闇の摩多羅神

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 33
感想 : 1
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227245

感想・レビュー・書評

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  • 東方プロジェクトの元ネタ本として興味を持ったわけだが、この手のモノの初心者にはお勧めしがたい本だなーってのが一番の感想。

    大部分が筆者の推測であったり、(その推測に肯くにも批判するにも)前提となる知識があればこそな話の進み方であったりで、背景となる知識が乏しいなかで読んでも楽しめる部分が少ないと感じる。
    東方二次創作で例えるなら、「優秀な上司と駄目な部下がプライベートでは立場逆転なんてのは鉄板ネタだから美鈴×咲夜を想像するのは至極自然」「花映塚EDから鑑みるに文チルは正義と主張をしてもおかしなところは何一つない」と言った話がところどころに出てくるようなもので、その話に肯くにも反論するにも元ネタなりその手の作法なりを知っていないと楽しむことは難しいと思う。
    また、考察元の原典が多く引用されてるのだけれど、説明や解説はほぼなく、言い回し等もこの手の話を研究している人らしい、悪く言えば古臭く婉曲的なのでついてこれない人は完全に置いてけぼりな仕様なのも初心者にはお勧めしにくい理由。
    これは作者が悪いとか言った話ではなく、もともと解説書ではなく作者の考察を書いてる本であり解説等を必要としてる層向けでないこと、それ以上に摩多羅神についての文献等が少なく推測で埋めるしかない部分が多いことにあると思う。

    新装版のあとがきに”ゲームのネタ本として拙著に手を伸ばした読者がいたら、難しすぎる、理解不能だとして、投げ出してしまうかもしれない”と懸念してたりなので(買ってくれればそれでいいとも言ってるがw)初心者向けに書かれた本ではないのは明らかであり、興味を持った人もそういうものだと覚悟する必要はある。
    ゲームの世界で摩多羅神が話題になったからとこの本を新たに出すことに決めた河出書房新社は商機を見る目があるのか無謀と見るかは難しいところw

    内容としては各地にかろうじて残っている神事やそれらもしくは過去に行われてたものに対して先人が行った考察等を基に筆者の考えがつらつらと述べられてる。
    先述した通り直接的に残された文献等が少ないのだが、それでいて摩多羅神の”基”となったであろうものは多岐にわたっていると考えられていて、筆者の推論も根拠とするものが多岐に渡るといった印象。
    おおざっぱな話としては、大本としてサンスクリットの「母」を意味する語の複数形の音写として”摩多羅”があり大地母神としての「生」「死」両面を司るものとして始まって、伝播するなかで神秘性を高め神格を上げるため様々なものと習合していった結果、今に伝わる形になり、その中で秘神秘仏化したが秘されてるうちにそのまま忘れ去られてしまったといった内容。

    東方の元ネタとして面白いなと思ったのは、素となる部分の多くが仏教なのだがそれに固定されず、星辰信仰といった道教の側面や祟神厄神といった神道の側面もあって、果ては(修行の妨害をする)天狗とも絡めるわ閻魔とも絡めることができるわで割とやりたい放題できる背景が創れそうなところ。
    ZUN氏が摩多羅神のどういう部分を取り入れるか次第なんだろうけど、月の連中(白玉楼もつらいかな)以外なら何でも絡めそうな話だった。



    以下は専門家でも何でもない人間の単なる感想なのだけれど、筆者は摩多羅神の神秘性を意識しすぎて強調しているように感じた。
    筆者は摩多羅神を大きく分けて以下の4つに分けて考えている。

    1 天台・真言宗の念仏堂の「後戸」の守護神
    2 猿能楽の集団の始祖神としての秦河勝と同体の職能神
    3 玄旨帰命檀の本尊
    4 東照宮の東照三所顕現の一柱

    個人的には3は1に含んでもよさそうだし、4に関してはかなり無理があり、またその後の扱いも権威付けとは遠く理由としては腑に落ちない話で、東照宮建立の際参考にした場所に「後戸」があったのでとりあえず東照宮にも作ったけれど、由来が曖昧過ぎて軽視されたって考えたほうが自然じゃねって思えてしまう。
    個人的には密教を持つ天台・真言宗の一部にのみ残ってるのが重要で、摩多羅神は密教の中で出てくるだけの、それもあまり重要でないもしくは素人にはお勧めできない話に使われてたのじゃないかなと感じた。
    というのも念仏堂の件では霊験や直接的なご利益ご加護ではなくワザと拍子を外したお経を唱えたりといったひょうげを誘う話であったり、「茗荷と竹の秘儀」では二童が摩多羅神は人々の願いをかなえてくれる凄い神だよと歌うのだが、秘書によれば”一人は大便道の尻を、もう一人は小便道の性器の唱えているわけで、それはまた男女の性器を俗語、隠語で唱えているにすぎない”らしくて、学問に熱中するあまり凝り固まりかけてる弟子に対して、世の中そんな硬い話だけではやっていけないぞーと諭す役割が摩多羅神の役目なのかな思えたからだ。
    芸能の神として祭られているのも娯楽の重要性を説くからこそで、それでいて秘されるようになっていったのはそれが前面に出ては学問に身が入らないからなんじゃないかなと。
    また、”『持教本尊口伝』の「父母交懐シテ紅白ノ一滴ヲ下ス時」というのは、明らかに性的恍惚と宗教的恍惚とがまじりあった地点のことをいい”なんて話もあり、摩多羅神が司るものは男女のそれであることは明白で、女犯の教えがある仏教ではそりゃ隠さにゃいかんわーってなるわけで。

    この本を読んだ結果、俺の中で摩多羅隠岐奈のイメージが昔はいろいろ(裏方で)活躍したが引退して若い子のケツを追っかけまわすスケベ爺(婆?)で固まってしまったw

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著者プロフィール

1951年2月、網走市に生まれる。文芸評論家。1981年「異様なるものをめぐって──徒然草論」で群像新人文学賞(評論部門)優秀作受賞。1993年から2009年まで、17年間にわたり毎日新聞で文芸時評を担当。木山捷平文学賞はじめ多くの文学賞の選考委員を務める。2017年から法政大学名誉教授。
『川村湊自撰集』全五巻(作品社、2015‒16年。第1巻 古典・近世文学編、第2巻 近代文学編、第3巻 現代文学編、第4巻 アジア・植民地文学編、第5巻 民俗・信仰・紀行編)。

「2022年 『架橋としての文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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