クラシックの核心: バッハからグールドまで

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  • 河出書房新社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309274782

感想・レビュー・書評

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  • インタビューをそのまま文章に起こしたような本である。
    かなり現代曲に思い入れのある方のようで文章、考え方も奇抜であるが面白く読めた。

    ショパン:白い滑走路で使われていた曲、
    フルトヴェングラー:従来、大作曲家という程度の知識しかなかったが本章を読んでなるほどよく分かった。
    ディオニュソスという言葉には戸惑ったが、文章で例えるなら文字で表されていない行間をいかに読むかという感じで理解した。早速フルトベングラーを聴いてみた。
    8番、4番、6番、なるほど、譜面(行間)の解釈の仕方が大変面白い、一瞬の間があったり、遅くなったり、チェリビダッケは徹底してスローテンポでこれはこれで美しいと思った、フルトベングラーもジェットコースターのような先が読めない面白さがあり、ファンが多いのも頷ける。
    私が聴いた8番、4番動画
    8番 冒頭20秒のところで0.1秒位の間があり、いきなり面白い。
    https://www.youtube.com/watch?v=qR0pyHrIzBw
    4番 これも大変面白い良い演奏。
    https://www.youtube.com/watch?v=NAOvwX7SR5k
    フルトメンドウというダジャレも面白い

    グレングールド:音楽というのは昔はどこの地域でも素朴、複雑なものではなく、村の祭りなどで演奏、素人でも出来た。近代になって音楽家が職業として成立、専門家する事で複雑な楽譜を書き出して複雑なややこしい音楽となり、専門家と聴衆は乖離せざるを得なかった。そこでグールドは録音する事で複雑な音楽を何回でも聴けるように聴衆の為に録音した。チェリビダッケはライブを信奉し録音を認めなかったが、その分、ゆっくり演奏し音楽の構造を聴衆に分からしめた。やり方は違えども聴衆に音楽を伝えるという点では一致している。

    ワーグナー
    人間が神に成り代わる、オペラはワーグナーの文学である。
    シェークスピア:文学と演劇では圧倒的な能力
    ベートーベン:音楽、特に言葉を伴わない器楽の作曲家としてはすさまじい。有機的な音楽の極み、しかし文学、演劇が欠落
    シューマンは文学と音楽
    ワーグナーは文学、演劇、音楽の全てを統合しようとした。
    ワーグナーが歌劇場として選んだドイツのバイロイト。
    田舎なのでオペラ以外に何もないので長時間のオペラを演奏するのに丁度良い。パリだとフラフラと遊びに行ってしまう。
    マイスタージンガー、職人芸、清貧の美学、ドイツ的

    マーラー
    建物が木、石のみで出来ているのではなく、金属もガラスも泥も全て使ってパッチワークになっているような音楽。
    アイデアを凝らしている現代音楽が却って単調に聞こえるがマーラーはロマン派スタイルの延長線上で無秩序や分裂を表現している、調性もかなりある、不協和音もたかが知れているのでお父さんおかしくなったの?とまでは思われずに済む。
    ブルックナー:転調をおりまぜながら音型を執拗に繰り返して集中して陶酔して高まってゆく。
    ドビュッシーとマーラー、同時代人、自然へのこだわりの共通点がある。

  • 片山杜秀が「クラシックの核心」をなす人物9人について語ったもの。取り上げられるのはバッハ、モーツァルト、ショパン、ワーグナー、マーラー、フルトヴェングラー、カラヤン、カルロス・クライバー、グールド。

    片山の本をよく読む人には自明なのだろうが(僕は初めて読んだ)、そのスタイルは「熱っぽく語る」という風ではなく、対象からやや距離をとったもので、しばしばシニカルとすら感じられるほどだ。その距離感は彼の音楽人生の原点、現代音楽からの距離感にほかならない。片山は各人物について個人的な馴れ初めを出発点として「核心」に迫っていく。もともとが語り下ろしなので、読むのに苦労することはない。

  • 本のタイトルを見ると、クラシック音楽全般について、核心に迫るようなことが書いてあるように思えるが、そういう本ではない。

    KAWADE夢ムック(文藝別冊)シリーズの各誌に寄せた片山氏のインタビュー記事を加筆・修正し、1冊にまとめた本である。

    取り上げられているのは、バッハ、モーツァルト、ショパン、ワーグナー、マーラー、フルトヴェングラー、カラヤン、カルロス・クライバー、グールドの9人。

    片山氏お得意のあらゆる方面の話題を絡めて解説をしたり、その人のアイデンティティや思想面からの解説をしている。

    本書の「あとがき」によれば、クラシック音楽の核心をなす人たちについて語っているので、「クラシックの核心」というタイトルになったとのこと。

    それでは、それらの人たちについては、核心に迫れているのかどうか?

    例えば、バッハの核心は、神のまなざしにも対抗できるくらいの隙のなさで音楽を書こうとしたこと。

    モーツァルトの核心は、疾走する刹那的な芸術。

    ショパンの核心は、手の届かないものへの憧れ、遠距離思慕。

    確かにツボは押さえている。核心にも迫っているかもしれない。しかし、ある意味ではその点は、どうでもいいことだ。

    片山氏ならではの、独自の視点で、色々な話を絡めながら解説していく、その過程が面白く、そこにこそ価値があるからだ。一般的な音楽評論家なら絶対に飛び出してこないユニークな話題を通して、どんどんと話が進行して行く過程が面白い。しかも、ユニークな話題が登場するからと言って、様々な話が散らかしっぱなしにはなっておらず、うまくまとまってもいる。ここが氏の真骨頂であろう。

    バッハの章では、片山氏の学生時代の友人、「聖人」が修学旅行中に何日も眠らない。それは、友人の前で隙を見せたくないという「完璧を求める狂気」であった。この逸話と描写は文句なく面白い。このバッハとは一見全く関係のない面白い逸話を、バッハの完璧さと絡めて解説、まとめ上げているのは氏ならではである。

    私は、毎晩1人ずつ楽しく読んだ。

  • うーん、正直期待はずれの一冊となった。片山杜秀という奇才の、あくまで個人の感想。宇野功芳の指揮のように個人の感想で、あまり曲の核心とは違うところで衒学的な感想をしているというのが自分の感想w
    片山杜秀が日本の近現代作曲家にやったような偉業(再発見、紹介、分析)は、取り上げられた有名音楽家についてはほぼやり終えている。となると個人の視点のこういう変化球しかないのかもしれない。だから「ウルトラセブンとモーツァルト」とか「白い滑走路とショパン」という具合になってくる。戦後世代がどうかかわったと言う問題だが、それに興味のある人は限られる。そして全篇で感じられるのは近現代の音楽からこれら「名曲」に入ってきた人ならではの共感のなさ。逆にこの共感の無さに実は現代音楽とクラシック音楽の断絶を象徴している気がする。
    「モーツァルトは20世紀になって発見された作曲家」や、「フルトヴェングラーはナチスの関わりというよりドイツの環境でないと自分の音楽はやってけない」というのは名言。でも、フルトヴェングラーは音が悪いほうが魅力的に聞こえるなんてのは、それこそ通俗的な偏見だよ。と、デュオニソス的な混沌のを受け継いたほぼ唯一の指揮者テンシュテットの演奏を聴いて強く思う

  • バッハの計算性と聖人ぶり、ワグナーを踏まえたユダヤ的なものvsドイツ的なもの、カラヤンとレコード会社の戦略など興味深い意見が次々出てきて面白い。

  • 聞き書きの体裁で、5人の作曲家、3人の指揮者、1人の演奏者が取り上げられている。
    聞き書きという語りやすさも手伝ってか、その作曲家なり指揮者なりの、ずばり「核心」に迫っていると思われる部分も多くあって、なかなか興味深い著作である。

  • 片山杜秀さんを読むようになったのは柄谷行人さんの書評で「未完のファシズム」を読んでからです。それで図書館にある本はすべて目を通してみました。なので片山さんのイメージは音楽とファシズムです。

    最近、柳田国男さんの全集を読もうと思い少しずつ読んでいる途中したが片山さんの新刊がでたということで早速手に入れて読んでみました。

    柳田さんを読んでいてファシズムについてよく考えるようになりました。そのきっかけの一つは片山さんのファシズム研究の影響です。ファシズムについてはカール・ポランニーさんの「経済の文明史」にあるファシズムが非常に的を射ていると感じて考えの僕のファシズム認識の中心に位置しています。それによるとファシズムは社会主義の否定としてあるということです。

    なのでファシズムを知るには社会主義を知らなければならないし社会主義を知るということはファシズムを知るということです。

    ファシズム研究は社会主義研究と同じであるということ、片山さんのファシズム研究は社会主義研究からきているに違いないと想像できます。

    ファシズムと社会主義が世界の関係性を示しているとしたら音楽もファシズムと社会主義によってあるのだろうと想像されます。そういった意味から音楽を見つめてみようという試みでなかなか僕の興味の中心であるファシズム(社会主義の否定)と社会主義に関連していて興味深いです。

    僕は片山さんのように少年時代や青年時代に何かを自分で研究したり誰かがいろんなことを教えてくれるような経験はほとんどありません。しかし20歳ぐらいの時に柄谷行人さんを読んで非常に影響をうけ、そこから世界を考えていこうという姿勢をかなり明確にもって生きてきました。

    そういった中で片山さんを知れてよかったです。

  • 許さんに比べて、マニアックでない点が良い

  • 浅田彰以降、俺的にはクラシックの批評はこの人になっています。

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著者プロフィール

1963年生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(いずれもアルテスパブリッシング、吉田秀和賞およびサントリー学芸賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞)、『鬼子の歌』(講談社)、『尊皇攘夷』(新潮選書)ほかがある。

「2023年 『日本の作曲2010-2019』 で使われていた紹介文から引用しています。」

片山杜秀の作品

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