- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309228075
感想・レビュー・書評
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そもそもこの本の主張となる懐古主義的「原始生活が幸せ」論には、感覚的に賛同できない。確かに、ハーバードMBAとメキシコ人漁師の話のように、本当の幸せは、欲張らずにのんびり暮らす事だという感覚は大賛成だ。しかし、餓死や疫病、暴力から、文明は少しずつ良くなっていると信じたいし、というか、文明化しなければ支配されるという構造的な必要性から、そもそも選択肢がなかったような気もする。
しかし、そうした競争がないなら、本質的にこの本の主張は正しい(気がする)。特に以下の話は気になる部分。コロンブスの話は、まさに、文明の先行者が支配するという凄惨な具体例だ。その後の資源についてもそう。脱文明化は、支配される。
ー コロンブスの日記の最初の二週間で、「黄金」という言葉が七五回出てくる。黄金に執着した著名な探検家は、地獄のような決まり事を強行した。黄金採掘のノルマを達成しなかった先住民は、両手足を切断されたのである。島々にあまり黄金が埋蔵されていないことはヨーロッパ人にとって問題ではなかった。
この点を除けばコロンブスを賞賛する伝記作者サミュエル・エリオット・モリソンも認めるように、狂気じみたヨーロッパ人から逃れるすべはなかった。「山中に逃げ込んだ者は猟犬によって探しだされ、これを逃れたものにも空腹と病気が待っていた。絶望の末、何千人もがキャッサバの毒でみずから命を絶った」。モリソンは一四九四年から一四九六年のわずか二年のあいだに、三〇万人いたタイノ人のうち三分の一が死んだと推測している。一五〇八年には、生きていたのはたったの六万人だった。全体としてわずか数十年で、「世界一善良な人びと」のうち残っているのはほんの数百人になった。
ー 地球の反対側では、一九九九年、レーガン政権やブッシュ政権とトップレベルでつながりのあったベクテル社(アメリカの機密扱いの国防工事請負人)の子会社が、ボリビアのコチャバンバ市の水道事業を政府から買い上げた。同社の社員が、すぐさま井戸 ー多くは村のコミュニティが掘って管理していた ーに水道メーターを取りつけた。市民の水道代は平均で五〇%上がったが、井戸の多くが彼ら自身で掘ったものだった。市民は新しい水道メーターの設置費用の支払いを請求され、今後は雨水をためる行為が違法になると警告された。所有権を示す書類を提示できないことから、何世紀も暮らしてきた土地を追われた採食者、羊の世話をして生きる十八世紀スコットランドのハイランド地方の人びと、初の就職先に勤務する前に何万ドルもの債務を背負う現代の大学卒業生。こうした市場経済にかかわらない選択肢は一貫して排除されてきた。
本書の白眉(私にとって)は、以下のマルサスとホッブズの理論解釈。新たな視点だった。植民地を正当化する理論ならば、歓迎される。現代の我々の感覚からは、道理で違和感ある論説だと思い、納得感のある解釈である。
ー 人口はつねに資源よりはるかに速く増えるので、欠乏と飢えは不可避だというのがマルサスの主張だった。すべての人に行き渡るほどの富はないし、これまでもありはしなかったのだ。反証不能に思える計算は、マルサス流の厳然としたドグマとなった。慢性的な人口過多、したがって破壊的な貧困は未来も絶えることはなく、人類が避けて通ることのできない運命なのだ。マルサスは述べる。「社会の底辺にはびこる貧因と惨めさは決して防ぎようがない」
ひどい話に聞こえるかもしれないが、彼の説は上流階級の多くに歓迎された。マルサスの主張によれば、当時広まっていた深刻な貧困は上流階級の責任ではないし、その問題の解決のために彼らが何もしないことを強力に正当化してくれたからだった。「決して防ぎようのない」問題なのだから、お茶とホットケーキでも食べて貧民の苦しみを忘れるがいい。貧しい者はいつの時代でもいるのだ。それに、彼らの悲惨な状態が自然の一部で永遠にあるものだと人びとに納得させられれば、反乱の芽をつむこともできる。人間の自然な状態を変えようとするのは、闇の中を行進するくらい無意味なことなのだ。
ー ホッブズの見解も間違いであることが今ではわかっているが、事実ではなくても有用であった。つまり、植民地化に対して正当化する論理として必要だったと言う事。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
しかし、読みにくい本やなぁ。いいこと書いてると思うけど、すーっと入ってけえへん。言い回し難しい
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農耕開始 栄養低下 脳縮小 長労働時間
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確かに文明がある種の不幸を人類にもたらした事は間違いないのだろう。
人は、他人との比較において幸不幸を感る事が多い。他人の情報を湯水のように受け取るからこそ、これでいいのか悩み、傷つく。
しかし、知りたいと言う欲求こそが人類であるとするならば、知らない事を是とすることも難しい。足るを知る、これが出来ればいいのだが。 -
●ウォール街が中流階級の残骸から最後の富をむしりとり、エネルギー企業が地球に穴を開けて秘密の毒で帯水層を汚染しても、政府はそ知らぬ顔だ。全人類が帯水層を必要とするのに、私たちはそれを守る術を知らない。うつ病が様々な障害の最大の原因であり、急増しているのも不思議は無い。
●用をたすときに便器に座るようなら、あなたは間違っている。他の霊長類と同じく、人体は排便時にはしゃがむようにデザインされているのだ。便器は進化が与えたデザインを台無しにするので、人は痔、便秘、その他種々の不快な症状に悩まされることになる。
●「余った食べ物を入れる最良の場所は友人の胃袋だ」彼の友人は食べ物が余れば自分に分けてくれると知っているのだ。
●つまるところ、私たちが種としての能力と生存と実現できるのはコミュニティーの中なのだ。一人一人をとってみればさして有能ではない。ところが、コミュニティーで作った武器を手に数人集まれば、マンモスでも倒すことができる。
●人類はずっとそうしてきたと言うのに、移動する能力「人類誕生時から存在した社会の柔軟性」が失われたのだ。
●お金は「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのだ。しかし私たちはお金が収穫逓減の例外だと信じる。だからいつ生産をやめればいいのか、いつこれまでの稼ぎを持って逃げ出すべきかを知ることがとても難しい。
●ドーキンスいわく、他者の苦しみに対する無関心は自然選択の必然的な帰結である。ダーウィンはこれに異を唱えるだろう。彼は思いやりと利他主義が、社会的な動物に明らかな進化上の利点を与えると考えていたから
●他者の苦しみを感じられない性質は、極端な富の格差によって生じる不快感を打ち消すための、心理的な順応であると考えて良い節がある。金持ちの方がずるいことをしがちであると言うことだ。
●現代人が長寿になったと言うより、死のプロセスを長引かせているだけだと言うのである。
●私たちは滅亡への道をひたすら突き進んでいるが、選ぶことのできる未来がある。その選択肢のうち、「受容の道」「過去に学ぶ道」この選択肢なら私たちは生き延びることができるだろう。
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これまた冒頭の文章が意味不明だ。5~6回も見直して入力する羽目となった。これほどおかしな文章が多いところを見ると、訳者というよりも河出書房新社の校正の問題と考えざるを得ない。まあ酷いものだ。よくも出版社を名乗れるものだな。名著だけに許し難いものがある。
https://sessendo.blogspot.com/2021/02/blog-post.html -
文明(農耕社会以降)より前の人類が如何に幸福であったかを説く書。なるほど、と思わせるところも多く、興味深く読了。但し、「ネオ・ホッブス主義者」に対する反発は、わからなくもないところもあるが、農耕文化導入以降の人類に関する進歩、と言う考え方は間違っていないと思う。逆に筆者の「ノスタルジー」が文明以降についてを指していると思われる記述もあり、批判する相手に対して論理整合性を求めている割に杜撰な印象もある。