- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309279640
作品紹介・あらすじ
実母との関係に悩む女性が、「女の子のママ」になったら一体どうなる!? 『母がしんどい』『ママだって、人間』の田房永子が今度は自分が母として、娘との日々を描くコミックエッセイ!
感想・レビュー・書評
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田房さんの内面て結構ヤバいんだなと思った。
もう母親からの呪縛は解けたのだと思ってたけど、全然そんなことはなく、精神面の問題もまだまだあるみたい。
まぁ私もそうだけど(笑)
メンタルの問題って一朝一夕では治らないんだと思う。もしかしたら一生…。
女の子の子育ての話はとても面白かった。
自分とは真逆の趣味や性格になったりするんだね。
私も今はすっかり男っぽい格好が好きだけど、好きな服装をさせてくれる親の元で育ってたら違ったのかな? -
社会をA面とB面に分けてとらえ、どちらかばかりでもダメというところに共感できた。
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描写がすごく気付いたこともたくさんあって 勉強になった
著者が文鳥で気付けるのも凄いことだと思う。 -
タイトルから、虐待的な親を想像していたが、ストーリーからわかった親は、過度な過干渉。というよりも、子供を自分の所有物と捉える親だった。
表立っては、所有物とは言っていないけど、「◯ちゃんのため!」って言うのは、逆に自分のためであるから。
読んでいって、この方、大丈夫⁈いや、大丈夫じゃないよな。。。と、思うこと多々。
負の連鎖が起きないように、すごい戦っている感じだが、それがまた、負の連鎖に足を突っ込みそうになる入り口でもある。
でも、本人がそれに気づくので、踏みとどまれる。
逃げるにしろ、恨むにしろ、諦めるにしろ、何にしろ、親という存在は消しきれないし、切れないもの。
恨み言を並びたてている時、その裏には「本当は、こうして欲しかった。」「本当はこうしたかった」という思い。それが対象者を変えて表出をしたのが、負の連鎖の始まり。
人間は過去には戻れないので、それらの思いをしないことはできないけれど、その思いに気付いて、納得することは、大人だからこそできることなのだと思う。その過程、相当苦しいけれど。
著者は、それらを子育てしながら一生懸命やっているのだと思う。
でも、◯ちゃんのために頑張ってやらなきゃ!と思うと、またドツボにハマるから、「自分が何をしたいのか」と、肩の力を抜いて楽しんで欲しいなーと思った。
でも。。一番初めに文鳥さんで気づけて良かったね。
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借りたもの。
子育てする母親の感情の変化が描かれている。時間軸としては同著者『キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』( https://booklog.jp/item/1/4801907652 )にも被るところだろうか。
“目やには捨てる”“子供は捨てない”の二者択一が意味不明だった。
授かるまでは女性の月のもの、排泄器官に近い場所なので、そこから出てきたものは“捨てる”ことが多かったのに、そうではない“存在”が生まれてきたことが衝撃的なのかも知れない。
そこから始まる育児。
自分が受けた生育環境のコンプレックスの反動と、ジェンダー問題がごちゃ混ぜになっている気がした。
もっとも、ジェンダーは家庭→社会→家庭…といった地続きでループしているものかもしれない。
同著者『男しか行けない場所に女が行ってきました』( https://booklog.jp/item/1/4781612792 )に通じる。
愛しさで、自分の感情と子供の問題を分けることか難しくなる感情の高ぶりが、気持ち悪いくらい生々しく表現されている。
この本は一貫性なく大分ブレている気がする。
この中で一貫性を持たせるキーワードが「A面」「B面」という、社会への建前と本人の気持ちを大切にする、表裏を行き来する必要性だ。
その中で毒親の母(以下、毒母)が、社会(というより、毒母主体の限られた世界)にしか目を向けず、自身の優位性(子供の価値観を無いものとして)を確かめるために接していたことを浮き彫りにする。
毒母もそうだが、読んでいるとその母(祖母)や姉(叔母)にも問題がある。
著者が想起する毒母は、そんな彼女らの共感を得るために著者をマウンティングの対象にしている。
他の本でもその凄まじさが見受けられたが、この本の表紙に「もういいじゃない 仲良くしましょ」とある通り、悪びれた様子がない。
連綿と受け継がれる、負の愛着スタイルではないだろうか?
※愛着スタイルについていは岡田 尊司、原わたほか『話を聞きたがらない夫 悩みを聞いてほしい妻 精神科医が教えるコミュニケーションのコツ』( https://booklog.jp/item/1/4040693841 )等参照。
“こいつ(毒母)じゃなくて 「お母さん」にだっこされたい”
文鳥を育てたとき、子供が 社会と接するようになった時に感じる焦りや不安の根本に、毒母の面影がある。
“結局 また お前かよ”
育成環境が個人に影響を与えることを強く感じた。
自分を癒しながら、子供の主体性を否定せず(B面)、社会と関わる子育てをしていこうとする著者の決意でしめくくられる。
しかし「A面」「B面」よりも、『キレる私をやめたい』で明記していた、“子どもの「今の気持ち」に寄り添う”ことの方が大切ではないだろうか? -
あいかわらず田房さんの内面描写が素晴らしい。
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初期より絵が細かくなっている点は賛否両論あると思われる。内容としては、「出産経験」「子供のため」という印籠を持った有象無象が、脳筋系善意を一方的に押し付けてくる様子がリアルであり、著者の冷徹な分析が光る。
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先輩が田房永子ファンで定期的に回ってくる。
この人は、毒親ということで随分大変だったんだろうな…と思うと同時に、よく毒親というテーマでここまで何作も書けるな、とも思う。変な意味ではなく。 あらゆるセラピーや精神科に通った行動力も素直に尊敬する。
ピンクが選べない、というエピソードは個人的にすごく同感してしまう。わたしもピンクを選べなかったから。もし選べたら、人生色々変わったんだろうか。とか、徒然もないこと考えたりもした。 -
子供の頃からお母さんの過干渉に悩まされてきた、毒母育ちの筆者が女の子を出産、そして育児。お母さんみたいな母親にならないためにはどうすればいいのか、悩みながら奮闘する姿を描いた育児サバイバル・コミックエッセイ。
世界はA面B面があるって分かりやすくて納得。その境界線で踏ん張ってる場面を見て、私の立ち位置は何処だろうかと考えた。
子が生まれて一年くらいはどっぷりB面で、今はちらちらA面を覗いてる感じかな。
社会に馴染ませる為にはA面を見ないといけないと無意識のうちに思って、時に厳しくなってしまうけれど、その度にどうしてこんな風に振る舞わないといけないんだろう?って考えて立ち止まってしまう。
子供の特性や個性を殺すようなことはしたくないって思うけれど、B面が過ぎるとそれはそれで面倒で、結局行ったり来たりしてる。
母親になった時には感じなかったけれど、子がある程度育って人間らしくなってきた最近、ようやく母親もこういう気持ちだったんだろうなって思えるようになった。
世間的にはそこまで気付けたなら親を許さないとって繋がってるようで少ししんどかったけれど、この本を読んで許さなくてもいい、それとこれとは別問題だと思わせてくれて読んでよかった。