ヤンキー文化論序説

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 171
レビュー : 20
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309244655

作品紹介・あらすじ

オタク論には、もう飽きた!思考や行動の様式から、ファッション、音楽、マンガ、映画、アート、建築/インテリアまで-いまこそ、ヤンキー文化の豊潤な可能性を見よ。

感想・レビュー・書評

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  • 社会学の時間に習った『ハマータウンの野郎ども』に相当するようなもの、つまり労働者階級の若者が、学校組織からは逸脱しているようでいて、最後はちゃんと労働者として吸収されていく、みたいな本が日本にはないなぁ、たとえばヤンキーの生態を描いたようなやつ、みたいなことを学生時代に仲間と話した記憶がある。というわけでようやく出ましたよ。それに相当するやつが。

    序説というだけあって、いろんな人がいろんなことを言っている。
    でも、今までまじめにやった人がいなかったのだから、しょうがない。
    で、なぜ、日本にヤンキー文化論がないのか、それはヤンキー出身の研究者がいないからだ、というのは言われてみれば、至極当然。この点が、オタク文化論とは、真逆だというのも頷ける。

    とはいえ、最近、痛車の輸出ビジネスでウハウハとかいう人もいるし、オタクの次はヤンキーか?との思いを、強くした次第。
    でも、クール・ジャパンじゃないでしょう。さしずめキッチュ・ジャパンですか?

    宮台氏もインタビュー参加です。あと、映画『国道20号線』についての宮台氏の評論「映画『国道20号線』はなぜ世紀の大傑作なのか」は、結構いろんなところに転載しているような気がするのですが・・・。
    まあ、それだけすばらしい映画ということを言いたいのでしょうな。

    あと、宮台氏が、96年あたりから、女子高生相手のフィールドワークをやめたことをさして、「ナンパ師が「ナンパがつまらなくなった」と言うのと同じです(笑)。」と言っていますが、それは違う。言うなれば、ナンパ師が老いを感じて引退したのに近い。時代の変化に自分の技がついていけなくなったのですね。
    あ、でも、ナンパ師は老いを感じたとき、「つまらなくなった」といって引退するのかも。だとすれば正しいのか。
    そういえば私も、予備校講師職をそうやって卒業したっけ。

    ともあれ、ヤンキー的なものに未来はあっても、実際のヤンキーはもう消えゆく運命にあることが、多くの書き手が論じていて少し寂しい。
    ヤンキーが落ち着く先の配管工とか、そういった職は、もう少なくなっているのね。

  • 複数の論者で書かれた、ヤンキー文化に関しての序説。ヤンキー魂からファッション、地域社会の中のヤンキー等々、まじめに語られてます。個人的に建築の項目がツボでした。今の日本の問題点も、見出すことができる…のかな?

  • もともとヤンキーじゃない人が書いてる文章がほとんどで、ヤンキー愛が感じられずちょっと微妙。

  • 表紙の絵、排泄物を箸でつかんでる様子っぽいし、いやさすがに…汚いエビ?って思うがよく見たらリーゼントだ。何度見ても一から見間違えなおす。
    51、「ヤンキー的なものとは何か。それは成熟と洗練の拒否である。」
    「二三区の左半分以外」の地方公務員とヤンキーもそこそこの年代まで関係あるとみている。

  • 久しく耳にしていなかった「ヤンキー」という言葉を、2013年頃から再び耳にするようになった。

    斎藤環の「ヤンキー文化論」に関する活動が大きいのだろう(http://toyokeizai.net/articles/-/13068

    そんな「ヤンキー文化論」のそもそもの発端を担ったのが本書である。細分化された「ヤンキー文化」を幅広く知ることの出来る、現在のところ唯一無二の入門書である。

    同書の目論見は、ジャパニーズカルチャーの通奏ならぬ通騒低音とでも言うべき「ヤンキー文化」を、多角的に探ってみようというものだ。

    例えば、WORST、改造バイク、デコ携帯、箱物建築・・・などなど、日本人なら肌でわかる「あの似た感じ」の輪郭を手探っていく。

    こうした点で、本書は明確な共通フォルムやモデルを提出する類の本ではない。様々なテーマ・角度から、「ヤンキー文化」を少しでも炙り出そうとする問題提起的な性格が強い。すなわち、「ヤンキー文化論」の切り込み隊長と呼ぶべき書である。

    中でも、都築響一へのインタビュー『ヤンキーは死なない』、大山昌彦『暴走族文化の継承』が面白かった。ラストのナンシー関のエッセイはどれも興味深いが、同書の野望ともとれる引用を一つ。

    ”私には「世の中には”銀蝿的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、そしてその一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代終わりという時代の「銀蝿的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蝿出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蝿的なもの」はあったし、あり続けているのだ。− ナンシー関(pp.271)”

    本書で紹介されている「ヤンキー文化」の「気合で解決」、「不良好き」、「どこか抜けててカワイイ」、「やるときはやる」といった美学要素は、「オタク文化」における厨二病的な様々なお約束事とも重なってみえる。

    特に現代的な「ヤンキー文化」と「オタク文化」表現は、ごく表層レベルでの見えが違うだけで、ひとつレイヤーが下がると相当早い段階でオーバーラップしているようにも推測される。

    先ほどのナンシー関の言う、「オタク」「ヤンキー」をとっぱらった上での「銀蠅的なもの」とは果たして何なのだろうか。今後の各研究者の研究を楽しみに待ちたいところだ。

  • 明文化されないと、無かったことに、って感覚怖いなぁ。ペンは剣より強し、ですね。

    オタクばかり無駄に評論されちゃってさ。
    ヤンキーこそ人生を現してるってのも、言い過ぎだし、モテキと木更津キャッツアイ、どっちが好きかと言われたら難しいし。

    電車男とIWGPのほうが分かりやすいかな?

    でもなんか、評論されちゃうと、これじゃない感あるなぁ。

  • ★マイルドまでもう一歩★当時としてはテーマに取り上げたのは早かったのだろうが、多数の論考をまとめたので重複や偏りが目立つ。オタクと比べた言説の少なさは言われてみれば確か。暴走族からきたヤンキー意識の紹介が強いが、郊外論、若者論とつなげれば旧来のヤンキーを脱したマイルドヤンキーにたどり着いていた。

    個別に興味を覚えたのは
    ・ガテン系という出口の衰退を指摘する阿部真大。土着的な存在であるヤンキーが消えた理由のひとつ
    ・ヤンキーにとって音楽はビジネスの手段にすぎないと矢沢永吉や気志團、EXILEを例に示す近田春夫
    ・ヤンキー先生は型破りの熱血ぶりの印象のみで本人の言説は支離滅裂という後藤和春
    ・不良文化とは別の文脈でのヤンキー性を指摘した最初はナンシー関だとし、歌舞伎とヤンキーの近さを取り上げる斎藤環。これがいまのマイルドヤンキーに最も近い。その意味ではナンシー関の先見性もすごい
    ・ポスト・ヤンキー文化として建築計画学者の岩佐明彦の「インドア郊外」という概念を示す飯田豊・南後由和

  • 中に収められていたナンシー関のコラムに改めて脱帽。
    工藤静香の映画を上映していた地方の劇場でヤンキーが「静香が見えねえ」と大騒ぎ、という事件を受けて「物事は起こる確率の高いことから順番に起こっていくのだなあ」。同じ事を言っているようでも勝間和代の「起きていることは常に正しい」とは全く位相のことなる的確さだ。

  • 日本(文化)を語るならオタクよりはヤンキーという切り口の方が網羅性があるように思う。精神性だけでなく、土着的な地域性から家族・仲間といった関係性まで論じられるし。が、物書きは概してヤンキーではなくオタクなので、どうしてもオタク論になりがちではある。という意味において、ここでの執筆陣は「ヤンキーオタク」であり、貴重な論考が展開されている。
    日本人の半数ぐらいはヤンキーだしある種の日本人論・大衆論にもなりえるはずで、もっと研究が進む事に期待したいのだが、どうもイマイチ盛り上がらないのはなぜだろうか?単に興味関心がないのか?何らかのタブーがあるのか?忌まわしい過去への嫌悪か?
    本書は執筆者が多くてちょっと散漫なのが難点。

  • ナンシー関いわく、
    「日本人の気質はヤンキー、ミーハー、オタクの3つに分けられる」

    オタクに関する研究は歴史もあり、現在もなお進められている。
    最近では市場規模さえ出されてしまって、市民権を得ている。
    ミーハーは広告代理店を中心にマス的にやり尽くされてきた。
    日本人の圧倒的大多数がここに属するだろう。

    しかし、ヤンキーというサイレントマジョリティは?
    というところで、決定的に議論されてこなかったのではないか。
    という仮説の元、本書は非ヤンキーたちによって書かれた本である。

    はて私の成分はナンシー関流に言うと何なのか。
    ミーハー(70%)、オタク(15%)、ヤンキー(15%)
    といった感じかしら。

    図書館で借りて八戸という地方都市に滞在しながら一気に読みふけったので、
    地方都市におけるヤンキーというものを考えずにはいられなかった。
    普段、まちづくりという仕事に携わるものとしては、
    「地方都市におけるヤンキーを卒業した兄ちゃん姉ちゃんたちの受け皿
     としてのコミュニティの度量がなくなりつつあるのではないか」
    という視座に、ほぼため息と同じようなものが出てきた。

    個人的に実は、ヤンキーの変遷について、大店法の影響をすごく感じている。
    それはちょっと自分のノートでまとめるとして、メモ的に書いておく。

    とにかく本書はヤンキー文化を、
    ファッション、美術、音楽、社会学等々あらゆる面から切り込んでいて、
    まとまりこそないものの、
    その土着感、そして異物感(あくまでも私とは違うという意味で)に、
    非ヤンキーたちが書いたくせに、なるほどと、いちいち感服できた。

    とにかく、図書館で借りたくせに
    「うん、買ってもう一度読もう」
    と思った久しぶりの社会学本。買うぞ。

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著者プロフィール

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
1967年、フランス・パリ生まれ。建築史家、建築評論家。東京大学工学系大学院建築学専攻修士課程修了。博士(工学)。東北大学大学院工学研究科教授。『ル・コルビュジエがめざしたもの』(青土社)、『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』(PHP新書)、『日本建築入門――近代と伝統』(ちくま新書)、『新編 新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫)、『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)など著書多数。

「2018年 『白井晟一の原爆堂 四つの対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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