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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784309244655
みんなの感想まとめ
多様な視点からヤンキー文化を探求する本書は、社会的な規範に逆らう若者たちの姿を描き出しています。過剰な装備や自己表現の場としてのヤンキー文化が、どのように社会との関わりを持ち、時には救いとなっていたの...
感想・レビュー・書評
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ヤンキーの実用的ではない過剰装備をバロックで表すのかっこいいな。
社会、規範、学校、警察。大きなものに集団で逆らえばそれだけ帰属意識が芽生えるだろうし、外部から見てハッキリわかる主張 みたいなのをしてくれる人って信じられますもんね。
迷惑行為は悪いと思うので減っているのは良いことだと思うが、家庭環境が悪い子たちが属する場所、自己表現の場所を与えられていたことは救いにもなっていたのかもなあ。現在もそういう子たちが減ったわけではなくて、社会がどう手を差し伸べていけるのかは目を逸らしちゃいけない話でもある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
◆1/28オンライン企画「わたしの“モヤモヤ”大解剖―わがまま論・つながり論を切り口に―」で紹介されています。
https://www.youtube.com/watch?v=GTaAW7pHRII
本の詳細
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309244655/ -
社会学の時間に習った『ハマータウンの野郎ども』に相当するようなもの、つまり労働者階級の若者が、学校組織からは逸脱しているようでいて、最後はちゃんと労働者として吸収されていく、みたいな本が日本にはないなぁ、たとえばヤンキーの生態を描いたようなやつ、みたいなことを学生時代に仲間と話した記憶がある。というわけでようやく出ましたよ。それに相当するやつが。
序説というだけあって、いろんな人がいろんなことを言っている。
でも、今までまじめにやった人がいなかったのだから、しょうがない。
で、なぜ、日本にヤンキー文化論がないのか、それはヤンキー出身の研究者がいないからだ、というのは言われてみれば、至極当然。この点が、オタク文化論とは、真逆だというのも頷ける。
とはいえ、最近、痛車の輸出ビジネスでウハウハとかいう人もいるし、オタクの次はヤンキーか?との思いを、強くした次第。
でも、クール・ジャパンじゃないでしょう。さしずめキッチュ・ジャパンですか?
宮台氏もインタビュー参加です。あと、映画『国道20号線』についての宮台氏の評論「映画『国道20号線』はなぜ世紀の大傑作なのか」は、結構いろんなところに転載しているような気がするのですが・・・。
まあ、それだけすばらしい映画ということを言いたいのでしょうな。
あと、宮台氏が、96年あたりから、女子高生相手のフィールドワークをやめたことをさして、「ナンパ師が「ナンパがつまらなくなった」と言うのと同じです(笑)。」と言っていますが、それは違う。言うなれば、ナンパ師が老いを感じて引退したのに近い。時代の変化に自分の技がついていけなくなったのですね。
あ、でも、ナンパ師は老いを感じたとき、「つまらなくなった」といって引退するのかも。だとすれば正しいのか。
そういえば私も、予備校講師職をそうやって卒業したっけ。
ともあれ、ヤンキー的なものに未来はあっても、実際のヤンキーはもう消えゆく運命にあることが、多くの書き手が論じていて少し寂しい。
ヤンキーが落ち着く先の配管工とか、そういった職は、もう少なくなっているのね。 -
複数の論者で書かれた、ヤンキー文化に関しての序説。ヤンキー魂からファッション、地域社会の中のヤンキー等々、まじめに語られてます。個人的に建築の項目がツボでした。今の日本の問題点も、見出すことができる…のかな?
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もともとヤンキーじゃない人が書いてる文章がほとんどで、ヤンキー愛が感じられずちょっと微妙。
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久しく耳にしていなかった「ヤンキー」という言葉を、2013年頃から再び耳にするようになった。
斎藤環の「ヤンキー文化論」に関する活動が大きいのだろう(http://toyokeizai.net/articles/-/13068)
そんな「ヤンキー文化論」のそもそもの発端を担ったのが本書である。細分化された「ヤンキー文化」を幅広く知ることの出来る、現在のところ唯一無二の入門書である。
同書の目論見は、ジャパニーズカルチャーの通奏ならぬ通騒低音とでも言うべき「ヤンキー文化」を、多角的に探ってみようというものだ。
例えば、WORST、改造バイク、デコ携帯、箱物建築・・・などなど、日本人なら肌でわかる「あの似た感じ」の輪郭を手探っていく。
こうした点で、本書は明確な共通フォルムやモデルを提出する類の本ではない。様々なテーマ・角度から、「ヤンキー文化」を少しでも炙り出そうとする問題提起的な性格が強い。すなわち、「ヤンキー文化論」の切り込み隊長と呼ぶべき書である。
中でも、都築響一へのインタビュー『ヤンキーは死なない』、大山昌彦『暴走族文化の継承』が面白かった。ラストのナンシー関のエッセイはどれも興味深いが、同書の野望ともとれる引用を一つ。
”私には「世の中には”銀蝿的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、そしてその一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代終わりという時代の「銀蝿的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蝿出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蝿的なもの」はあったし、あり続けているのだ。− ナンシー関(pp.271)”
本書で紹介されている「ヤンキー文化」の「気合で解決」、「不良好き」、「どこか抜けててカワイイ」、「やるときはやる」といった美学要素は、「オタク文化」における厨二病的な様々なお約束事とも重なってみえる。
特に現代的な「ヤンキー文化」と「オタク文化」表現は、ごく表層レベルでの見えが違うだけで、ひとつレイヤーが下がると相当早い段階でオーバーラップしているようにも推測される。
先ほどのナンシー関の言う、「オタク」「ヤンキー」をとっぱらった上での「銀蠅的なもの」とは果たして何なのだろうか。今後の各研究者の研究を楽しみに待ちたいところだ。 -
明文化されないと、無かったことに、って感覚怖いなぁ。ペンは剣より強し、ですね。
オタクばかり無駄に評論されちゃってさ。
ヤンキーこそ人生を現してるってのも、言い過ぎだし、モテキと木更津キャッツアイ、どっちが好きかと言われたら難しいし。
電車男とIWGPのほうが分かりやすいかな?
でもなんか、評論されちゃうと、これじゃない感あるなぁ。 -
★マイルドまでもう一歩★当時としてはテーマに取り上げたのは早かったのだろうが、多数の論考をまとめたので重複や偏りが目立つ。オタクと比べた言説の少なさは言われてみれば確か。暴走族からきたヤンキー意識の紹介が強いが、郊外論、若者論とつなげれば旧来のヤンキーを脱したマイルドヤンキーにたどり着いていた。
個別に興味を覚えたのは
・ガテン系という出口の衰退を指摘する阿部真大。土着的な存在であるヤンキーが消えた理由のひとつ
・ヤンキーにとって音楽はビジネスの手段にすぎないと矢沢永吉や気志團、EXILEを例に示す近田春夫
・ヤンキー先生は型破りの熱血ぶりの印象のみで本人の言説は支離滅裂という後藤和春
・不良文化とは別の文脈でのヤンキー性を指摘した最初はナンシー関だとし、歌舞伎とヤンキーの近さを取り上げる斎藤環。これがいまのマイルドヤンキーに最も近い。その意味ではナンシー関の先見性もすごい
・ポスト・ヤンキー文化として建築計画学者の岩佐明彦の「インドア郊外」という概念を示す飯田豊・南後由和 -
日本(文化)を語るならオタクよりはヤンキーという切り口の方が網羅性があるように思う。精神性だけでなく、土着的な地域性から家族・仲間といった関係性まで論じられるし。が、物書きは概してヤンキーではなくオタクなので、どうしてもオタク論になりがちではある。という意味において、ここでの執筆陣は「ヤンキーオタク」であり、貴重な論考が展開されている。
日本人の半数ぐらいはヤンキーだしある種の日本人論・大衆論にもなりえるはずで、もっと研究が進む事に期待したいのだが、どうもイマイチ盛り上がらないのはなぜだろうか?単に興味関心がないのか?何らかのタブーがあるのか?忌まわしい過去への嫌悪か?
本書は執筆者が多くてちょっと散漫なのが難点。 -
なかなか面白かった!
特にナンシー関の、「日本人の5割は銀蝿的ななにかを必要としてる」っていうのは妙な説得力があった。
あと、ヤンキー先生をぼろっくそに批判してる人がいて面白かったw
私も、「うつとか言ってるやつはとりあえず校庭走れ」みたいなこと言ってからあの人苦手。しかもなぜ議員になったのか・・・。
ヤンキーが地域社会と関わるための祭りの役割とか、すごく面白かったなー。
東京だとあまりヤンキー見ないけど、地元だと普通に電車の床に座ってるもんな。 -
語られることの少ないヤンキー文化を、改めて考察の対象とした論考&対談集。
各論者で共通してヤンキーの特徴として挙げられているのは、「成熟と洗練の拒否」(永江朗)であり、バッドセンス(=ダサさ)であり、デザインの特徴は末端肥大で、歌舞伎など日本の伝統文化に起源を見出す論者も少なくない(酒井順子、斎藤環)。
ヤンキーの起源については、速水達郎は矢沢永吉が上京し、本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」(「ジャンプ」)の連載が始まった1968年に見出している。「あしたのジョー」(「マガジン」)が学生運動の学生たちに支持されたのに対して、本宮はブルーカラーの大衆に支持されたのだという。
逆に、各論者で見解が分かれている点もある。「ヤンキーは今も存在するか?」という点であり、宮台真司をはじめとする社会学者たちは、一様に、ヤンキーは地域的な共同体を前提としており、先輩/後輩というタテの繋がりや祭りを媒介として社会に移行していく存在だったが、地域の力が弱まった現代においてヤンキーは消滅したし、今後復活することもないだろうと述べる。
一方で、『ケータイ小説的。』で再ヤンキー化を論じた速水達郎、斎藤環、酒井順子といった論客たち、最大の大物は故ナンシー関ということになるだろう)が、彼らはケータイ小説を読むギャル層や、『小悪魔ageha』を読むキャバ嬢の「盛り」の髪型、有名人では亀田一家やYOSHIKI、EXILEなどに、日本人の中に脈々と受け継がれるヤンキー魂を見出していく。
地域に根ざしたヤンキーが消滅する一方で、日本人の中にあるヤンキー魂は明らかに消えてないように見えるし、バッドセンス的な大衆文化性は今後どのような形で継承されていくのかということだと思うが、末端肥大や装飾過剰、バッドセンス、成熟の拒否といった特徴を下にして、あるいはヤンキー的なテイストが入ってないと日本では大衆的な支持を得ることはできないとして、「ヤンキー的なもの探し」をしていくことには注意も必要だろうと思う。
末端肥大で装飾過剰でセンスがないのがヤンキー文化の特徴ということであれば、オタク文化もまたヤンキー文化なのだということになってしまうからだ。あるいは、本宮ひろ志から車田正美へというラインでヤンキー文化とオタク文化の連続性を見ていくこともできるかもしれないが……。
おそらくケータイ小説にしても、ジャンプやライトノベルにしても、「郊外化」がヤンキー文化との連続性と切断を考える上での一つのキーワードになるだろう。
思えば、ぼくが地方の中学生だった頃は、まだ一般の学生も鞄を潰すのが流行っていてぼくも潰してたし、裏地に龍や虎の刺繍が入ってる学ランを着てる不良の子もいた。遡れば、矢沢永吉率いるキャロルがデビューする1972年はさすがに生まれる前だが、1981年の横浜銀蝿やなめ猫のブームはうっすらと記憶がある。
しかし、地元でもいまやかつてのヤンキーの姿を見ることはない。彼らはどこに行ったのか?
村上春樹の洗練されたアメリカナイズされた生活スタイルは、村上龍や山田詠美のアメリカの影とは異なるアメリカの受容を示し、多くのフォロワーを生んだが、最新作『1Q84』においてヤンキー的な方向に転換しているように見えるのはなぜか?
ヤンキーを考えることは、再び日本社会を考え直すきっかけになるだろう。 -
思考や行動の様式から、
ファッション、音楽、マンガ、映画、アート、建築まで――
様々な観点から著名人が書くヤンキー論
的を得ていると思えるものあり、的外れだと思うものあり。
見る角度によって、現在ヤンキーが消えつつあるのか
そうではないのか、が違って面白い。
制度として見ると崩壊しつつあるかもしれないが、
文化・メンタリティといったものは広く浸透しているとも言える、
というような感じ。
最初に編者が「ヤンキー論」としてまとめようとしても
まとめきれない、というようなことを言っていたが
そりゃそうだろう。
個人的にはどんな学者がいうより説得力あるのが、
ナンシー関の
「日本人の5割は銀蝿的なものが好き」
これに勝るものはないと思う。
でなけりゃクローズとかあんなにヒットしないだろう。 -
不良文科を調査したある意味貴重な本。オタク文化の研究に比べ不良文化の研究がやや少ない理由も理解できたと思う。
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2009/11/14(〜p285終)
今多く書かれているのはオタク文化論であり、ヤンキーについて詳しく分析し書かれている著書など確かに見かけないなと思いました。
オタクという言葉が普及し始めたのはつい数えるほど前のことであり、逆にヤンキーという言葉は遥か昔から人々の語彙の中にあるはずなのに、なぜ多くを語られないのだろうと改めて思った。
そして、読んでいて「うん、書きにくいんだろうな」と納得してしまった。 -
表題がヤンキーでも、やっぱり論評だから解説的過ぎた。ヤンキーの特性を知る機会に恵まれたので良しとすべし?・・・・ヤンキーの上下関係とリーダー感覚と地域性と秩序を重んじるとかのところで、某Gのリーダーを思い出し、この感性と役割が某Gの媒体に大いに関係しているのでは?と想像したものである。
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新聞の書評欄を見て面白そうだったので。唯、「ヤンキー」が「文化」と云えるかどうかは、大いに疑問。唯、まだ読んだ訳ではないので、評価は其から。
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いやー、面白い。目から鱗落ちまくり。オタク文化を論じた書物は数々あれど、オタク文化と対極にありそうな「ヤンキー文化論」の書物は極端に少ない。しかし「ヤンキー文化」そのものは「東京23区の西半分 <strong>以外</strong>」のエリアにおいてはかなりの数が潜んでいる筈なのだ。社会への抵抗、右寄りの思想、ふるまい、言葉使い、音楽、ファッション、デザイン、建築、アート、メディアにおける表象、憧れと侮蔑…。まだ本格的な書物が登場しない現時点において先ず口火を切るための「序説」この本の中では取り上げられなかったけれど沖縄の成人式のあの大騒ぎも同じ視点から読み取れそう。
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ヤンキー文化論を論じたことに5つ星。
なぜ、オタクカルチャーは社会学の
定番で、ヤンキー論は無かったのかは
本書を読めばわかる。
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