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本 ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784309229478
作品紹介・あらすじ
東漢(やまとのあや)氏、秦(はた)氏をはじめ、多くの「渡来人」が、高度な知識や技術といった先進の大陸文化を日本にもたらし、ヤマト政権で活躍したとされている古墳時代。しかし最新の科学的研究では、古墳時代に日本に住む人びとのうち、何と「25%」もの人びとが朝鮮半島を経由してやってきた移住者であったことが明らかになりました。このことは、はたして何を意味するのでしょうか?
また、縄文時代、すでに多数の移住者が日本にやってきており、大きな衝突もなく「日本人」が形成されていました。そしてヤマト政権が確立される古墳時代にも大きな移住の波があり、その大半は平凡な農民などで、日本社会に吸収されていきました。
こうした歴史をふまえると、従来、歴史教科書で学んだ「渡来人」をとりまくイメージは一変してしまいます。
本書は、「渡来人」を軸に日本と大陸の関係をていねいにひもときながら、『日本書紀』などに記された伝説的要素と史実を可能なかぎり分け、従来「渡来人」と呼ばれた人びとや「渡来系」を自称する豪族の素性、渡来時期、ヤマト政権での足跡を明らかにしていきます。実像と虚像がないまぜになった「渡来人」をめぐる古代史の輪郭を、はっきりと浮き彫りにしていきます。
著者の武光誠氏は、「神道」「仏教」「日本神話」「陰陽道」など、現代の日本人の精神に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があり、数多くの本を世に送り出してきました。本書では、「渡来人」の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさに追っていくことで、日本人と「渡来人」が日本文化に与えた影響を捉えなおします。
序章 古墳時代に日本列島に渡った膨大な数の移住者とは
第一章 渡来系豪族を「渡来人」と総称すれば、歴史を見誤る
第二章 「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本
第三章 四世紀に、ヤマト政権と加耶の交流が始まった
第四章 東漢氏と結んだ蘇我氏はいかに勢力を拡大したか
第五章 聖徳太子と天智天皇に仕え、東漢氏を超えようとした秦氏
第六章 船氏、西文氏、鞍作氏…独自の動きをとる渡来系豪族
終章 早くから日本に同化した「渡来人」の栄枯盛衰
感想・レビュー・書評
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最近の新しい技術でDNAに基づいて日本人の出自を調べると、今までの二系統から三系統になるという。縄文人と北東アジア系の弥生人と東アジア系の古墳人となるという。現代の日本人の25パーセント前後が古墳時代に高句麗、新羅、百済などから日本列島にやってきた東アジア系の人たちの末裔だという。それは、一部の高い技術を持った人たちが日本に渡ってきた渡来人というにしては数が多すぎる。特に技術者でなくても多くの人たちが日本に渡ってきたようだ。
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最新のDNA解析結果や出土物から人の流れを推測する序盤は興味深かったが、文字記録ベースで渡来系有力氏族のあらましを語るくだりは、憶測が入り過ぎて虚像と実像の区別がつかなかった印象。
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はじめに - 最新サイエンスから「渡来人」の実像をつかむ:
従来の渡来人研究は文献史料に偏っており、不明確な点が多いと指摘されています。
最新のDNA分析により、日本人の起源に関する新たな科学的知見が得られつつあり、古代の渡来人の実像に迫る上で重要な手がかりとなっています。
著者自身の研究動機として、1996年に『河出書房新社』から発表した『「渡来人」の歴史』に対する疑問が出発点であったことが述べられています。
序章 - 膨大な数の移住者列島に渡った:
古代において、朝鮮半島をはじめとする東アジア大陸から、多数の人々が日本列島に移住してきたと考えられています。
DNA分析の結果からも、現代の日本人のルーツには、縄文系、弥生系に加え、東アジア系の人々の遺伝的要素が認められています。これは、古代における渡来人の存在を強く示唆するものです。
「それによりますと『古墳時代の人骨の遺伝子情報』の約四分の一は、東アジア由来の古墳時代の移住者がもたらしたものになるという。」(p.4)
「古墳時代の移住者を『渡来人』と定義した場合、古墳時代に来た移住者すべてが先進技術や先進文化を身に付けた職人や学者ではないからである。」(p.4)
第一章 - 「渡来人」論の現状と課題:
戦後の古代史研究においては、「渡来人」という言葉が頻繁に使われてきましたが、その定義や範囲は時代によって変化してきました。
『日本書紀』や『続日本紀』などの古代史料には、「渡来人」やその子孫に関する記述も見られますが、その情報は断片的で不確かなものが多いとされています。
「渡来人」研究においては、文献史料だけでなく、考古学的な発見やDNA分析などの多角的なアプローチが不可欠であることが示唆されています。
「『日本書紀』には、飛鳥時代に朝鮮半島から来たとされる秦氏(はたうじ)が主要な役割を担ったものであることが窺える記述が存在する。」(p.46)
第二章 - 四世紀の交流が始まった - 倭国と加耶:
4世紀頃から、朝鮮半島の加耶地域と倭国(当時の日本)との間に活発な交流があったと考えられています。
考古学的な発掘調査からも、この時期の朝鮮半島系の遺物(鉄器、須恵器など)が日本各地で発見されており、人的・文化的交流の存在が裏付けられています。
「四世紀代にヤマト政権と加耶との交易が始まる。」(p.81)
「朝鮮半島南部に位置する加耶諸国は、倭(日本)に対して鉄の輸出を盛んに行っていた。」(p.84)
第三章 - 「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本:
渡来人の背景にある、中国と朝鮮半島の古代の社会状況や文化について概説されています。
朝鮮半島では、三国時代(高句麗、百済、新羅)が興亡し、日本との関係も変化していきました。
日本列島では、縄文時代から弥生時代への移行期を経て、古墳時代を迎えます。この時期に、大陸からの移住が本格化したと考えられています。
「弥生時代初頭の移住者は、縄文系の住民と対立せずに縄文文化を受け入れたありさまがわかる。」(p.34)
「二〇〇〇年ほど前から、朝鮮半島から日本列島への移住者が増加してきた。」(p.52)
第四章 - 東漢氏と結んだ蘇我氏は、いかに勢力を拡大したか:
有力豪族であった蘇我氏が、渡来系の氏族である東漢氏と結びつき、その勢力を拡大していった過程が考察されています。
東漢氏は、高度な技術や知識を持つ人々を多く抱えており、蘇我氏の経済的・政治的基盤を強化する上で重要な役割を果たしたと考えられています。
「蘇我氏は、『日本書紀』にも、六世紀以降に多くの渡来人を組織したことが記されている。」(p.117)
「東漢氏の技術をもって、蘇我氏は豪族として他に抜きんでた存在になった。」(p.122)
第五章 - 聖徳太子を超えようとした秦氏、磯城氏を迎えようとした秦氏:
聖徳太子や他の有力豪族との関係の中で、渡来系の秦氏がどのような役割を果たし、勢力を拡大しようとしたのかが分析されています。
秦氏は、高度な技術や文化を持ち、ヤマト政権の発展に大きく貢献したと考えられています。
しかし、秦氏の勢力拡大は必ずしも順調に進んだわけではなく、他の豪族との対立や政治的な駆け引きの中で、その地位を確立していきました。
「秦氏は、いつ、どこから渡来したかについては諸説ありますが、五世紀以前に朝鮮半島南部から渡来したと考えるのが有力です。」(p.160)
「聖徳太子の時代には、秦氏はヤマト政権において身分が低い渡来氏族として扱われた可能性が高い。」(p.170)
第六章 - 船氏、西文氏、鞍作氏…独自の動きをとる渡来系豪族:
他の渡来系の有力氏族である船氏、西文氏、鞍作氏などが、それぞれ独自の動きを見せ、ヤマト政権の中で独自の地位を築いていった様子が描かれています。
これらの氏族も、高度な技術や知識を持ち、日本の文化や社会の発展に貢献しました。
彼らは、ヤマト政権に組み込まれながらも、独自のネットワークや文化を守り、その存在感を示しました。
「渡来系の氏族は、それぞれの出自や渡来した時期、そしてヤマト政権との関係において、多様な様相を示していた。」(p.192)
「船氏は、高度な造船技術をもって水軍を組織し、ヤマト政権の軍事力を支えた。」(p.196)
終章 - 「渡来系豪族」の栄枯盛衰:
古代日本の社会において重要な役割を果たした渡来系豪族たちが、その後どのように栄え、衰退していったのかが考察されています。
彼らは、日本の文化や技術の発展に大きく貢献しましたが、時代とともにその力関係は変化し、やがて歴史の中に埋もれていった氏族も少なくありません。
しかし、彼らが日本に残した文化的遺産は、現代の日本社会にも深く根付いています。
「早くから日本に同化した『渡来系豪族』の栄枯盛衰を概観してきた時代も、渡来系の独自性は徐々に薄れていった時代でもある。」(p.216)
「渡来人は、高度な知識や技術をもってヤマト政権で活躍した…」(p.3 - 冒頭引用)という一面だけでなく、多様な背景と役割を持っていたことが改めて強調されています。
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