ミルクマン

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309208138

感想・レビュー・書評

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  • ひょんなことから反体制組織の大物に目をつけられた18歳の女性が、社会と自分との関りに気付き、自我を捨てることなく、社会との接点を保つ術を学んでいく過程を描いた作品。

    話しの筋は上記の通りなのだけれど、彼女が置かれている環境が半端ではない。
    親の世代の価値観とのギャップや、大人として進むべき道への迷いなどのよくあるテーマだけではなく、反政府組織、国家、警察、宗教、国家の手先と認識される病院など、作者の生まれたアイルランドで起こっていた、アイルランド独立闘争を彷彿とさせる社会情勢が絡んでくる。


    全ての住民が、体勢派なのか反体制派なのか、どの宗教に属するのかナドナド、様々な価値観で分断された社会。

    主人公が語るように「政治的意見を持たないことは許されない」社会。

    少しでも人と違ったことをすると「奇妙な人」として疎外され、場合によっては殺害されてしまう社会。


    その社会で、自我を守るために外部との接触を遮断していた主人公に、反体制派の大物「ミルクマン」が興味を持ったことから、彼女は世間の注目を集めてしまい、日常が大きく変わっていってしまう。

    世間と関わりたくない彼女が、否応なしに世間の注目を集め、事実無根の噂が噴出する。

    その中で、彼女が何を学び、どう変わっていったのか。


    主人公が自分で述べているように、18歳の至らなさから、当初は自分の感情をどう表現すれば良いのかが分からない。
    そのためか、作品の最初の4分の一位は、話があちらこちらに飛び、少し読みにくいのだが、中盤に入る頃から、彼女の考察が深みを増し、読み手をぐいぐいと引っ張りだす。

    そして最後には、自我を持ちつつも、社会との接点を保つ方法を見つけていく。

    彼女が精神的に大人になっていく過程が、とても丁寧に描かれていると思う。


    彼女の精神的成長に加えて、本作の大きな柱となっているのが「価値観のもろさ」だ。
    実に様々な価値観が登場するのだが、そのどれもが、いとも簡単な理由でひっくり返されたり、化けの皮が剥がされたりしていく。
    その様は痛快そのもので、読んでいて思わず噴き出してしまうシーンが何度もあった。

    このあたりに、作者の鋭い観察眼が出ていると思う。

    最初の4分の一(100ページ位)は、読み進めるのが辛いと感じるかもしれないが、我慢して読んでみて欲しい。
    この作品の魅力は中盤以降に詰まっている。

  • 「百年の孤独」の冒頭のような一文から始まるこの小説に固有名詞はほとんど出てこない。
    「あっち側」「海の向こう側」「地区のこちら側」。
    指示代名詞ばかりで、人の名前も二つ名や家族を呼ぶものばかり。
    読んでいくうちに、この町の住民が、体制側に抑圧されており、反体制側がその中で町を陰に統治しゲリラ的に対抗していることがわかる。
    人は簡単に撃ち抜かれ、爆発に巻き込まれ、猫や犬の遺体はさらされ、噂が噂を呼び疑心暗鬼に追い込まれていく環境が、どこの国かはあえて語られない。
    (北アイルランドらしいことは本の紹介で知ったが、程度の差はあれ同じような地域なら通じる)

    そしてそんな中でも人間は多面的だ。
    変人奇人と思われてきた人にも裏があり、信じてくれると思った子供時代の親友は聞く耳を持たず、“おそらく彼氏”には隠し事があり、一方で嫌な母も姉もやはり母であり姉である。知っていると思っているのは真偽不明の噂か個人が見つめる一面だけなのだ。

    私たちは隣人のことをよく知らない。
    たとえ、それが抑圧された閉鎖的な世界でなくても。

    暗いのか暗くないのか不可思議なくどくどした語りに耐え、やっと慣れた150ページ過ぎからはとまらない。
    さすがブッカ―賞。

  • 『サムバディ・マクサムバディが私の胸に銃口を押し当てながら私を猫呼ばわりし、殺してやると脅したのは、ミルクマンが死んだのと同じ日だった』

    マシンガンの弾のように次々と吐き出される言葉。この本を選んだ切っ掛けを忘れていた頭はそこに南米の作家の作品に似たリズムを読み取る。中南米、英語圏、海の向こう、そんな言葉の連想から、トリニダード・トバゴ、ガイアナ、という国名が思い浮かぶ。違う。中々定まらない焦点が、信仰の分断という状況から、北アイルランドに辿り着き輪郭が定まる。道の向こうとこちら側、なるほど。

    『要するに憎しみだ。大いなる憎しみ、七〇年代特有の』

    その土地で麻薬の代わりに蔓延するのは篤い信仰心に裏打ちされたコミュニティの中の「真実」。しかしそれが噂に過ぎぬものであったり流言飛語であったりしても信ずるに足るものとして認められてしまえばそれを覆す手段はない。それを踏まえて登場人物たちの命名法を見返してみると、本名を秘匿された呼び名は匿名性を示すのではなく、コミュニティから強制されたラベリングであることを強調していることが判る。ラベルの裏にある個人のアイデンティティは一顧だにされないのだ、そしてそのラベルの影に本心を隠していれば安全なのだ、という叫びのような呼び名。

    『認めないのが慣例だったし、認めてはいけなかった。というのも、この手の細かいことは選択を意味し、選択は責任を意味した。責任を果たせなかったらどうなるのか』

    そんな環境の中で精神のバランスを崩した様々な人々が登場する。主人公は、20年後から当時を振り返る立場で物語るけれども、それは現在進行形で語る現実としては余りに酷な状況であったことを意味するようにも読み取れる。そんな社会の中で安定した精神を維持することは困難であったことを証明するもの、それがこの怒涛のような心情の吐露の語り。

    『書き出しはこうだ。〈私の親愛なるスザンナ・エレノア・リザベッタ・エフィー様』

    それが、ある登場人物の本当の名であるかどうかは判らない。しかしその名前が唱えられた後、物語は急速に収束に向かう。それは物語としては予定調和的な結末だが(そもそもミルクマンと呼ばれる存在は出だしから死んでいることが宣言されているのだから)、だからといって大団円も予感されない結末でもある。物語の結末のそんな置き方からは、「その問題(The Problem)」の根の深さを感じる他ない。

    見えない縦糸。唐突に挿し込まれる横槍。原因と結果という単純な関係など実際にはどこにも無いことを意識する展開。そのやり切れない現実を受け入れる時、人は主人公のように無になるのだ。

  • 舞台は1970年のとある都市。長い紛争が日常化し、生活と密着しているという冗談みたいな設定だ。18歳の主人公はある日から「ミルクマン」と呼ばれる反体制組織のリーダーに目をつけられ、付け回される。それに悩まされ、半ばパラノイア状態になっていた約2ヶ月間を読者は並走することになる。救いは、ラストが最初に描かれていること。お陰で少なくとも彼女は解放されるのだ、命に別状は無いんだということが明かされるので、途中、どんなにひどいことになっても、希望を持って読み進めることができる。
    後の、もっと大人になった主人公が当時のことを思い出し語ることがベースとなるのだが、とにかく読みにくくて参った。一人称の饒舌体。何度も同じ表現を言い換えたり、知ってて当然と説明をはしょったり。主人公の一存で事象の描写の解像度が極端に変わるので、驚いたり物足りなかったり、こちらはフラストレーションがたまる。ある程度読むとそれにも慣れてくるのだけれど、とにかく彼女が執拗に追いかけられ、憔悴し、しかし自分をとりまく社会の特異さで真正面から真摯に話を聞いてくれる人も望めず、四面楚歌に陥ってしまう。たった18歳の女性が。
    噂は尾ひれが付きまくり、あったことも無かったこともない交ぜでまことしやかに地域住民に凄まじい速度で浸透していく。
    一方、親しく付き合ってきた「メイビーBF」との仲が進展しないまま、独善的な母親には一方的に結婚しろとまくしたてられる。18歳だよ? でも、そういう時代だったんだろうな。母親は特に世間の窓口のような存在で、世間体を気にし、娘に対しては徹底的にディスコミュニケートな存在として存在する。もう、あちらでもこちらでも、気の休まる場所が無いのだ。
    この「饒舌な独り語り」というのがこの作品の肝で、前半、主人公に凄まじい量の情報を投げ込まれるが、それが後半、もつれまくった糸を解きほぐしていくかのように事態が変化していく。それは様々な要因によるのだけれど、前半の抑圧のお陰で、後半、それでも辛い事態は続くのだけれど、少しずつ解放感や納得を味わえる展開が訪れる。山を越えたらもう最後まで読まずにはおれなくなるので、そこまではちょっと混乱したりしても読んでみることをお勧めします。
    海外文学の良さは、知らない時代、知らない世界であってもなぜかわがことのように思えてしまう普遍性と、全然知らない、まるで想像できない世界が感じられること、少しだけでも触れられることにあるんだなあと感じられる一作。

  • 日本語の「イギリス」という呼び方では、"United" Kingdomの特殊な性質をたまに忘れてしまうよなと気づく。イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」、この小説はその「海の向こう側」である北アイルランドが舞台になっている。この「および」に跨る諸問題は「厄介事(The troubles)」と呼ばれるらしいが、調べるほどに多くの人々が犠牲になっていることを知った。この歴史上おそらくもっとも厄介な1970年代を生きた一人の少女の物語。

    「サムバディ・マクサムバディが私の胸に銃口を押し当てながら私を猫呼ばわりし、殺してやると脅したのは、ミルクマンが死んだのと同じ日だった。」……あの名作小説をどことなく彷彿とさせる書き出しで始まり、主人公の「私」が少女時代を振り返るように物語は進んでいく。時間軸が前後する上、語り調が続くわりになんだか読みにくい。一度声に出して読んで見ると、心地よいくらいリズミカルに翻訳がされていて驚いた。英語力と時間があれば原文を読んでみたいものだなあ(虚)。

    謎の反体制派の男「ミルクマン」になぜか見初められ、周囲の身勝手な噂に翻弄されながら、少女と大人のボーダーである18歳の1年間、メイビーな恋をし、教室に通い、ジョギングをし、歩きながら本を読み、クラブに行く主人公。フツーのことが、全然普通じゃないように語られてゆく。そこに作者の人生と思い出が滲んでいるのだろう。なぜか異常に多い兄弟、母の歪んだ視線、年上の異常なストーカー男、名前のない登場人物たち、隣接する暴力、何かがトラウマになったりどこかで階段を踏み外しそうな舞台装置が、少女の語りを文学に昇華しているからすごいなあ。でもいろんな意味で女性にしか書けないものだったのだろうなとも感じる。その時代を過ごしたからこその生活感、きわめて普通の18歳女子の視点。
    読むのはしんどかったけど、最後に明るい方へ踏み出してくれて良かった。

    ミルクマンとの噂に、無思慮な世間から質問ぜめに会う時の、高潔な私の心の描写がとても好きだったので最後に引用。

    ……こうして私は「分からない」の一言で、自分の身を質問から守ろうとした。……空っぽな私。誰とも交わらない私。遠回しのあおりや、たくさんの仄めかしや、もったいぶった詮索にもかかわらず、結局彼らは何一つ私から引き出せない。私は彼らに何の成果も与えなかった。それでいい。だって世の中には真実を伝えるに値しない人がいるから。そのことを、私はすでに知っていた。……(p.187)

    どんなに特殊な状況でも、自分は自分でいればいい。厄介さや特殊さの描写が細かいからこそ、シンプルなメッセージが響いた。

  • 主人公と同じく本を読みながら歩くのが好きだったが、ミルクマンに声をかけられることはなく、自転車こいだおばはんに怒られただけだった。よかったよかった。

  • 畳みかけてくる感じよかったけど、畳みかける内容にハマれなかった

  • 本館 県立

  • 北アイルランド紛争時のベルファスト的などこか。
    反政府の過激派が支配する地域で生きる保守的な住民たち。
    ちょっと変わった女の子がちょっと変わっているために、過激派の重鎮に見そめられて付きまとわれ、ちょっと変わっているため保守的な住民たちには受け入れてもらえない。

    無責任な噂は新しい無責任な噂を呼び、過激派は好き勝手する。読んでてうんざりする地域社会の中で、ストーリーは途中から一気におもしろくなる。

    実際に触れて傷をつけなくても、暴力は色んな形で存在し、人を壊すことができる。実際に人が死ぬような暴力が日常の場所でも、見えない暴力の力は計り知れない。
    何も見えていなくても、何も起きていなくても、心が壊されるようなことがあれば、そこに暴力は存在している!

    固有名詞が出てこないので、どこでも誰にでも当てはめられる。また、当時のベルファストの息苦しさを想像することもできる。
    ディストピア小説のようなフェミニスト小説のような不思議な小説。

  • 文体が優れた作品であり、見えない暴力を肌感覚で描いた作品。

    実は翻訳以前から評判を聞いたので原語で挑戦して、歯が立たなかった作品である。
    翻訳は、原語の分かりにくさを継承しつつ、読みやすくなっておりプロはすごいと感心する。
    分かりにくさの原因の一つは、舞台となる場所や登場人物の名前は、基本的に固有名詞で記されないところにある。
    作者の経歴とあとがきによると、1970年代の人死にが出る抗争が頻発するベルファストがモデルになっているようだ。
    しかし作者は、固有名詞を排除してどこにでもありえる物語として普遍化しようと試みている。
    ジョンとかアリスとかではなく、「MB(Maybe Boyfriend)」「毒盛りガール」「三番目の義兄」などが人名として使用される。
    この分かりにくさが、作中の混沌として陰鬱な状況にまるで入り込んだかのように錯覚させている。
    話の内容と文体が絡み合って、得難い読書体験となるので、ぜひ読んでいただきたい。

    主人公は「ミルクマン」にストーカーされていることをきっかけに(?)、コミュニティで腫物扱いされ、ついにはミルクマンに屈してしまいそうになる……というのが大筋である。
    (?)がついているのは、他の人物の見方が違うからである。
    真実を見失い何も信じられなくなるが、共同体から排斥されることは確かに感じられる、という絶望感。
    主人公の視点で読む読者も全くの五里霧中、迷宮に誘われる。
    ミルクマンから受けるのは、証拠が取れない、見えないプレッシャーのような嫌がらせであるため、主人公はうまく他者に被害を訴えられない。
    そもそも主人公は本を歩きながら読むような、近所で評判の少し変わったティーンの少女であると自認しているのと、家族にわかってもらえないという諦めによって、家族に相談することもできない。
    そして警察や公的機関に通報することなど御法度の共同体で、主人公もそう信じている。
    一人で困惑し、誰にも理解されないと思い詰めていく。
    通りを隔ててこちらとあちらに分断された町の、どこにも行けない絶望と息苦しさが延々と描写され、読むのにかなりのエネルギーが必要となる。
    しかし最後、読者は変化のきざしや世界へと繋がる輝きを見ることとなる。
    程度は異なるが、私は主人公の状況に共感を覚えた。
    ここで文体のトリックが効く。
    これはベルファストではなく、私の生まれた土地の物語でもある。
    どこにでもありえる、抑圧と暴力の中に生きねばならない人を描いている。

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著者プロフィール

1962年北アイルランド生まれ。87年よりロンドン在住。2001年『No Bones』でウィニフレッド・ホルビー賞受賞、ほかに、『Little Constructions』など。本作でブッカー賞受賞。

「2020年 『ミルクマン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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