ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

制作 : 柴田裕之 
  • 河出書房新社
4.18
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本棚登録 : 1468
レビュー : 147
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227375

感想・レビュー・書評

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  • (上)では真面目で長い書評を書いたので、こちらは(下)なので「下巻」についての評価を書いておこうと思う。

    『サピエンス全史』でもそうだったが、この著者は同じことをもっと短く書くことができたはずだ。長さによってその価値を増す、つまりその長さが必要な本というものがあるが、これはそうではないように思う。

    さらに悪いことには、上下巻を分けて出版する日本の出版社の意図だ。
    原本は上下巻ではなく、一巻ものである。日本語版も上下に分けずに出版することは可能であったはずだ。
    それにもかかわらず上下巻にしたのは理由がある - その方が儲かるからだ。
    資本主義ではそれが正義だと、この本を読んで考えたからなのかもしれない。この時代だからこそ翻訳者と出版社は誠実であってほしいのだ。
    少なくとも電子書籍版は一冊にしてほしい。上下に分ける意味がわからない。『サピエンス全史』では後で電子書籍は合本版をなぜか安くなっていないが出しているのだから。

    さらに言うと、原題は”Homo Deus: A Brief History of Tomorrow”だ。「短い」歴史と断っているのだから本でももっと短くしてほしい。もっと言うと前作『サピエンス全史』も”Sapiens: A Brief History of Humankind”だったんだけれども、できれば、原題と同じように「短い歴史」で揃えられればよかった。「全史」みたいなワードを使って二分冊にしたおかけで、著者がオリジナルで意図したタイトルのつながりが表現できなかったのは残念。

    ※ たぶんこの書評を書いた後だと思うのだけれども、上下合本版がAmazon Kindleで出ていた。それはよいことではあるのだけれど、上下両方を購入した値段と同じ価格であるのはやや納得できないけれども。

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    『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368

  • 下巻では、現在から未来を見る。現在は人間至上主義が栄えている。すべて自分の内心を覗いて、自分がどう感じているかを問う。神の御心でもなく、聖書の記述でもない。そしてこの人間至上主義は三つの派閥に分かれた。自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義に。世界大戦と冷戦を経て、自由主義的な人間至上主義は勝利を得たが、これからはこの勝利を手放さなくてはいけないようなテクノロジーの発達が進んでいるという。それは、AIとバイオテクノロジーだ。今まで人間は、かけがえのない自己があると信じてきたが、生物科学の知見からは、そのような唯一独立した自己は存在せず、多くの混沌とした意識の集合でしかないという。そして知識と意識の分離から、AIが高度に発達して知識とアルゴリズムを持てば、意識がなくとも多くの人間の仕事を代替できると言われている。人間至上主義から、データ至上主義だ。そうなるとわれわれ人間の価値はなくなるのか?

  • 上下巻合わせたレビューを。
    上巻に関して言えば、「サピエンス全史」と内容/主張が重複する部分も多かったが、サピエンス全史でこれまでホモサピエンスが辿ってきた歴史、経験した認知革命・農業革命・科学革命を経て変遷してきた人間の価値観について説明し、その結びの章として、これまでの変遷を踏まえた上で現在世界を支配している人間至上主義がどの様に変わっていくか?という問題提起を受けた、続巻に近い位置づけとなっているので致し方ない部分もあるのかもしれない。

    本書は科学革命を経て神に追いついて、それまで災いとされていた飢饉/疫病/戦争を克服したサピエンスが今後どこに向かうのか?という問題提起に対して、今後は①不老不死、②幸福、③神へのアップグレードにに向かうのではないかという一つの考え方・オプションを提示している(未来を予測するのではなく、ひとつの考え方を示しているというのがポイント。このオピニオンを聞いたうえで、各々が自分の価値観と照らし合わせて考えることで、未来が変わる事を筆者は否定しないどころか肯定さえしている)。

    筆者は現代の便利なテクノロジーを否定はしていない。していない前提でそれでも、「ヒトは力と引き換えに意味を放棄した」としている。神が万人の心の中に存在し、宗教が世界を支配していた中世までは、神や聖書が絶対で、全ては壮大な宇宙の構想の中で決まっていた。ところが科学革命により、人は神や宗教ではなく知的好奇心に従い、未知の領域を開拓した結果、神と並び、神を信じる宗教ではなく人間至上主義を崇拝する様になった。

    この新しい宗教は全世界に浸透して18世紀以降世界を支配しているが、一つの可能性として「データ主義」が台頭するのでは、というのが筆者の意見。コンピューター工学とバイオテクノロジーの融合が進み、生物は全てアルゴリズムであり、人間中心からデータ中心になる。データ教で何よりも大事なのは「情報の流れ」であり、ネットワークが自分について自身よりも知っている時代が到来し、ネットワークと繋がっていないことがあり得ないと考えるようになる。

    大胆な構想だが、現在インスタグラムやFacebook等に固執するあまりに我を見失うティーンエイジャーを見ているとなるほどなと思う。

    本の締めとして、①本当に生物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理なのか?②知識と意識は分離しつつあるがより価値があるのはどちらなのか?③アルゴリズムがよりヒトを知るようになると何が起こるのか?と問題提起しており、将来我々が大事にすべき価値観について改めて考えさせられた。

  • この本を手にしたきっかけは私が大好きな「私を離さないで」の著者カズオ・イシグロさんが「優れた作品である『サピエンス全史』よりも面白く読める、より重要な作品である」と帯に書いてあったからです。

    「ホモ・デウスって人間を神様にしちゃう?…なんだか無機質な感じだなぁ。でもあのカズオ・イシグロさんがオススメしてる作品だから何かあるんだよ。」とテクノロジーとサピエンスの未来予想を上下巻に渡り綴り、ラストにはそれに対するリスクが書かれていました。

    結論から言えばとてもホモ・サピエンスの未来を考え「知能」と「意識」を考えに考えた人間くさいお話でした。例えば下巻10章意識の大海では「本当の友人ならもっと辛抱強く、慌てて解決策を見つけようとはしないはずだ。」という文章がテクノロジー本に出てくるように。

    第3部8章人生の意味では「空想の物語のために愚犠を払えば払うほど執拗にその物語にしがにみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。」と、はっとさせられる1文も。

    全体的にサイエンスや宗教を歴史に沿って書かれていて文字を追えばスッと内容が入り決して難解なテクノロジー本という感じは受けませんでした。落合陽一・清水高志・上妻世海さんの「脱近代宣言」と一緒に読むと読書体験が前進しました。

  •  下巻読了。
     前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。

     前半の「人間至上主義革命」の章はやや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?

     だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。

     第3部の内容は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……というもの。
     つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的な内容のものに近い。

     とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。

     たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。

     また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。

    《データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている》(216~217ページ)

     このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。

     私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(226ページ)。
     が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
     したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」という立場)から見れば、大いに眉唾だろう。

     私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。

     ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。

  • 大著「サピエンス全史」で、認知革命・農業革命・科学革命という3つの革命から、人類の歴史を斬新な観点からアップデートしたユヴァル・ノア・ハラリの新著。本書では、主にAIとバイオサイエンスを中心とした新たなテクノロジーがどのように人間を変えていくのかという予言的な洞察が語られる。

    前作の「サピエンス全史」と比較すると、本書は確実に異論を巻き起こすことは間違いないように思われる。というのも、本書で描かれるテクノロジー、特にAI技術に関する記述はいわゆる「シンギュラリティ論者」が語るような、万能の存在として描かれている節があるからである。ここ数年、「シンギュラリティ論者」に対するAI研究者の側からの反駁として、AIは決して万能な存在ではなく、人間の生存を脅かす存在にまでなるというのは妄想に過ぎない、という意見が提起されている。そうした議論を踏まえてみると、著者のAIに関する理解というのが本当に正当なものなのか、という疑義を呈さずにはいられない。

    ただし、そうした点を除けば、生物学・遺伝子学・科学哲学・脳科学・経済学等の様々な学問領域をすべて歴史という軸で徹底的に見つめ直し、そこからテクノロジーが発展したときの社会の姿を予測する、という著者のアプローチは極めて真摯な歴史学者のそれであり、我々が次の社会を考える上での重要な補助線になるのは間違いがない。

    余談だが、この手の本にしてはユヴァル・ノア・ハラリの本はリーダビリティが高く、読みやすいと思う。面白い本だし、あっという間に読んでしまった。

  • 上巻から更に深淵へと掘り下げていくため、特に第3部は何度かページを戻しながら読み進めた。

    人類がゼロサムゲームを脱するためにとった
    「人間至上主義」という態度。
    テクノロジーの発展は人間至上主義をより高次へと導きつつ、その特性ゆえ人間至上という大義を揺るがしかねないという仮説。
    そして近年、世界を支配しつつあるデータ至上主義。

    この下巻では、未来に対する明確な答えは提示せず
    読者が考えるためのきっかけや
    そもそも未来を考えるのに必要な態度、考え方を提示する。

    そのため、最終章のおわりで「結局、どうなるの?」という疑問が首をもたげたが、
    そこは自分たちで考えるべきなのだろうと腹落ちした。

    人文科学、歴史、コンピュータサイエンス。あらゆる領域から多面的に未来を占う本作はサピエンス全史とあわせ本棚に常備し、度々読み返したい作品だ。

  • ハラリのホモデウスでの主題はざっくりいうと人間至上主義からデータ至上主義へとパラダイムシフトが起こるというものだ。この地球上の支配者が「神」→「人」→「データ」へと移行していく姿を如実にかつ論理的に描き出しており、読んでいて知的好奇心がくすぐられる。ぜひこの秋に読んでもらいたい一冊だ。

  • 下巻。上は人類の歴史に対して、下巻は人類とは何か?をベースに、そして人類はどこに向かうのか、という話。
    推察のベースになっているのが、人には固定の自我はなく、全て生化学的なアルゴリズムによって生み出されたものだということ。
    例えば、脳に電極を仕掛けられたマウスは、科学者がスイッチを押すと快感に導かれ右に曲がったりはしごを登ったりする。しかしこのマウスはこう言うだろう。「もちろん私には自由意志がある。ほら私は右に曲がりたいから曲がりはしごに登りたいから登る。これこそ私に自由意志がある証拠だ」と。つまり人間も自分の意思で全て決めていると思っているだけで、単にアルゴリズムやプログラムによって「反応」しているだけだという話。興味深い。
    人が行動を起こす際、自分自身がそれを認識する数秒前には、生体反応の観測でそれを知ることができるらしい。「自分自身」が思う前に知るって。自分が思う前に決まっているなら、それは何にしたがっているのか、って話。だから我々が普段思っている「自分の意思」は後発だって。
    まあそんなこんなで、じゃあやっぱり我々はアルゴリズムに従っているだけだとしたら、無機質なアルゴリズムであるAIが本当に高度化した場合、我々とAIは何も変わらない存在になるのではないかって。
    とかとか面白い考察が本当にたくさん述べられてて、全部飽きずに読めました。
    自分たちがなんなのか、どうなるのか、興味ある人はぜひ

  • みんなでお金持ちになって、長生きして、
    みんなで「ホモ・デウス」を目指すのか。
     それはそれで、いいのかな?

     ただ、それで最終的に目指すものが、「アルゴリズム=一種の数字」になってはいけない。
     それだと、最終的に、「ホモ・デウス」は、「AI」に支配されてしまうからです。

     要するに「ホモ・デウス」化する人類が目指すべきものは、
    「アルゴリズム」ではない。

    「愛」と「自然」
    でなければならないのです。
     (クサイ言葉なんですが!!!!)

     それがなければ、人類は機械に家畜のように支配され、いずれ滅びるであろう。

     ということを預言書のようにずーーーっと語ってくれる、読み応えのある本です。

     読まなくても、この「ホモ・デウス」という概念だけでも知っておくといいかと思います。

     世の中の富裕層、エリート中心に、
    「ホモ・デウス」化しようとしているのです。
    とても無意識に。
     その流れは止められず、ただ、方向だけをきちんと定めていくしかない。

    しつこいけど、
    「愛」と「自然」なんですよね〜〜〜

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著者プロフィール

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。専門は世界史とマクロ・ヒストリー。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、エルサレムのヘブライ大学歴史学部で終身雇用教授として歴史学を教える。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。
著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。2015年にヘブライ語で"Homo Deus: A Brief History of Tomorrow"を出版。その翻訳書『ホモ・デウス』が2018年9月に刊行される。

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