死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207445

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    1959年2月1日、遭難事故史に残るあまりに不可解な事件が発生した。ウラル山脈北部のオトルテン山にトレッキングに向かった9人の男女が行方不明となり、後に全員遺体で発見された。事件当時の気温はマイナス30℃近くあったが、遺体はまともに服を着ていなかった。9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨折などの重い外傷によって死亡していた。さらに、遺体の着衣について汚染物質検査をおこなったところ、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出された。ロシア当局は「未知の不可抗力」と結論付け、この事件の捜査を終了した。
    いったい彼らに何があったのだろうか?吹雪の山中で「一番安全な」テントを離れて、軽装で1キロ半も歩きつづけることなど考えられるだろうか?ひとりやふたりならまだしも、9人全員が。しかも衣服に放射性物質が付着しているとはどういうことなのか?

    本書『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』は、アメリカ人のジャーナリストであるドニー・アイカーが、ソ連のウラル山脈北部でトレッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げた事件――通称『ディアトロフ峠事件』の真相に迫った一冊だ。筆者はディアトロフ・グループの関係者に聞き取りを行うだけでなく、遺留品として残された手記や写真から事故当日に至るまでの状況を推察して、被害者一行の「1959年の物語」を描き出している。そして自らもディアトロフ峠に赴き、事故当時の気象状況のもと詳細な調査を行っており、その道中を「2012年の物語」として綴っている。この二層構造によって、ディアトロフ峠の臨場感をありありと表現することに成功している。

    60年以上経っても未だに謎が解明されていない本事件に対して、筆者が導き出した結論は「超低周波による体調不良および錯乱」である。超低周波音はいわば「人間の耳には聞こえないが脳には聞こえている音」だ。超低周波音は鼓膜を通じて内耳の有毛細胞を振動させる。音はふつうの人には「聴こえない」が、興奮した内耳の有毛細胞は信号を脳に送る。耳と脳の認識の乖離から、身体にきわめて有害な影響が及ぶことがあるというのだ。超低周波音の発生源は、冷却・換気装置や風力発電所といった人工物が多い。機械が発する低音の振動によってだ。しかし、地震や嵐の副産物として、自然に発生することもあるという。
    事故当時にトレッカーたちが張ったテントの位置が、ちょうど風によって超低周波音が発生する地帯にあった。そのため錯乱状態になった一行は、不快感が増し続けるテントから慌てて飛び出し、そのまま凍死したり崖下に転落死したりしていたのだ。

    ――ほとんど理解不能な事件なのだから、それを正確に説明する手段などありようもないが、イヴァノフは当時手に入るかぎりの資源と語彙を駆使している。一九五九年五月二八日にイヴァノフは、トレッカーたちは「未知の不可抗力」の犠牲になったと結論し、それがこの事件をめぐる謎を定義する言葉になった。この言葉は説明にはほど遠いものの、その結論は奇妙に正確だった。カルマン渦列によって生成された超低周波音がほんとうに、あの夜トレッカーたちがテントを棄てた――そしてその結果として死に向かって歩いていった――理由だったとすれば、「未知の不可抗力」という以上に、真相を表現するのに近い言葉は当時のだれも――レフ・イヴァノフであれだれであれ――持っていなかったのだから。
    ――――――――――――――――――――――――――
    さて、上記が筆者の導き出した結論だが、果たして納得いく答えになっているだろうか?私は正直納得していない。襲撃者説や軍の陰謀説は論外として、「錯乱」という結論にもあまりに矛盾する点が多いと思うのだ。
    まず、超低周波音で体調に異常を来すのは一部の人間だけだ。コンサートホールで行われた実験では、被験者750人中体調不良を訴えたのは165人(23パーセント)である。人間の聴覚器官の構造には個人差があるため、特定の周波数によって一様に異常を来すとは考えにくい。「9人全員」が正気を失ってしまったというのは、確率的にあり得ないと思えてしまう。
    また、遺体が雪に埋もれすぎているのもおかしい。テント近くには数組の足跡が残っていたため、足跡が完全に消失するほどの大雪が降ったわけではない。錯乱してそのまま凍死したのであれば、雪上で死亡するはずだ。にもかかわらず、遺体の多くは数メートル近くの雪に埋もれており、足の指と指の間に雪が入ってしまうぐらいであった。いくら錯乱したとしても、自ら雪を深く掘ってその中にダイブする、ということはないだろう。

    実はその後の科学的調査で、原因は「規模の小さい遅発性の雪崩」ではないかという説が有力視されている。本書の「超低周波音説」とは見解を異にするものであり、こちらも参考に読んでおいたほうがいいかもしれない。

    9人が怪死「ディアトロフ峠事件」の真相を科学的に解明か
    https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/020100052/

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    【まとめ】
    1 不可解な事故
    1959年初めの冬、ウラル工科大学(現ウラル州立工科大学)の学生と卒業してまもないOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山に登るためにスヴェルドロフスク市(エカテリンブルクのソ連時代の名称)を出発した。全員が長距離スキーや登山で経験を積んでいたが、季節的な条件からして、グループのとったルートは難易度にして第3度、すなわち最も困難なルートと評価されていた。
    出発して10日後の2月1日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営して夜を過ごそうとした。ところが、その夜なにかが起こってメンバーは全員テントを飛び出し、厳寒の暗闇に逃げていった。一行が戻ってこなかったため、3週間近くたってから捜索隊が送り込まれた。テントは見つかったが、最初のうちはメンバーの形跡はまったく見当たらなかった。最終的に、遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれべつべつの場所で、氷点下の季節だというのにろくに服も着ていなかった。雪のなかにうつ伏せに倒れている者もいれば、胎児のように丸まっている者も、また谷底で抱きあって死んでいる者もいた。ほぼ全員が靴を履いていなかった。遺体の回収後に検死がおこなわれたが、その結果は不可解だった。9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨折などの重い外傷によって死亡していた。また事件簿によると、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに、遺体の着衣について汚染物質検査をおこなったところ、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出されたという。
    捜査の終了後、当局はホラチャフリ山とその周辺を3年間立入禁止とした。主任捜査官を務めたレフ・イヴァノフの最終報告書には、トレッカーたちは「未知の不可抗力」によって死亡したと書かれている。50年以上たったいまでも、この事件の原因を語る言葉はこのあいまいな表現以外にないのだ。

    メンバーの一人であるイーゴリの最後の思い出について尋ねたとき、妹のタチアナはだしぬけに言った。「兄は雪のせいで死んだんじゃありません」。そして、葬儀のさいに柩のなかを見たときのことを話してくれた。かれらはみな皮膚が黒っぽく変色し、老人のようにしわだらけになっていたというのだ。
    「あんなことありえません。寒さで凍え死んだ人の顔が、あんなに黒っぽく変色することはないはずです」「イーゴリは23歳でした。それなのに、老人のように髪が白くなっていました」


    2 発見時の状況
    2月27日、捜索隊がテントを発見する。テント内はきちんと整っていて、すぐにでも食事ができるようになっていた。入口は完全に閉まっておらず、下り斜面に面する側と北に面する側には引き裂かれた跡があった。
    テントから20メートルほど離れたところには、数組の足跡が残っていた。足跡のなかには大きなものもあれば、小さくてあまりはっきりしないものもあり、それを残した人物は靴を履いていなかったのではないかと思われた。捜査官たちは9組の足跡を確認したが、それは川谷に向かって800メートル近く続いていた。足跡はふたつに分かれて平行に谷に向かって進み、途中でまたひとつに集まっていた。

    一方、テントから1、2キロ離れたロズヴァ川の谷間で焚き火の跡が見つかり、そばから人間ふたりの遺体が発見された。どちらも男性で、並んで横たわっていた。どちらも上着を着ておらず、それを言うならズボンもはいていなかった。ひとりはチェックのシャツを着て、長いズボンの下に水泳パンツをはいていた。ズボン下の右脚は残っていたが、もういっぽうは引き裂かれていた。裸足で、足指のあいだには雪が詰まっていた。もうひとりの遺体はもう少しちゃんと服を着ており、アンダーシャツにチェックのシャツ、長いズボン下、ブリーフに靴下という姿だった。しかし、どちらの遺体も衣服はずたずたになっていて、かなりの部分がなくなっているらしく、変色した皮膚が大幅に露出していた。

    そこから数百メートル離れた雪の下から、トレッキング・グループのリーダー、イゴーリ・ディアトロフの遺体が見つかった。この男性はチェックのシャツのうえからセーターを着ていて、毛皮のベストを着けてズボンもはいていた。しかし、仲間たちと同じく帽子や手袋はしていない。また靴もはいておらず、左右不揃いの靴下を痛ましく縮めた足にはいていた。

    これらの遺体を起点に四方八方に捜索を続け、さらに2人の遺体を発見した。

    また、残りの4人の遺体が発見された際には、近くで雪のなかに脱ぎ捨てられた大量の衣服が発見された。さらに奇妙なのは、衣服の一部は刃物で切られたか、引き裂かれたように見えることだった。


    3 唯一の生き残り
    ディアトロフ峠事件の唯一の生き残り、ユーリ・ユーディン。彼は持病の腰痛が悪化し、トレッキング隊と別れ一足先に引き返していた。
    ユーディン自身はなにがあったと思っているのだろうか。この問いに対して、彼ははっきりと、友人たちの死は自然現象とはなんの関係もないと思っていると言った。
    「私の考える第一の可能性は、銃を持った人間に襲われたということです。たぶんいてはならない場所にいたか、見てはならないものを見てしまったのでしょう」
    彼はさらに続けて、その銃を持った男たちに強制されて、捜査を攪乱するため、友人たちは奇妙な現場をでっちあげる破目になったのだろうと言った。銃で脅されて、ろくに服も着けずに森のなかへ歩いていき、自分の衣服を引き裂いて、あとはそこに放置されて死んだのだろう。「つまり、強制されてやったことなんです。それで、あんな狂気めいた状況が残されたんですよ」
    銃に脅されていたとユーディンが確信する最大の手がかりは、リュダの舌がなくなっていたことだ。広く認められた合理的解釈によれば、これは野生動物のしわざとされている。9人の遺体は野外に数日から数週も放置されていたのだから、においで寄ってきても不思議はない。齧歯類の標的になったのだろう。しかし、ユーディンはこの説には懐疑的だ。「ネズミのしわざであれば、ほかのどの遺体にも同じことが起こっていたはずです」
    彼の考えでは、だれかがリュダを選んで懲罰を与えたのだ。おそらくは彼女が最も気が強くて、ほかのメンバーよりはっきりものを言ったからだろう。「ただの野生動物のしわざなのか、それとも彼女が大胆にものを言いすぎたのか、だから当局が見せしめとしてやったのか、ということですよ」

    筆者はいささか落胆せずにいられなかった。ユーディンは明らかに、ディアトロフ事件陰謀論を唱える一派に属していた。彼女の舌には切り取られた形跡はなく、たんになくなっているだけだ。この悲劇に密接にかかわっているにもかかわらず、政府の隠蔽を疑う多くの人々となんの変わりもない。
    さらに奇妙なのは、共産党支配全般に対して、彼が忠誠を表明していることだ。ソビエト時代への深い愛情を抱きながら、その政府に対して強烈な猜疑心を抱きつづけることがどうして可能なのだろう。政府は自分や家族を養い、無料で教育を受けさせてくれたと思っていながら、その同じ政府が、少なくとも2月1日の夜に起こったことを隠蔽していると――最悪の場合は親しい友人たちを拷問し、殺したとどうして信じられるのか。


    4 混迷する証言
    テントの裂け目を調査したところ、新たな発見があった。テントは内側から切り開かれていたのだ。「穿孔のへりが連続して細い傷をなしているのはテントの内側であり、外側ではない。損傷の性質および形状は、刃すなわちナイフによって内側から切り開かれたことを示している」と調査官のチュルキナは書いている。
    切り開かれたのが内側からだとわかると、また新たな憶測が生まれた。トレッカーたちはなにか、またはだれかに不意をつかれたため、入口の掛金をきちんとはずしているひまがなかったのだろう、というものだ。

    地元のトレッカーのアトマナキとシャクフノフは、2月17日にウラル山脈北部上空で「光球」を見たと証言している。事情聴取の記録によれば、彼らは朝食を用意するために午前6時に起きた。ストーブで調理をしているとき、空に奇妙な白い点が見えたので、最初は月が出てきたと思ったが、そう言うとシャフクノフがそんなはずはないと言った。今朝は月は出ていないし、出ていたとしても空の反対側にあるはずだというのだ。
    「そのとき、その光点の中心に火花が現われました。数秒間は変化なく輝いていたんですが、それがだんだん大きくなって高速で西へ飛んでいきました」
    最初のうちは面白がっていたが、1分半ほど動くのを見ているうちに恐ろしくなってきたとアトマナキは言う。
    「ぼくの感じでは、なにかの天体がこっちに落ちてきているような気がしましたが、どんどん大きくなってくるもんだから、惑星が地球に迫ってきているんじゃないか、ぶつかって地球が壊れてしまうんじゃないかと思いました」
    実際、イヴデルの検察局は、2月17日の朝に同様の光を見たという数名の証人から事情を聞いている。この地域に勤務する刑務所の看守は、ゆっくり動く光球が空で「脈打っていた」と表現している。その光球は南から北へ移動していったが、8分から15分ぐらいは見えていたのではないかという。
    しかし、2月の空に見えた奇妙な現象が、トレッカーたちの死となんの関係があるというのだろう。にもかかわらず、この「光球」の話とそれに付随する推理が、レフ・イヴァノフの捜査にすでに影響を及ぼしていた。圧倒的な数の証人がやって来て、オトルテン山の近くで奇妙な光を見たと言う(そしてその現象をトレッカーたちの死と関連づける)ので、検察局では無視しにくくなってきていたのだ。また、遺族の納得するような説明を見つけるのも、そのせいでさらにむずかしくなっていた。

    この事件に関わった人々、特に火球を見た人たちの多くが、この事件は数人のトレッカーが悪天候の中に飛び出していったという、ただそれだけの事件ではないと考えていた。つまり殺人だと言いたいのだ。テントの外側には、人間による攻撃の痕跡が見られないことは認めながらも、まともに服も着けずにテントから逃げ出すほどおびえていたとすれば、それは「武装集団」に襲われたからとしか考えられないと言っているのだ。他にも原住民族マンシ族の殺人者とか、軍の飛行機や核兵器の実験まで、さまざまな憶測が飛び交い、春になる頃には軍の陰謀説にまで発展していた。

    雪崩に巻き込まれた、というのが一番もっともらしい死因かもしれない。しかし、テントの立てられていた斜面はそれほど傾斜がきつくなく、よほどのことがないかぎり雪崩は起きそうになかった。しかもテントはちゃんと立っていて中身もそのまま残っていたし、おまけにトレッカーたちが発見されたのは、そのキャンプ地から1、2キロも離れた場所なのだ。ここで雪崩は起こりそうにないというだけでなく、雪崩の危険があったとしても、ディアトロフ・グループがそれを理由としてテントを棄てるとはとうてい考えられなかった。

    この事件の謎は煎じ詰めればこの一点だ。雪崩のせいでないとしたら、いったいなにがあって、9人は安全なテントを棄てる気になったのだろうか。


    5 捜査打ち切り
    5月に遺体の司法解剖が行われた。
    コレヴァトフの遺体には特に不審な点は見当たらなかった。死後硬直と死斑、それにともなう皮膚や臓器の変色が見られただけだ。死因は低体温症だというのがヴォズロジディオニの結論であり、驚くような点はどこにもなかった。
    しかし、サーシャの胴体の検査にとりかかってみて、検死官は異常に気がついた。右胸に大きな外傷を負っていたのだ。肋骨が5本折れて大量に出血していた。ヴォズロジディオニの結論によると、この骨折は被害者が生きているあいだに「強い外力」が加わって起こったものだった。
    23歳のコーリャも、やはり同様の外傷を負っていた。もっとも、こちらが骨折していたのは頭部だった。

    いっそう不可解だったのは、リュダ・ドゥビニナの検死結果だった。この20歳の女性は胸部に重度の損傷を負っており、右心室その他に内出血を起こしているほか、肋骨が9本折れていた。しかし、なにより異様だったのは、口内を調べてみたら舌がなくなっていたことだ。ヴォズロジディオニの報告書では、この最後の点に関してはなんの説明もなされておらず、先のふたりの仲間とともに、リュダの死因は「暴力的な外傷による」ものと分類できると結論しているだけである。

    また、犠牲者の衣服を放射線検査したところ、毎分5000個という通常の濃度を超えるベータ粒子が検出された。放射性物質を取り扱う人々の基準をも上回る量だ。

    しかし、放射線検査とその穏やかでない意味あいは、進行中の刑事事件になんの影響も及ぼすことはなかった。放射線検査の結果が戻ってくるちょうど前日、イヴァノフは地域の上層部からの圧力に屈して、犯罪捜査をただちに打ち切ったのだ。1か月の延長を申請するという選択肢もあったのだが、すでに遺体が発見されている場合にはそれは異例なことだった。しかも、延長を申請すればイヴァノフはたいへんな重圧にさらされることになっていただろう。その1か月以内に、決定的な新しい証拠を見つけなくてはならないからだ。そういうわけで5月28日、彼自身が命じた検査について継続調査をすることもできず、9人の具体的な死因についてはまったく言及しないまま――ただ「未知の不可抗力」という言葉を残し――イヴァノフはディアトロフ事件の捜査を終了した。


    6 真相
    3人の遺体に激しい損傷――内出血、複数の肋骨骨折、頭蓋骨折など――が見つかった理由を説明するには、遺体が発見された峡谷を調べるだけでじゅうぶんだ。峡谷の片側は高さ7メートルであり、傾斜角は50度から60.度にも達する。真っ暗ななかで出くわしたら、運悪く転落しても不思議はない。
    また、シカゴ大学医療センター放射線科の准教授、ドクター・ストラウスは、トレッカーたちの衣服に関して事件簿にあがっているベータ粒子の数は、まったく異常な高さではないと言ってのけた。50倍から100倍の放射線が検出されなければ、危険とか異常に高いレベルとは言えないというのだ。トレッカーの衣服のやや高い程度の数字は、環境汚染によって簡単に説明できる。たとえば、トレッカーたちのいた場所から1400キロほど北のノヴァヤ・ゼムリャ諸島でその冬に核実験がおこなわれているが、その放射線が大気や水の循環によってウラル山脈北部に達することもじゅうぶんに考えられる。また、トレッカーたちの皮膚が暗い色に変色していたのは、放射線被曝よりも重度の日焼けと考えるほうが当たっているだろう。遺体が雪に埋もれたのは、亡くなってから何日もあとのことと思われるからだ。

    筆者の出した答えは、「超低周波による体調不良および錯乱」である。超低周波音は、鼓膜を通じて内耳の有毛細胞を振動させる。その結果、その音はふつうの人には「聴こえない」かもしれないが、興奮した内耳の有毛細胞は信号を脳に送るので、その乖離――なにも聴こえていないのに、脳はそれとは異なる信号を受け取っているという——から、身体にきわめて有害な影響が及ぶことがあるというのだ。超低周波音の人為的な発生源は無数にあるらしく、一般的には冷却・換気装置や風力発電所が多いが、地震、山崩れ、隕石、嵐や竜巻の副産物として、自然に発生することもある。
    アメリカ海洋大気庁の科学者であるベダードとジョージズは、この自然発生的な超低周波音について概説し、とくに特定の風速の風が障害物に遭遇したときに発生するそれを研究していた。この自然に発生する超低周波音は、人体に深刻な影響を及ぼすことがあり、吐き気、重度の体調不良、精神的な不調から、ひどいときは自殺の原因にもなる。

    2003年、超低周波音曝露の症状を調べていたロンドンの研究者は、サウス・ロンドンのコンサートホールの裏に「超低周波音発生機」をひそかに設置した。そのうえで、750人の被験者に同じような現代音楽を4曲聴いてもらったが、かれらには知らせずに、うち2曲には超低周波音発生機で生成した音波を含めていた。被験者はその後、各曲に対する感想を尋ねられた。その結果、165人(23パーセント)が超低周波音の部分で寒けを感じたほか、不安、悲しみ、緊張、反感、恐怖などの奇妙な感情を覚えたと答えている。また、その23パーセントのうちの一部は、胸がどきどきしたり、突然つらい記憶がよみがえったりしたとも答えている。

    超低周波音を起こした原因は、ホラチャフリ山の丸い頂である。左右対称の円蓋のような形状と、テントの場所に頂が近いということからも、カルマン渦および超低周波音が発生する条件に合致している。

    ベダードはこう言った。「まるで目に見えるようです。みんなでテントに入っていると、風音が強くなってくるのに気がつく……そのうち、南のほうから地面の振動が伝わってくる。風の咆哮が西から東にテントを通り抜けていくように聞こえたでしょう。また地面の振動が伝わってきて、テントも振動しはじめます。今度は北から、貨物列車のような轟音がまた通り抜けていきます……より強力な渦が近づいてくるにつれて、その轟音はどんどん恐ろしい音に変わり、と同時に超低周波音が発生するため、自分の胸腔も振動しはじめます。超低周波音の影響で、パニックや恐怖、呼吸困難を感じるようにもなってきます。生体の共振周波数の波が生成されるからです」

  • 70年近く前、実際にロシア(当時ソ連)ウラル山脈で起きた不気味な遭難時件をアメリカ人ドキュメンタリー映画作家が紐解いて行きます。
    関係者への取材、現場検証、専門家を交えた最新科学での検証。丁寧に書かれていて、面白いのですが、読むのに根気のいる作品でした。

  • 9人のトレッカーが雪山で不可解な遭難をしたディアドロフ峠事件。その真相を調べるために、関係者への聞き取りや、実際の現場に赴いて調査してたどり着いた真相とは?
    実際にあった事件を元にした映画をまとめた本で知ったディアドロフ峠事件。極寒の雪山で、裸足で薄着や頭蓋骨陥没、舌だけがなくなるなどの遺体が見つかり、更に通常よりも高い放射線が検出されたことから、謎の事件とされている。
    著者は丹念にトレッカーたちの後を追う。後半に実際の状況を想定して記録のように記述しているところがあるが、それまでに調査した結果があることから、真実味の増した記載になっている。実際、事件前に撮った写真や日記があり、現地までの工程は、かなりわかっている。著者はさらに実際にいくことで、現地の様子から改めて事件の原因について考察して、発生しない原因を削除していき、原因を絞って行った。インタビューの様子、雪山への挑戦など、それぞれの内容も戸惑いや紆余曲折の過程、フレンドリーになっていく様子など、著者の苦労と喜びが見えるのがよい。
    記述は、1959年の事件に絡んだトレッカーの行動、捜索隊の行動と2012年の著者の調査の行動が互い違いに書かれており、著者が事件を辿るようになっているのが、おもしろい。また、1959年の記述では、ソビエト連邦下での様子も伺え興味深い。
    辺地での調査も含め、丹念に調べて結果を導き出した著者に敬服したい。

  • 久々に読書の醍醐味を味わえた1冊でした。
    なぜ経験豊かな9人の若い登山家たちが、マイナス30度の極寒の冬山で薄着で靴も履かずテントからかなり離れた場所で死んだのかという謎に迫ったドキュメンタリー、まさに事実は小説より奇なりを地で行く展開は上質のミステリーです。
    これから読む人のために、著者の下した結論(推論)には触れませんが、本書で繰り返されるように、「不可能をすべて消去したら残された可能性が真実だ」というシャーロックホームズの言葉を借りてもなお「消去したら何も残らなかった」事態には対処の仕様がないわけで・・
    1959年に起こった未解決の事件を2013年に現地に赴き関係者の話を聞いて書き上げた本書は、あくまでも真相を知りたいという人間の本能的な好奇心にチャレンジした意欲的な作品になっています。
    本書には多くの写真や図表が掲載されていますが、唯一9つの死体の位置関係の図だけがなかったのが残念でした。

  • 1959年ソビエト連邦のウラル山脈でおきた学生トレッカー9名の不可解な遭難死亡事故、いわゆる「ディアトロフ峠事件」の真相に、現代のアメリカ人のドキュメンタリー作家が迫る。事件のことはテレビ番組などで朧げに知っていた程度だったが、不可解な死にお決まりの安易な陰謀論に振り回されず(振り回されかけてはいるが)、体当たりで泥臭い調査のあらましと、学生達が事件に至る道程を日誌や写真から再構成し、現代と過去を行き来しながら、事件当日に向けてじわじわと盛り上げる手法はドキュメンタリー作品としてもよくできている。結果「考察された真相」は、他の複数の納得度の高い「考察された真相」のひとつに見合うものだと納得できたので、そういう意味でも結論の肩透かし感がないのはよかった。

  • インターネットによって
    世界の大方の秘密が暴かれてしまった現代に残された
    最後の(?)大いなる謎「ディアトロフ峠事件」に魅せられた
    アメリカ人ドキュメンタリー映画作家が、
    オカルトや陰謀説を排除して、
    筋の通った説明を求めて現地を探訪し、
    書き上げた渾身の事件簿。

    草木が生えないことに由来すると言われる、
    ソビエト連邦ウラル山脈北部、
    先住民マンシ族の言葉で「死の山」を意味する
    ホラチャフリ山を目指した
    ウラル工科大学のトレッキング隊9名が帰還せず、
    1959年2月、捜索隊が動き出した。
    彼らが目にした異様な光景は……。

    事件時、トレッキングメンバーは10名、
    リーダーの名からディアトロフ隊と呼ばれた。
    うち、1名は腰痛の悪化でやむなく途中で引き返し、
    9名が不可解な死を遂げた場所は
    後にリーダーの名を取って
    ディアトロフ峠と称されるようになった。
    解剖の結果、死因は低体温症、もしくは
    頭部の強打などであることが判明したが、
    ディアトロフらは何故、
    過酷な山中において最も安全な場所であるはずの
    テントを脱出したのか。
    暴漢に襲撃されたか、あるいは何かしら
    見てはならぬものを目撃したために抹殺されたとでもいうのか、
    UMAかUFOか……と、奇怪な説も乱れ飛んだが、
    著者は現場を確認すべく、2012年、
    万難を排してホラチャフリ山へ。
    GPSと写真測量法を用いて
    ディアトロフ隊のテントが設置された場所を精確に割り出し、
    そこに到達して気づいたことは――。

    という、実際に起きた悲惨な事件の話なので
    不謹慎な言い方になってしまうが、
    大変スリリングで面白い読み物だった。

    謎は謎のままにしておいてもいいのだが、
    読み解こうとするなら非合理的な考えを弄ぶより
    科学的に検証すべき、という著者の方針に、
    大いに共感する。
    山を愛するあまり命を捧げる格好になってしまった、
    聡明で朗らかな学生たちへの哀悼に満ちた、
    素晴らしいルポルタージュ。

  • 今から50年前に起こったロシア(旧ソビエト)で9人もの死者が出た遭難事故。それは謎に満ちたものであった。なぜ極寒のなか全員が裸に近い姿、それも外で靴を履いてなかったのか?なぜ一人は舌がなく、骨折し、低体温で死んでいたのか?そしてなぜテントは外側でなく内側からナイフで切られていたのか?現代と過去を交互にゆきつつ検証してゆく様はまるで上質のミステリーを読んでいるよう。限りなくフィクションに近いノンフィクション。買ったその日に一気に読破。それほど面白かった。結局人間は自然には勝てないとゆうラスト。当時推察された核ミサイルの実験でもUFOの仕業でも、雪崩でもない驚きの真実。著者のドニー・アイカーはドキュメンタリー映画作家とゆうこともあって立派なエンターテイメントにし上がってる。ちなみに読んでる間、BGMに「Xーファイル」(懐かしい!)のサントラをかけてたらよけいにドキドキした。今年に入って1番読み応えのあった1作。オススメ!

  • 力作だ。
    陰謀論や超自然的現象、はたまた馬鹿げた外的要因(UFO)などにいくらでも逃げられそうなものを現地まで赴いて真相に迫っていく著者には頭が上がらない。
    丁寧な謎解きから明かされていく真実は呆気なさを覚えたが、歴史や国家の闇に消された事件は今も世界のどこかで日の目を見る日を待ちわびているのだろう。良い一冊だ。

  • 納得できる一冊。

    1959年に冷戦下のソ連で起きた不可解な遭難事故。
    50年経てもなお翻弄させられるこの事件ともいうべき事故の謎に挑んだノンフィクション作品。
    最初から最後までとにかく読み応えあり。
    遭難者各人についての記述や写真はもちろん、現地に実際足を運び体験し、綿密な調査と共に謎に挑んでいく過程は読んでいて飽きなかった。
    特にこの時代背景、光の目撃証言からの仮説はかなり興味深く読めた。
    そして到達した、著者のある一つの結論。これは想像とは違っても充分納得できるものだった。

    あの時あの場所にたしかにいた…その証とも言える笑顔に満ち溢れた写真が哀しみを誘う…。

  • 面白くて一気に読み終わった。

    カルマン渦列による超低周波が本能的な恐怖と混乱を呼び起こした、という説明はなかなかに説得力があって納得できた。

    現代音楽のオーケストラに超低周波を紛れ込ませ聴取に聞かせて感想を聞くと、聴取は悲しい気持ち、不安定な気持ち、頭痛、過去のトラウマのフラッシュバックを感じた。
    超低周波はイスラエルがデモ隊を解散させるのに使ってる。ナチスドイツはヒトラーの演説を聞く聴取に超低周波を浴びせることで、恐怖や悲しみの気持ちを増大させた。

    という記述が面白い。

    ヒトラーのエピソードは、「あいちトリエンナーレ」に出展してた、タニア・ブルゲラの作品を思い出す。
    「この室内は、地球規模の問題に関する数字を見せられても感情を揺さぶられない人々を、無理やり泣かせるために設計されました。
    (作品である部屋の中に充満しているミントの霧によって)涙が誘発されたことによって、私たちの自覚のない感情が明るみに出る場合もあるでしょう。この作品は、人間の知覚を通じて「強制的な共感」を呼び起こし、客観的なデータと現実の感情を結びつけるよう試みているのです。」
    ってテーマの作品。

    人間の感情、感覚、理性は、我々が思ってるより外的要因に左右されるんだな。


    とくに最終章の、事件当時の彼らの行動の推測章は、さまざまな遺体の不審な点を納得いく理由で説明してたのでなるほどと思う。


    ・事件に至るまでのディアドロフ一行
    ・ディアドロフ一行を捜索するチーム
    ・ディアドロフ一行の調査をする筆者

    の3つの視点が交互に挟まることによって、リズミカルで、引き込まれる構成になってるのが面白い。(小説、「バーティミアス」シリーズの構成と似てる)

    筆者は当時のソ連の様子や、舞台になっている土地の歴史的背景にも触れてるので、その町の様子や、町がまとう雰囲気についてありありと思い浮かべることができた。

    落書きだらけのペルヴォウラリスクの街。

    ロマノフ朝時代の新古典建築とソビエト時代の四角い機能的な建築の混ざり合うエカテリンブルク。

    ソ連時代から変わらない塗料で壁を塗られてる、41区の小学校。

    ディアドロフ一行が生きた時代と、我々が生きている時代が繋がり交錯している。だから歴史って面白い。


    ディアドロフたちが生きたのが、雪解け後、若者たちが無料で高等教育を受けられ、未来に希望を抱いていた時代、ってのも面白かった。

    途中で引き返して生き残ったディアドロフ隊はインタビューで、ソ連時代を「あの頃は良い時代だった。スターリンは良い政治家だった」と懐かしむ。(通訳は訳しながら全力で首を横に振ってた、ってのが面白い)

    ディアドロフの妹の話。「兄が望遠鏡を自作してくれたおかげで、私たち兄弟は、家の屋根の上に寝転がって、あのスプートニク号が打ち上げられるのを見た」

    ディアドロフの妹も、ディアドロフも前歯の間にすこし間がある隙歯。妹が変わり果てたディアドロフの遺体を見分けられたのもこの歯があったから。

    工科大学の学生が、レコード盤を違法に作成するのが得意だったこと、ソ連時代ビニールは高級品だったこと、当時を感じさせる面白いエピソードが沢山あった。ディアドロフ隊のことを、面白くて怖い未解決事件のキャラクターではなく、かつて生き、不可解な死でこの世から去った、生きた人間として認識できた。

    ディアドロフ隊の撮影した写真が本の随所に散りばめられてるのもその効果を強めた。
    まさかあんな最期を迎えるとは知らず、ディアドロフ一行はその最期の日まで、山岳行の写真を撮っている…

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著者プロフィール

フロリダ生まれ。映画・テレビの監督・製作で知られる。新しいところでは、MTVの画期的なドキュメンタリー・シリーズ『The Buried Life』を製作。カリフォルニア州マリブ在住。

「2018年 『死に山』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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