性と国家

  • 河出書房新社
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309247854

感想・レビュー・書評

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  • 知の巨人・佐藤優とフェミニズムの開拓者・北原みのりの対談集。

    佐藤はこの対談を通して「自分自身の思考がいかに暴力性を帯びているかについて反省」したと語る。
    一方、北原は佐藤のことを「差別と暴力を、握り拳のなかで感じられる人」と。

    共鳴し合う二人の共通項は「獄中闘争」。

    凄まじい経験した二人が共通して語る。
    「拘束される恐怖と屈辱感」こそが差別の正体なのだと。執行猶予が終わった後、自由になった後こそが、恐怖で当時のことが書けないのだと。

    二人の対談を通して、気付かずに差別する側になってしまうことに愕然とする。
    でも、知ることが第一歩なのだ。

    自分自身の胸に刺さる、抜き難き一本の矢。差異への拘りに気が付かされる渾身の対談集。

    〈以下抜粋〉
    「反権力が好きな男性たちの興奮が気持ち悪かった」(北原)

    「逮捕されたときには、男は誰ひとりついてきてくれませんでしたよ。助けてくれたのは、三人の女性だけ」(佐藤)

    「実はある筋から、私が外務省の悪口を散々書いてるからって、それを原作にアダルトビデオ化しないかという話があって(笑)。ビデオ会社の担当レベルでは興味を示したんだけど、法務ではねられたそうです。中央省庁を揶揄したりしたら、どうなるかわからないからと」(佐藤)

    「外務省時代に付き合っていた情報関係のプロたちは、ロリコンとか女性への暴力とかをとても嫌っていました。逆説的になるんだけど、日常的に仕事で暴力を作り出す人間たちだから、私生活では魅力的な人が多かったですよね」(佐藤)

    「正義はあると考えるのと、正義を振りかざすのは大きく違うんです」(北原)

    「差別を本質的に捉えてない人が発言しても、沖縄人は冷たいですよ。琉球SEALDsに所属する大学生が『二番目の加害者は、安倍首相と日本人だ』と言いましたね。会場の一部は沸いているように見えたけど、私の周りは冷ややかだった」(佐藤)

    「夏目漱石の『坊ちゃん』の中に、『日本人はなぜすぐに謝るのか。それはほんとうは悪いと思っておらず、謝れば許してもらえると甘えているからだ』というくだりがあります」(佐藤)

    「忘れないけど許すというのが、本当の『和解』ですよね」(北原)

    「イエスが捕まったときに男たちは皆逃げちゃったんだけど、女性たちはそばから離れなかった」(佐藤)

    「日本の性売買は、どっぷり体制側。そういうシステムが当たり前のようにある世界で、男性たちもシステムの依存症になっているんじゃないでしょうか」(北原)

    「今、そういった現場の方々が力を入れているのは、1956年に制定された『売春防止法』の改正です。60年前のジェンダー観でつくられた法律は、性売買に関わる女性を保護・更正の対象としてしか捉えておらず、使われる言葉も差別的です」(北原)

    「『あなたの近い人が』じゃなくて『あなたが』『僕が』売春せざるをえないという状況になったときに『僕が』どういうふうに感じるか。そういう方向で立てないといけない」(佐藤)

    「女の運動の歴史は、無視と嘲笑との闘いの歴史だ。それが性にまつわることであればあるほど、その闘いは過酷だ。男たちは対等な議論の俎上に、女の声をのせなかった」(北原)

    「嘲笑される女から距離を保ち安全圏で正論を吐くフェミニズムでなく、嘲笑される女の横に立つフェミニストでありたいと願うようになった」(北原)

  •  北原みのりはフェミニストであると同時に、経営するアダルトグッズ・ショップをめぐる「わいせつ物陳列罪」で逮捕・勾留された経験を持つ。

     一方、佐藤さんは「鈴木宗男事件」に連座して逮捕・勾留された際、「国家というものが男権的で、とても暴力的なものであることを再認識し」、そこからフェミニズムの重要性に関心を持ち始めたという。

     獄中体験を通じて国家と対峙し、フェミニズムについて改めて思索したという共通項を持つ2人が、「性の視点で語る、新・国家論」(帯の惹句)である。
     この2人にそういう角度で対談させることを考えた編集者の、企画の勝利、キャスティングの勝利ともいうべき好著だ。

     とくに、従軍慰安婦問題を俎上に載せた第二章「戦争と性」は、従来の右派・左派による紋切り型の慰安婦論議に陥らない視点から語られており、目からウロコの卓見が多数ある。

     ただ、北原みのりは時々おかしなことを言っている。
     とくに、宗教改革の先駆者ヤン・フスが教会権力によって火刑に処されたことが話題にのぼったくだりで、「カトリック、かっこいい(笑)」「いいじゃないですか、カトリック!」と、フスを虐殺した側を賛美しているところは、目がテンになった。
     いったいどういう感覚をしているのか。冗談だとしてもまったく笑えないし、これはジョークにしてはいけないたぐいの話ではないか。

     あと、佐藤さんは性風俗やAVに対する見方が少し厳しすぎる印象を受けた。キリスト教を根幹に持つがゆえの厳しさなのだろうが。

     ……と、ケチをつけてしまったが、全体としては質の高い対談集だと思う。

  • 佐藤優が沖縄県民を差別誘導しているのは間違いないでしょう。著者の母は沖縄出身のクリスチャンで、彼は同志社大学の出身のようだ。知人から聞いた話では沖縄キリスト教大学という沖縄の大学に通う女子学生は、少ない稼ぎを米兵に貢いでいるそうだ。沖縄の強姦致死事件の犯人も本来は兵役を終えアメリカに帰るはずが、日本人女性が結婚して日本にとどめてしまったがために、軍の管理ができない状態で日本国内に野放しにされてしまったのではないか?一説によるとシンザト容疑者の妻も沖縄キリスト教大学の出身と聞く。

    かつてキリスト教が火薬の硝石と引き換えに日本人女性を性奴隷として買い、世界中に売り飛ばしたことについて著者はどう考えているのか?また、からゆきさん問題をどう考えているのか?現在でも横須賀においても沖縄と似たような状態になっていることをなぜ扱わないのか?極めつけは、論調の中で韓国の慰安婦問題と沖縄を同列に考えるように読者を誘導していることである。これは沖縄に侵入していると思われる似非左翼や似非右翼の特徴的な論調でもある。

    沖縄県民は太平洋戦争を共に戦った同志であり、集団自決は特攻隊ともに扱うべき愛国心の象徴でもあるが、韓国出身者は他の日本兵と違いすぐに投降し裏切った者が多かったとよく聞く。

    さて著者の友人が多いと思われる創価学会の上層部は韓国系の人たちが多いという説について著者はどう考えているのか?誰かがこういったことを国民に伝えこのような作家を追求しないと、沖縄と日本は分断されてしまうだろう。

  • 慰安婦問題からAVの問題まで、対談形式で語られる。女性は欲望の対象であり、その事を前提に社会システムが出来ている。それは、男性が欲求を制御できない事を前提としており戒律や法律で禁止した所で、統制しきる事はできない。北原みのりは、そうした男性的社会を不平等で、作り直さなければならないものと断じ、異常な変態性を軽蔑し、性風俗店をペットショップのように人権無視の上に成立すると言い切る。佐藤優をおおよそ同意しているように見える。しかし、本当にそうか。女性が性の対象となるのは当たり前であり、欲求を満たしたい衝動も、人生に付随する綺麗事ではない側面ではないか。その意味でも、2人は橋下徹の米軍に風俗店が必要との発言に、女性を馬鹿にしていると言うが、私はそうは思わない。

    ジェンダー論は難しい問題である。夫婦共働きの世帯収入を得ている子ナシの家族と、夫一人で妻も子供も養っている家族と、これは社会的に平等か否か。また各々の妻の立場も当然ながら異なる。就労のし易さにも性差はある。この本では性衝動の部分が議論されているが、性機能差については論じられない。私見だが、北原みのりの一方的な意見が幼く、彼女の好む言い方を借りれば、性を性欲として記号化してしまっている所為ではないか。

    性欲は性差により生じるのだから、性差そのものを社会システムに繋げて、掘り下げて欲しかった。

  • 北原みのりさんの、スタンスっていうか、
    「基本的な考え」とか「何をどうしたいのか」というのがわからない。
    Wikipediaで経歴を読んでみたら、ますます混乱しました。
    彼女の『毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ』を読んだことがあるけど、
    やっぱり対談じゃわからないって思った覚えがあります。

    半ば諦めながら読み進め、ほとんど終わり近くなって、
    佐藤優さんのこのコメントが、私の心臓にドストライク!
    佐藤「北原さんはある意味で非常にピューリタン的ですよ」
    北原「え、そうですか」
    佐藤「そういうふうに私に見えます」

    さらに読み進めていくと、
    「そう!私もピューリタンなんだ」と思うことが次々とあって、でもここでは省略。

    北原「人を選んでやってる。
      状況を選んでやってる。
      やっても咎められないとわかってやってる。
      金払えば何やってもいいと思ってる。
      その狡さに対する嫌悪がある」
    佐藤「期せずして出たけど、だからピューリタンなんですよ。
      ピューリタニズムが嫌うのは狡さだから。
      男女問わず、狡い人が嫌いでしょう?」
    北原「大っ嫌いですよ」

    これが私の長年の「悩み」…というか、「苦しみの根源」なんだと。
    そんな自分とどう向き合っていくかが私の課題。

    この本のもう少し後のほうに佐藤さんの言葉で
    「無関心を基礎とした寛容」
    「無関心であることによる寛容」というのがあって、
    自分としては「無関心でない寛容」になれるのが理想なんだけど、
    今のところ「結局心が弱いからか、無関心を選択するのがラクな道なんだよな」と。

    そんなことを考えられたから、この本を読んだのは良かったです。

  • 北原さんの本も佐藤さんの本も読んだことがない。そんな二人の対談。論を闘わすというよりは、共感のなかで話が進んでいく感じ。二人の話にほぼ私も共感。
    自分のなかでは曲者的な印象だった佐藤さん。ちょっと読まず嫌いだったかなと思った。2015年の日韓合意が見直されることになると看破していたのはさすが。
    なるほどなと思ったのは、北原さんが話していたんだと思うが、女性が性暴力と隣り合わせであることに、男性に思いを寄せてもらおうとするときの「自分の妻や娘がそういう目に遭ったらと想像してみろ」という常套句を突いたところ。自分の妻や娘がでなく、自分がそういう目に遭ったらと想像して対せるようでないと駄目なんだ。妻や娘のこととして感じた思いは、結局父権的でそこにまたジェンダーが宿っているから。

  • 慰安婦問題に関して,女性の意見をあまり聞いたことがなかったので,北原さんの発言は非常に興味深いものだった.未だに我が国では女性に対する差別的な見方が通奏低音のように流れていると感じている.これを打破する方法は,幼児教育にあるのではないと思っている.佐藤優さんの弁はいつもながら,的確で素晴らしい.矯風会の話も面白かった.

  • とあるロリペドエロ漫画を模倣し、少女に性的暴行をしていた男が逮捕され、その模倣された漫画の作者である漫画家のもとに警察が話を聞きに行く、ということが起きた。その漫画家は自身のツイッターでことの次第を説明したまでは良かったが、あろうことか一連のツイートの後に該当漫画で被害者の女児が「なんで私だけ」と言いながら泣いている場面のコマを載せた。なんで自分だけ警察に来訪されねばならないのか、ということを表現したもの思われるが、そこに被害者への配慮や心配はまったくなく、どう見ても茶化している様にしか見えなかった。そのツイートについたファンからのリプライも、「このタイミングでそれは草生えますよw」とか、被害者をなんだと思っているのか目を疑うものばかりだった。
    私は漫画もアニメも好きだし、表現規制には反対だ。残酷な描写や性的な描写は、その作品を創り上げる上で必要なものであれば規制されるべきではないと思う。ロリペドエロ漫画にしても、一部の愛好家の間だけで楽しんでいるなら問題ないと思っていた。しかし、現実に被害者が出たにも関わらず、彼女たちへの配慮もないどころか事件を面白がるようなことを言いながら、漫画への規制反対だけを声高に条件反射のように主張するオタクたちを見ていると、本当にこれでいいのかと思うと同時に、やはり(全員とは言わないまでも)日本男性の性に対する感覚は歪んでいるのではないかと思わざるを得なかった。また、作品が目を背けたいようなものでも描いている本人はまともなのだろうと思っていたが、ロリペドエロ漫画を描くような人はやはり女性を玩具にしか思っていないんじゃないか、という偏見も少し芽生えてしまった。
    前置きが長くなったがそんなことがきっかけで本書を読んでみたが、やはり世界的に見ても日本の性に対する感覚はちょっと異常なのかもしれないとは思えた。ただ、その理由を解き明かすうえでの歴史的背景、政治的・社会的分析の部分がやや少なく、従軍慰安婦や宗教観の話(それはそれで興味深かったが)が多かった。ただ佐藤優氏の女性、フェミニズムに対する考え方はうなずける部分が多く、もっと読みたいと思った。

  • フェミニストで作家の北原みのりと、元外務省職員の佐藤優の対談本。
    テーマ自体は面白いし、なるほどと思う部分も少なくはなかったとは思うのだけど、なぜか「痒いところに手が届きそうで届かない」という感覚をおぼえてしまった。

    ろくでなし子事件で連座させられた北原みのりが、その際に「反権力!」と盛り上がっていた運動家たちに違和感をおぼえた(彼らの盛り上がる角度に違和感をおぼえた)、というあたりが、個人的には深めるべき話だろうと感じたのだけど、「性(売買)と自己決定」についての議論は、なんとなく知っている話だと感じてしまった。
     悲惨な経験やとてつもない差別を体験した当事者の語りが、むしろ表面的には「差別などなかった」「さほどつらくなかった」という話として捉えられてしまうことはよくある話で、けれどもそうしたことはなかなか理解されない。それは、マイノリティー問題というか、他者理解ということについての、社会全体のリテラシーの低さの問題ということなんだろうけど、「そこから話さないといけないかなあ」という徒労感も、個人的には持ってしまう。コミュニケーション能力なるものが喧伝される社会にあって、しかし人の言葉の「行間を読む」ような能力は、実はやせ細っていっている、と思う。

    ところで、この本を読んでもどこかスッキリしない理由の一つは、やはり佐藤優の「話を合わせるのが上手すぎる」ことに起因するのだと思う。すなわち、対談をしているが、北原との間で交わされる意見に大きな相違が見られないために、やや予定調和的な運びになっていると思われるのだ。
    そして、その意見の相違のなさ(スムーズさ)が、「本当に」佐藤優が感じていることに基づいているのかどうかわからない、という点で不気味にも思えた。

    ジェンダーについての議論は、一定程度訓練を積めば、男性であっても問題発言をしないで済ませることはできる。いわば、「フェミニストに合格点をもらえる」会話というのは可能である。しかし、それが表面的な繕いであれば、こうした対談・議論としてはあまり意味がない。
    そして、それは諜報活動に従事していた佐藤には、さほど難しいことではないだろうと思えてしまうのである。それは佐藤が左右様々な論壇で縦横無尽に発言している不気味さとも通底する。
    (ジェンダーの議論をするなら、男性である自分の心の底にある醜い部分を開陳しつつ、それを批判的に捉える必要があるが、佐藤自身は「私は男性的な文化は嫌いです。気持ち悪いです」という態度に終止している。いや、本当にそうなのかもしれないが、本当なのかと、僕のような薄汚い心を持った人間は思ってしまう)

    だから、様々な人と話を合わせられる佐藤優という妖怪について、理解が深まるよりも、むしろ得体のしれなさを確認した気がするし、その得体のしれなさによって、微妙に本質にアクセスできないようなもどかしさを覚えた。これが僕の猜疑的な妄想なら別に良いのだけど。

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著者プロフィール

1970年神奈川県生まれ。作家。津田塾大学卒。96年フェミニズムの視点で女性のためのセックストーイショップ「ラブピースクラブ」設立。著書に『毒婦。』、『奥さまは愛国』『性と国家』(共著)など多数。

「2017年 『日本のフェミニズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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