ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

制作 : 柴田裕之 
  • 河出書房新社
4.35
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本棚登録 : 607
レビュー : 45
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227375

感想・レビュー・書評

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  • (上)では真面目な書評を書いたので、こちらは(下)なので「下巻」についての評価を書いておこうと思う。

    『サピエンス全史』でもそうだったが、この著者は同じことをもっと短く書くことができたはずだ。長さによってその価値を増す、つまりその長さが必要な本というものがあるが、これはそうではないように思う。

    さらに悪いことには、上下巻を分けて出版する出版社の意図だ。
    原本は上下巻ではなく、一巻ものである。日本語版も上下に分けずに出版することは可能であったはずだ。
    それにもかかわらず上下巻にしたのは理由がある - その方が儲かるからだ。
    資本主義ではそれが正義だと、この本を読んで考えたからなのかもしれない。この時代だからこそ翻訳者と出版社は誠実であってほしいのだ。
    少なくとも電子書籍版は一冊にしてほしい。上下に分ける意味がわからない。『サピエンス全史』では後で電子書籍は合本版をなぜか安くなっていないが出しているのだから。

    さらに言うと、原題は”Homo Deus: A Brief History of Tomorrow”だ。「短い」歴史と断っているのだから。もっと言うと前作『サピエンス全史』も”Sapiens: A Brief History of Humankind”だったんだけれども。できれば、原題と同じように「短い歴史」で揃えられればよかったのだが、「全史」みたいなワードを使って二分冊にしたおかけで、著者がオリジナルで意図したタイトルのつながりが表現できなかったのは残念。

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    『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368

  •  下巻読了。
     前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。

     前半の「人間至上主義革命」の章はやや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?

     だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。

     第3部の内容は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……というもの。
     つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的な内容のものに近い。

     とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。

     たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。

     また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。

    《データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている》(216~217ページ)

     このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。

     私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(226ページ)。
     が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
     したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」という立場)から見れば、大いに眉唾だろう。

     私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。

     ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。

  • 大著「サピエンス全史」で、認知革命・農業革命・科学革命という3つの革命から、人類の歴史を斬新な観点からアップデートしたユヴァル・ノア・ハラリの新著。本書では、主にAIとバイオサイエンスを中心とした新たなテクノロジーがどのように人間を変えていくのかという予言的な洞察が語られる。

    前作の「サピエンス全史」と比較すると、本書は確実に異論を巻き起こすことは間違いないように思われる。というのも、本書で描かれるテクノロジー、特にAI技術に関する記述はいわゆる「シンギュラリティ論者」が語るような、万能の存在として描かれている節があるからである。ここ数年、「シンギュラリティ論者」に対するAI研究者の側からの反駁として、AIは決して万能な存在ではなく、人間の生存を脅かす存在にまでなるというのは妄想に過ぎない、という意見が提起されている。そうした議論を踏まえてみると、著者のAIに関する理解というのが本当に正当なものなのか、という疑義を呈さずにはいられない。

    ただし、そうした点を除けば、生物学・遺伝子学・科学哲学・脳科学・経済学等の様々な学問領域をすべて歴史という軸で徹底的に見つめ直し、そこからテクノロジーが発展したときの社会の姿を予測する、という著者のアプローチは極めて真摯な歴史学者のそれであり、我々が次の社会を考える上での重要な補助線になるのは間違いがない。

    余談だが、この手の本にしてはユヴァル・ノア・ハラリの本はリーダビリティが高く、読みやすいと思う。面白い本だし、あっという間に読んでしまった。

  • 上巻から更に深淵へと掘り下げていくため、特に第3部は何度かページを戻しながら読み進めた。

    人類がゼロサムゲームを脱するためにとった
    「人間至上主義」という態度。
    テクノロジーの発展は人間至上主義をより高次へと導きつつ、その特性ゆえ人間至上という大義を揺るがしかねないという仮説。
    そして近年、世界を支配しつつあるデータ至上主義。

    この下巻では、未来に対する明確な答えは提示せず
    読者が考えるためのきっかけや
    そもそも未来を考えるのに必要な態度、考え方を提示する。

    そのため、最終章のおわりで「結局、どうなるの?」という疑問が首をもたげたが、
    そこは自分たちで考えるべきなのだろうと腹落ちした。

    人文科学、歴史、コンピュータサイエンス。あらゆる領域から多面的に未来を占う本作はサピエンス全史とあわせ本棚に常備し、度々読み返したい作品だ。

  • ハラリのホモデウスでの主題はざっくりいうと人間至上主義からデータ至上主義へとパラダイムシフトが起こるというものだ。この地球上の支配者が「神」→「人」→「データ」へと移行していく姿を如実にかつ論理的に描き出しており、読んでいて知的好奇心がくすぐられる。ぜひこの秋に読んでもらいたい一冊だ。

  • 期待以上にエキサイティングで面白い本だった。超マクロ視点での世界への見立てと、超大胆な空想力。一瞬えっ?となっても、確かにそうかもと思わせることばかりで、明らかに無用者階級のわたしはただただ興味深く読んだ。いぬのみみ多数。

    1生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
    2知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
    3意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになった時、社会や政治や日常生活はどうなるのか?(巻末より)

    同じうねりが人間の各組織単位でも起きている。まさに広告会社も。どうなるのか?


    P26 「平和」という言葉は新たな意味を持つにいたった。これまでの世代は戦争が一時的に行われていない状態を平和と考えていた。だが今日、わたしたちは、戦争が起こりそうもない状態を平和と呼んでいる。

    P28 今やもう私たちは、落とされることのない爆弾や発射されることのないミサイルに満ち溢れた世界で暮らすことに慣れきっており、ジャングルの法則とチェーホフの法則の両方をやぶる達人となった。仮にこれらの法則が私たちに再び災禍をもたらすことがあったなら、それは私たち自身の落ち度であり避けようのない運命のせいではない。それではテロはどうだろう?【中略】とはいえ、テロは真の力にアクセスできない人々が採用した、弱さに端を発する戦略だ。

    P31 二十世紀に成し遂げたことを思うと、もし人々が飢饉と疫病と戦争に苦しみ続けるとしたら、それを自然や神のせいにすることはできない。わたしたちの力をもってすれば、状況を改善し、苦しみの発生をさらに減らすことは十分可能なのだ。

    P32 (人類は)飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。人々を絶望的な苦境から救い出せたので、今度ははっきり幸せにすることを目標とするだろう。そして今度は人間を神にアップグレードしホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう。

    P40 飢饉や疾病や戦争を免れた人は優に七〇代八〇代まで生きられた。それがホモ・サピエンスの自然寿命だからだ。【中略】 実のところ、現代の医学はこれまでわたしたちの自然な寿命を一年たりとも延ばしてはいない。医学の最大の功績は、わたしたちが早死にするのを防ぎ、寿命を目いっぱい享受できるようにしてくれたことだ。

    P46 当初国家権力を制限するために構想された幸福追求に対する権利は、いつの間にか、幸福に対する権利に変わってしまった。まるで人間には幸せになる自然権があり、わたしたちに不満を抱かせるものは何であれ、わたしたちの基本的人権を侵害するから、国家が何らかの措置を講じるべきであるかのように。

    P47 どうやらエピクロスは、大切なことに気づいていたらしい。人は簡単には幸せになれないのだ。

    P107 すべての哺乳動物は、情動的な能力と欲求を進化させた。【中略】実は情動は、生化学的なアルゴリズムで、すべての哺乳動物の生存と繁殖に不可欠だ。

    P133 (一体不可分のもので構成要素を全く持たないものは自然選択で進化することは決してありえない)だから進化論は魂という考えを受入れられない。

    P146 わたしたちの行動と決定はすべて自分の魂から生じると、人々は何千年にもわたって信じてきた。ところがそれを支持する証拠がなく、はるかに詳細な代替の説が出てきたため、生命科学は魂を見捨てた。【中略】心も科学のゴミ箱に放り込まれた魂や神やエーテルの仲間入りをするべきかもしれないのではないか?

    P147 最後に、次のような立場をとる科学者もいる。意識は特定の脳の作用の、生物学的に無用な副産物だ。【中略】意識は複雑な神経ネットワークの発火によって生み出される一種の心的汚染物質だ。意識は何もしない。ただそこにあるだけであるというのだ。2016年の時点で現代科学が提供できる意識の仮説のうち、これが最高のものであるとは、なんと驚くべきことだろう。

    P152 チューリングは、人が本当はどういう人間なのかは関係ないことを自分自身の経験(同性愛者であることを欺き通す)から知っていた。肝心なのは他者にどう思われているかだけなのだった。

    P210 厳密な成績を日常的につけ始めたのは、産業化時代の大衆教育制度だった。【中略】もともと学校は、生徒を啓もうし教育することが主眼のはずで、成績はそれがどれだけうまくいっているかを測る手段に過ぎなかった。だがほどなく、学校はごく自然に、よい成績を達成することに的を絞り始めた。

    P211 ファラオの支配するエジプトや、ヨーロッパの諸帝国、現代の学校制度のような、本当に強力な人間の組織は、物事を必ずしも的確に見られるわけではない。それらの権力の大半は、虚構の信念を従順な現実に押し付ける能力にかかっている。貨幣というものがその好例だ。

    P219 物語は道具にすぎない。だから、物語を目標や基準にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。すると、「企業に莫大な収益をもたらすため」「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。【中略】私たちは21世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、わたしたちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、わたしたちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造したりすることもできるようになるだろう。したがって、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよむずかしくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。


    P7 現代というものは取り決めだ。【中略】現代とは驚くほど単純な取り決めなのだ。契約全体を一文にまとめることができる。すなわち、人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。
    P
    9 現代の取り決めは、人間に途方もない誘惑を、けた外れの脅威と抱き合わせで提供する。わたしたちは全能を目前にしていて、もう少しでそれに手が届くのだが、足元には完全なる無という深淵がぽっかり口をあけている。

    P14 人間は進化圧のせいで、この世界を不変のパイと見るのが習い性となった。【中略】したがってキリスト教やイスラム教のような伝統的な宗教は、既存のパイを再分配するか、あるいは天国というパイを約束するかし、現在の資源の助けを借りて人類の問題を解決しようとした。それに対して現代は、経済成長は可能であるばかりか絶対不可欠であるという固い信念に基づいている。【中略】このように経済成長は、現代のあらゆる宗教とイデオロギーと運動を結びつける極めて重要な接点となっている。【中略】実際、経済成長の新法を宗教と呼んでも間違っていないのかもしれない。なぜなら今や経済成長は、わたしたちの倫理的ジレンマのすべてとは言わないまでも多くを解決すると思われているからだ。

    P53 必要な感性なしでは、物事を経験することはできない。そして、経験を積んでいかない限り、感性をはぐくむことはできない。【中略】わたしたちは出来合いの良心をもって生まれては来ない。人生を送りながら、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、情け深い行動をとり、他者からの思いやりを受ける。注意を払えば、道徳的な感性が研ぎ澄まされ、こうした経験が価値ある倫理的知識の源泉となって、何がよく、何が正しく、自分が本当は何者かがわかってくる。

    P90 宗教とテクノロジーは常に何とも微妙なタンゴを踊っている。互いに押し合い、支えあい、離れすぎるわけにはいかない。テクノロジーは宗教に頼っている。どの発明にも応用の可能性がたくさんあるので、極めて重大な選択をして、求められている最終目的を指示してくれる預言者が、技術者には必要だからだ。

    P95 (進歩の列車に席を確保するためには)二一世紀のテクノロジー、それも特にバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの力を理解する必要がある。二一世紀の主要な製品は体と脳と心で、体と脳の設計の仕方を知っている人と知らない人の間の格差は大幅に広がる。【中略】進歩の列車に乗る人は神のような創造と破壊の力を獲得する一方、後に取り残される人は絶滅の憂き目にあいそうだ。

    P125 経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。物語る自己は、重要な原材料としてわたしたちの経験を使って物語を創造する。するとそうした物語が、経験する事故が実際に何を感じるかを決める。わたしたちは、ラマダーンに断食するときと、健康診断のために食事を抜くときと、お金がなくて食べられないときとでは、空腹の経験の仕方が違う。

    P137 過去半世紀の間に、コンピューターの知能は途方もない進歩を遂げたが、コンピューターの意識に関しては一歩も前進していない。【中略】とはいえ私たちは重大な変革の瀬戸際に立っている。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

    P185 医学は途方もない概念的大変革を経験している。二〇世紀の医学は、病人を治すことをめざしていた。だが21世紀の医学は、健康な人をアップグレードすることに、次第に狙いを定めつつある。病人を治すのは平等主義の事業だった。それに対して健康な人をアップグレードするのはエリート主義の事業だ。

    P186 大衆の時代は終わりをつげ、それとともに大衆医療の時代も幕を閉じるかもしれない。人間の兵士と労働者がアルゴリズムに道を譲る中、少なくとも一部のエリート層は次のように結論する可能性がある。無用な貧しい人々の健康水準を向上させること、あるいは、標準的な健康水準を維持することさえ意味がない。一握りの超人たちを通常の水準を超えるところまでアップグレードすることに専心するほうがはるかに賢明だ、と。

    P201 現代の人間は、FOMO(見逃したり取り残されたりすることへの恐れ)に取りつかれており、かつてないほど多くの選択肢があるというのに、何を選んでもそれに本当に注意を向ける能力を失ってしまった。わたしたちはにおいをかぐ能力や注意を払う能力に加えて、夢を見る能力も失ってきている。

    P216 政治学者たちも、人間の政治制度を次第にデータ処理システムとして解釈するようになってきている。資本主義や共産主義と同じで、民主主義と独裁制も本質的には、競合する情報収集、分析メカニズムだ。独裁制は集中処理の方法を使い、一方、民主主義は分散処理を好む。
    【中略】21世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。データの量と速度が増すとともに選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。【中略】いまやテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも早く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。【中略】テクノロジーは急速に進歩しており、議会も独裁者も到底処理が追いつかないデータに圧倒されている。まさにそのために、今日の政治家は一世紀前の先人よりもはるかに小さなスケールで物事を考えている。結果として、二十一世紀初頭の政治は壮大なビジョンを失っている。政府は単なる管理者になった。国を管理はするがもう導きはしない。
    これは見様によってはとても良いことだ。神のようなテクノロジーと誇大妄想的な政治という取り合わせは災難の処方箋となる。【中略】とはいえ、紙のようなテクノロジーを近視眼的な政治と組み合わせることには悪い面もある。ビジョンの欠如がいつも恵みであるわけではなく、またあらゆるビジョンが必ずしも悪いわけではない。【中略】わたしたちの未来を市場の力に任せるのは危険だ。

    P225 資本主義同様、データ至上主義も中立的な科学理論として始まったが、今では物事の正邪を決めると公言する宗教へと変わりつつある。この新宗教が信奉する思考の価値は「情報の流れ」だ。

    P227 わたしたちは、情報の自由と、昔ながらの自由主義の理想である表現の自由を混同してはならない。表現の自由は人間に与えられ、人間が好きなことを考えて言葉にする権利を保護した。之には口を閉ざして自分の考えを人に言わない権利も含まれていた。それに対して、情報の自由は人間に与えられるのではない。情報に与えられるのだ。

    P242 データ至上主義の教義を批判的に考察することは、二十一世紀最大の科学的課題であるだけでなく、最も火急の政治的・経済的プロジェクトにもなりそうだ。声明をデータ処理と意思決定として理解してしまうと、何か見落とすことになるのではないか、と生命科学者や社会科学者は自問するべきだ。

    P243 データ至上主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある。

  • ところどころに突き刺さる思考があるが全体的には高度な内容で私の理解力が追いつかない。本格的に読書した感はある。人間至上主義 人間は感情と意識がある。テクノロジーがそれを超えられるかどうか?全てのものはアルゴリズムでできているが意識と感情を持つのは人間であり、テクノロジーが超えられない部分にデウス(神)としての人間があるのではなかろうか。

  • 読まない理由ない。

  • 下巻は、いよいよデータとアルゴリズムの世界へ。そして自己至上主義の終焉。
    筆者の最後の問いかけ。

    生き物はアルゴリズムにすぎないのか?生命はデータ処理にすぎないのか?
    知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
    意識はないが知能備えたアルゴリズムが自分自身より自分を知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなる?

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著者プロフィール

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。専門は世界史とマクロ・ヒストリー。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、エルサレムのヘブライ大学歴史学部で終身雇用教授として歴史学を教える。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。
著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。2015年にヘブライ語で"Homo Deus: A Brief History of Tomorrow"を出版。その翻訳書『ホモ・デウス』が2018年9月に刊行される。

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