NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク

  • 河出書房新社 (2025年3月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784309229430

作品紹介・あらすじ

『サピエンス全史』を超える衝撃――
知の巨人、6年ぶりの書き下ろし超大作
「ネクサス」(NEXUS)とは?
――「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意
石器時代からシリコン時代まで、
「組織」(ネットワーク)が力をもたらす
私たち「賢いヒト」(ホモ・サピエンス)は、10万年に及ぶ発明や発見や偉業を経て、途方もない力を身につけた。
それにもかかわらず、生態系の崩壊や世界戦争など、存亡にかかわる数々の危機に直面している。
 *
サピエンスが真に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのか?
その答えは、制御しきれないほどの力を生み出す、大規模な協力のネットワーク――「情報ネットワーク」――の歴史にある。
 *
印刷術やマスメディアは文明に何をもたらしたのか?
そして、まったく新しい情報テクノロジーであるAIは、何を変えるのか?――
石器時代からシリコン時代まで、『サピエンス全史』の著者が、人類の歴史をいま再び新たに語りなおす!
情報により発展を遂げた人類は、情報により没落する宿命なのか。本書のAI論は、混迷する世界で民主主義を守るための羅針盤になるだろう。
――斎藤幸平氏(経済思想家・『人新世の「資本論」』著者)
その深い洞察は、私たちが著書『PLURALITY』で提唱する多元的な共創の原理とも響き合い、進化するデジタル時代で人々を導く羅針盤となる。
――オードリー・タン氏(台湾・初代デジタル発展相)

感想・レビュー・書評

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  • 序盤はハラリの主張を再確認する内容で、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を読んでいない読者にも、ハラリの思考を理解しやすい構成になっている。定常運転のような出だしだ。だが、上巻の終盤に突如現れる「エイリアン・インテリジェンス」というパワーワード!ここで一気に空気が変わる。恐らく下巻にかけて、ハラリの論説は一段と加速していくに違いない。

    正直、上巻の大半は既知の言説の再構成に思えていた。人類史・宗教・情報社会論など、ハラリらしい俯瞰的な視座は健在だが、新鮮味は抑えられている。終盤で提示されるこの「予感」 ——

    それは恐らく助走としての発言
    ・AIは分析し、意思決定する知能を持つ
    ・AIは単なるツールではなく、行為主体である
    ・AIは新たな考えを生成しうる
    ・AIは生命進化の道筋そのものを変えかねない
    この四つの点から察するに、本書はAI脅威論への挑戦、あるいはその超克を目指す試みになるのだろう。

    ハラリは「イデオロギーの争いとは、異なる情報ネットワークの衝突である」と述べ、人間社会を“神話”と“官僚制”という二つの情報処理装置として捉える。神話が意味を与え、官僚制が秩序を維持する。しかし両者は常に緊張関係にあり、その摩擦に対して社会の修正メカニズムが必要だ。

    だが、その“隙間”にAI=エイリアンインテリジェンスが入り込む余地がある。何故なら、彼らは人間より小さな誤謬しか起こさず、より迅速に修正できるから。結果、より“神話に近く完璧な官僚制を担う存在”として人類の信頼を獲得しうる。神話が心を奪うように、AIが人間の信仰に介在していく。

    下巻は、この不吉な予感をさらに現実的な恐怖へと転化させるのか。それとも、希望の光を見せるのか。—— 下巻へ

  •  ハラリの著書は、後から発行されるものほど少しずつ難しくなっている。サピエンス全史は人類の全体的な進化の歴史のことだったのでわかりやすかったのだが、ホモデウスは人間が神になる可能性について記述している。過去の歴史に比べて未来のことはわからないので、どうしてもリアリティが欠けてしまう。どうせかけるなら最初から虚構な物語の方が面白いのだが、ハラリはあくまで科学者として記述するためとっつき辛くなる。
     この情報の「情報の人類史」は、今まで情報が人類を動かしてきた歴史を分析し、その情報処理能力はAIの方が人間よりもはるかに高い能力を持っている。そのことによってAIに支配される人類というリアルな未来を描こうとしている。そのために人類の歴史の中で情報は果たしてきた役割を論じている。オーディブルで聴いているため集中力が続かない。紙の本を買ってもう一度読まないと…

    • ぴりさん
      何だか難しい内容みたいですね。
      読んで理解出来るのかどうか、一度トライする必要がありますね。
      何だか難しい内容みたいですね。
      読んで理解出来るのかどうか、一度トライする必要がありますね。
      2025/06/04
    • 雷竜さん
      最初はサピエンス全史からの方がいいかもしれませんね。
      最初はサピエンス全史からの方がいいかもしれませんね。
      2025/06/04
  • 初めてのハラリ。
    読んでも難しい。情報のネットワークだからAIののこととか書いてると思いきや、歴史の話し。それも情報を切り口とした話し。基礎知識が豊富だともっと話しがわかるんだろうなと思う。
    それでも魔女狩りやユダヤのところなど、人類の負の歴史は残酷さに胸を痛めた。そういった犠牲のもとに今の権利や考え方がある。

    フォローさんの感想にオーディブルの方が増えてきて思い切って物は試しと契約するとNEXUSがあり、2.7倍速くらいで聴きながら読むとギリ、頭に入る。オーディブルないと寝落ちして読みきれないと思う。

    そうこうしていると下ももうすぐ読み終わる。やはり下の方が面白い。

    ここからは少し引用もある。
    情報はつながりを生む。
    従来の人間の発明はすべて、人間に力を与えた。決定権が人間にあったから。しかし、AIは意思決定できる。行為主体になる。
    10歳の魔女のヘンゼル・パッペンハイマーと11歳のクラークのアントニーナ・ゴロヴィーナは、官僚が押しつけた共同主観的なカテゴリーに放り込まれた。
    クラーマーの『魔女への鉄槌』

    自己修正メカニズムという言葉がとにかく出た。情報はやっぱり補助である。それが全てになっていては危険。

    AIをエイリアンインテリジェスと表現しているのは、非常に面白ろかった。

    あとは記録のところ。出生届は当たり前だけど始まった年がある。ユダヤの歴史。生きていたのに届の記録がないから犯罪者だと認定する歴史。記録があるない、生きてきた歴史。それも人類が勝ち取った歴史。

  • 【感想】
    ユヴァル・ノア・ハラリの新作『NEXUS』は、AIを含む「情報」と「情報ネットワーク」について歴史学的視点から論じた書だ。ハラリはかつて自身の著作『ホモ・デウス』で、人間社会を構築してきたのは、サピエンス自身よりもむしろサピエンスが創造した物語、概念といった「情報」によるものが大きいと論じており、これからの新しいテクノロジーが社会にもたらす危険性を示唆していた。
    本書『NEXUS』は、今までのハラリの提言の中から特に「情報」にスポットを当てて書き下ろした本だと言える。『NEXUS』の上巻では、人類史において情報はどのような役割を担ってきたのか、また、情報を完全に掌握しようとする政治体系である「全体主義」が歴史上どのようなタイミングで現れ、その時の権力者はどのような方法で人々を統制していたか、などについて語られていく。

    まず人類社会の初期段階である原始時代や農耕時代において、情報は「物語」や「文書」という形で、サピエンス同士を結び付けることに成功した。サピエンスは宗教や国家、法律、貨幣といった「共同主観的現実」を信じることで、見たこともない、会ったこともない人々と紐帯していた。これがコミュニティにおける構成員の数を爆発的に増加させ、サピエンスが他の生物を支配する決定打となった。

    その後、情報は社会の発展とともにその数を増していった。しかし、情報が増えていくにつれ、検索性は低下していく。この困難を解消し、情報の取っ散らかりを上手くまとめあげた仕組みが、官僚制である。官僚制は、現実の情報を画一的に整理して、社会を秩序付ける重要なシステムだ。官僚制は公共サービス等を提供し、社会が円滑に回ることを可能にする。
    だが、官僚制や物語は、秩序のために真実を犠牲にする傾向がある。現実は概して複雑であるが、それを分かりやすく単一的にまとめることで、社会制度が維持されていく。当然、単一化にあたって世界の様相は実態と違った形に歪められていく。

    そうした官僚制の歪みが最大限に発揮されたのが、全体主義、つまり独裁制である。全体主義下においては、情報はすべて中央に吸い上げられ、そこで権力者の意向に沿った形で出力される。歴史を紐解いてみると、実は民主制よりも独裁制のほうが長い。完全な民主制のためには情報の透明化が必要であるが、そもそも人民が十分な情報を得るためには、テレビやラジオ、新聞、インターネットといったテクノロジーの発達まで待たなければならなかったからだ。

    では、インターネットが発達してあらゆるものが結びついた今は、民主制の黄金時代なのか?
    ハラリに言わせれば、それは大きな誤りだ。そもそも情報の多さ=透明性の高さではない。データはあくまで「現実の一面を切り取った事実」に他ならず、それをどのように意味づけるか/活用するかはシステムの構築者次第になるからだ。そこには誤情報を流す人間、偽情報を利用して利益を得る人間、そしてテクノロジーの力を悪用して新しい全体主義を目論もうとする人間など、様々な障害が待ち受ける。

    最近勢いを付けているAIについても、その危険性は計り知れない。人間はAIが行っている処理や創造する成果物について、正誤/善悪の判断ができるほど賢くはない。人間は自らの手に余るものを利用し続けているのだ。
    AIの進化が臨界点を超えた先には、いったい何が待っているのか?今までの社会は民主主義vs全体主義という、人間同士の争いであった。それが、人間主義vs AI主義という新たなフェーズに突入するのではないか?そのときにAIは、民主的な自己修正メカニズムをもたらしてくれるのか?それとも情報ネットワークから人間の存在を抹消し、新しい秩序のための全体主義を構築していくのか?
    こうしたリスクが、まさに今、水面下で発生し始めているのである。
    ――――――――――――――――――――――――――――
    以上が上巻のおおまかなまとめだ。
    上巻を読んだ感想だが、主張のあれこれを歴史的事実に結びつけようとして、だいぶくどくなっている。大量の歴史雑学に、本筋がおまけのようにくっついている状態だ。未来への類推のために歴史の深掘りも必要であるが、「流石にここまで厚く書く必要はないんじゃないか?」と思えてしまった。
    といっても、上巻は物語と文書のルーツ、政治制度の歴史など、いわば今までの人類史と情報史をおさらいするための本であり、こうした構成は仕方のないことなのかもしれない。下巻以降は、現在と未来、特にAIという新たな可能性(危険性)が、民主主義と全体主義という旧来の権威のあり方を根本的に変えうるかもしれない、という話が始まってくる。これからに期待しよう。

    下巻の感想
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4309229441
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    私たちホモ・サピエンスは、過去10万年の間に途方もない力を身に着けた。しかしながら、その力を誤用するあまり、生態系崩壊の危機に瀕している。
    私たちは自らが制御できない力を手にし、それを濫用している。この傾向は、個人の心理ではなく、私たちの種に特有の、大勢で協力する方法に由来する。人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっている。私たちの問題はネットワークの問題なのだ。

    「情報は本質的に良いものであり、多ければ多いほうが良い」というのが、情報についての素朴な見方である。だが、私たちは大量のデータを貯め込んだというのに、相変わらず温室効果ガスを大気中に放出し、海や川を汚染し、森林を伐採し、さまざまな生物の生息環境をまるごと破壊し、無数の種を絶滅に追い込み、自分自身の種の生態学的な基盤を危険にさらし続けている。そしてまた、水素爆弾から人類を滅亡させかねないウイルスまで、ますます強力な大量破壊兵器も製造している。

    いっそう多くの情報を手に入れれば、状況は良くなるのか?それとも悪くなるのか?
    無尽蔵のデータを内包したAIは世界を救うのか?それとも人間同士の分断を煽るのか?
    あるいは、人間そのものを支配するに至るのか?


    1 情報とは何か
    「情報」という言葉を一意に定義することは難しい。情報の素朴な見方によれば、真実を探し求める状況では、現実の特定の面を表すものは「情報」と定義できる。別の言い方をするなら、情報は現実を表す試みであり、その試みが成功したときに、情報は真実と呼ばれることになる。

    真実とは現実の正確な表示であるという主張には、本書は同意する。ただ同時に、本書は以下のようにも考える。ほとんどの情報は現実を表す試みではないし、情報はそれとはまったく異なるものによって定義される。人間社会の情報の大半は、いや、それどころか他の生物系や物理系での情報の大半も、何も表してはいない。
    情報は現実を表さないのは何故かというと、現実には数多くの見地があるからだ。「1万人の兵士」という言葉は、現にそこに1万人の兵士がいたら現実の特定の面を正確に指し示しているが、その1万人の中に古参兵や新兵がどの程度いるのかを具体的に述べることは怠っている。歴戦の兵が1万人いることと、傷病者を含めた新兵が1万人いることの違いを比べれば、戦争における「現実」は全く異なる様相を呈するだろう。
    要は、現実は1つしかないが複雑であり、情報はいつも現実の不正確な表示にならざるをえないということだ。

    情報のそうした不完全な側面は、「誤情報」――現実について取り違えた情報や、「偽情報」――故意の嘘によって現実を歪めた情報を招く。

    情報の主な仕事は、現実を正確に表すことではない。さまざまな点をつなげてネクサス(結びつき)を作り、新しい現実を創り出すことだ。聖書は人類の起源や移動や感染症にまつわる現実を正しく表示できていないのにもかかわらず、じつに効果的に何十億もの人を結びつけ、ユダヤ教とキリスト教を生み出した。
    したがって、歴史における情報の役割を考察するときには、「どれだけうまく現実を表しているか?正しいか、それとも間違っているか?」と問うのが理に適う場合があるものの、より重要な問いは「どれだけうまく人々を結びつけるか?どのようなネットワークを新たに作り出すか?」であることが多い。歴史においてサピエンスが世界を征服したのは、情報を現実の正確な地図に変える才能があったからではなく、情報を利用して(ときには嘘や誤りで)大勢の人を結びつける才能があったからだ。


    2 物語の力
    物語はサピエンスに新しい種類の連鎖を与えた。人間と物語の連鎖だ。サピエンスは、協力するためには互いを個人的に知らなくてもよくなった。同じ物語を知っているだけでよかった。そして、その同じ物語は、何十億もの人に馴染み深いものになりうる。それによって物語は中心的な接続装置のような役割を果たすことができる。無数の差込口がついていて、無数の人が接続できるわけだ。たとえばカトリック教会の14億の信徒は、聖書やその他のキリスト教の主要な物語によって結びつけられているし、14億の中国人は、共産主義のイデオロギーと中国の国民主義によって結びつけられている。そして、グローバルな交易ネットワークに属する80億の人は、通貨や企業やブランドについての物語で結びつけられている。
    人は物語によって、今まで有していた2つの次元の現実――客観的現実と主観的現実に、あらたな次元の現実である「共同主観的現実」を作りだした。法律、神、国民、通貨、企業などがそうだ。共同主観的なものは、大勢の人の心を結ぶネクサスの部分に存在し、情報の交換がそれらを創り出した。共同主観的現実は何千人、何万人ものヒトを結びつけ、協力関係に置いた。

    虚構が歴史で果たす重要な役割を理解すると、情報ネットワークについて次のことがわかる。人間の情報ネットワークはどれも、生き延びて栄えるには、真実を発見し、しかも秩序を生み出すという、2つのことを同時にする必要があるということだ。一方では、情報のより正確な理解と処理の仕組みを構築する必要がある。もう一方では、正直な説明ばかりではなく虚構や空想、プロパガンダ、そしてときには真っ赤な嘘にも頼り、大勢の人々の間でより強固な社会秩序を維持するための情報の利用方法を構築する必要がある。

    人間の情報ネットワークはしだいに強力になったが、同時に知恵を欠いた無分別なものにもなっていった。それは、この2つの仕組みが理由なのだ。


    3 文書
    物語にさらなる力を与えたのが文書だ。文書は、物語と違って、人々の心を動かすほどの熱を帯びてはいない。ただ起こったことを淡々と表記するだけだ。しかし、文書が財産や税や支払いのリストを記録してくれたおかげで、行政制度や王国、宗教団体、交易ネットワークを生み出すのがはるかに楽になった。より具体的に言えば、文書は共同主観的現実を創出するための方法を変えた。口承文化では、共同主観的現実は、多くの人が口で繰り返し、頭に入れておける物語を語ることで創り出された。したがって、人間が創り出せる種類の共同主観的現実には脳の容量という限度があった。人間は、脳が記憶できない共同主観的現実は創出できなかった。この限界を、文書が乗り越えたのだ。

    しかし、文書が増えてくると新たな問題が生じた。検索性の低下である。情報の量が増えていくにつれ、それらを整理し情報ネットワークとして利用できるように秩序立ててやる必要が出てきた。その秩序のことを、官僚制という。
    官僚制は、大規模な組織の人々が検索の問題を解決し、それによってより大きくより強力な情報ネットワークを作り出すにあたって採用した手段だ。官僚制は公共サービスを提供し、社会が正確に回ることを可能にした。だが、官僚制も神話と同じで、秩序のために真実を犠牲にする傾向がある。官僚制は、新しい秩序を発明して、それを世の中に押しつけることで、人々による世界の理解の仕方を、独特の形で歪めた。

    官僚制をはじめとした強力な情報ネットワークはみな、設計の仕方と使われ方次第で、良いことも悪いことも行ないうる。ネットワーク内の情報を増やすだけでは、恩恵が得られる保証にはならないし、真実と秩序の間の適切なバランスを見つけやすくなるわけでもない。それが、21世紀の新しい情報ネットワークの設計者と利用者にとっての、重要な歴史的教訓だ。


    4 不可謬の情報ネットワーク
    官僚制と神話はともに秩序を維持するために必要不可欠なものだが、どちらも秩序のためなら喜んで真実を犠牲にする。
    では、そうした不完全さを排除し、全く誤りの無い情報ネットワークを作ることができるのか?今日ではAIがそのようなメカニズムを提供できるかもしれないと期待する向きもある。
    しかし、それは不可能だ。そもそも、「全く誤りの無い情報ネットワーク」(という空想)なら、既に構築されてきた。宗教だ。
    歴史的に見て、宗教の最も重要な機能は、社会の秩序のために超人的な正当性を提供することだった。だが、聖書についての解釈をめぐって何千年も人々が対立しているように、人間の制度や機関が入り込む限り、不可謬の文書は存在しえない。そして、不可謬の文書に権威を付与することで人間の可謬性を迂回する試みは、決して成功しなかった。

    では、不可謬の文書がありえないならば、人間の誤りという問題にはどう対処すればいいのか?
    情報の素朴な見方は、教会とは正反対のもの、すなわち情報の自由市場を創出すれば、この問題は解決できると断定する。もし情報の自由な流れに対する制限をすべて取り除けば、誤りは必ず暴かれ、真実に取って代わられるというのが、素朴な見方だ。だが、それは楽観的すぎる。印刷術の発明がヨーロッパでの魔女狩りを急速に広める役割を果たしたように、情報の流れの障害物を取り除いても、真実の発見と普及につながるとは限らない。


    5 自己修正メカニズム
    真実が勝利するためには、事実を重視する方向へ舵を切る力を持った、キュレーションの機関を確立する必要がある。
    歴史上では、「科学アカデミー」がそうした信頼に足る情報ネットワークを築き上げ、科学革命に貢献した。
    彼らが有していたのは、機関自体の誤りを暴いて正す強力な自己修正メカニズムだった。ある事柄が真実であると、特定の時代の科学者のほとんどが信じていたとしてもなお、科学の機関はそれが不正確あるいは不完全であることが判明するかもしれないという立場を取る。19世紀には物理学者の大半は、宇宙を包括的に説明するものとしてニュートン力学を受け容れていたが、20世紀にはそのニュートンのモデルの不正確さと限界が、相対性理論と量子力学によって暴かれた。科学史上とりわけ有名な瞬間はみな、妥当なものとされていた通念が覆され、新しい説が誕生したときにほかならない。機関が大きな誤りを進んで認めるおかげで、科学は比較的速いペースで発展しているのだ。

    ただし、自己修正メカニズムは、真理の追求には重要極まりないが、秩序の維持の点では高くつく。強力な自己修正メカニズムは、疑いや意見の相違、対立、不和を生み出したり、社会の秩序を保っている神話を損なったりしがちだからだ。


    6 民主主義と全体主義
    独裁社会と民主社会では、情報の流れ方がどのように違うか?
    独裁制の情報ネットワークは高度に中央集権化されている。中央は無制限の権限を享受し、情報はその中枢に流れ込み、そこで最も重要な決定が下される。また、中央は不可謬であるという前提に立っている。要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集中型の情報ネットワークだ。
    それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ。民主的な情報ネットワークを眺めてみると、たしかに中枢がある。民主社会では政府が最も重要な行政権を持っており、したがって政府の諸機関は厖大な量の情報を集めて保存する。だが、それ以外にも多くの情報の経路があり、独立した多数のノードをつないでいる。民主的な政府は、人々の自立性を重んじ、中央で決めることはできる限り小さくする。民主社会は誰もが可謬であることを前提とするため、多種多様なノードの間で継続する話し合いの体制となる。
    加えて、民主制は自己修正メカニズムも取り入れておかなければならない。有権者の51%の選んだ政権が、宗教的少数派を抹殺すると決定したとしても、それは民主的ではない。民主制は多数派による独裁制とは同一ではないからだ。民主制とは多数決原理のことではなく、万人の自由と平等を意味する。

    ここで、民主主義と全体主義の歴史を紐解き、情報ネットワークがそれぞれにどのような影響を与えてきたかを見てみよう。
    狩猟採集社会では、指導者による独裁はめったに起こり得ず、経済ははるかに多様化していた。農業革命後、書字の力を借りて大規模な官僚制の政治組織が誕生すると、情報の流れが中央集権化され始めた。3世紀には、ローマ帝国だけでなく地球上の他の主要な人間社会もすべて、強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型のネットワークになっていた。これは単に強権的な指導者が現れたからというよりも、話し合いを行うための物理的な手段が無かった(互いの声が聞こえる範囲にいない)こと、また人民の多くに話し合いのための初歩的な知識・教養が無かったことが原因である。

    何百万という人口規模での民主制がようやく可能になったのは、マスメディアが大規模な情報ネットワークの性質を変えてからだった。16世紀から印刷物の出版が始まり、民主化傾向が強まると、テクノロジーの発達に合わせて情報の流れが強化され始めた。19世紀から20世紀にかけては、電話、ラジオ、テレビといった新しい通信技術のおかげで、マスメディアの力は途方もなく強化された。
    しかし、現代の新しい技術は、大規模な全体主義体制への扉も開いた。ローマ帝国のネロは残虐な処刑を行ったが、それは自分の行動範囲内にいる人間に対してのみだ。一方、スターリンのような現代の全体主義は、ラジオや出版物といった新しい情報テクノロジーによって、それとはまったく違うスケールで人々を抑圧した。

    新しい情報テクノロジーは大規模な民主主義体制と大規模な全体主義体制の両方の台頭につながったが、これら2つの体制が情報テクノロジーをどのように使ったかには、きわめて重要な違いがあった。
    民主制は中央を通ってだけではなく、多くの独立した経路を通って情報が流れるのも促し、多数の独立したノードが自ら情報を処理して決定を下すことを許す。情報は、大臣のオフィスをまったく経由することなく、民間の企業や報道機関、地方自治体、スポーツ協会、慈善団体、家庭、個人の間で自由に流れる。
    一方、全体主義はすべての情報が中枢を通過することを望み、独立した機関が独自の決定を下すことを嫌う。たしかに全体主義には、政権と党と秘密警察という3つ組の機関がある。だが、これら3つを併存させるのは、中央に楯突きかねないような独立した権力が登場するのを防ぐためにほかならない。政権の役人と党員と秘密警察の諜報員が絶えず監視し合っていれば、中央に逆らうのははなはだしく危険になる。

    民主主義と全体主義を異なる種類の情報ネットワークとして見られるようになると、両者が繁栄する時代もあれば、存在しない時代もある理由も理解することができる。両者の有無は、人々が特定の政治の理想に対する信頼を獲得したり失ったりするからだけではなく、情報テクノロジーの革命のせいでもある。


    7 あたらしい全体主義
    現代の情報テクノロジーは、全体主義と民主主義に新たな局面をもたらしている。
    全体主義政権は秩序を維持するために、現代の情報テクノロジーを使って情報の流れを中央集中化したり、真実を抑え込んだりする。その結果、硬直化の危険と闘う羽目になる。しだいに多くの情報が一か所だけに向かって流れるようになると、それは効率的な支配につながるのか、それとも動脈が詰まって、ついには心臓発作が起こるのか?
    民主主義政権は現代の情報テクノロジーを使って情報の流れをより多くの機関や個人の間で分散化し、真実の自由な追求を奨励する。その結果、砕け散る危険と闘う羽目になる。中央は依然として体制を維持できるのか、それとも体制はばらばらになって無政府状態に陥るのか?

    歴史は全体主義に敗北をもたらし、民主主義に勝利をもたらした。この勝利はしばしば、情報処理における基本的な利点という見地から説明されてきた。全体主義がうまくいかなかったのは、あらゆるデータを中枢に集中させて処理する試みが、きわめて非効率的だったからというわけだ。

    ところが、未来は民主主義の手の中にあるとはいい難くなっている。新しい情報革命がすでに本格化し始めており、民主主義体制と全体主義体制の競争における新しいラウンドの舞台が整いつつある。コンピューターやインターネット、スマートフォン、ソーシャルメディア、AIは、権利を奪われた集団にだけではなく、インターネットに接続できる人なら誰にも、さらには人間以外の行為主体にさえも声を与え、民主主義に新しい難題を突きつけてきた。2020年代の民主主義国は、社会秩序を損なうことなく公の場での話し合いに新しい声の洪水を取り込むという課題に、またしても直面している。同時に、さまざまな新しいテクノロジーのおかげで、すべての情報を一か所の拠点に集中することを依然として夢見ている全体主義政権は希望を新たにしている。たしかに、赤の広場の演壇に並んでいた長老たちには、単一の中枢から何億もの人の生活を統制する能力はなかった。だが、ひょっとしたらAIにならできるのではないか?

    そして、現在の情報革命には、これまでに私達が目にしたものとは全く異なる独特の特徴がある。
    これまでは、歴史上のどの情報ネットワークも、人間の神話作者と官僚に頼って機能してきた。粘土板やパピルスの巻物、印刷機、ラジオは、広範に及ぶ影響を歴史に与えたが、あらゆる文書を作成し、それを解釈し、誰を魔女として火あぶりにするかを決めるのは、つねに人間の仕事だった。
    ところが今や、人間はデジタルの神話作者や官僚を相手に回さなければならなくなる。21世紀の政治における最大の分断は、民主主義政権と全体主義政権との間ではなく、人間と人間以外の行為主体との間に生じるのかもしれない。新しいシリコンのカーテンは、民主主義政権と全体主義政権を隔てる代わりに、全人類を、人知を超えたアルゴリズムという支配者と隔てるかもしれない。

  • サピエンス全史以上の衝撃って紹介されてますが
    その通りです。

    情報手段の歴史という切り口で石器時代から中世、近代まで綴られているのはある意味予想通りで
    少し間延びした所もあります。

    しかし最後の第五章の民主主義と全体主義の概史で作者が何を危惧しているのかが見えてからは一気読みでした。

    これまで秩序に正義 道徳は関係なく、秩序を保つに少しの犠牲は仕方がないと考えでしたが、第五章で語られるスターリンの行動が国家秩序を保っていたというのはショックを感じました。

    そして、これから人間でなくアルゴリズムが人間を支配し秩序を保っていくという事ですがその詳細内容は下巻になり更なる期待が膨らみます。


  • 2025/5/19読了
    AI(人工知能)という、自ら考えることが出来る上に、おそらくヒトよりも賢いという、前代未聞の技術の発達に、我々ヒトはどう向き合えば良いのか? 
    上巻では、人類が情報技術をどう発達させ、良かれ悪しかれ利用してきたかの歴史を振り返る。情報ネットワークをどのように構築したか、誤情報の扱い(自己修正メカニズム)でどのような違いが生まれるかを説明し、情報ネットワークを可謬とするか不可謬とするかが、民主主義と全体主義の根本的な相違であり、換言すれば権力者が過ちを認め正すシステムが備わっているか、過ちなど有り得ないとして否定的なものを排除するかの違い(選挙が行われているかとかは関係ない)であるという指摘に至る。これらの情報ネットワークの歴史を踏まえて、下巻でいよいよ未来の、AIの話になるのだろう。

    しかし、本書の趣旨からは外れるのだろうが、権力者が自らを不可謬だと言い張るのが全体主義的なのであれば、現在のアメリカ合衆国は全体主義陣営に足を踏み入れつつあると言えるのではないか……?

  • 情報がいかに社会をつくり、支配し、壊すか

    歴史を振り返ると、バカらしいことを命かけてやっている。
    現代の「魔女狩り」は何だろ。
    文春砲的な袋叩きも「魔女狩り」の一種かな。

    スターリンの死に様が、哀れ。
    倒れてもスルーされる最期って、かわいそうに。
    スターリンのお母さん、どんな子育てしたんだろう。自分が母親になると、いろんな人のお母さんがどんな子育てしていたのか気になって仕方がない。
    お母さんもスターリンが悪名高い人物になるなんて、思いもしなかっただろうな。

    人間は、真実よりも、物語や幻に振り回されて生きているね。
    お金だって、真実は、ただの紙やからね。日本通貨は、日本人に共通の幻想を浸透させた結果、大事にされるようになった紙。
    世界からすると、信用高めの紙?

    下巻は、
    AIとネットは便利だけど、放っておいたらマジで危ないよ。ちゃんと賢く管理して生きていこう!
    って感じかな。

    難しそうやけど、読んでみよう。

  • 情報の人類史というだけあり、”情報の歴史”ではなく、人間が”どのように情報を活用してきたのか?”という視点で論じられた書籍です。

    会話、記録、メディアとさまざまな形で”情報”が伝達されてきたが、情報伝達のスピード、内容とともに、自己修正メカニズムなどのポイントが複雑に絡み合って社会を構成してきたことを主張していて、読んでいて引き込まれます。特に興味深いのは、著者の徹底的に抽象化できる示唆深さだと思います。

    例えば、中央集権的に情報統制を行うシステムの延長に独裁国家があるが、そのシステムはローマ法王を中心としたヒエラルキー階層がしっかりとしたカトリックにも共通している点があります。

    一方で、民主主義は選挙で勝利した者に全体が従う必要はあるものの、多様な意見が出ることは否定しない。これは、自分で聖書を読むことを勧めたプロテスタントと類似しているというのです。

    でも、だからと言って民主主義が良い、プロテスタントが良いという単純な議論でもありません。民主主義は全体に情報を的確に届けられる範囲でしか機能しないという拡張性の問題が共和国だった古代ローマを帝国に変えたと言った負の側面も書かれています。

    また、プロテスタントは自分たちの聖書解釈だけが正しいとするローマ・カトリック教会を否定して始まったが、自分で聖書を読むことで多様な解釈が生まれたため、プロテスタントはカトリックと異なり分離を許容し、一枚岩になれない問題が構造的にあるというのもなるほどなーと感じました。

    もう一つ興味深い話として、情報はストーリーの場合には強い力を発揮するが、ただの記録としての活用の場合には強い影響力を及ぼしにくいのがホモサピエンスの特徴であるということです。

    著者のこの主張はサピエンス全史でもホモサピエンスが地球を支配できたのはストーリーの力だと主張していました。本書でもストーリーこそが”情報”の力をブーストさせる最大の力だったと主張していて、悪い言い方をすると、事実かどうかよりも心を打つストーリーかどうかの方が影響力があると主張しています。

    下巻はAIについて論じていて、少し読んだがすでに期待通りの面白さで、今後読み進めるのが、とても楽しみです。

  • 前半は概念的な解説が続き、ところどころ短い事例が紹介されているが、それでも理解が難しい箇所があり、『サピエンス全史』と比べて、正直読むのに苦労した。ただし78ページの模式図を何度か見返すことで、筆者の主張が少しずつ分かってくる。情報のもたらす「真実」と「秩序」、さらにそこから生み出される「知恵」と「力」の因果関係は、魔女狩り、ヒトラー、スターリンの事例を紹介する中で徐々に頭に入ってきた。特に後半は読むスピードが上がり、引き込まれていった。
    読み進める中で、ある程度の世界史の知識は必須であり、時々ウィキペディアでおさらいした。情報ネットワークが無かったことにより、前近代において民主主義が機能しなかった理由、大規模帝国が維持できなくなる理由など、情報ネットワークの発達とその正しい使い方、或いは歪んだ使い方が生み出した「結果」を知らされた。
    昨今の不安定な国際情勢においても、我々一市民が情報ネットワークを使いこなす結果次第で、未来がどうなるのか、考えさせられる。下巻も近いうちに読みたい。

  • ハラリ本最新刊、今の仕事とも関係あるので一気に読んでみた。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』を昇華したような印象だろうか。上巻は情報を軸に話が進み興味深い。

    ハラリは人類が単なる個々の知性ではなく、大規模な協力ネットワークを築く能力によって地球上で支配的な存在になったと説く。その鍵となるのが「情報」であり、情報を「物事を結びつけるもの(ネクサス)」と定義する。石器時代から現代に至るまでの情報ネットワークの進化を辿り、神話や宗教といった共通の物語(「共同主観的現実」)が初期の人類社会を結束させ、大規模な協力を可能にしたと指摘する。これは『全史』でも触れていた内容ではあるが、歴史上の宗教や出来事の話として下巻に向けても意味があるのだろう。

    都市国家や帝国の成立には、官僚制度と記録技術が不可欠であり、情報の組織的な処理と伝達が社会の複雑化と規模拡大を支えてきた。私自身、組織論や歴史上の政治体制の変遷に関心を持っているので、参考にしたい。また、情報ネットワークが強固であるためには、誤りや矛盾を検出し、修正する能力が重要であり、科学、民主主義、市場経済といったシステムがその役割を果たしてきたと述べられている。この自己修正メカニズムはAIの話しが中心となる下巻にもつながりそうなキーワードだ。

    ハラリは、情報ネットワークが必ずしも真実を伝えるものではなく、秩序維持や権力強化のために利用されることが多いと警鐘を鳴らす。宗教的迫害、政治的プロパガンダ、現代のフェイクニュースなどがその例だ。この本では、情報が社会を構築し、人々の行動を方向づける力強いツールであることを強調し、異なる社会や政治体制が情報をどのように利用してきたかを考察する。

    現代において最も重要な要素として、ハラリはAIの登場を挙げる。人間による情報ネットワークの進化の先に現れた非人間知性は、私たちの情報ネットワーク、ひいては人間社会そのものを根底から揺るがす可能性を秘めている。

    人類の歴史を「情報」という一貫したレンズを通して捉え直すことで、これまで別個に見ていた様々な現象が深く結びついていることに気づかされる。特に、神話や虚構が単なる作り話ではなく、社会を形成し、協力を生み出す原動力になったという指摘は、人間の本質を深く理解する上で示唆に富む。また、情報と権力の関係、そして情報が時に負の側面を持つという点も、現代社会における情報リテラシーの重要性を改めて認識させてくれる。

    そして、AIの登場は、まさに人類の情報ネットワークの進化における新たな転換点であり、ハラリが提起する問いは、今後の社会のあり方を考える上で避けて通れない。情報が氾濫し、AIが高度化する現代において、上巻は、私たちがどのようにして現在の情報社会に至ったのかを理解するための知的な土台になりうる。彼がイスラエル人である点を割り引いて理解しないといけないとは思う点はあるが。下巻で、AIがもたらす未来についてどのように展開されるのか、おそらく悲観的にならざるを得ないが、楽しみ。

    なお、参考文献をほぼ読まずに読了したが、面白そうなものが多そう。落ち着いたら読みたい。

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史』ブックレビュー by 池田純一 | WIRED.jp 2025.03.29
    https://wired.jp/article/yuval-noah-harari-nexus-book-review/

    自由民主主義の存命の指針『NEXUS 情報の人類史 上・下』ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳 <書評>評・会田弘継(ジャーナリスト) - 産経ニュース 2025/4/13
    https://www.sankei.com/article/20250413-GUNZJUKVHNICVDX27P3GT752LQ/

    【書方箋 この本、効キマス】第109回 『NEXUS 情報の人類史』 ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田 裕之 訳/濱口 桂一郎|書評|労働新聞社 2025.04.24
    https://www.rodo.co.jp/column/197100/

    書評『NEXUS(上・下)』ユヴァル・ノア・ハラリ著 - 日本経済新聞 2025年4月26日 会員限定記事
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD141NL0U5A410C2000000/

    ◆AIが管理者となる社会へ[評]風元正(文芸評論家)
    <書評>『NEXUS(ネクサス) 情報の人類史(上)(下)』ユヴァル・ノア・ハラリ 著:東京新聞デジタル 2025年4月27日 有料会員限定記事
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/401151?rct=book

    サピエンス全史ハラリ氏に聞く新刊Nexus カギは“情報”?SNSフェイク拡散 AIは“もろ刃の剣”? | NHK | WEB特集 | 生成AI・人工知能 2024年12月26日
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241226/k10014678491000.html

    NEXUS 情報の人類史 上 :ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田 裕之|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309229430/

  • 興味深く読めたのだが 著者さんがイスラエルの方だけあってキリスト教における情報の歴史部分ばかりでその部分が退屈だった
    結局キリスト教は頭ではある程度理解しているつもりでも根本的なところがワシには解らない
    まあしかし人類の情報の歴史といったら西洋史が中心になるのは仕方ない
    下巻のほうが面白そう

  • 情報や技術の進化について考えさせられました。そしてそれを使う側の人間。
    人はとても愚かな行為を繰り返し、その礎の上を生きているのだけど…上巻は使う側の人間のことを問うているように感じました。

    情報の伝え方や解釈による残酷さも感じました。

    下巻では、その上に立つかもしれないエイリアンインテリジェンスと対比していくのかと思う。

  • 流石の構成でした。人類の発展と情報、支配者の論理と要件を考えると実はAlが取って代わるのも近いかも、それに対抗するために人間が備えるべき条件を探索する。学習すべき内容が変わり、人間しかできないことを極めることというのは納得。
    データ植民地帝国が始まる中で日本のあり方、教育はこれで良いのかという疑問が湧く。

  • 情報は、素朴な見方では、情報が多いほど真実を知ることができるとか、あるいは、陰謀論的に情報を持っていることは力だと考えられたりする。

    本書では、情報は人のネットワークを作るもの、つなげるもの(ネクサス)と定義され、
    まず前半では、これまでの情報が歴史の中ではたしてきた役割が述べられる。
    (このあたりは『サピエンス全史』の虚構(物語)を共有することがサピエンスを発展させてきたという内容につながるところだと思う。)
    民主主義と全体主義の違いも、情報のネットワークが分散しているのか、集中しているかの違いで説明されていたのが面白かった。

    後半では、AIがどのような影響与えるのか、前半の情報はネットワークをつくるものという議論をベースに述べられる。
    これまでの人類歴史では、ネットワークの中で文書が人と人の間の媒介になることはあってもプレイヤーになることはなかった。これまで人類だけだったプレイヤーに、これからは新たにAI(アルゴリズム)というプレイヤーが参加することになる。
    しかも、これは人間とは違った知性なのだから、どのように影響してくれるか? 人間が意図していないやり方をしてくるかもしれない。
    本書で、AIは「Artificial Intelligence」よりも、これからは「Alien Intelligence」というべきかもしれないというのが、そのことを印象づけてくれた。

    AIについて楽観的な議論も多いし、無知からくる恐れも多い。
    きちんと知りつつ悲観的な議論がなされているので、バランスとりの意味でもいいかもしれない。

  • いつもながらとても話が長いが、最高に面白いし勉強になる。
    情報とは何か?情報の本質、情報の歴史、情報テクノロジー、そして、行動主体となりうるAIの登場。
    手に負えない力を手にした人間はAIに支配されてしまうのかどうか。
    サピエンスの時代からAIが登場するまでの情報の流れが具体的に細かく、書かれています。

  • ハラリさんの本はよく読みましたが、今回もめちゃくちゃ面白かったです。
    著者は、歴史学者として、過去からの変遷と、AIが変える未来に警鐘を鳴らしてします。
    コミュニケーション能力と情報を選別する力が大切だと思いました!

  • 格調高い文章で、それでいてわかりやすく、実に読み応えのある本。
    前半は情報が人類の歴史にもたらした功罪を、歴史と共に追いかけている。
    物語、おそらく英語では「ナラティブ」を人類がもったことで、さらにそれを
    書き残し、さらには印刷、さらにはラジオで広めることができるようになったことで
    その発信者は強大な力を持つようになる。聖書、教会がいい例だ。
    それが時には人類の発展に寄与し、時にはナチス、魔女狩り、スターリンの恐怖政治
    のように罪のない人を貶めることに利用される。
    情報の力はかくも恐ろしい、、というのが「上」。
    こういう歴史を見れば、今のアメリカで、ロシアウクライナで、日本で起こっている
    出来事も、根っこが同じであることが分かる。
    トランプ、プーチンといったいかれた政治家の言動が、様々な手段で国民に、世界に
    発信され、それを受けて指示するものは彼らの力となる。そうでないものは拒否し、
    分断が生まれる。
    …その意味ではロシア国民、イスラエル国民は歪んだ情報を受け取っているのか?
    ウクライナの被害、ガザの虐殺を知っていたら支持できるはずがないだろうに、、
    日本とて、次元は違うが「日本人ファースト」がどういう文脈で人々の心を捉えて
    いるのか、、
    情報、物語の怖さだ。

    さてこの本のタイトルのNEXUS。ネクサス。馴染みがありそうで意味不明な言葉。
    絆、結合、つながりなどの意味があるそうだ。
    情報はつながりがあって初めて成り立つもの。
    そういうことかな?ウルトラマンネクサス、ってのもいたな。

    下巻はAIに話が及ぶらしい。楽しみだ。

    プロローグ
    情報の素朴な見方
    グーグルvs.ゲーテ
    情報を武器化する
    今後の道筋


    第I部 人間のネットワーク

    第1章 情報とは何か?
    真実とは何か?
    情報が果たす役割
    人間の歴史における情報

    第2章 物語――無限のつながり
    共同主観的現実
    物語の力
    高貴な嘘
    永続的なジレンマ

    第3章 文書――紙というトラの一嚙み
    貸付契約を殺す
    文書検索と官僚制
    官僚制と真実の探求
    地下世界
    生物学のドラマ
    法律家どもを皆殺しにしよう
    聖なる文書

    第4章 誤り――不可謬という幻想
    人間の介在を排除する
    不可謬のテクノロジー
    ヘブライ語聖書の編纂
    制度の逆襲
    分裂した聖書
    エコーチェンバー
    印刷と科学と魔女
    魔女狩り産業
    無知の発見
    自己修正メカニズム
    DSMと聖書
    出版か死か
    自己修正の限界

    第5章 決定――民主主義と全体主義の概史
    多数派による独裁制?
    多数派vs.真実
    ポピュリズムによる攻撃
    社会の民主度を測る
    石器時代の民主社会
    カエサルを大統領に!
    マスメディアがマスデモクラシーを可能にする
    二〇世紀――大衆民主主義のみならず大衆全体主義も
    全体主義の概史
    スパルタと秦
    全体主義の三つ組
    完全なる統制
    クラーク狩り
    ソ連という一つの幸せな大家族
    党と教会
    情報はどのように流れるか
    完璧な人はいない
    テクノロジーの振り子


    原註
    索引

  •  情報とは「まったく異なるものを結びつけて新しい現実を創り出す。情報の決定的な特徴は、物事を表示することではなく結びつけることであり、別個の点どうしをつないでネットワークにするものなら、何でも情報となる。」そして、その情報ネットワークが人類の歴史をどのように作ってきたかを多くの歴史的な出来事を例に明らかにしていきます。

     現在の民主主義も全体主義も、印刷技術やマスメディアの発見と進化の結果であり、それらが民主主義も全体主義も可能にしてきました。

     第5章「決定-民主主義と全体主義の概史」は恐怖です。「要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集中型の情報ネットワークだ。それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ」とします。ところが、公正な選挙で選ばれた政権が、民主社会を簡単に強権的な独裁制、全体主義に変えていく様が描かれます。これは今から起こることではなく、これまで起こったことです。そして、現在の情報ネットワークはそのことをますます容易にしていることが明らかにされます。

     「強権的な指導者が民主制を切り崩すのに使う最もありふれた方法は、自己修正メカニズムを一つ、また一つと攻撃するものであり、手始めに標的とされるのは、裁判所とメディアであることが多い」「典型的な独裁者は、裁判所の権限を奪ったり、忠実な支持者だらけにしたりするとともに、独立した報道機関を全て閉鎖しようとする一方で、自らのプロパガンダ機関を構築して至る所に浸透させる」「学術機関や地方自治体、NGO、民間企業は解体されるか、政権の統制下に置かれる」

     これは「歴史」ではなく、いま起こっていることでしょう。そして、独裁社会や全体主義社会が民主社会に移行する際には壊滅的な悲劇がそこにあったことを私たちは知っています。だから恐怖を感じるのです。

     下巻はどう展開していくのでしょうか。

  • 情報というと近代の〜と思われがちだけれど、ノアの方舟から飛び立った鳩のくわてきたオリーブの枝も、メソポタミアの楔型文字も情報の大切なツールであり、人類の歴史は良い方にも悪い方にも大きく揺さぶられてきた。改めて世界史を見直す時、ヒットラーやスターリンの悪行が思いおこされる。
    前の本の時も思ったけれどそもそも、日本人向けに書いているのではないから、しょうがないがわかりにくい部分も。あと、原註が煩わしく感じられる。

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著者プロフィール

歴史学者、哲学者。1976年イスラエル生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻し博士号を取得。現在、ヘブライ大学で歴史学を教授。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』。

「2020年 『「サピエンス全史」「ホモ・デウス」期間限定特装セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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