四百字のデッサン

  • 河出書房新社
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本棚登録 : 29
感想 : 3
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  • 本 ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309400389

感想・レビュー・書評

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  • 雑誌『美術の窓』に連載されている『アトリエ日記』で興味を持ち、本書を購入。
    期待以上に面白く、1つ1つをゆっくり読みました。
    巻頭に掲載されている藤田嗣治さんに関することからして、芸術家というより1個人として書かれており、新鮮でした。

  • 久しぶりに、ちょっと大きい本屋へ行ったら、「在庫僅少文庫フェア」というのをやっていて、ついつい棚の前でうろうろとする。「これを逃すともう手に入らないかも!」みたいな掲示もしてあって、まあ図書館へ行けば、たぶん読めるだろうけれど、「もうこれで終わりかも」という雰囲気に、棚の文庫を抜き差しする。

    『四百字のデッサン』というタイトルはおもしろいなと思って、棚から抜く。野見山暁治って、こんな絵を描くのかとカバー装画を見る。

    目次をひらくと、巻頭に「戦争画とその後──藤田嗣治」とあって、そのページをぴらぴらと見る。アッツ島玉砕の大きな絵ができた日のことも書きとめられていた。目次には、駒井哲郎とか田中小実昌の名もあって、ちょっと読んでみたくなり、読んだあとは、藤田の戦争画で修論を書いたKさんにあげればいいしと思って、買って帰る。在庫僅少フェアの思うツボである。

    野見山暁治は、1921年、大正10年のうまれだ。この世代は、戦死率がいちばん高い。野見山は、出征したものの、「あっけなく病気になって満州から送り返され、内地の病院を転々とした揚句」(p.176)、療養所で戦況を見守る、ということになった。野見山はそれで命拾いをしている。

    郷里は福岡、彼の地の西日本新聞にコラムを頼まれて書いたものが、この本のIIに収められている「うわの空」の文章群で、「連載していた二ヵ月間、どっぷりと私は過去に浸って…埋もれた日々を掘りおこすことに追われてばかりいた」(p.225)という。

    ▼そうして、わたしは今日の日までに触れあってきた人々が、いまの私を造りあげているということに気がついた。
     過去は棚のなかに収まって古ぼけているのではなくて、わたしの足のつま先から徐々に這いあがって頭のてっぺんまで、ぎっしり詰まって現在の〈私〉が歩いていることになる。そうなると余計、ものは要らないようにも思えてくる。(p.225)

    そのコラムだけでは、一冊の本にするのに頁数が足りないからと、編集者から交友関係に探りを入れられ、そうして人選された人たちについて書いたというのが、この本のIの「ひとびと」だ。駒井哲郎は同級生で、田中小実昌は義弟だという。

    子どもの頃のこと、戦中のこと、戦後のこと、絵を描き続けてきたこと… 絵を描く人だからか、「四百字のデッサン」というタイトルどおり、文章を読んでいると、絵のように思えるところがずいぶんあった。

    ▼…雲がかげって風景の一部に影が出来たとき、ほんとうに美しいと思うことがあるだろう。それなら自分でその影を落とせばよいのだよ。私は在るがままの風景から、在り得る風景に飛躍した。(p.188)

    読み終わってから判ったことだが、この河出文庫は、新版となって昨年出ていた。旧版は、たしかに在庫僅少だったのだろうが、本屋にあざむかれたような気持ちが少し残った。とはいえ、フェアがなければ、この本を読むこともなかったかもしれない。

    (3/20了)

  • (2003.10.28読了)(2003.10.04購入)
    野見山 暁治
    1921年福岡県生まれ
    1943年東京美術学校卒業
    1978年本書でエッセイスト・クラブ賞受賞
    2003年8月12日から10月5日まで野見山暁治展(東京国立近代美術館)

    10月4日に美術展を見てきました。その帰り道に書店によってこの本を買ってきました。
    絵画のほうは、抽象的具象とでもいうような、かなり力強いものでした。

    本のほうは、二部構成になっていて、Ⅰ.ひとびと Ⅱ.うわの空 です。
    Ⅰは、交友した人々の思い出、Ⅱは、新聞に連載したコラム
    新聞のコラムのほうは、主に自分の生い立ちについて書いてあります。
    小学校の頃は、姉に手を引かれて学校に行き、学校からのお知らせは姉がみんな覚えてきてくれたそうです。姉が卒業した後は妹が引き継いでくれたそうです。
    中学に入ったけど、何がなにやらわからず、図画の先生に頼み込んだら、期末試験の際には、試験監視担当できてくれて、できるこの答案を見て、野見山さんのところに教えに来てくれて、指で机の上に書いて教えてくれたそうな。
    美術学校にもストレートで入ったけど、戦争に向かっていたときなので、受験希望者が少なかったせいだとのたまう。3年生のとき落第してしまったのだが、学徒出陣のために繰り上げ卒業になったので、履歴書上は、ストレートで卒業したように見えるという。
    中国へ兵士として戦線に向かったけど肋膜に水がたまり、合法的に内地の病院に戻って終戦を迎えた。
    そのほかいろんなテーマで、書いていますがそれぞれ思わず笑ってしまう。

    (「BOOK」データベースより)amazon
    少年期を過ごした福岡の人たち、自らの戦争画の傍らに立つ藤田嗣治、戦後の混沌期に集い交わった画家や詩人、パリで知った椎名其二や森有正、義弟・田中小実昌、同級生・駒井哲郎…それぞれの時、それぞれの場所でめぐり会った人の姿と影を、画家にして名文家の筆が甦らせる。日本エッセイスト・クラブ賞受賞の名著。
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    【展覧会】
    特別展 野見山暁治展
    主催:ブリヂストン美術館 
    会場:ブリヂストン美術館 
    会期:2011年10月28日(金)〜2011年12月25日(日)
    入館料:一般 1,000円
    入館日:2011年11月23日(水)

    「ブリヂストン美術館は、野見山が滞欧中の1958年に、早くも彼を紹介する展覧会を開催し、それは第2回安井賞を受賞するきっかけとなりました。この展覧会から半世紀を経て開催される本展では、戦前の作品から、戦後の12年近いヨーロッパ滞在を経て現在に至るまで、野見山の自由奔放でエネルギーに溢れた絵画世界が形成されていくプロセスと、さらに表現の幅を広げようとする画家の姿勢を展観します。代表作や初公開となる作品など、総数約110点をご紹介いたします。」(ホームページより)

    2003年10月に東京国立近代美術館で開催された展覧会を見ました。
    野見山暁治展(東京国立近代美術館) 2003年8月12日~10月5日
    結構大規模な展覧会だったのですが、今回も結構沢山の作品が並んでいます。
    国立近代美術館で見た覚えのある作品もありますが、初めて見る作品もたくさんあるようです。
    「渋谷風景」1938年、「糸満」1940年、は風景画です。初期の絵としては明るい色が使われています。「妹の像」1943年、「骸骨」1947年、などは、ほとんどこげ茶色です。
    1952年からヨーロッパで過ごしたそうですが、「ベルギーのボタ山」1954年、「工事場」1956年、等を描いています。日本で描いた「廃坑」等と、テーマが変わっていません。
    「アンダルシア」1964年、は地図を描いた? ほとんど抽象画です。
    1965年ごろ日本に戻ったのでしょうか?
    日本に戻ってからは、「波に打ち上げられた水筒」1971年、のような細密なものもないわけではありませんが、ほとんど抽象画の世界へと入っていきます。
    抽象画とはいっても、標題が「目にあまる景色」1996年、「言いたいことばかり」2006年、という感じでついているので、なんとなく絵にそんな雰囲気が感じられるところが不思議です。見て感じてもらうしかないのですが、絵から何か伝わってくるようです。

    ◆野見山暁治略歴(ホームページより)
    1920年 福岡県穂波村(現 飯塚市)に生まれる
    1943年 東京美術学校油画科を卒業とともに応召
    1952年 渡欧 12年間を過ごす
    1958年 安井賞受賞
    1968年 東京藝術大学に勤務 以後81年まで
    1978年 日本エッセイスト・クラブ賞受賞
    1996年 毎日芸術賞受賞
    2000年 文化功労者に選ばれる
    (2011年11月28日・記)

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著者プロフィール

1921年福岡県生まれ。画家。
『野見山曉治作品集』(講談社)、『野見山曉治版画1965−2002』(アーツアンドクラフツ)などの作品集のほか『四百字のデッサン』(河出書房新社)、『署名のない風景』(平凡社)、『うつろうかたち』(平凡社)など著書多数。

「2004年 『パリ・キュリイ病院』 で使われていた紹介文から引用しています。」

野見山暁治の作品

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