側でもないところの夢。
    どこにも救いがない話だ。こびとの家族は生きるのに必死だし、富裕層は穏やかに綺麗に暮らしてるけどそれでも苦しい。努力があるから豊かにはなったのだし、いつ落ちるかもわからない。外も内も、ここに生きている以上どっちにしろおんなじである。
    悲しくて綺麗な話だった。特に、会話の書き方が好き。


    「たくさん罪を犯したわ。でも変ね、一つも言えない」
    「生活全体が罪だからだよ」

    お金持ちの娘に、お金持ちであることが罪だと教え諭す。
    しかし、罪を犯したことはわかるけど、何が罪かはわからない。生きてることで誰かを蹴落としていることはわかるけど、かといってそれは生まれてきてしまった娘が悪いのか?悪いわけではない、知らないことが悪いのだと言う。

    「そんなことは考えないほうがいいのよ。どんなに良い工場で働いたって同じことだわ。大勢の人が同じように幸せになるなんてこと、あると思って?」
    「薬を使うんですよ」

    「ぞっとするようなことばっかり考えるのね」
    「それは僕のせいじゃありませんよ」
    僕は言った。
    「ほんとにぞっとするようなのは、この世界でしょ。」

    全員が幸せになることはない。
    誰かが悪いわけでもない、愛のある世界では全員幸せに生きられるのだろうか、愛のある世界にお金はあるのだろうか?この世界自体がそもそも愛に向いてないのではないか?この世界自体が愛に向いてないなら、そんな悲しいことをいくら学んでも、何かの意味があるのか?

    解説が後半についている。途中途中、韓国の制度についての注釈も多い。全く知らないことばかりでなかなか読むのに時間がかかった。1970年の話だけど、この中で描かれている、身体障害に対しての差別や、富の格差、労働問題なんかは、別に今書かれたと言っても違和感がある話ではない。
    ただ、知るだけのことにもひとつの意味があると私は思いたい、そう思った。

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著者プロフィール

1942年生。韓国の作家。75年より『こびとが打ち上げた小さなボール』の連作を、検閲を逃れ様々な媒体で発表し始め、78年に刊行。翌年同作で東仁文学賞受賞。現在までに300刷を超えるロングセラーとなる。

「2023年 『こびとが打ち上げた小さなボール』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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