- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309256177
作品紹介・あらすじ
濃密な花鳥画に代表される数多の名作はどのように生まれたのか。家族、禅、ジェンダー、時代……多角的視点でその背景を解き明かす。見えてきた画業と生涯とは。若冲研究の第一人者によって書き下ろされた、いま最も新しく最も詳しい評伝の決定版。カラー口絵、本文図版多数。
感想・レビュー・書評
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伊藤若冲(1716-1800)は近年人気の高い、江戸の絵師である。
生前は人気も知名度も抜群であったが、明治以降、一時期、忘れられたに近い存在となった。本格的な学術研究の嚆矢は1920年代、秋山光夫らによるものである。その後、1960年代に辻惟雄・小林忠らにより、研究が飛躍的に拡大する。若冲作品に注目し、多くの作品を入手していたアメリカ人蒐集家、ジョー・プライスの存在も大きかった。
著者は、秋山、辻・小林に続く、若冲研究の第三世代にあたるという。
本書は現時点での若冲研究の集大成的な位置づけである。著者の研究を中心に、他の研究者らの研究も含め、比較的新しい成果も取り入れて、若冲の「全体像」に迫っている。
評伝であるので、挿図は最小限で、口絵以外は白黒だが、このあたりは展覧会図録や参考文献の図版を参照すべし、というところだろう。
後の若冲研究につながる里程標となりうる書籍なのだろうが、一般読者として読んでも、美術史研究がどういうものかが垣間見られてなかなかおもしろい。
若冲の人物像についてはそれほど多くが知られているわけではないが、親交があった禅僧、大典が書き残した中に以下のようなものがある。
「丹青に沈潜すること三十年一日の如きなり」
絵画への没頭ぶりは尋常ではなかったのだろう。
若冲が数多く描いた鶏は、中国では「文・武・勇・仁・信」の五徳を持つとされていたという。大典、ひいては若冲自身の知見に入っていたかどうかは定かでないようだが、禅僧にとっては鶏はある種、特別の画材であったわけだ。そう思うと、また鶏の絵を見る目も変わりそうである。
代表作の1つである「動植綵絵」の背後に父の死があり、涅槃図を野菜や果物に置き換えて描いたユニークな「果蔬涅槃図」には、あるいは母の死を悼む思いがあったのではないかという解釈も興味深い。
若冲の実年齢と絵に記載した年齢の違いに関する考察も、諸説並べて提示されなるほどと面白く読んだ。
若冲は「千載具眼の徒を竢(ま)つ」(自分の画の価値がわかるものを千年待つ)と言っていたという。若冲人気は高いものの、若冲のものでない画(工房の作、弟子の絵、贋作)を愛でていたり、若冲以外の日本美術にまったく関心を持たなかったりする人も多いと著者は苦言を述べる。
近代の激動の中で、若冲が一時は忘れ去られたように、美術史観は大きく偏ってしまったのかもしれず、まだまだ知るべきことは多いのかもしれない。
さて「千年具眼の徒」を、若冲はいまだ、泉下で待っているのだろうか。 -