ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

制作 : 柴田裕之 
  • 河出書房新社
4.18
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本棚登録 : 1454
レビュー : 146
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227375

感想・レビュー・書評

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  • (上)では真面目で長い書評を書いたので、こちらは(下)なので「下巻」についての評価を書いておこうと思う。

    『サピエンス全史』でもそうだったが、この著者は同じことをもっと短く書くことができたはずだ。長さによってその価値を増す、つまりその長さが必要な本というものがあるが、これはそうではないように思う。

    さらに悪いことには、上下巻を分けて出版する日本の出版社の意図だ。
    原本は上下巻ではなく、一巻ものである。日本語版も上下に分けずに出版することは可能であったはずだ。
    それにもかかわらず上下巻にしたのは理由がある - その方が儲かるからだ。
    資本主義ではそれが正義だと、この本を読んで考えたからなのかもしれない。この時代だからこそ翻訳者と出版社は誠実であってほしいのだ。
    少なくとも電子書籍版は一冊にしてほしい。上下に分ける意味がわからない。『サピエンス全史』では後で電子書籍は合本版をなぜか安くなっていないが出しているのだから。

    さらに言うと、原題は”Homo Deus: A Brief History of Tomorrow”だ。「短い」歴史と断っているのだから本でももっと短くしてほしい。もっと言うと前作『サピエンス全史』も”Sapiens: A Brief History of Humankind”だったんだけれども、できれば、原題と同じように「短い歴史」で揃えられればよかった。「全史」みたいなワードを使って二分冊にしたおかけで、著者がオリジナルで意図したタイトルのつながりが表現できなかったのは残念。

    ※ たぶんこの書評を書いた後だと思うのだけれども、上下合本版がAmazon Kindleで出ていた。それはよいことではあるのだけれど、上下両方を購入した値段と同じ価格であるのはやや納得できないけれども。

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    『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368

  • 下巻では、現在から未来を見る。現在は人間至上主義が栄えている。すべて自分の内心を覗いて、自分がどう感じているかを問う。神の御心でもなく、聖書の記述でもない。そしてこの人間至上主義は三つの派閥に分かれた。自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義に。世界大戦と冷戦を経て、自由主義的な人間至上主義は勝利を得たが、これからはこの勝利を手放さなくてはいけないようなテクノロジーの発達が進んでいるという。それは、AIとバイオテクノロジーだ。今まで人間は、かけがえのない自己があると信じてきたが、生物科学の知見からは、そのような唯一独立した自己は存在せず、多くの混沌とした意識の集合でしかないという。そして知識と意識の分離から、AIが高度に発達して知識とアルゴリズムを持てば、意識がなくとも多くの人間の仕事を代替できると言われている。人間至上主義から、データ至上主義だ。そうなるとわれわれ人間の価値はなくなるのか?

  • 上下巻合わせたレビューを。
    上巻に関して言えば、「サピエンス全史」と内容/主張が重複する部分も多かったが、サピエンス全史でこれまでホモサピエンスが辿ってきた歴史、経験した認知革命・農業革命・科学革命を経て変遷してきた人間の価値観について説明し、その結びの章として、これまでの変遷を踏まえた上で現在世界を支配している人間至上主義がどの様に変わっていくか?という問題提起を受けた、続巻に近い位置づけとなっているので致し方ない部分もあるのかもしれない。

    本書は科学革命を経て神に追いついて、それまで災いとされていた飢饉/疫病/戦争を克服したサピエンスが今後どこに向かうのか?という問題提起に対して、今後は①不老不死、②幸福、③神へのアップグレードにに向かうのではないかという一つの考え方・オプションを提示している(未来を予測するのではなく、ひとつの考え方を示しているというのがポイント。このオピニオンを聞いたうえで、各々が自分の価値観と照らし合わせて考えることで、未来が変わる事を筆者は否定しないどころか肯定さえしている)。

    筆者は現代の便利なテクノロジーを否定はしていない。していない前提でそれでも、「ヒトは力と引き換えに意味を放棄した」としている。神が万人の心の中に存在し、宗教が世界を支配していた中世までは、神や聖書が絶対で、全ては壮大な宇宙の構想の中で決まっていた。ところが科学革命により、人は神や宗教ではなく知的好奇心に従い、未知の領域を開拓した結果、神と並び、神を信じる宗教ではなく人間至上主義を崇拝する様になった。

    この新しい宗教は全世界に浸透して18世紀以降世界を支配しているが、一つの可能性として「データ主義」が台頭するのでは、というのが筆者の意見。コンピューター工学とバイオテクノロジーの融合が進み、生物は全てアルゴリズムであり、人間中心からデータ中心になる。データ教で何よりも大事なのは「情報の流れ」であり、ネットワークが自分について自身よりも知っている時代が到来し、ネットワークと繋がっていないことがあり得ないと考えるようになる。

    大胆な構想だが、現在インスタグラムやFacebook等に固執するあまりに我を見失うティーンエイジャーを見ているとなるほどなと思う。

    本の締めとして、①本当に生物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理なのか?②知識と意識は分離しつつあるがより価値があるのはどちらなのか?③アルゴリズムがよりヒトを知るようになると何が起こるのか?と問題提起しており、将来我々が大事にすべき価値観について改めて考えさせられた。

  • この本を手にしたきっかけは私が大好きな「私を離さないで」の著者カズオ・イシグロさんが「優れた作品である『サピエンス全史』よりも面白く読める、より重要な作品である」と帯に書いてあったからです。

    「ホモ・デウスって人間を神様にしちゃう?…なんだか無機質な感じだなぁ。でもあのカズオ・イシグロさんがオススメしてる作品だから何かあるんだよ。」とテクノロジーとサピエンスの未来予想を上下巻に渡り綴り、ラストにはそれに対するリスクが書かれていました。

    結論から言えばとてもホモ・サピエンスの未来を考え「知能」と「意識」を考えに考えた人間くさいお話でした。例えば下巻10章意識の大海では「本当の友人ならもっと辛抱強く、慌てて解決策を見つけようとはしないはずだ。」という文章がテクノロジー本に出てくるように。

    第3部8章人生の意味では「空想の物語のために愚犠を払えば払うほど執拗にその物語にしがにみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。」と、はっとさせられる1文も。

    全体的にサイエンスや宗教を歴史に沿って書かれていて文字を追えばスッと内容が入り決して難解なテクノロジー本という感じは受けませんでした。落合陽一・清水高志・上妻世海さんの「脱近代宣言」と一緒に読むと読書体験が前進しました。

  •  下巻読了。
     前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。

     前半の「人間至上主義革命」の章はやや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?

     だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。

     第3部の内容は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……というもの。
     つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的な内容のものに近い。

     とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。

     たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。

     また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。

    《データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている》(216~217ページ)

     このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。

     私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(226ページ)。
     が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
     したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」という立場)から見れば、大いに眉唾だろう。

     私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。

     ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。

  • 大著「サピエンス全史」で、認知革命・農業革命・科学革命という3つの革命から、人類の歴史を斬新な観点からアップデートしたユヴァル・ノア・ハラリの新著。本書では、主にAIとバイオサイエンスを中心とした新たなテクノロジーがどのように人間を変えていくのかという予言的な洞察が語られる。

    前作の「サピエンス全史」と比較すると、本書は確実に異論を巻き起こすことは間違いないように思われる。というのも、本書で描かれるテクノロジー、特にAI技術に関する記述はいわゆる「シンギュラリティ論者」が語るような、万能の存在として描かれている節があるからである。ここ数年、「シンギュラリティ論者」に対するAI研究者の側からの反駁として、AIは決して万能な存在ではなく、人間の生存を脅かす存在にまでなるというのは妄想に過ぎない、という意見が提起されている。そうした議論を踏まえてみると、著者のAIに関する理解というのが本当に正当なものなのか、という疑義を呈さずにはいられない。

    ただし、そうした点を除けば、生物学・遺伝子学・科学哲学・脳科学・経済学等の様々な学問領域をすべて歴史という軸で徹底的に見つめ直し、そこからテクノロジーが発展したときの社会の姿を予測する、という著者のアプローチは極めて真摯な歴史学者のそれであり、我々が次の社会を考える上での重要な補助線になるのは間違いがない。

    余談だが、この手の本にしてはユヴァル・ノア・ハラリの本はリーダビリティが高く、読みやすいと思う。面白い本だし、あっという間に読んでしまった。

  • 上巻から更に深淵へと掘り下げていくため、特に第3部は何度かページを戻しながら読み進めた。

    人類がゼロサムゲームを脱するためにとった
    「人間至上主義」という態度。
    テクノロジーの発展は人間至上主義をより高次へと導きつつ、その特性ゆえ人間至上という大義を揺るがしかねないという仮説。
    そして近年、世界を支配しつつあるデータ至上主義。

    この下巻では、未来に対する明確な答えは提示せず
    読者が考えるためのきっかけや
    そもそも未来を考えるのに必要な態度、考え方を提示する。

    そのため、最終章のおわりで「結局、どうなるの?」という疑問が首をもたげたが、
    そこは自分たちで考えるべきなのだろうと腹落ちした。

    人文科学、歴史、コンピュータサイエンス。あらゆる領域から多面的に未来を占う本作はサピエンス全史とあわせ本棚に常備し、度々読み返したい作品だ。

  • ハラリのホモデウスでの主題はざっくりいうと人間至上主義からデータ至上主義へとパラダイムシフトが起こるというものだ。この地球上の支配者が「神」→「人」→「データ」へと移行していく姿を如実にかつ論理的に描き出しており、読んでいて知的好奇心がくすぐられる。ぜひこの秋に読んでもらいたい一冊だ。

  • 下巻。上は人類の歴史に対して、下巻は人類とは何か?をベースに、そして人類はどこに向かうのか、という話。
    推察のベースになっているのが、人には固定の自我はなく、全て生化学的なアルゴリズムによって生み出されたものだということ。
    例えば、脳に電極を仕掛けられたマウスは、科学者がスイッチを押すと快感に導かれ右に曲がったりはしごを登ったりする。しかしこのマウスはこう言うだろう。「もちろん私には自由意志がある。ほら私は右に曲がりたいから曲がりはしごに登りたいから登る。これこそ私に自由意志がある証拠だ」と。つまり人間も自分の意思で全て決めていると思っているだけで、単にアルゴリズムやプログラムによって「反応」しているだけだという話。興味深い。
    人が行動を起こす際、自分自身がそれを認識する数秒前には、生体反応の観測でそれを知ることができるらしい。「自分自身」が思う前に知るって。自分が思う前に決まっているなら、それは何にしたがっているのか、って話。だから我々が普段思っている「自分の意思」は後発だって。
    まあそんなこんなで、じゃあやっぱり我々はアルゴリズムに従っているだけだとしたら、無機質なアルゴリズムであるAIが本当に高度化した場合、我々とAIは何も変わらない存在になるのではないかって。
    とかとか面白い考察が本当にたくさん述べられてて、全部飽きずに読めました。
    自分たちがなんなのか、どうなるのか、興味ある人はぜひ

  • みんなでお金持ちになって、長生きして、
    みんなで「ホモ・デウス」を目指すのか。
     それはそれで、いいのかな?

     ただ、それで最終的に目指すものが、「アルゴリズム=一種の数字」になってはいけない。
     それだと、最終的に、「ホモ・デウス」は、「AI」に支配されてしまうからです。

     要するに「ホモ・デウス」化する人類が目指すべきものは、
    「アルゴリズム」ではない。

    「愛」と「自然」
    でなければならないのです。
     (クサイ言葉なんですが!!!!)

     それがなければ、人類は機械に家畜のように支配され、いずれ滅びるであろう。

     ということを預言書のようにずーーーっと語ってくれる、読み応えのある本です。

     読まなくても、この「ホモ・デウス」という概念だけでも知っておくといいかと思います。

     世の中の富裕層、エリート中心に、
    「ホモ・デウス」化しようとしているのです。
    とても無意識に。
     その流れは止められず、ただ、方向だけをきちんと定めていくしかない。

    しつこいけど、
    「愛」と「自然」なんですよね〜〜〜

  • 大きなパラダイムシフト。地動説、神は18世紀に主役から退いた。ホモ・サピエンスも退くかも。
    人間至上主義の分派「自由主義」「社会主義」「進化論的人間至上主義(優れたものという自然選択)」。
    自由主義はテクノロジーとの相性がいい。マルクスレーニンも良かったがついていけなくなった。
    これからのバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムは人間至上主義と折り合うか、人間に自由が存在するか。自由意志の存在に疑問。
    「人間の価値がなくなる」意識を持たない非有機的アルゴリズムが有機的アルゴリズムを超えれば。経済的、軍事的には意識はオプションでいい。
    「集団としてに人間がアルゴリズムに支配される」生産活動は個人だが重要な意思決定はシステムが行う。内なる声以上のアルゴリズム。バイアスがない。自由主義の崩壊、本人よりもシステムの方が自分について詳しい。
    「新しい超人の誕生」少数の特権エリートとコンピューターアルゴリズムによる支配。劣化カースト。
    ポスト人間至上主義、テクノ人間至上主義ホモデウス。アップグレードされた超人エリート層の誕生で自由主義崩壊。欲望の作り変えたり新たな欲望を作り出し人間の心をアップデート。内なる声が犯した過ち。
    データ教、ベートーベンの音楽と株価とウィルスを同じ基本概念とツールで分析できるデータフロー。一体化しデータフローに溶けてゆく。

  • サピエンス全史の続編。人類の歴史を踏まえた上で未来を論じる。

    かなり難しく理解が追い付かないところも多いが、わかった個所は面白い。

    生き物はアルゴリズムで、テクノロジーが進化すれば無機物のアルゴリズムが上回る。人間はネットのアルゴリズムに判断を委ねた方が的確となる。一部のアップグレートされた超エリートだけがネットを支配する、という感じでしょうか。


    以下は読書メモ:

    序章
    人類は昔からの三つの問題: 飢饉、疾病、戦争を克服した。
    次は人間を神にアップグレートすることを目指す。=ホモ・デウス
    21世紀は不死を目指す。
    21世紀の第2の主要目標は幸福の追求。
    人間を神へとアップグレートするときにとりうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学。
    第3の大プロジェクトは神の力の獲得で第1と第2のプロジェクトを含む。全能の神ではなく古代ギリシャの神々のようなもの。
    = 不死と至福と神性
    芝生は権威の象徴
    人間至上主義(ヒューマニズム)

    1部
    狩猟採集時代にホモ・サピエンスは動物と同列だった。
    農業革命は有神論の宗教を生み出し、科学革命は人間至上主義を生み出す。
    人間は動物に対し優越した存在になった。

    2部
    書字
    動物は二重の現実で暮らす(自分の外の客観、自分の中の主観)。サピエンスは、三重の現実(それに加えて虚構)。
    虚構のために自分の人生を犠牲にしていないか。
    宗教とは社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段
    宗教と科学の隔たりは小さく、宗教と霊性の隔たりは大きい。
    宗教の物語は、倫理的判断、事実に関する言明、実際的な指針の3つから成る。科学は倫理的判断は論じられないが、事実には反論できる。
    現代の取り決め: 人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する。
    経済の成長
    中世ヨーロッパ: 知識=聖書x論理
    科学革命: 知識=観察に基づくデータx数字
    人間至上主義: 知識=経験x感性
    自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義
    宗教とテクノロジーは微妙なタンゴを踊る。

    3部
    自由意志は存在しない。私は自分の欲望を選ぶことはない。欲望を感じそれにしたがって行動するにすぎない。
    ピークエンドの法則
    唯一の自己があるわけではない。経験する自己、物語る自己
    自由主義に対する3つの脅威 ①人間が価値を失う、②外部のアルゴリズムに管理される、③アップグレードされた人間の少数の特権エリート階級
    テクノ人間至上主義
    データ至上主義(データ教)
    世の中の動き:
    1.科学は、生き物はアルゴリズムであり生命はデータ処理である、という教義に収斂しつつある。
    2.知能は意識から分離しつつある。
    3.意識を持たないが高度な知能を備えたアルゴリズムが自分より自分のことを知るようになるかもしれない。
    問い:
    1.生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? 生命はデータ処理にすぎないのか?
    2.知能と意識のどちらのほうが価値があるか?
    3.意識を持たない高度な知能を備えたアルゴリズムが、自分自身より我々のことをよく知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるか?

  • 文句なしの読み応え!
    筆者は断言はしていないものの、今までの人類の歴史を鑑みても、データ至上主義の世界になることは必然かもしれない。歴史の大きな流れを自分で変えることはできないが、大多数の「無能な」大衆に自分もなりつつあるなか、今この時をどう生きるかを考えさせられた。

  • 人間至上主義の教義の元、発展を遂げてきたサピエンス。それは新しい教義によって転換点を迎えようとしています。データとアルゴリズムによって解析された対象には人間も入っています。人間は全てを暴かれた(と思われている)中で、どうするべきなのか。本書下巻では、その暴かれたことについて書かれています。その現実をしっかりと知った上で、最後に著者が書かれている希望に立ち向かっていく必要がある。まず知識を得るところから始まるだと感じました。
    人類の未来については、最近多くの本が出ています。主として、長寿になるところから、その生をどのように消化するのかという話だったと思います。本書はその視点を大きく引き伸ばして、もっと大きな問題に当ててくれる内容だと思います。人類個々が立ち向かわないといけないものは、もっと大きなものだと教えてくれました。

  • できることなら長期休暇の際に読みたい。
    それくらい、凝り固まった考えを打ち砕くような衝撃、そして一度全てを液化して、再度思考形成しなければならないような気になる本だった。

    現代の人間至上主義は、人類にとっての最終到達地点ではなく、現時点における最適解。
    かつての宗教では補いきれない出来事が、たくさん起きている。だから人が生きる意味は神の中にあるのではなく、自分自身の中にあるという考え。

    しかし、今後さらに情報技術やAIが発達していくと、自分のことを自分よりも詳しいAIが登場するかもしれない。
    すると人間はAIによってコントロールされる存在になるかもしれない。

    虚構による物語によって、実際に会っていない人間同士が、場所や時間を超えて協力し合ってきたからこそ、人間は他の動物とは一線を画す存続となってきた。
    しかし、その虚構への依存度が高まると、データが全てを司る、つまりデータ教の信者になってしまう。

    アップデートした人間はどこに向かいつつあるのか。
    どこに向かえば良いのか。
    非常に多くのことを考えさせられる作品だ。

    この本の優れた点は、作者の主張を展開するための論理展開ではないということ。あらゆる角度から客観的に評価しようと試みる姿勢に、作者の懐の深さを感じた。

  • 「サピエンス全史」が人類の過去なら、「ホモ・デウス」は未来。
    人類至上主義からデータ至上主義になったら、幸せはどう定義されるのだろう。どう定義するべきなのか。
    相変わらず読み応えのある本。以下は備忘録で、気になったとこ。
    ・エピクロスによれば、神々の崇拝は時間の無駄であり、死後は存在せず、幸福こそが人生の唯一の目的である。
    ・快感は刹那的であり、それを渇望する限り満足することはないという点で仏教の幸福観と生化学的な見方は共通する。生化学的な解決策は快感を絶えず共有すること、仏教の解決策はそもそも快感を望まないこと。
    ・芝生は富裕の象徴。貧民はメンテナンスできない。
    ・社会を形成する上で、虚構(物語)は欠かせない。ただ、物語は道具に過ぎず、目標や基準にしてはいけない。私達は物語が虚構であることを忘れたら現実を見失ってしまう。すると、「企業に収益をもたらすため」「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。
    ・人間至上主義の世の中では「自分がどう考えるか」が重要となる。
    ・人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識をめいっぱい深めること。
    ・自由意志は存在するのか。意志とは突き詰めれば脳髄の電気信号であり、ラボでラットに電気信号を与えて持たせたものは意志なのか。

  • 上巻で言及された人間至上主義から自由主義への変遷とそこからテクノロジーの進化を背景とした未来予想。
    AI等のテクノロジーに使われる人間と使う人間によって社会構造が変わる。ただ変化の仕方はこれからの人間次第。

  • 前著、ホモ・サピエンス全史もそうだったけど、上巻は新しい視点、事実がズラッと並べられて、心地良い歯切れの良さにふむふむと感心してしまうわけだけど、下巻になると上巻を受けて、だから未来はこうなっちゃうかもよ、って延々と同じような話が続くのが辛い。著者も書いてあるが、書かれているのはあくまでひとつの可能性であり、事実に基づいているので、真実味もあるのだけど、やはり仮定を前提の話が延々と続くのは、読み物としては辛いものだ。
    ただ、うっすら感じている不気味さを明確にしてくれる点や、自分の子供が大人になる頃にはどうなっちゃうのかなとか、子供を導くための視点の強化になればいいなと思って、読んでた感じ。どうなるのかね、未来。

  • 6章

    ぼくらは資本主義の手のひらで遊ばれているだけなのかもしれない。経済弱者が救われる手段は経済的成長、富裕層の欲望はとどまることを知らないために経済的成長が加速する。
    この2つの理由から成長が神格化され、もはや宗教と化している。経済成長が絶対的なものと確信されているため、成長による資源の枯渇や生態系の破壊ら科学の進歩によって抑えられると盲信されている。しかしそれはあまりに危険な思い込みだ。
    もちろん成長がもたらした功績は大きい。戦争、飢饉、疫病を克服するなど近代以前にはあり得なかった。しかしこのまま成長を続けていいものだろうか。成長の信者でいていいものだろうか。
    最近耳に聞くミニマリストの生き方は、1つの答えを示しているのかもしれない。

    7章

    人間至上主義が相対的なものだとしたら、と考えるとゾッとする。前近代の信仰対象であった神や自然が、人間至上主義という宗教に入れ替わっただけだとしたら。
    たしかに、個人の意見が過剰に尊重されている気はする。その人がそう思っているのならそれでいいじゃないかという風潮が蔓延している。しかしこのことによって、主張することに恐れを抱くようになってしまってはいないだろうか。つまり、他人の感想を重視するあまり、自分の意見によって他人の価値観を変えることを恐れている。
    だが、何かを主張するということは他人に影響を与えるということだ。他人の価値観を揺さぶりたくない、敵を作りたくないなんてモチベーションでアウトプットを行なっても、誰にも届かないではないか。
    逆に、影響力の強い意見に対する当たりが強くなっているのが現代である。自らの価値観を絶対視するあまり、それに違うものへの攻撃が盛んに行われている。無思考に批判するだけの人もいれば、それをうまく利用するインフルエンサーも現れてきた。

    8章

    自由意志が無いとしたらぼくがホモデウスを欲しいと思った理由はどこからやってきたのか。権威?ベストセラーだという社会的証明?自分が歴史学科だから?だったらなんで歴史を学びたいと思った?欲求に従うことを自由意志と言うが、欲求を選ぶことはできないとは恐ろしい発想だ。
    そもそもぼくらが自由意志と呼んでいるものは、ダニエルカーネマンの言う「記憶する自己」である。人は過去について語るとき、象徴的な瞬間と最後の瞬間の記憶しか持ち合わせていない。一瞬一瞬の経験は無かったことになるのだ。そうであるならば、揺るぎない一つの「私」というものは存在するだろうか?
    ちなみにちょうど同時進行で「ファストアンドスロー 」を読んでいてこの話が出てきた時は感動した。壮大な伏線が回収されるのを目の当たりにした気分だ。

  • ・現代の世界は、成長を至高の価値として掲げている。
    ・たとえ現状で十分満足しているときでさえ、更に上を目指して奮闘するべきなのだ。
    ・歴史を通して、求人市場は3つの部門に分かれていた。農業、工業、サービス業だ。
    ・人間が専門化し、得意な分野が非常に限られているので、AIに置き換えやすいのだ。
    ・人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け、繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。
    ・人間の心や経験に関する科学研究の大半は、WEIRD社会の人々を対象に行われてきており、彼らは決して人類を代表するサンプルではない。
    ・データ至上主義という新宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。
    ・人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。

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著者プロフィール

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。専門は世界史とマクロ・ヒストリー。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、エルサレムのヘブライ大学歴史学部で終身雇用教授として歴史学を教える。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。
著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。2015年にヘブライ語で"Homo Deus: A Brief History of Tomorrow"を出版。その翻訳書『ホモ・デウス』が2018年9月に刊行される。

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