ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄 改訂版

著者 :
  • 河出書房新社
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309272221

作品紹介・あらすじ

リリシズム、崇高、繊細、数々の言葉が冠されるジャズ・ピアニストの真実を探り、もうひとつのエヴァンス像を描き出す。ユーモア、耽美、静謐、作品と共鳴する生涯を、魅惑する文章で綴った改訂版。

感想・レビュー・書評

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  • 美しくも哀しいビル・エヴァンス。淡々とした文章がその哀しみを強調している。心が痛くなる本。

  • 僕は若い頃はマイルスの信奉者でイケイケジャズが好きだったので白いリリシズムは理解できなかった.最近になって聴きなおす機会ができて...昔はものを思わざりけり..ジムホールとの作品などにもっと触れて欲しかった.

  • ビル・エヴァンスがユーモラスな人物だったというのがまず驚き。
    そしてビル・エヴァンスがこの一冊にすっぽりおさまってしまったことも驚き。

  • ”兄が自宅でピアノレッスンを受けている時、弟はじっと見守り、先生が帰るなり、兄がレッスンで受けたパートを兄よりもうまく弾きこなした”

    エヴァンスの音楽の原点は、兄である。

    ”エヴァンスは生涯にわたってハリーを尊敬し、慕う。やがて、プロのミュージシャンになってからも、長期の休暇がとれたときやスランプに陥ったときなどは決まってルイジアナのハリーの自宅で過ごし、また経済的な援助を受けることもすくなくなかったといわれる”

    ”(ハリーいわく)ビルはいじめられっこだった。友人もいなかった。ビルの味方は私と音楽だけだった”

    いじめられっ子の音楽。そんな幼少時代を経て、近所でも評判のピアニストとなり、奨学金を得て、ニューオリンズの大学へ通う。昼は学校、夜はクラブでピアノを演奏。こんなお洒落な学生エヴァンス。たいそうモテただろうに。

    ”ジャズに目覚め、ニューオリンズで数年間を過ごした時代のエヴァンスのアイドルが、バドパウエル、ナット・キング・コール(歌手として成功する以前のピアニスト時代)、アールハインズの3人だった”
    ”クラブや演奏場所を提供する主催者はピアノの調律など眼中になく、しかもニューオリンズの気候は蒸し暑く、おまけに当時のほとんどの店には冷房設備さえなかった。…その結果、オリジナルのキーより常に半音階上げて演奏することが当然のようになった…悪条件こそ回答への近道”
    こうしてエヴァンススタイル、通称、エヴァンスタイルが確立されていく。その後、徴兵制度によって、陸軍の軍楽隊に入り、朝鮮戦争の勃発とともに第5陸軍バンドに配属され、以降3年間、主にフルートやピッコロを演奏する。ピアニストは腐るほどいるけど、どうしても軍楽隊に入りたかったという心情から起きた賢明な判断だ。

    24歳で除隊したエヴァンスは、そこからプラトーやカントやヴィと現シュタインやヴォルテールらの著作に加えて、「禅」への強いを関心を抱く。そしてオリンズ時代の相方マンデルロウの紹介で、リバーサイドのオリン・キープニュースと知り合い、単発契約を結ぶ。そして、1956年9月18日、27日のレコーディングで誕生したのが、初のリーダー作「ニュージャズコンセプションズ」。エヴァンス27歳。そしてついにはマイルスデイビスからのお誘い。

    ””マイルスデイヴィスに雇われるってことは、すなわち次代のパスポートを手にしたに等しい”
    マイルスは、エヴァンスが「いつか王子様が(映画「白雪姫」の劇中歌」)演奏しているのを聴いて、自身もカヴァーしアルバムのタイトルにしたらしい。マイルスとエヴァンスは互いに影響し合っていたことは間違いない事実だ。

    しかし、エヴァンスは物入りだった。兵役時代に覚えたとされるドラッグである。とにかく彼には金が必要だった。仕事は選べなかった。
    ”エヴァンスとジョンコルトレーンの音楽性は相容れるものではなく、しばしば口論が聞かれた”

    1959年マイルス時代を経て、2作目のリーダー作「エブリバディ・ディグズ」を発表。ジャケットはマイルスやキャノンボールのコメントがデカデカと記載されている。まさに勝負の2作目だったが、「カインドオブブルー」の爆発的なヒットに反して、売れ行きは芳しくなかった。

    その後、ドラムのポール・モチアンと、ベースのスコット・ラファロと組む。
    ”優秀なメンバーを揃えてグループをレギュラー化させるためには、リーダーは彼らが納得のいく報酬を保証しなければならない”スコット。ラファロは優秀なベーシストであったため、スタンゲッツのレギュラーだった。

    1961年6月25日ヴィレッジバンガードでライブレコーディング。そしてわずか11日後ベースのラファロが交通事故で死亡した。「サンディアットザヴィレッジバンガード」をラファロへの追悼アルバムとし、ラファロ作曲の「グロリアズ・ステップ(ラファロの彼女だったグロリア。ラファロはグロリアと同居後、階段を上がってくる足音で、グロリアか別人かがわかった)」「ジェイド・ヴィジョンズ」を収録。

    女にフラれた男のようにグッタリしてしまったエヴァンスだったが、プロフェッショナルとして新しいベーシストで出会い邁進。やがて「カンヴァセイションズ・ウイズ・マイセルフ」でグラミー賞を受賞。そして「ビルエヴァンスアットモントルージャズフェスティバル」で2回目のグラミー賞。

    後にネネットという女性に出会って、恋に落ちるのだが、10年以上同棲関係にありドラッグも含めてかけがえのないパートナーだったエレインに別れ話を持ちかけると、地下鉄に飛び込み自殺。そして後に頼りの綱だった兄のハリーも謎の自殺。

    ラファロの交通事故死、エレインの投身自殺、そして、ハリーの銃による自殺。3人のかけがえのない人間が決して自然とはいえない不本意な形でこの世を去った。そんな傷心からジワジワと蝕まれて行く身体。それでもビルエヴァンスはピアノを弾き続けたという。この本を読んで本当にエヴァンスは「枯れ葉」のような生涯だったと感じた。

    気になった引用。

    ”親しい知人の名前のアナグラムによって生み出された曲名の数々”
    ”自分がカクテルピアニストと揶揄されいることを知った上での「ショー・タイプ・チューン」、あるいは「ヒット」と無縁の存在であることをシニカルに表現した「ビルズ・ヒット・チューン」”
    ”エヴァンスのユーモアに対する豊かな感覚と、それゆえに「自分を笑いのめす」という自虐性も潜んでいたことが伺い知れる”
    ”家族や友人にちなんだ曲を多く書き、また彼ら彼女たちの名前を曲名に引用したミュージシャンもそうはいない”
    ”ワルツ・フォー・デビーは兄ハリーの娘であるデビーを主人公に生まれた”
    ”エヴァンスの熱烈なファンであり、手編みのセーターなど多くのニット製のプレゼントを贈ってくれたメアリー・フランクセンなる女性にはお礼として「ニット・フォー・メアリー・F」という曲を贈っている”
    ”(父の死の直後)「イン・メモリー・オブ・ヒズ・ファーザー:ハリー・L・エヴァンス 1891-1966」という題する組曲を構成し、予定されていたコンサートで初演するい。他界からわずか2週間後、しかもライブ・レコーディングが計画されていることを知ったうえでの行為である”
    ”兄ハリーが死んだ直後には、その想いを託して、「ウィー・ウィル・ミート・アゲイン」を再録音”

  • ビルエヴァンスの人柄というか、人間くさいところがよくわかる。当時のジャス事情やミュージシャンの横のつながり、レコード会社との契約など知らないことが多かったので知識として学べた。
    ただ、文章の書き方が単調すぎて流れがつかみにくい印象だった。

  • 理想と現実とのギャップに翻弄されながらも、文字通りその生涯を「芸術」のために捧げた孤高の音楽家ビル・エヴァンス。

    その苦悩に満ちた人生を、さまざまなかたちで彼に関わった人間たちの証言を引き合いに出しながら、ときに大胆な推理も交えつつ描いた評伝。読みながら、まるでテレビのドキュメンタリーでも観ているかのように鮮明なイメージを結んでゆく構成のおもしろさは、きっと著者の手腕によるところも大きいのだろう。

    全幅の信頼を寄せていたベース奏者スコット・ラファロが不慮の事故により突然この世を去って以降、ビル・エヴァンスはソロ以外で「I Loves You,PORGY」を演奏することがほとんどなくなった。その「理由」は…… と言ってポール・モチアンが明かすエピソードは、その真相はともかく、哀しく、そして美しい。

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著者プロフィール

1952年大阪府生まれ。音楽評論家。主な著書に『ロックの歴史』(講談社現代新書)、『マイルス・デイヴィスとジミ・ヘンドリックス 風に消えたメアリー』(イースト・プレス)、『現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』(廣済堂新書)、『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT 出版)、『超ブルーノート入門』(集英社新書)、『50枚で完全入門マイルス・デイヴィス』(講談社+α新書)、訳書に『マイルス・デイビス自叙伝』(宝島社文庫)等がある。

「2014年 『ジャズの歴史 100年を100枚で辿る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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