ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

制作 : 柴田裕之 
  • 河出書房新社
4.18
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本棚登録 : 1467
レビュー : 147
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309227375

感想・レビュー・書評

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  • (上)では真面目で長い書評を書いたので、こちらは(下)なので「下巻」についての評価を書いておこうと思う。

    『サピエンス全史』でもそうだったが、この著者は同じことをもっと短く書くことができたはずだ。長さによってその価値を増す、つまりその長さが必要な本というものがあるが、これはそうではないように思う。

    さらに悪いことには、上下巻を分けて出版する日本の出版社の意図だ。
    原本は上下巻ではなく、一巻ものである。日本語版も上下に分けずに出版することは可能であったはずだ。
    それにもかかわらず上下巻にしたのは理由がある - その方が儲かるからだ。
    資本主義ではそれが正義だと、この本を読んで考えたからなのかもしれない。この時代だからこそ翻訳者と出版社は誠実であってほしいのだ。
    少なくとも電子書籍版は一冊にしてほしい。上下に分ける意味がわからない。『サピエンス全史』では後で電子書籍は合本版をなぜか安くなっていないが出しているのだから。

    さらに言うと、原題は”Homo Deus: A Brief History of Tomorrow”だ。「短い」歴史と断っているのだから本でももっと短くしてほしい。もっと言うと前作『サピエンス全史』も”Sapiens: A Brief History of Humankind”だったんだけれども、できれば、原題と同じように「短い歴史」で揃えられればよかった。「全史」みたいなワードを使って二分冊にしたおかけで、著者がオリジナルで意図したタイトルのつながりが表現できなかったのは残念。

    ※ たぶんこの書評を書いた後だと思うのだけれども、上下合本版がAmazon Kindleで出ていた。それはよいことではあるのだけれど、上下両方を購入した値段と同じ価格であるのはやや納得できないけれども。

    ---
    『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368

  • 下巻では、現在から未来を見る。現在は人間至上主義が栄えている。すべて自分の内心を覗いて、自分がどう感じているかを問う。神の御心でもなく、聖書の記述でもない。そしてこの人間至上主義は三つの派閥に分かれた。自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義に。世界大戦と冷戦を経て、自由主義的な人間至上主義は勝利を得たが、これからはこの勝利を手放さなくてはいけないようなテクノロジーの発達が進んでいるという。それは、AIとバイオテクノロジーだ。今まで人間は、かけがえのない自己があると信じてきたが、生物科学の知見からは、そのような唯一独立した自己は存在せず、多くの混沌とした意識の集合でしかないという。そして知識と意識の分離から、AIが高度に発達して知識とアルゴリズムを持てば、意識がなくとも多くの人間の仕事を代替できると言われている。人間至上主義から、データ至上主義だ。そうなるとわれわれ人間の価値はなくなるのか?

  • 上下巻合わせたレビューを。
    上巻に関して言えば、「サピエンス全史」と内容/主張が重複する部分も多かったが、サピエンス全史でこれまでホモサピエンスが辿ってきた歴史、経験した認知革命・農業革命・科学革命を経て変遷してきた人間の価値観について説明し、その結びの章として、これまでの変遷を踏まえた上で現在世界を支配している人間至上主義がどの様に変わっていくか?という問題提起を受けた、続巻に近い位置づけとなっているので致し方ない部分もあるのかもしれない。

    本書は科学革命を経て神に追いついて、それまで災いとされていた飢饉/疫病/戦争を克服したサピエンスが今後どこに向かうのか?という問題提起に対して、今後は①不老不死、②幸福、③神へのアップグレードにに向かうのではないかという一つの考え方・オプションを提示している(未来を予測するのではなく、ひとつの考え方を示しているというのがポイント。このオピニオンを聞いたうえで、各々が自分の価値観と照らし合わせて考えることで、未来が変わる事を筆者は否定しないどころか肯定さえしている)。

    筆者は現代の便利なテクノロジーを否定はしていない。していない前提でそれでも、「ヒトは力と引き換えに意味を放棄した」としている。神が万人の心の中に存在し、宗教が世界を支配していた中世までは、神や聖書が絶対で、全ては壮大な宇宙の構想の中で決まっていた。ところが科学革命により、人は神や宗教ではなく知的好奇心に従い、未知の領域を開拓した結果、神と並び、神を信じる宗教ではなく人間至上主義を崇拝する様になった。

    この新しい宗教は全世界に浸透して18世紀以降世界を支配しているが、一つの可能性として「データ主義」が台頭するのでは、というのが筆者の意見。コンピューター工学とバイオテクノロジーの融合が進み、生物は全てアルゴリズムであり、人間中心からデータ中心になる。データ教で何よりも大事なのは「情報の流れ」であり、ネットワークが自分について自身よりも知っている時代が到来し、ネットワークと繋がっていないことがあり得ないと考えるようになる。

    大胆な構想だが、現在インスタグラムやFacebook等に固執するあまりに我を見失うティーンエイジャーを見ているとなるほどなと思う。

    本の締めとして、①本当に生物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理なのか?②知識と意識は分離しつつあるがより価値があるのはどちらなのか?③アルゴリズムがよりヒトを知るようになると何が起こるのか?と問題提起しており、将来我々が大事にすべき価値観について改めて考えさせられた。

  • この本を手にしたきっかけは私が大好きな「私を離さないで」の著者カズオ・イシグロさんが「優れた作品である『サピエンス全史』よりも面白く読める、より重要な作品である」と帯に書いてあったからです。

    「ホモ・デウスって人間を神様にしちゃう?…なんだか無機質な感じだなぁ。でもあのカズオ・イシグロさんがオススメしてる作品だから何かあるんだよ。」とテクノロジーとサピエンスの未来予想を上下巻に渡り綴り、ラストにはそれに対するリスクが書かれていました。

    結論から言えばとてもホモ・サピエンスの未来を考え「知能」と「意識」を考えに考えた人間くさいお話でした。例えば下巻10章意識の大海では「本当の友人ならもっと辛抱強く、慌てて解決策を見つけようとはしないはずだ。」という文章がテクノロジー本に出てくるように。

    第3部8章人生の意味では「空想の物語のために愚犠を払えば払うほど執拗にその物語にしがにみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。」と、はっとさせられる1文も。

    全体的にサイエンスや宗教を歴史に沿って書かれていて文字を追えばスッと内容が入り決して難解なテクノロジー本という感じは受けませんでした。落合陽一・清水高志・上妻世海さんの「脱近代宣言」と一緒に読むと読書体験が前進しました。

  •  下巻読了。
     前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。

     前半の「人間至上主義革命」の章はやや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?

     だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。

     第3部の内容は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……というもの。
     つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的な内容のものに近い。

     とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。

     たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。

     また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。

    《データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている》(216~217ページ)

     このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。

     私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(226ページ)。
     が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
     したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」という立場)から見れば、大いに眉唾だろう。

     私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。

     ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。

  • 大著「サピエンス全史」で、認知革命・農業革命・科学革命という3つの革命から、人類の歴史を斬新な観点からアップデートしたユヴァル・ノア・ハラリの新著。本書では、主にAIとバイオサイエンスを中心とした新たなテクノロジーがどのように人間を変えていくのかという予言的な洞察が語られる。

    前作の「サピエンス全史」と比較すると、本書は確実に異論を巻き起こすことは間違いないように思われる。というのも、本書で描かれるテクノロジー、特にAI技術に関する記述はいわゆる「シンギュラリティ論者」が語るような、万能の存在として描かれている節があるからである。ここ数年、「シンギュラリティ論者」に対するAI研究者の側からの反駁として、AIは決して万能な存在ではなく、人間の生存を脅かす存在にまでなるというのは妄想に過ぎない、という意見が提起されている。そうした議論を踏まえてみると、著者のAIに関する理解というのが本当に正当なものなのか、という疑義を呈さずにはいられない。

    ただし、そうした点を除けば、生物学・遺伝子学・科学哲学・脳科学・経済学等の様々な学問領域をすべて歴史という軸で徹底的に見つめ直し、そこからテクノロジーが発展したときの社会の姿を予測する、という著者のアプローチは極めて真摯な歴史学者のそれであり、我々が次の社会を考える上での重要な補助線になるのは間違いがない。

    余談だが、この手の本にしてはユヴァル・ノア・ハラリの本はリーダビリティが高く、読みやすいと思う。面白い本だし、あっという間に読んでしまった。

  • 上巻から更に深淵へと掘り下げていくため、特に第3部は何度かページを戻しながら読み進めた。

    人類がゼロサムゲームを脱するためにとった
    「人間至上主義」という態度。
    テクノロジーの発展は人間至上主義をより高次へと導きつつ、その特性ゆえ人間至上という大義を揺るがしかねないという仮説。
    そして近年、世界を支配しつつあるデータ至上主義。

    この下巻では、未来に対する明確な答えは提示せず
    読者が考えるためのきっかけや
    そもそも未来を考えるのに必要な態度、考え方を提示する。

    そのため、最終章のおわりで「結局、どうなるの?」という疑問が首をもたげたが、
    そこは自分たちで考えるべきなのだろうと腹落ちした。

    人文科学、歴史、コンピュータサイエンス。あらゆる領域から多面的に未来を占う本作はサピエンス全史とあわせ本棚に常備し、度々読み返したい作品だ。

  • ハラリのホモデウスでの主題はざっくりいうと人間至上主義からデータ至上主義へとパラダイムシフトが起こるというものだ。この地球上の支配者が「神」→「人」→「データ」へと移行していく姿を如実にかつ論理的に描き出しており、読んでいて知的好奇心がくすぐられる。ぜひこの秋に読んでもらいたい一冊だ。

  • 下巻。上は人類の歴史に対して、下巻は人類とは何か?をベースに、そして人類はどこに向かうのか、という話。
    推察のベースになっているのが、人には固定の自我はなく、全て生化学的なアルゴリズムによって生み出されたものだということ。
    例えば、脳に電極を仕掛けられたマウスは、科学者がスイッチを押すと快感に導かれ右に曲がったりはしごを登ったりする。しかしこのマウスはこう言うだろう。「もちろん私には自由意志がある。ほら私は右に曲がりたいから曲がりはしごに登りたいから登る。これこそ私に自由意志がある証拠だ」と。つまり人間も自分の意思で全て決めていると思っているだけで、単にアルゴリズムやプログラムによって「反応」しているだけだという話。興味深い。
    人が行動を起こす際、自分自身がそれを認識する数秒前には、生体反応の観測でそれを知ることができるらしい。「自分自身」が思う前に知るって。自分が思う前に決まっているなら、それは何にしたがっているのか、って話。だから我々が普段思っている「自分の意思」は後発だって。
    まあそんなこんなで、じゃあやっぱり我々はアルゴリズムに従っているだけだとしたら、無機質なアルゴリズムであるAIが本当に高度化した場合、我々とAIは何も変わらない存在になるのではないかって。
    とかとか面白い考察が本当にたくさん述べられてて、全部飽きずに読めました。
    自分たちがなんなのか、どうなるのか、興味ある人はぜひ

  • みんなでお金持ちになって、長生きして、
    みんなで「ホモ・デウス」を目指すのか。
     それはそれで、いいのかな?

     ただ、それで最終的に目指すものが、「アルゴリズム=一種の数字」になってはいけない。
     それだと、最終的に、「ホモ・デウス」は、「AI」に支配されてしまうからです。

     要するに「ホモ・デウス」化する人類が目指すべきものは、
    「アルゴリズム」ではない。

    「愛」と「自然」
    でなければならないのです。
     (クサイ言葉なんですが!!!!)

     それがなければ、人類は機械に家畜のように支配され、いずれ滅びるであろう。

     ということを預言書のようにずーーーっと語ってくれる、読み応えのある本です。

     読まなくても、この「ホモ・デウス」という概念だけでも知っておくといいかと思います。

     世の中の富裕層、エリート中心に、
    「ホモ・デウス」化しようとしているのです。
    とても無意識に。
     その流れは止められず、ただ、方向だけをきちんと定めていくしかない。

    しつこいけど、
    「愛」と「自然」なんですよね〜〜〜

  • 大きなパラダイムシフト。地動説、神は18世紀に主役から退いた。ホモ・サピエンスも退くかも。
    人間至上主義の分派「自由主義」「社会主義」「進化論的人間至上主義(優れたものという自然選択)」。
    自由主義はテクノロジーとの相性がいい。マルクスレーニンも良かったがついていけなくなった。
    これからのバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムは人間至上主義と折り合うか、人間に自由が存在するか。自由意志の存在に疑問。
    「人間の価値がなくなる」意識を持たない非有機的アルゴリズムが有機的アルゴリズムを超えれば。経済的、軍事的には意識はオプションでいい。
    「集団としてに人間がアルゴリズムに支配される」生産活動は個人だが重要な意思決定はシステムが行う。内なる声以上のアルゴリズム。バイアスがない。自由主義の崩壊、本人よりもシステムの方が自分について詳しい。
    「新しい超人の誕生」少数の特権エリートとコンピューターアルゴリズムによる支配。劣化カースト。
    ポスト人間至上主義、テクノ人間至上主義ホモデウス。アップグレードされた超人エリート層の誕生で自由主義崩壊。欲望の作り変えたり新たな欲望を作り出し人間の心をアップデート。内なる声が犯した過ち。
    データ教、ベートーベンの音楽と株価とウィルスを同じ基本概念とツールで分析できるデータフロー。一体化しデータフローに溶けてゆく。

  • サピエンス全史の続編。人類の歴史を踏まえた上で未来を論じる。

    かなり難しく理解が追い付かないところも多いが、わかった個所は面白い。

    生き物はアルゴリズムで、テクノロジーが進化すれば無機物のアルゴリズムが上回る。人間はネットのアルゴリズムに判断を委ねた方が的確となる。一部のアップグレートされた超エリートだけがネットを支配する、という感じでしょうか。


    以下は読書メモ:

    序章
    人類は昔からの三つの問題: 飢饉、疾病、戦争を克服した。
    次は人間を神にアップグレートすることを目指す。=ホモ・デウス
    21世紀は不死を目指す。
    21世紀の第2の主要目標は幸福の追求。
    人間を神へとアップグレートするときにとりうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学。
    第3の大プロジェクトは神の力の獲得で第1と第2のプロジェクトを含む。全能の神ではなく古代ギリシャの神々のようなもの。
    = 不死と至福と神性
    芝生は権威の象徴
    人間至上主義(ヒューマニズム)

    1部
    狩猟採集時代にホモ・サピエンスは動物と同列だった。
    農業革命は有神論の宗教を生み出し、科学革命は人間至上主義を生み出す。
    人間は動物に対し優越した存在になった。

    2部
    書字
    動物は二重の現実で暮らす(自分の外の客観、自分の中の主観)。サピエンスは、三重の現実(それに加えて虚構)。
    虚構のために自分の人生を犠牲にしていないか。
    宗教とは社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段
    宗教と科学の隔たりは小さく、宗教と霊性の隔たりは大きい。
    宗教の物語は、倫理的判断、事実に関する言明、実際的な指針の3つから成る。科学は倫理的判断は論じられないが、事実には反論できる。
    現代の取り決め: 人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する。
    経済の成長
    中世ヨーロッパ: 知識=聖書x論理
    科学革命: 知識=観察に基づくデータx数字
    人間至上主義: 知識=経験x感性
    自由主義的な人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、進化論的な人間至上主義
    宗教とテクノロジーは微妙なタンゴを踊る。

    3部
    自由意志は存在しない。私は自分の欲望を選ぶことはない。欲望を感じそれにしたがって行動するにすぎない。
    ピークエンドの法則
    唯一の自己があるわけではない。経験する自己、物語る自己
    自由主義に対する3つの脅威 ①人間が価値を失う、②外部のアルゴリズムに管理される、③アップグレードされた人間の少数の特権エリート階級
    テクノ人間至上主義
    データ至上主義(データ教)
    世の中の動き:
    1.科学は、生き物はアルゴリズムであり生命はデータ処理である、という教義に収斂しつつある。
    2.知能は意識から分離しつつある。
    3.意識を持たないが高度な知能を備えたアルゴリズムが自分より自分のことを知るようになるかもしれない。
    問い:
    1.生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? 生命はデータ処理にすぎないのか?
    2.知能と意識のどちらのほうが価値があるか?
    3.意識を持たない高度な知能を備えたアルゴリズムが、自分自身より我々のことをよく知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるか?

  • 文句なしの読み応え!
    筆者は断言はしていないものの、今までの人類の歴史を鑑みても、データ至上主義の世界になることは必然かもしれない。歴史の大きな流れを自分で変えることはできないが、大多数の「無能な」大衆に自分もなりつつあるなか、今この時をどう生きるかを考えさせられた。

  • 人間至上主義の教義の元、発展を遂げてきたサピエンス。それは新しい教義によって転換点を迎えようとしています。データとアルゴリズムによって解析された対象には人間も入っています。人間は全てを暴かれた(と思われている)中で、どうするべきなのか。本書下巻では、その暴かれたことについて書かれています。その現実をしっかりと知った上で、最後に著者が書かれている希望に立ち向かっていく必要がある。まず知識を得るところから始まるだと感じました。
    人類の未来については、最近多くの本が出ています。主として、長寿になるところから、その生をどのように消化するのかという話だったと思います。本書はその視点を大きく引き伸ばして、もっと大きな問題に当ててくれる内容だと思います。人類個々が立ち向かわないといけないものは、もっと大きなものだと教えてくれました。

  • できることなら長期休暇の際に読みたい。
    それくらい、凝り固まった考えを打ち砕くような衝撃、そして一度全てを液化して、再度思考形成しなければならないような気になる本だった。

    現代の人間至上主義は、人類にとっての最終到達地点ではなく、現時点における最適解。
    かつての宗教では補いきれない出来事が、たくさん起きている。だから人が生きる意味は神の中にあるのではなく、自分自身の中にあるという考え。

    しかし、今後さらに情報技術やAIが発達していくと、自分のことを自分よりも詳しいAIが登場するかもしれない。
    すると人間はAIによってコントロールされる存在になるかもしれない。

    虚構による物語によって、実際に会っていない人間同士が、場所や時間を超えて協力し合ってきたからこそ、人間は他の動物とは一線を画す存続となってきた。
    しかし、その虚構への依存度が高まると、データが全てを司る、つまりデータ教の信者になってしまう。

    アップデートした人間はどこに向かいつつあるのか。
    どこに向かえば良いのか。
    非常に多くのことを考えさせられる作品だ。

    この本の優れた点は、作者の主張を展開するための論理展開ではないということ。あらゆる角度から客観的に評価しようと試みる姿勢に、作者の懐の深さを感じた。

  • 「サピエンス全史」が人類の過去なら、「ホモ・デウス」は未来。
    人類至上主義からデータ至上主義になったら、幸せはどう定義されるのだろう。どう定義するべきなのか。
    相変わらず読み応えのある本。以下は備忘録で、気になったとこ。
    ・エピクロスによれば、神々の崇拝は時間の無駄であり、死後は存在せず、幸福こそが人生の唯一の目的である。
    ・快感は刹那的であり、それを渇望する限り満足することはないという点で仏教の幸福観と生化学的な見方は共通する。生化学的な解決策は快感を絶えず共有すること、仏教の解決策はそもそも快感を望まないこと。
    ・芝生は富裕の象徴。貧民はメンテナンスできない。
    ・社会を形成する上で、虚構(物語)は欠かせない。ただ、物語は道具に過ぎず、目標や基準にしてはいけない。私達は物語が虚構であることを忘れたら現実を見失ってしまう。すると、「企業に収益をもたらすため」「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。
    ・人間至上主義の世の中では「自分がどう考えるか」が重要となる。
    ・人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識をめいっぱい深めること。
    ・自由意志は存在するのか。意志とは突き詰めれば脳髄の電気信号であり、ラボでラットに電気信号を与えて持たせたものは意志なのか。

  • 上巻で言及された人間至上主義から自由主義への変遷とそこからテクノロジーの進化を背景とした未来予想。
    AI等のテクノロジーに使われる人間と使う人間によって社会構造が変わる。ただ変化の仕方はこれからの人間次第。

  • 前著、ホモ・サピエンス全史もそうだったけど、上巻は新しい視点、事実がズラッと並べられて、心地良い歯切れの良さにふむふむと感心してしまうわけだけど、下巻になると上巻を受けて、だから未来はこうなっちゃうかもよ、って延々と同じような話が続くのが辛い。著者も書いてあるが、書かれているのはあくまでひとつの可能性であり、事実に基づいているので、真実味もあるのだけど、やはり仮定を前提の話が延々と続くのは、読み物としては辛いものだ。
    ただ、うっすら感じている不気味さを明確にしてくれる点や、自分の子供が大人になる頃にはどうなっちゃうのかなとか、子供を導くための視点の強化になればいいなと思って、読んでた感じ。どうなるのかね、未来。

  • 6章

    ぼくらは資本主義の手のひらで遊ばれているだけなのかもしれない。経済弱者が救われる手段は経済的成長、富裕層の欲望はとどまることを知らないために経済的成長が加速する。
    この2つの理由から成長が神格化され、もはや宗教と化している。経済成長が絶対的なものと確信されているため、成長による資源の枯渇や生態系の破壊ら科学の進歩によって抑えられると盲信されている。しかしそれはあまりに危険な思い込みだ。
    もちろん成長がもたらした功績は大きい。戦争、飢饉、疫病を克服するなど近代以前にはあり得なかった。しかしこのまま成長を続けていいものだろうか。成長の信者でいていいものだろうか。
    最近耳に聞くミニマリストの生き方は、1つの答えを示しているのかもしれない。

    7章

    人間至上主義が相対的なものだとしたら、と考えるとゾッとする。前近代の信仰対象であった神や自然が、人間至上主義という宗教に入れ替わっただけだとしたら。
    たしかに、個人の意見が過剰に尊重されている気はする。その人がそう思っているのならそれでいいじゃないかという風潮が蔓延している。しかしこのことによって、主張することに恐れを抱くようになってしまってはいないだろうか。つまり、他人の感想を重視するあまり、自分の意見によって他人の価値観を変えることを恐れている。
    だが、何かを主張するということは他人に影響を与えるということだ。他人の価値観を揺さぶりたくない、敵を作りたくないなんてモチベーションでアウトプットを行なっても、誰にも届かないではないか。
    逆に、影響力の強い意見に対する当たりが強くなっているのが現代である。自らの価値観を絶対視するあまり、それに違うものへの攻撃が盛んに行われている。無思考に批判するだけの人もいれば、それをうまく利用するインフルエンサーも現れてきた。

    8章

    自由意志が無いとしたらぼくがホモデウスを欲しいと思った理由はどこからやってきたのか。権威?ベストセラーだという社会的証明?自分が歴史学科だから?だったらなんで歴史を学びたいと思った?欲求に従うことを自由意志と言うが、欲求を選ぶことはできないとは恐ろしい発想だ。
    そもそもぼくらが自由意志と呼んでいるものは、ダニエルカーネマンの言う「記憶する自己」である。人は過去について語るとき、象徴的な瞬間と最後の瞬間の記憶しか持ち合わせていない。一瞬一瞬の経験は無かったことになるのだ。そうであるならば、揺るぎない一つの「私」というものは存在するだろうか?
    ちなみにちょうど同時進行で「ファストアンドスロー 」を読んでいてこの話が出てきた時は感動した。壮大な伏線が回収されるのを目の当たりにした気分だ。

  • ・現代の世界は、成長を至高の価値として掲げている。
    ・たとえ現状で十分満足しているときでさえ、更に上を目指して奮闘するべきなのだ。
    ・歴史を通して、求人市場は3つの部門に分かれていた。農業、工業、サービス業だ。
    ・人間が専門化し、得意な分野が非常に限られているので、AIに置き換えやすいのだ。
    ・人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け、繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。
    ・人間の心や経験に関する科学研究の大半は、WEIRD社会の人々を対象に行われてきており、彼らは決して人類を代表するサンプルではない。
    ・データ至上主義という新宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。
    ・人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。

  • 十分に発達した科学技術がホモサピエンスをネアンデルタール人の地位に追いやり、一握りの富裕層・エリート層から新たなホモ・デウスが誕生する。人間=プロセッサ論はダグラス・アダムスのようでもあり。データ至上主義への移行は従来のプライバシーや著作権の枠組みを無にし、感情や経験という人間的価値を否定するが、そのために必要な暫定的社会システムはどのようなものか。生物の進化の果てがデータ化であるならば、それが、異星人が見つからない理由なのか。

  • 期待以上にエキサイティングで面白い本だった。超マクロ視点での世界への見立てと、超大胆な空想力。一瞬えっ?となっても、確かにそうかもと思わせることばかりで、明らかに無用者階級のわたしはただただ興味深く読んだ。いぬのみみ多数。

    1生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
    2知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
    3意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになった時、社会や政治や日常生活はどうなるのか?(巻末より)

    同じうねりが人間の各組織単位でも起きている。まさに広告会社も。どうなるのか?


    P26 「平和」という言葉は新たな意味を持つにいたった。これまでの世代は戦争が一時的に行われていない状態を平和と考えていた。だが今日、わたしたちは、戦争が起こりそうもない状態を平和と呼んでいる。

    P28 今やもう私たちは、落とされることのない爆弾や発射されることのないミサイルに満ち溢れた世界で暮らすことに慣れきっており、ジャングルの法則とチェーホフの法則の両方をやぶる達人となった。仮にこれらの法則が私たちに再び災禍をもたらすことがあったなら、それは私たち自身の落ち度であり避けようのない運命のせいではない。それではテロはどうだろう?【中略】とはいえ、テロは真の力にアクセスできない人々が採用した、弱さに端を発する戦略だ。

    P31 二十世紀に成し遂げたことを思うと、もし人々が飢饉と疫病と戦争に苦しみ続けるとしたら、それを自然や神のせいにすることはできない。わたしたちの力をもってすれば、状況を改善し、苦しみの発生をさらに減らすことは十分可能なのだ。

    P32 (人類は)飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。人々を絶望的な苦境から救い出せたので、今度ははっきり幸せにすることを目標とするだろう。そして今度は人間を神にアップグレードしホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう。

    P40 飢饉や疾病や戦争を免れた人は優に七〇代八〇代まで生きられた。それがホモ・サピエンスの自然寿命だからだ。【中略】 実のところ、現代の医学はこれまでわたしたちの自然な寿命を一年たりとも延ばしてはいない。医学の最大の功績は、わたしたちが早死にするのを防ぎ、寿命を目いっぱい享受できるようにしてくれたことだ。

    P46 当初国家権力を制限するために構想された幸福追求に対する権利は、いつの間にか、幸福に対する権利に変わってしまった。まるで人間には幸せになる自然権があり、わたしたちに不満を抱かせるものは何であれ、わたしたちの基本的人権を侵害するから、国家が何らかの措置を講じるべきであるかのように。

    P47 どうやらエピクロスは、大切なことに気づいていたらしい。人は簡単には幸せになれないのだ。

    P107 すべての哺乳動物は、情動的な能力と欲求を進化させた。【中略】実は情動は、生化学的なアルゴリズムで、すべての哺乳動物の生存と繁殖に不可欠だ。

    P133 (一体不可分のもので構成要素を全く持たないものは自然選択で進化することは決してありえない)だから進化論は魂という考えを受入れられない。

    P146 わたしたちの行動と決定はすべて自分の魂から生じると、人々は何千年にもわたって信じてきた。ところがそれを支持する証拠がなく、はるかに詳細な代替の説が出てきたため、生命科学は魂を見捨てた。【中略】心も科学のゴミ箱に放り込まれた魂や神やエーテルの仲間入りをするべきかもしれないのではないか?

    P147 最後に、次のような立場をとる科学者もいる。意識は特定の脳の作用の、生物学的に無用な副産物だ。【中略】意識は複雑な神経ネットワークの発火によって生み出される一種の心的汚染物質だ。意識は何もしない。ただそこにあるだけであるというのだ。2016年の時点で現代科学が提供できる意識の仮説のうち、これが最高のものであるとは、なんと驚くべきことだろう。

    P152 チューリングは、人が本当はどういう人間なのかは関係ないことを自分自身の経験(同性愛者であることを欺き通す)から知っていた。肝心なのは他者にどう思われているかだけなのだった。

    P210 厳密な成績を日常的につけ始めたのは、産業化時代の大衆教育制度だった。【中略】もともと学校は、生徒を啓もうし教育することが主眼のはずで、成績はそれがどれだけうまくいっているかを測る手段に過ぎなかった。だがほどなく、学校はごく自然に、よい成績を達成することに的を絞り始めた。

    P211 ファラオの支配するエジプトや、ヨーロッパの諸帝国、現代の学校制度のような、本当に強力な人間の組織は、物事を必ずしも的確に見られるわけではない。それらの権力の大半は、虚構の信念を従順な現実に押し付ける能力にかかっている。貨幣というものがその好例だ。

    P219 物語は道具にすぎない。だから、物語を目標や基準にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。すると、「企業に莫大な収益をもたらすため」「国益を守るため」に戦争を始めてしまう。【中略】私たちは21世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、わたしたちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、わたしたちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造したりすることもできるようになるだろう。したがって、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよむずかしくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。


    P7 現代というものは取り決めだ。【中略】現代とは驚くほど単純な取り決めなのだ。契約全体を一文にまとめることができる。すなわち、人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。
    P
    9 現代の取り決めは、人間に途方もない誘惑を、けた外れの脅威と抱き合わせで提供する。わたしたちは全能を目前にしていて、もう少しでそれに手が届くのだが、足元には完全なる無という深淵がぽっかり口をあけている。

    P14 人間は進化圧のせいで、この世界を不変のパイと見るのが習い性となった。【中略】したがってキリスト教やイスラム教のような伝統的な宗教は、既存のパイを再分配するか、あるいは天国というパイを約束するかし、現在の資源の助けを借りて人類の問題を解決しようとした。それに対して現代は、経済成長は可能であるばかりか絶対不可欠であるという固い信念に基づいている。【中略】このように経済成長は、現代のあらゆる宗教とイデオロギーと運動を結びつける極めて重要な接点となっている。【中略】実際、経済成長の新法を宗教と呼んでも間違っていないのかもしれない。なぜなら今や経済成長は、わたしたちの倫理的ジレンマのすべてとは言わないまでも多くを解決すると思われているからだ。

    P53 必要な感性なしでは、物事を経験することはできない。そして、経験を積んでいかない限り、感性をはぐくむことはできない。【中略】わたしたちは出来合いの良心をもって生まれては来ない。人生を送りながら、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、情け深い行動をとり、他者からの思いやりを受ける。注意を払えば、道徳的な感性が研ぎ澄まされ、こうした経験が価値ある倫理的知識の源泉となって、何がよく、何が正しく、自分が本当は何者かがわかってくる。

    P90 宗教とテクノロジーは常に何とも微妙なタンゴを踊っている。互いに押し合い、支えあい、離れすぎるわけにはいかない。テクノロジーは宗教に頼っている。どの発明にも応用の可能性がたくさんあるので、極めて重大な選択をして、求められている最終目的を指示してくれる預言者が、技術者には必要だからだ。

    P95 (進歩の列車に席を確保するためには)二一世紀のテクノロジー、それも特にバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの力を理解する必要がある。二一世紀の主要な製品は体と脳と心で、体と脳の設計の仕方を知っている人と知らない人の間の格差は大幅に広がる。【中略】進歩の列車に乗る人は神のような創造と破壊の力を獲得する一方、後に取り残される人は絶滅の憂き目にあいそうだ。

    P125 経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。物語る自己は、重要な原材料としてわたしたちの経験を使って物語を創造する。するとそうした物語が、経験する事故が実際に何を感じるかを決める。わたしたちは、ラマダーンに断食するときと、健康診断のために食事を抜くときと、お金がなくて食べられないときとでは、空腹の経験の仕方が違う。

    P137 過去半世紀の間に、コンピューターの知能は途方もない進歩を遂げたが、コンピューターの意識に関しては一歩も前進していない。【中略】とはいえ私たちは重大な変革の瀬戸際に立っている。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

    P185 医学は途方もない概念的大変革を経験している。二〇世紀の医学は、病人を治すことをめざしていた。だが21世紀の医学は、健康な人をアップグレードすることに、次第に狙いを定めつつある。病人を治すのは平等主義の事業だった。それに対して健康な人をアップグレードするのはエリート主義の事業だ。

    P186 大衆の時代は終わりをつげ、それとともに大衆医療の時代も幕を閉じるかもしれない。人間の兵士と労働者がアルゴリズムに道を譲る中、少なくとも一部のエリート層は次のように結論する可能性がある。無用な貧しい人々の健康水準を向上させること、あるいは、標準的な健康水準を維持することさえ意味がない。一握りの超人たちを通常の水準を超えるところまでアップグレードすることに専心するほうがはるかに賢明だ、と。

    P201 現代の人間は、FOMO(見逃したり取り残されたりすることへの恐れ)に取りつかれており、かつてないほど多くの選択肢があるというのに、何を選んでもそれに本当に注意を向ける能力を失ってしまった。わたしたちはにおいをかぐ能力や注意を払う能力に加えて、夢を見る能力も失ってきている。

    P216 政治学者たちも、人間の政治制度を次第にデータ処理システムとして解釈するようになってきている。資本主義や共産主義と同じで、民主主義と独裁制も本質的には、競合する情報収集、分析メカニズムだ。独裁制は集中処理の方法を使い、一方、民主主義は分散処理を好む。
    【中略】21世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。データの量と速度が増すとともに選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。【中略】いまやテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも早く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。【中略】テクノロジーは急速に進歩しており、議会も独裁者も到底処理が追いつかないデータに圧倒されている。まさにそのために、今日の政治家は一世紀前の先人よりもはるかに小さなスケールで物事を考えている。結果として、二十一世紀初頭の政治は壮大なビジョンを失っている。政府は単なる管理者になった。国を管理はするがもう導きはしない。
    これは見様によってはとても良いことだ。神のようなテクノロジーと誇大妄想的な政治という取り合わせは災難の処方箋となる。【中略】とはいえ、紙のようなテクノロジーを近視眼的な政治と組み合わせることには悪い面もある。ビジョンの欠如がいつも恵みであるわけではなく、またあらゆるビジョンが必ずしも悪いわけではない。【中略】わたしたちの未来を市場の力に任せるのは危険だ。

    P225 資本主義同様、データ至上主義も中立的な科学理論として始まったが、今では物事の正邪を決めると公言する宗教へと変わりつつある。この新宗教が信奉する思考の価値は「情報の流れ」だ。

    P227 わたしたちは、情報の自由と、昔ながらの自由主義の理想である表現の自由を混同してはならない。表現の自由は人間に与えられ、人間が好きなことを考えて言葉にする権利を保護した。之には口を閉ざして自分の考えを人に言わない権利も含まれていた。それに対して、情報の自由は人間に与えられるのではない。情報に与えられるのだ。

    P242 データ至上主義の教義を批判的に考察することは、二十一世紀最大の科学的課題であるだけでなく、最も火急の政治的・経済的プロジェクトにもなりそうだ。声明をデータ処理と意思決定として理解してしまうと、何か見落とすことになるのではないか、と生命科学者や社会科学者は自問するべきだ。

    P243 データ至上主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある。

  • データが経験の価値を凌駕することは間違いない気がする。SNSで写真をアップすることを優先する人たちを見れば、その未来はかなり近いのかもしれない。人間至上主義は、データ至上主義に打ち勝つことができるか。

  • サピエンス全史からの焼き直しが多いが、今度は人類の未来への思考をメインにしている。
    全体的に、神→人類→? の流れで世界に意味を与える存在について検証している。
    以下、印象に残ったポイント。
    ・人間に行動規範を与える人間にはコントロール不可能な原則に基づく価値体系を宗教とするなら、共産主義も資本主義も民主主義も人間至上主義も全て宗教と言える。
    ・人間至上主義もまた、歴史上いくつも現れた価値体系のうちの一つに過ぎず、絶対の真理ではない。
    ・人間や動物の意識というものの正体は生物学的に明らかにされていない。脳を開いても、自己も魂も意識も見つからなかった。人間至上主義は自己の存在を前提とするため、その根拠が揺らいでいるが、未だこれに代わる体系が現れていない状況にある。
    ・家畜の惨状について改めて説明。通常は自然選択により環境に適合できずに個体として苦しむことになるような形質の遺伝子は生き残れないため、種として何代にもわたって苦しみ続けるということはないはずだが、家畜は、産まれてすぐに母親と引き離されて、太るためだけにえさを食べ、身動きできない狭いゲージの中で横になることもできないまま過ごし、数ヶ月から数年で肉として殺される生活をしており、個体としての苦しみは間違いないが、しかし、人工的に子を産まされることにより、自然選択による苦しむ個体の淘汰が生じないため、次の世代もその次の世代も苦しみ続けることとなる。
    ・テクノロジーの進歩により、サピエンスはコンピュータに支配又は淘汰される種になるか、サピエンスの一部の特権階級がテクノロジーとの融合によって超サピエンスとなって支配階級となり、大多数の無用者階級となった旧来のサピエンスとの階級社会が到来するかといった未来予測。
    ・データ至上主義なるものも紹介されていた。人間の活動は全て人間の満足ではなく、データの充実のために行われるとの思想。これよれば、データ化されない個人の経験は無価値になる。既に、あらゆる主観的経験をSNS等でシェアしないと価値がなくなると考える人が増えてきている。
    ・右脳と左脳は、健常者なら太い神経で繋がることで、一つの人格を形作っているが、てんかん患者で治療のために脳を切り離すケースがあり、彼らに実験したところ、右と左は独立した別々の意識を持っているらしいことが判明しているとのこと。
    ・脳を外部から刺激して、精神状態をコントロールする技術は既に実用化に近づいている。ラットの脳に電極を埋め込んだロボラットは、人間のコントロールによってはしごを上ったりといった行動をするが、ラット自信は自発的に行動したと思ってる。
    ・いずれテクノロジーによって、欲望自体をコントロールできる時代がくる。例えば、勉強したくなるように自在に自分の精神状態をコントロールできるようになる。そうなると、人間至上主義が拠り所としてきた、絶対的な存在であったはずの自己の欲望がコントロール可能な対象になり、価値判断の拠り所を失ってしまう。このときに、とって代わるのが、データではないかとのこと。あらゆるデータが自分よりも自分を喜ばせる術を知っている状況になれば、データ価値判断の拠り所になり、データが神になる。

  • 来年(2020)にもう一度読んでみる。

  • 生命は外部の刺激に応じて反応するアルゴリズムでしかないと見なすこともできる、人間も例外ではない

    人間至上主義は個人の意思(つまり個人のアルゴリズム)を何より尊重していたが、今後は人間よりもAIのアルゴリズムに従うのが合理的になってくる

    これからは個人の意思よりも、大量のデータによって作られた効率の良いアルゴリズムに従う時代になるかもしれない

  • ★★★☆☆

  • 上よりも下の方が面白いと思いましたが、上があってこその下かと。

    人間至上主義も、データ至上主義も、面白い捉え方だと思います。
    そもそも科学は、人間の情緒的な部分、それがたとえ良いものであっても、無味乾燥と言うか、台無しにしてしまう部分があると思っているのですが、データ至上主義は、その最たるもののように思えました。
    こういう極端な思考が、思考の可動域を広げてくれ、新たな可能性の発見につなげてくれるのだと思います。
    そういう意味でも面白い本でした。

    そして、何だかんだ言っても、人間には、物語というか物語性が重要だと思いました。
    その点、これからの人生に役立てたいと思います。

  • 人間至上主義からデータ至上主義へ。

    AIの未来については,「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」では,コンピューターは計算機にすぎず,シンギュラリティはこないとの見解であったので,それと比較しながら,読んでいました。

    ただ,生命がアルゴリズムなら,計算式で表すことができ,シンギュラリティがくる可能性も否定できません。
    それどころか,著者は,そもそも意識は必要ないとすら述べています。

    個人的には,日本において人口減少が避けられないなか,AIやロボットの活躍も期待しています。
    人類とAIが共生できる未来になるよう,意識を向けていく必要があると感じました。

    それと共に,人類も自らの欲望を満たすため,ただひたすら成長を志向するのではなく,まさに今,地球全体の共生を考えるときがきていると思いました。

  • 「サピエンス全史」に次ぐ著者の本。「サピエンス全史」のおさらい的なことから今後の未来を予想する内容。さらっとは読めるが、内容的にはかなり難解。完全に理解できる人がどれくらいいるのか疑問(私も理解できなかった。。。)。要約すると、進化論以来の生物学革命により神聖であった生物というものが単なるアルゴリズムによりデータ処理をしているだけの存在であることが判りコンピュータと変わらないという見地に至った。一方、人間はフランス革命以降の人間至上主義により人間が世界の頂点に君臨し、かつ人間個々は失うべからざる神聖を備えた存在として解釈されるに至った。この神聖化された人類は、科学技術の進化により寿命を延ばし、知力・体力を増強するというアップグレードが可能なところまで来ている。そのような時にインターネット革命が起こり、個人の情報は全てGAFAのような企業に蓄積されはじめ、このままいけば自身よりも自分のことを知っているコンピュータネットワークが出来上がるのも必然的であり、そのようなネットワークは人間の知能では処理しきれない多くのデータを瞬時に処理することにより、結局は人間よりも高度な生命体となり得る。一部の人間のみが自身をアップグレードすることにより同様に高度な生命体になる可能性もあるが、最終的にはコンピュータに勝つことはできず、人類が他生物を支配したようにコンピュータが人類を支配するというマトリックスのような世界が訪れるのではないかという話。ダン・ブラウンの「オリジン」のような結論だが、ハラリの人類史からの普遍的な洞察に支えられているので非常に説得力がある。しかしながら、単なるアルゴリズムが生命体に至るなどということは本当にあるのだろうか?少なくともコンピュータはいくら進化しても哲学のようなデータを効率的に処理するのには何も寄与しないような無駄なことはしないような気がするので、それをアルゴリズムの成せる業と考えるのは無理があるような気がするが、それも人間至上主義に染まった人間の傲慢なのかも知れない。

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著者プロフィール

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。専門は世界史とマクロ・ヒストリー。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、エルサレムのヘブライ大学歴史学部で終身雇用教授として歴史学を教える。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。
著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。2015年にヘブライ語で"Homo Deus: A Brief History of Tomorrow"を出版。その翻訳書『ホモ・デウス』が2018年9月に刊行される。

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