雨の島

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 216
感想 : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309208398

感想・レビュー・書評

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  • 美しい装丁に目を奪われる。
    なんて綺麗な雲の色なんだろう。哀しそうな青色。孤独な青色。遥か遠くに雨が激しく降っている。
    何気なく本を裏返してみる。
    そこにはモノクロの写真。空一面には雨を含んだどんよりとした雲。その下には海が広がる。
    そして……、「あっ」ふいに声がでる。
    表紙の絵をもう一度眺める。
    原題の『苦雨之地(Land of Hard Rain)』は、あの雨柱の下にあるのだろうか。

    表紙の絵も裏表紙の写真も作者・呉 明益氏の作品だ。それだけでなく6篇の中短篇小説の冒頭にはカラーの挿画が収められていて、それらの挿絵も18世紀の博物画というスタイルで作者が描く。
    『闇夜、黒い大地と黒い山』では「フクロフトミミズ属の一種」、『アイスシールドの森』では「タイワンツガ」、『雲は高度二千メートル』では「タイワンウンピョウ」……というふうに、それぞれの物語に重要な意味を担う生き物や植物が描かれ、それらには「台湾に見られる種」という共通点がある。
    私はとくに『人はいかにして言語を学ぶか』の挿画「ピンク色のくちばし、黒い眼過線、藍色の脚、太陽のように黄色く輝く全身の羽毛」の美しい鳥「コウライウグイス」に見惚れた。
    若い頃は博物画家になるという夢を持っていたという才能豊かな呉氏らしい、繊細でとても美しい絵。

    私はこの小説で自然環境をめぐるノンフィクション「ネイチャーライティング」という言葉があることを知ったのだけど、呉 明益氏はネイチャーライティングとフィクションとを融合させ『雨の島』を作りあげた。当然、「台湾に見られる種」が存在する物語の「環境」は、どれも台湾の自然である。
    ストーリーの時代は近未来なんだけれども、台湾の自然を舞台に「人間と環境の関係の変化、人間と種との関係」について想像した作者の想いが描かれることで、どこか懐かしく、そして命あるものの温かさを感じる中短篇集となったと思う。さらには登場人物たちが別の物語に顔を出すこともあり、物語どうしが地続きとなっているようだった。

    実はこの地続きの世界では「クラウドの裂け目」という、一種のコンピューターウイルスが存在する。
    「クラウドの裂け目」について簡単に説明すると、感染したクラウドドライブのパスワードを解読し、ファイルの奥に侵入した「裂け目」が所有者と他人との関係を分析し、ドライブの「鍵」を誰かに送信するというものだ。
    「クラウドの裂け目」は、詩のような件名のメールで誰かに「鍵」を手渡す。この「鍵」を恐れる者もいれば期待する者もいて、多くの人は「鍵」が届けばファイルを開いてしまった。
    そして他人によって描写された自分の姿にショックを受け、あるいは誰よりも親しい相手の秘密を知ったことで苦しむのだ。

    心や体に痛みを抱えた物語の主人公たちは、「鍵」を受け取り、または「鍵」を受け取ることを熱望した。
    しかしながら私がこの小説全般から感じたのは、彼らは「クラウドの裂け目」から「大切な人の記憶」を届けられ、その結果、人生を左右する選択をしたけれども、それは単なるきっかけであって、それよりもっと大きな影響を彼らに与えたのは台湾の自然であったのでは、と思うのだ。
    彼らは、大地のなかの命と向き合い、鳥たちの声に耳を傾け、絶滅したクロマグロを追いかけ海へと旅立つ……

    記憶や思い出のなかで立ち止まることなく、彼らは自らの人生を選びとっていく。
    強かに貪欲に、そして純粋に。自然と対話し共生し、身を委ねる。
    広大で美しい自然。荒々しい自然の力強さ。
    自然とともにいる彼らの姿が強く印象に残る。
    ときには激しく、ときにはしっとりと降り注ぐ雨のように。そんな余韻を残す物語の読み心地は、孤独を感じながらも清々しいものであった。

  • 〔邦訳刊行決定!〕呉明益『苦雨之地』(小説/2019年) : 太台本屋 tai-tai books
    http://taitaibooks.blog.jp/archives/24438288.html

    雨の島 :呉 明益,及川 茜 | 河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309208398/

  • 図書館本

    台湾の作家さん。ご めいえき、ウーミンイー

    ネイチャーライティングというジャンルらしい。エコクリティシズムの本もあるようです。

    雨虫 ミミズが好きな女の子。サシバやクロマグロ。ウンピョウ、空気が抜けないようにクジラの口を縫うなどなど。
    イラストも緻密で美しい。

  • 自然や生き物に触れたとき、心が沸き立つ感覚がある。
    “Sense of Wonder”

    今振り返れば、あの時の経験が自分をこの道に進ませた、自分をまた生きることに戻らせた、そう感じる瞬間と、様々な物語が出会い、入り組み、紡がれる短編6編。

    コーマックマッカーシーから言葉を一部引用した著者曰く、“すべてはいたましさから生まれ出るが冷え切った灰ではない”。

    この本の一編一編はまるで慈雨のよう、読み終えたとき心に何かが湧き上がる。そんな日はちょうど雨でした。

  • ネイチャーライティング、という分野があるらしい。初めて知った初めての作家、呉明益。
    科学、自然、森。成長、恋、後悔、別れ。
    美しい景色が眼前に浮かぶような筆致。
    そして美しい物語。
    深い原生林を漂うような感覚で読んだ。
    口絵もすばらしい。

  • 『「経験の中にないんだ。 前に読んだ哲学書に書いてあった」 阿賢は言った。 「人間は自分の経験の中でしか生きられない。でも今朝の俺たちは自分の経験の中にはいない」 小鉄は自分には永遠に阿賢のようなことは言えないと思った』―『// // アイスシールドの森』

    六つ(プロローグも数えれば七つ)の、バラバラだが緩やかに符牒を通して繋がり合う短篇に共通するのは、「クラウドの裂け目」と呼ばれるコンピュータ・ウィルスによる厄介な現象と、そのウィルスから届く鍵を使って、他人の、だが近しい人の、内面にも似たアーカイブを覗くことで振り回される主人公たち。豊かな(複雑で乱雑な)自然の営みの傍らで、空想科学小説に出て来るようなテクノロジー(その架空の技術が現実となる日もそう遠くないのかも知れない)が、登場人物たちの生活に深く関与している社会が描かれる。だがそれは、例えばスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のように乾いた情景ではなく、むしろリドリー・スコットの「ブレード・ランナー」に登場する世界のように湿っている(と書き記して思うのだが、その湿度の違いはアーサー・C・クラークのノベライズされた「2001年宇宙の旅」とフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の間に明確に存在する訳でもないと思う)。湿った世界は有機物の存在臭を強く放つ。

    そう、呉明益が好んで描く未来と過去がないまぜとなった世界では何故か雨がよく降る。ひょっとするとそれはギルガメシュ叙事詩にも登場する古代の洪水の物語と同じ高温多雨の世界が再び訪れ得るということの暗示なのか。地質学者はその洪水の記憶を約六千年前をピークとする温暖期(いわゆる縄文海進の時期)に起こった海水準の上昇期の多雨(とその結果として河川の氾濫)の記憶と結びつくものではないかと解釈してみせる。そんな暗示だとしてもそこに作家の単純な環境保護のメッセージが潜んでいる訳ではないとも思う。そのことを裏付けるような呉明益の環境問題に対する中立的とも言える立ち位置について「後記」の中で作家が言及するところがある。作家は自身の作品を「ネイチャーライティング」と位置付け『いわゆるネイチャーライティングが打ち出すのは、ノンフィクションの自然体験や環境倫理をめぐる思弁、さらに作者自身の感情と環境との相互の関わりだ』と結論する。そしてその特質を越える試みが自身の作品作りの芯にあると説明する。目に映る事象を小さな視野の中に収まる世界の事象として解釈し何らかの思弁を語ることはしたくないが、ではその方法はとなると難しい。この作家の書く物語の登場人物は自然の中でしなやかに生きる術に長けた人物が多いが、自然の変化を(あるいは自然のもたらす脅威を)あるがままに受け止める達観も持ち合わせている。この作家の立ち位置もそのようなものなのだろうか。

    人類の活動が地球環境に影響を与えることはあるだろうけれど、だからと言って自然を全て制御可能な物理現象と考えることもまた傲慢だろう。オーストラリアのディンゴ、沖縄のマングース、人が浅知恵で自然の複雑系を理解したと思う時、必ず痛いしっぺ返しを喰らう。もちろんそれは、「複眼人」に登場する超越した存在が決して起きつつある事象に手を差し伸べないように、擬人化された「自然」という存在の示威行為の結果という意味ではない。自然とはそのように擬人化された個の存在ではなく、生息数も生存周期も異なる生命群が際限なく繰り返す生存競争。そこに確定的な因果律は存在せず、一過性の事象が積み重なるだけ。しかし、しばしば人は、それを俯瞰し切り取った静止画として見てしまう。もちろん、静止画の中に自然の本質は存在しない。

    そんな「複眼人」に連なる系譜の作品である「雨の島」だが、六つの目の「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」には「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」にも登場する中華商場が登場する。そこのことから小説の舞台となる時代を推し量って何かを探ろうとするのも野暮な話だけれど、その描かれ方からすればこの物語の時代は現在と余り時間差がないことになる。一方で、前時代的な生活様式にキメラ状に溶け込むガジェットなどは、どんなものかの想像はつきつつも現物として存在しない。ひょっとすると、やはりこれはずっと先の未来の話で、ここで描かれた中華商場は取り壊された筈の建物群を仮想空間世界の中に再構築したもので、全ての登場人物もまたその空間に巣食うアバターに過ぎないのか。そんな妄想をふと読み取って見たくなる。そこまで空想を膨らませずとも、本書には少なからず謎が残る。例えば、プロローグに登場する胖胖[パンパン]は、叔父さんことサラッサの買った鷹なのか。そして六つの物語を書いたのは作家の妻を亡くした男ではないのか。七人の少年少女たちが各々どうやって三千元を稼いだのか。しかし、それらも所詮、互いに関わり合いながらも、どちらが原因でどちらが結果とは言えない、混ざり合った色からなる物語なのだということを深々[しんしん]と理解する。

  • 地球にとって、もっと言えば宇宙にとって人間の存在とはなんだろう。自然界にとって人間は必要だろうか。でも人間の中にも宇宙のようなものがある。

  • 短編に出てくる人々はそれぞれに欠けているものを抱えているが、それは身体的なものだったり、家族だったり。物語を経て、その欠損は埋まっていく訳でもないのだが、筆者の描くそれぞれの答えは、自然や人間がその欠損に向き合い辿るひとつの姿だと思えた。

    しかし、挿絵も作者、裏表紙の写真も作者撮影。どんだけ才能あるんだ…

  • 近未来の台湾。ミミズ研究に没頭する女、鳥の生態を手話で表そうとする男、恋人がフィールドワーク中の事故で植物状態になった女、亡き妻が書き残した小説を読んでウンピョウに取り憑かれた男など、マジョリティの世界から逸れざるをえなかった人たちが、オブセッションに駆られて山や海にのめりこんでいく。未来のフィールドワークのありようを描いた連作短篇集。


    今年は英米以外の海外文学を積極的に読もうと意気込んで手に取った本作が早速の当たり!著者はもともと蝶に関するネイチャーライティングで名を知られ、その後フィクションを発表するようになったという経歴の持ち主。そこから期待される〈自然と文明〉というテーマと、随想と虚構のあわいに揺れる文章のスタイルがドンピシャで好みだった。本人の手による台湾固有種の博物画も各話の扉に挿し込まれ、ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』にコンセプトは近い。
    だが、シャランスキーの本が幻想怪奇小説の作風で過去を向いているのに対し、本作はSF的な想像力を働かせて未来を語る。繰り返しでてくるコンピュータウイルス〈クラウドの裂け目〉をはじめとして、トラウマを抱えた人の記憶を別の物語に置き換えて癒すカプセル型の装置だとか、安全対策バッチリだけど傍目には本物そっくりに見えるクライミング用人工林など、世界をひっくり返すような大きいガジェットではないものの近未来の暮らしに根付いたテクノロジーのあり方が描かれている。
    マグロが絶滅危惧種になった世界でクロマグロを探す旅に出る「とこしえに受胎する女性」は、日本人には耳の痛い話もありつつ、五十嵐大介漫画のノベライズかと思うような雄大な航海のさなかに突如〈アンドロイドクロマグロ〉という不穏な存在が現れ、海と人類の未来を思って呆然とするしかないラストが印象的だ。
    また「人はいかにして言語を学ぶか」は、手話のことばが生まれでる瞬間を描く。鳥の鳴き声や生態から、既存の("聞こえる人たち"の)ことばに拠らない新たな呼び名を考案し、ある鳥の種類を示すものとして「水草が渓流で緩やかに揺れている」という手話が誕生する。この物語は手話が詩のことばになる瞬間のこと、そしてことばは元々すべて詩だったのだということを教えてくれる。詩は人の心を表現するためのテクノロジーなのだ。
    そして、親が遺したものと向き合う、というのも本作のテーマの一つだと思う。〈クラウドの裂け目〉によって通底するのは親と子の物語。だが、各話の主人公たちは作中時間で誰も子をなしていない。生殖について考えることが精神的苦痛になる人だろうと思う人もいる。彼ら/彼女らの姿は希少になってしまった生き物たちと重ね合わされてもいるんだろうか。アンドロイドクロマグロのように、外見はそっくりでも中身は全く異なるシステムによって殖えていくようになるのだろうか。最後に置かれた「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」は収録されたなかで唯一過去を向いたノスタルジックな作品だが、後味は苦い。
    読み味はまったく異なるのだが、人との関わりではなく自然との交わりに取り憑かれていく人びとを描いた点で古川日出男『ロックンロール七部作』に近しいものを感じた。他にも管啓次郎のエッセイや、ネイチャーライターであるロバート・マクファーレンの『アンダーランド』で学んだ〈ソラノスタルジア〉という概念のこと、人の記憶とテクノロジーの関係を描いたジョン・クロウリーの短篇「雪」も思いだした。
    ただ、上に挙げたどの作品よりも本作はわざとらしさがなく穏やかで、近未来のテクノロジーも主人公たちの生活に自然に馴染んでいる。まるでこの小説自体が〈クラウドの裂け目〉を通って近未来から現在へ送られてきた手記であるかのように。その静けさが心落ち着くようでもあり、慌てたところでもう取り返しはつかないと言われているようでもある。

  • 『伊与原新 + 恒川光太郎 = 呉明益:えっ、マジ!!』

    ミミズ、野鳥、森、雲豹、クロマグロ、鷹などを題材としたネイチャーライティング小説。自然科学に根ざした細かな描写と独特な世界観は、まるで、台湾版 伊与原新+恒川光太郎 かと思いました!

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著者プロフィール

1971年台北生まれ、小説家、エッセイスト。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得後、現在、国立東華大学華語文学部教授。90年代初頭から創作を行い、短篇小説集『本日公休』(97年)で作家デビュー。2007年、初の長篇小説『睡眠的航線』(本書)を発表し、『亜州週刊』年間十大小説に選出された。以降、80年代の台北の中華商場を舞台とした短篇小説集『歩道橋の魔術師』(白水社)やSF長篇小説『複眼人』(KADOKAWA)、激動の台湾百年史を一台の自転車をめぐる記憶に凝縮した長篇小説『自転車泥棒』(文藝春秋)など、歴史とファンタジーを融合させたユニークな作品を次々と発表している。国内では全国学生文学賞、聯合報文学小説新人賞、梁実秋文学賞、中央日報文学賞、台北文学賞、台湾文学長篇小説賞、台北国際ブックフェア大賞などを相次いで受賞、海外では『複眼人』がフランスの島嶼文学賞を獲得、『自転車泥棒』が国際ブッカー賞の候補にノミネートされるなど、その作品は世界的に評価され、日本語、英語、フランス語、チェコ語、トルコ語など、数ヶ国語に翻訳されている。

「2021年 『眠りの航路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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