ised 情報社会の倫理と設計 設計篇

著者 :
制作 : 東 浩紀  濱野 智史 
  • 河出書房新社
4.14
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本棚登録 : 245
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (490ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309244433

作品紹介・あらすじ

工学的知性によって描かれる自由・多様性・民主主義-来たるべき社会を構築するためのヴィジョンがここに。

感想・レビュー・書評

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  • 社会
    思索

  • 設計編もやはりとてもエキサイティングで面白かった。

    [more]P030 道具を設計する際に一般化を志向するか、特殊化を志向するかは、目的に応じて設計者が決める問題です。【中略】情報社会において利用者に「道具」を使ってもらう事は、単に手段を提供するだけでなく、ある種のメッセージや思想、価値観といったものの伝達でもあります。しばしば道具には設計者の価値観が色濃く反映されており、利用者はその道具を使うことで設計者の価値観を受け入れることとなります。

    P043 車の場合もともと凝集性が高い産業ですから、基盤となるプラットフォームを共有した上で、まさに石橋さんの言う一般化する部分と特殊化をする部分を「事前に」使い分けながら、生産体制をお客様のリクエストに合わせていかようにでも変えるというアプローチは比較的取りやすい。【中略】これに対して家電の側はまだ技術主導的に新技術と製品を口にしながら、作ってしまった個々の製品を何とか売りぬくことを考えてしまっているんですね。

    P049 「組織はステークホルダのものである」という感覚が薄いからだと思うんです。つまり大規模なネットコミュニティの多くの基本的な運営母体は「会社」ですが、じっくりと付き合い育ててきたコミュニティに対しては、「これは自分たちのものである」というコミットメントを持つようになる。

    P054 はてなではそもそも目的というものをあまり固定した形で置いていないんだと思う。【中略】要はリーダーシップとオーナーシップが一緒であるということは、その目的がいかようにも設定できるがゆえに非常に自由なんですね。

    P059 ハーシュマンは70年に著した「組織社会の論理構造」の中でvoice(発言)とexit(退出)とloyalty(忠誠心)という視点を提案しています。これは社会を変える力にはどのようなものがあるかを論じているもので、それには大きく分けて二つあると言います。一つがvoice「発言」や「告発」です。つまり「ここが悪い」というふうに意見を表明する。もうひとつがexit「退出」や「離脱」、つまりそこから抜けていくということです。【中略】どちらかというと政治の場合にはvoiceが多く、経済の場合はexitが多いと言っています。【中略】人間社会においてexitはあまり発動されない、とハーシュマンは指摘しています。なぜかというと、その組織に対してloyaltyつまり忠誠心があるからだ、と。【中略】忠誠の対象は組織だけでなく、新しいコンセプトでもムーヴメントでもいいということに気づく。【中略】ひとはloyaltyを持っていないと、どこかに留まってヴィジョンやアイデアをvoiceしようというモチベーションを持ちえないのではないかということです。こうしたloyaltyを調達できない、exitがたやすくなってしまった状況において、どのようにvoiceを引き出せばよいのか、そのための設計は、どういう形でありうるのか、ということなんです。

    P065 プロシューマーが自分で自分の欲しいものを作るという観点だけでは、おそらくデジタル・デバイドの問題が出てくるのではないかと思います。【中略】(プロシューマーは)既存のものより使いやすくなってよかったと思う人たちであって、既にその商品が届いているという意味では困っていない存在です。

    P068 実は僕、サイバー空間にあんまり興味ないんですよ。僕にとって興味があるのは「社会」なんですね。インターネットが普及して革命が起きたと思っている方が多いでしょうが、僕は何も変わっていないと思うんです。だって皆さん、東京に住んで、どこかの組織に所属しているでしょ?【中略】自動車で考えればレーシング・サーキットを作ってぐるぐる回っているけれど、社会全体は車社会になっていないとい状態なのではないか。

    P098 そう考えると、オープンソースもある種の双発的なプロセスと言えるのではないか。僕が解釈する創発とは、個々の要素がばらばらにやっていたとしても、総体としてみたときには異なった性質を発現するということです。

    P113 文句があるんだったら、とやかく言わずに実装して見せろというのがプログラマーの世界です。「言い出しっぺの法則」という言葉があるけれど、言い出しっぺ同士が頑張っていけるという意味では非常にうまく回る世界です。いわば好意的な無関心によって支えられていると言ってもいい。【中略】たしかにものづくり集団のコミュニティであれば言い出しっぺの法則でいいと思うんです。しかし社会には非常に幅広い参加者がいる。例えば目が不自由で文章を読み上げてくれるプログラムが欲しい人が、自分で実装してナンボだからと言って、C言語でゴリゴリと音声合成のプログラムを実装できるかというとそうとは限らない。すると実装ありきによる社会参加としてしまうと、いろいろな物事のプライオリティが実装能力のある人のところに非常に偏ってしまうと言う問題がある、これにはオープンソースとコマーシャルソフトで補い合うことで対処すればよいのですが、それを政治制度等に応用する際にはマイノリティの問題を考えねばなりません。

    P121 暗黙的か形式的かはさておき、物づくりには「ものの作り方」がその背景にある。と言う事は、その一段メタに「ものの作り方を作る」というレイヤーもあるわけです。この後者の議論を突き詰めることで、今日のオープンソースを理解するといったテーマがクリアになる気がします。

    P129 つまりはてなは「人文系オープンソース」をやっているんだと思うんです。例えば脆弱性の発見はコードをしらなくてもできるという話とよく似ている。同時に「人文系バグ」とでも呼べるものがはてなには多いんです。

    P130 いったい何がはてなをオープンソース的にしているのか。個人的に大事だと思うのは、変更していく方法それ自体が公開されているということです。

    P137 僕はよく「物語としてソフトウェアを書く」というんですが、僕もはてなのインターフェースを触った瞬間に「あっこれは」と感じるものがあった。そう言う伝達力や感覚の入れ物としての性格がソフトウェアにもあって、実はプログラマーは文学をやっているんだと思うんです。実際、プログラムの物語に説得されることは往々にしてある。ソフトウェアにより人間の知覚はどんどん組み換わっていくという、こうした新しい説得行為はありうる。

    P177 途中からお客さんに「こういうアプリのせたい」と言われても「DVDってそう言う製品ではありませんから」で終わってしまう。しかしPCの場合はそうではありません。「あれもやりたい、これもやりたい」と途中から乗っかってくるプレイヤーをどんどん受け入れる。もしくは自分の知らないところで新しい用途が勝手に広がっていく。裏返せば、セキュリティが悪い、インターフェイスが悪いと常に文句を言われてうづけてしまう面もあるわけですが。

    P185 例えば消費者はブログやSNSを必要としていると言うことに鳴っている。そこで「繋がりの社会性」という論理も構築される。しかし、それは本当に現実なのか。みな本当にそんなに繋がりたいのか。もともと人はネットで日記を公開したいなんて思っていたのか。少なくともつい十年前まで、インターネットや携帯で絶えず繋がっていたいという欲望は存在しなかったはずです。

    P188 まさにそうした流動性が担保されているにもかかわらず、人々はある種の宿命感に基づいて現状を選びつつあって、オルタナティヴな社会をイメージできなくなりつつあるという事だと思うんです。これは何度か倫理研でも言及されていますが、渋谷望さんが指摘する、ネオリベラリズム権力がある種の「宿命論」を呼び起こしているという問題です。つまり流動的に見えていたとしても、それはある種の欲望とデータベース的なシステムが相互循環的に作用し「グーグルでいいや、アマゾンでいいや」という形で依存していく。【中略】「他なる可能性」があるにも関わらず、それしか選ばなくなってしまう。こうした宿命論の呼び出しという問題は僕も重要だと考えています。

    P227 語彙を提供するメタモデルの図

    P228 ヴァーチャルという言葉の語源は”virtu”という「力やエネルギー、最初の衝撃」を意味する言葉から来ています。

    P232 パーソナルコンピュータは今ではラップトップコンピュータの事だと一般的には思われていますが、それは違うとアラン・ケイは言います。いわば識字率が100%になるように、すべての人がプログラムが書けるようになれば世界が変わる。【中略】コンピュータ・リテラシーという言葉も誤解されています。全ての人がプログラムを書いて、しかも創造的なプロセスとしてプログラミングをする、絵を描くようにプログラムを書く。アラン・ケイはこれこそをコンピュータ・リテラシーという言葉で初めて表現したんです。

    P235 もう一つ重要なのは、私たちは内側と外側を分ける切り立った二元的な関係を、通常は良くないものだと考えがちです。つまり、敵と味方を区別するのはよろしくない、と。かといって、フラットもどうか。というのも、フラットな世界には非対称性・差異がないんですよ。ここには文化が発生しない。逆に世の中はフラットだと言ってしまう欺瞞も存在するわけです。【中略】そこで出て来るのが「なめらか」なんですね。本当はなめらかな関係だけれど、なめらかではない概念がこの世の中にはたくさんあって、二元的なもの、たとえば組織の内側と外側を分けるという概念はその一つです。

    P238 必ずしも全員がそこまで道具を作れるようになるべきだとは思っていません。それに、ただ動くものを作るだけでは意味がないと思うんですね。動くものを作り、そこからまた着想を得てコミュニケーションを誘発したり、あるいは考えを深めたりできることが重要です、つまり、ものや道具で終わらずに、思考やコミュニケーションに繋がっていってほしい。

    P242 (ルネ・ジラールの「欲望の三角形)つまり、人間の欲望は主体が対象を欲望するという単純な図式でできてないということが、この三角形で表現されている。実はそこにはライバルという存在があり―これをメディエーターと言っているわけですが―そのライバルとしての他者が欲望するものを自分も欲望することで、人間のコミュニケーションは作り出されている。他社の視線の存在によってコミュニケーションは無限に自己増殖する性質をもっているわけです。

    P264 いまはマーケットとコミュニケーションが有意なものだと思われすぎている、という事なんです。マーケットとコミュニケーションは、イノベーション、つまり旧いものを新しく活用する、新しいやり方を見つける、より効率的にするということには向いている。しかし、インベンションのような最初の一撃には向かないのでは、という話をしたかった。それに対して、楠さんから「それは軍事産業がやっていたんじゃないの」という極めて率直な話が返ってきたわけですね。なるほどそうなのかもしれない。

    P266 そのような(3時間でニューヨークまで行けるようになっているような)未来感が崩れた最も大きな原因は環境問題ですね。【中略】それが全部だめになるのは環境問題なんですよ。言い換えれば、私たちには未来と生態系を両立させる技術がなかったということです。【中略】これ以上人間の粗雑な技術で地球をいじるとやばい。【中略】では代わりにどうすればよいのか、となったとき「じゃあSkypeかな」という流れなわけです。

    P303 「クオリティをあげていく」という作業は、はっきり言ってつまらないはずなんですよ。

    P307 メールの弊害は貯めることができない、見せることができない点にあるという話はその通りなんです。これは言い換えると、組織の中で情報を発信する時、新たなグループや社会属性といった個人以外を指定する形で読み手を定義することができないという問題です。【中略】例えばメーリングリストをイントラネットの過去ログで貯めたとする。そこを除く権限を制限しなければならないわけですが、「いったい誰にその権限を与えるか」という時、今の大組織では思考が停止してしまうんです。
    P351 今までの企業はウォーターフォール型だった。まず大計画があって小計画へと流れていき、成果物がつくられ、消費者に届く、という縦に流れるフローがあった。その中で、評価に必要な情報もしっかり管理されていた。しかしこれからは、むしろ現場レベルで消費者を組み込む形でPDCAサイクルを走らせなければならない。現場に対して、現場の情報が持つ意味をほぼ運命的に解釈できない大企業のマネジメント側は、もう細かい指示を出す事はできない。ただリソース管理とミッション・コントロールはする、というプログラム・マネージメントだけが経営管理側にある。今後は、経営のプログラム・マネージメントと、現場のプロジェクト・マネージメントの分離が必要になっているんです。経営と言うと、現場のプロジェクトをさらに統括するプロジェクトマネジメントみたいに思われる方も多いですが、実はある段階からマネジメントとしてやるべきことの質が全く変わる。優れた大企業ではこうした経営管理の変化がすでに起き始めていると僕は見ています。

    P353 アルチザン的非アルチザンということ。働くことが楽しいと思える環境をもう一度作りなおすという話。【中略】ところが、産業革命を通じて発明から生産までのプロセスが制度化された結果、プロテスタンティズムの倫理のもとに、「あなたは労働という生産手段である」とされてしまい、アルチザンは労働者とアーティストに分断されてしまった。ここではモノを通じて世界に触れる楽しみはなく、「給料を払っているんだから文句を言うな」ということで片づけられてしまう。

    P354 これまで縦の組織構造においては、組織が個人に対して生産手段としてのレジティマシー(正当性)を提供する代わりに、労働者にはロイヤルティを求めて、自分の目的論に忠実に動くよう命令する、という社会設計をしてきました。【中略】それが情報社会の横の時代になって来ると、少し違ってきます。先ほども議論したように、レジティマシーではなく、「なぜこのプラットフォーム的な活動に参加するのか」というジャスティフィケーション(正当性)のロジックを人々は求めるようになる。代わりに僕のモチベーション、参加へのコミットメントを返してあげますよ、というわけです。【中略】縦割りの時代には正統性と忠誠心が対応し、横割りの時代になると正当性と参加への動機づけが対応するようになる。

    P360 個々の現場に対して「おまえはああしろこうしろ」というよりも「5年で5%だから」とベンチマークだけを言い放って、トップである小泉首相は政策を考えない。そのほうが結果として変化が速いという現実があるんですよ。そのことに気がついてしまったプログラム・マネージャーは、従来型の営業目標とアセスメントゴールとしての数値目標の違いをよく認識しないといけない。そういう形で、ミッションコントロールのやり方が変わる。

    P363 庭師は庭を作る時に、庭のそれぞれの植木や芝の成長をコントロールする事はできない。けれど、育ちやすくするために肥料をあげたり環境をを整備することはできる。つまり、うまく育つことを前提とした設計を行うことはできるということです。しかもそこで植物が育つことに喜びを感じるのが庭師です。

    P364 オタクたちは同人誌を売って得たお金をかなり同人誌で使っちゃってる。オタク市場では売り手と買い手、生産者と消費者の距離が極めて近い。【中略】インターネットやPCの革命が、実は閉じた経済しか作り出していないと言えるかもしれない。

    P372 ユーザーが実際に何を買っているのかと、何でお金を払わせているのか、という二種類のレイヤーがあって、それがズレているという事だと思うんです。いわゆる経済学での財とサービスというのは、後者の何によってお金を払わせているのかという話なんですね。そこでユーザーが何を享受しているかは、また別の話になる。

    P373 いくら僕たちが記号的で仮想的な消費社会に生きていると言っても「モノを売る」という形式によって働いているチェック機能は断固としてあると思うんです。モノだと生産コストが有限なので、化粧品は合法でも悪徳商法は違法だというよくわからないロジックが成立するわけじゃないですか。情報材となって生産コストがゼロに近づいた時、悪徳商法って何?という話になってしまう。【中略】サービス化が進むという事は、欲望のインストール競争へのチェック機能をなくしてしまう事を意味する。ユーザーがお金を払っているということはその分サービスを買っているのだから問題ないでしょう、という倫理観が蔓延することになる。これは僕は疑問に思いますよ。

    P375 一方では動物的なコントロールでお金を落とさせながら、他方では「最終的にはお前が選んだでしょ」というロジックが並行してあるところです。実際には動物的な管理をしつつ、仮に損をしたとしても「それはお前が人間的に選択したからでしょ」という二枚舌を使っている。【中略】やはり何らかのチェック機能が働かないとまずいんじゃないですかね。私たちの社会はすべてが動物性で満たされて安定するようにはなっていないのだから。

    P377 結局人にモノを売るということは、コンピュータの世界ではサポートをしないといけないので、むしろお金がかかるんです。

    P378 我々がモノを売ったり買ったりサービスをしたりということは、そもそも繋がっているんですよ。そうであるにも関わらず、その現実を我々は認識していないということが問題だと思っています。それを認識できるようなシステムにしたい【中略】自分がやっていることはバカだと気づけるようなシステムにしようと。

    P378 顧客囲い込みの究極は宗教でしょう、宗教はライフスタイルのトータル・マネジメントですよ。すごいシステムなんですよ。

    P386 集団でモノづくりをする事はできる。しかし、その作ったものに対して異議申し立てや改良や再定義をする時は、帰責先としての固有名を必要とする。あるシステムが「皆がつくった」ということが強調され、脱固有名化されると、そのシステムへの批判能力は失われていく。ここは少し真剣に考えるべきところかと思います。

    P388 いまは知が集まっている人と富が集まっている人がバラバラに存在している、近代社会では知が集まっている人と富が集まっている人は階層としてリンクしていた。言い換えれば象徴資本と経済資本は結びついていた。【中略】きわめて素朴な話をしますが、社会を帰るためには、基本的にお金が必要です。しかし我々の社会では、知の配分と富の配分が乖離しているので、社会を変える能力を持っている人に知が集まらない。その逆も言える。

    P391 人間には「心の理論」があると言われている、自分とはそもそも主体で世界は客体です。しかしその客体に中にも主体があることを認識する時、動物から人間に一歩踏み出すわけです。

    P393 近代の発明としてオーサーシップ(作者性)があることはよく知られています。アルチザン的なものとオーサーシップは異なる概念で、アルチザンは職にとして実際にモノを作るということですが、オーサーシップはどちらかといえば責任をとる人に近い、つまり、その人が全部作ったこということにするわけです。

    P401 第一の勘違いは「情報社会とはインターネット社会である」というものです。言い換えれば「インターネット上で起きていることが情報社会である」という考え方です。

    P404 なめらかな社会というのはどういうものだろうか
    ?反俯瞰-世界全体を見渡すことはしないと言うこと
    ?反タコツボ-自分の周りやコミュニティといったある特殊な範囲の内側だけをみないということ
    ?反コミュニティ-社会全体か中間集団かというようにゼロかイチかで物事をみないということ。
    ?反最適化-全体最適であれ、部分最適であれ、ある共同体の中で最適化するということをしないということ
    ?反正義-いかなる絶対的正義も認めないということ
    ?反ゲーム-対等な関係間でのゲームではなく、「距離」に応じたコミュニケーションへ


    P416 つまりウェブ4.0の段階に入ると、プログラミングをすることは、単にネットワーク上のコミュニケーションを媒介するといった次元にとどまらず、ありとあらゆる物理的な影響力のコントロールが可能になることを意味するわけです。ドアを開かなくする、椅子に座れなくする、といったコントロールが可能になる。【中略】すなわちユビキタス社会とは、さまざまな契約を「自動実行」できる社会ではないか。この段階をウェブ4.1と呼んでおきたいと思います。

    P429 (議事録の共有について)最近は音声録音に大きな可能性があると思っています。議事録の公開にはいろいろとコストがかかるモノですが、音声録音は録音ボタンを押すだけなので、いちばんコストがかかりません。その割にいいところもあります。例えば「言い方がむかつく」といった感覚的なものは、議論には上がってきませんが、実際にはネックになることが多いものです。音声録音することで、そういった問題を改善するチャンスが増えます。

    P438 情報技術が発達すると海外に行っても頭のモードが切り替わらなくなるということです。

    P447 鈴木さんは「自分のなしている行為がどのように他者に影響して行くか」という複雑な因果関係の計算と実行を、機会に代替させる世界を設計しようとしている、つまりこれは合理的に因果応報が実現されるシステムを作るということです。

    P451 交通事故は何が実際の原因なのかと問い詰めていけば、運が悪いからとしか言いようがないレベルに行きつく。しかし我々の社会は、これをとりあえず運転者の責任だとみなすことで秩序を維持している。【中略】僕が疑問に思うのは、なるほどそれは「現実の複雑さをそのまま反映している」システムなのかもしれないが、それで秩序は保てるのだろうかということです。

    P452 カール・シュミットは「政治的なものの概念」の中で、政治とは「友」と「敵」を分けることだと言っている。【中略】つまり「その相手と組めば利益があると判断したので相手と組む」といった発想は、既に政治ではない。それは経済的合理性にすぎない。同様に、相手が正しいのかどうかも無関係です。とにかく、相手が友か敵かということを考える時、政治なるものが立ち上がる。

    P454 そもそも戦争とは変なものです。自然状態であれば、300人くらいで誰かをリンチする事はありうるかもしれない。しかし300万3000万の規模で人間が集まって、みんなでお金を出し合い、武器を作り、どこかに攻めるというのはあり得ない。それこそ近代というのは、一つの型を国民に強制し、教育によって人々を洗脳するというシステムだからこそ、それだけの規模で動員できてしまう。みんなが自分の主体的な判断によって行動することができたら、そんなに集まるわけがないんですよ、5人集まるのだって大変なんだから。

    P455 報酬が能力比例でないというのは、本当にそうだと思うんです。なぜかと言えば、競争自体がなめらかではなくてステップだからですよね。

    P455 つまりPICSYには、富の再配分と暴力の抑制という、二つの国家の機能が欠けている。

    P459 社会システムの場合は、そもそもどの状態が望ましいのかという合意をとり結ぶことが非常に難しいわけです。

    P461 普通の工学系であれば、最後にグラフを書いて「前の技術よりも自分の開発したほうがグラフで上に来るので、勝ちました」と言って終わるのが通例です。しかし「誰かを喜ばせなければならない」というポリシーの研究室で育つことで、常に「これは誰がうれしいんだろう」と問うようになったんです。

    P462 「場の編集者」をどう育てるかということに日々心を砕いているんです。要は、ある程度密度の濃い空間を維持するための空間演出法のようなものです。【中略】日々現場へ行くにつけ、場の編集者の育成とプレースメントを担う名伯楽を、日本社会全体から見てポジショニングさせる必要があると思うんです。

    P469 テクストの95%はディフェンス力で作られている。しかし、世の中を動かそうと思った時に、ディフェンスに力を割いていたら無理ですからね。どうやってディフェンスをなくすかは大事で【中略】文章はディフェンスを要求する。というより、ディフェンスがない文章は電波にみえる。ところが政治はディフェンスでは無理なんですよ。

    P474 アメリカのハッカーたちが強いのはそこだと思うんですよ。つまり彼らは一種の思想家なんです。

    P483 話す人間としてのヨーロッパ人、自分で自分を守る人間としてのアメリカ人に対して、日本人は「空気を読んで酒を飲む人間」であると。したがってこの国では、そんな人間像をエンパワーするためにIT技術を使っていくべきなのだから、TwitterやUSTREAMによる飲み会中継は絶対的に正義なのだと−ええと、本当にこれが結論でいいのですか。その思潮を欧米にどう説明するんでしょうね。西欧人から見たら「こいつら終わったな」と思われるでしょうね。【中略】理性と酩酊、討議と飲み会、という単純な二分法に分けることのない、それこそなめらかなコミュニケーションのあり方に可能性を見出したいですね。

  • 下記HPでも全文公開されてます。
    http://www.glocom.jp/index.html

    2005年の研究会だけど、情報社会の倫理・設計に関する議論は今見ても考えさせられる。

    その設計編。
    情報構造・アーキテクチャについて語っている。

  • 2階書架 : 007.3/AZU/2 : 3410151802

  • 和図書 548.93/I69
    資料ID 20101031465

  • GLOCOMの「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」(略称Ised)の議事録
    設計研とは「情報技術がいま私たちの社会秩序にもたらすインパクトを見極めつつ、新たな社会秩序・制度・組織の可能性を構想すること」(P003)

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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