- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309401690
感想・レビュー・書評
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まず、自分の持っているのは第14刷1995年版で、表紙絵はピエロ・ディ・コシモの『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』である。登録されている表紙絵は別のものに代わっているが、その表紙絵は本書に収録されていない絵だと思われる(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の中のパトモス島のヨハネ)。あるいは、現在は増補されたか、もしくは収録された絵の一部分を拡大したものなのであろうか?
あとがきによれば、本書は澁澤龍彦が3年の間『婦人公論』の巻頭口絵のために書いたエッセイをまとめたものとのことである。澁澤がこれと選んだ絵画を、一画家につき一枚の割合で書いている。あとがきの澁澤の言の通り、澁澤が好むものをセレクトした結果、西欧の女性像が多く収録されている。(笑)
取り扱う画家の時代は中世やルネサンス期から近代にいたり、エッセイの内容も絵画の背景の解説や、絵画の部分部分についての見方、画家の紹介、文学的や心理学的それに美術的見地での評論と多岐にわたっていて、澁澤の造詣の深さにはただただ感じ入るばかりである。ただ、中には自分にはそういう風には見えないといった、澁澤の評論には納得できない部分もあったにはあったのだが・・・。(笑)
澁澤が好むものを収録しただけあって女性裸体画が多いのは頷けるとして(笑)、単に美しさや快さだけに留まらず、醜悪と思えるような絵も収録しているところは澁澤の知的内面の奥深さが窺われ、面目躍如たるものがある。ちなみに単純な自分としてはやはり可憐な女性裸体像が好みなので(笑)、ハンス・バルドゥンクの『三美神』、グイド・レーニの『スザンナと老人たち』、グスタフ・クリムトの『女友達』あたりが好きだった。
本書は残念なことにカラー絵は表紙絵のピエロ・ディ・コシモの『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』、巻頭絵のペトルス・クリストゥスの『若い女の肖像』、ヴィットーレ・カルパッチオの『二人の娼婦』、カルロ・クルヴェルリの『マグダラのマリア』、ルーカス・クラナッハの『ユディット』のみであり、あとは白黒絵なので、評論にインパクトが欠ける部分もあった。文庫化にあたり、こういったところは配慮してほしいものである。
澁澤龍彦の知的センスと36作品もの西欧美術画とで二重に楽しめる一書といえる。 -
ブクブクで手に入れた一冊。
表紙の“絵画”が何とも印象的です。
目に見える“絵”の部分だけではなく、その背景まで踏まえると、
絵画鑑賞にも深みが増しそうで、西欧絵画はやはりキリスト教ですかね。
一応、キリスト教は最近ちょこちょこと触りはじめたのですが、、
“原罪”の観念はやはり、よくわからないです、、閑話休題。
なんせによ“絵画”は当時の文化の発露とも思いますので、
どうせなら楽しむための“ウンチク”も入れておきたいですね。
それにしても、エロのために当時のキリスト教のモラルに寄り添うとは、
いつの時代も男は○○だなぁ、、なんてことも、大いに共感デシタ。
また、次回のブクブクで循環させようと思っています。 -
〜澁澤めがねを借りて見る美女たち〜
澁澤流「美と官能」をゴシック期のシモーネ・マルティーニからシュルレアリスムのダリまで36点の絵について語ったもの。
各作品4ページ程。「婦人公論」で澁澤自身が選んだカラー口絵に寄せた文章だったそうで、サラッと読める。
しかし文は短いが、内容は濃厚。
文学・心理学・美術史…様々な要素を絡めてその魅力を解き明かしていくのだが…この本の魅力はやはり澁澤龍彦の審美眼そのものだろう。
「わたしが愛してやまないのは…」のような言い回しで、彼が無条件で惹かれるジャンルについて語られる。
そして私が凄いと思うのは、昨今では「萌え」という便利な表現で片付けてしまう、フェチズムなどの偏った嗜好について、非フェチの人にも頷ける解説がなされている点。
「そんなエエもんやったら、私も味わってみようかいな」
と思わせられる明晰な文章力。
最近読んだなかでは、橋本治の「ひらがな日本美術史」の異様な説得力を持った文章にもひれ伏した。(これも結構古い本ですが)
ふたりとも、何かの裏付けがあるとか、通説になっているとかの話ではない事柄を、解きほぐし、読者ひとりひとりの心に問いかけて、持論があやなす万華鏡の世界へ誘う。
読者は魔法をかけられたように、そこへ迷い込むだけでいいのだ。
この本を読んでいる間、澁澤ワールドで遊ぶ楽しさをじっくり味わえる。
あと同時代の三島由紀夫が好んだ絵についての話などもあって、面白い。
それから今回の再読では、中野京子の「怖い絵」シリーズで扱っていた絵(あるいはモチーフ)もあったので、興味深く読み比べてみた。
ユディット、美しきロジーヌ、一つ目巨人(キュクロプス)、三美神…。
男女の違いもあるが、やはり「美」と「怖」という着眼点の違いによる見え方の差は大きい。
同じ絵について正反対の解釈が成り立つ事の面白さも感じた。
しかし「官能」についてより深く切り込んでいる澁澤龍彦の方が、本質に迫るもののように思えた。 -
新書文庫
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「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」ピエロ・ディ・コシモ/「若い女の肖像」ペトルス・クリストゥス/「二人の娼婦」ヴィットーレ・カルパッチオ/「マグダラのマリア」カルロ・クリヴェルリ/「アンテアの肖像」パルミジャニーノ/ 「奏楽天使に囲まれた聖母子」コスメ・トゥーラ/「ヴェネツィアの少女」アルブレヒト・デューラー/「ユディット」ルーカス・クラナッハ/「婦人像」ヤコボ・カルッチ・ポントルモ/「アレゴリー」ジョバンニ・ベルリーニ/ 「受胎告知」シモーネ・マルティーニ/「大天使」ピエトロ・カヴァルリーニ/「三美神」ハンス・バルドゥンク・グリーン/「五感あるいは夏」セバスティアン・ストッスコップフ/「春」サンドロ・ボッティチェルリ/ 「死せる恋人」グリネワルト/「悦楽の園」ヒエロニムス・ボッス/「虚栄」ハンス・メムリンク/「鏡の前のウェヌス」ディエゴ・ベラスケス/「スザンナと老人たち」グイド・レーニ/ 「地獄堕ち」ルカ・シニョレルリ/「魔女キルケー」ドッソ・ドッシ/「珊瑚採り」ヤコボ・ツッキ/「魔女の夜宴」フランシスコ・ゴヤ/ 「女友達」グスタフ・クリムト/「泉を守る女」レオノール・フィニー/「花嫁の衣装」マックス・エルンスト/「美しきロジーヌ」アントワヌ・ヴィールツ」/「黄金の怪談」バーン・ジョーンズ/ 「シャルロット・コルデー」フェリックス・ラビッス/「火の番をする女」ロメロ・デ・トレス/「奇妙な仮面」ジェイムス・アンソール/「キューレボルンがウンディーネを漁師のところへ連れてくる」ハインリヒ・フュスリ/ 「一つ眼巨人」オディロン・ルドン/「みずからの純潔性に姦淫された若い処女」サルバドール・ダリ/「トルコ風呂」アングル
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時代を感じるエッセイ。
と言っても観方の古さ云々ではなく(とは言いつつ昭和40年代ぽい気はしますが)、写真の鮮明度等、出版技術のこと。粒度の荒い白黒写真のため、著者の想いの共有が困難。
絵画への造詣がない当方はある意味途方に暮れるといったところかな?
しかし知らない画家、見たことも無い絵はそれこそ無限にありますな。 -
かつて「婦人公論」に3年間に亘って連載されていた、短い絵画論を集めたもの。ボッティチェリの『春』や、ルドンの『一つ目巨人』など、よく知られたものもあるが、中にはストッスコップフやヤコポ・ツッキといった、ここで初めて知ったような画家や絵もあった。そして、そのいずれにも衒学趣味に溢れた澁澤のエッセイが付くといった贅沢な書物。なお、絵画は数枚以外はモノクロなので、ウエブ上の画像で補えばより楽しめるだろう。
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(1987.10.12読了)(1987.10.09購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
透徹した独特の審美眼によって、シュールレアリスムの作品をはじめとする幻想絵画について詩情あふれるエッセイを発表してきた著者が、愛好するヨーロッパの36の名画をとりあげながら、描かれた女性像をめぐり、そのイメージにこめられた女性の美やエロス、また魔的なるものなどについて、博識に裏打ちされた鋭利な印象批評をくりひろげる、魅力あふれる芸術エッセイ集。 -
トイレ本。
実は絵画美術には興味がないのだが、そこは澁澤。
紹介されている絵画、コメント、ともに一味違う趣で、結構楽しめた。 -
『澁澤好み』の女性(時々天使や死体?もありますが…)の肖像画とその絵について語る著者の本。
純粋に美しかったり、どこかに『死』や『狂気』を孕んだ美しさがあったり…肖像画と言ってもタイプは様々。全ての絵に著者の思いや薀蓄や作者の生き様等々が語られているので読めばちょっとマニアックな知識が身に付きそうです。
この絵のチョイスは著者ならではの美意識だと思う。
絵がモノクロなのがとても残念。多少価格が高くなってもかまわないからカラーにして欲しかったと思ってしまいます。
渋沢評では美しくなっちゃったりして?
言葉の作り方が上手ですよね
渋沢評では美しくなっちゃったりして?
言葉の作り方が上手ですよね
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
醜悪と思えるような絵にも面白みを感じることができるなんて...
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
醜悪と思えるような絵にも面白みを感じることができるなんてそうそう真似はできないですね。
自分なら見ているだけで嫌になってきます。(笑)
真っ向から肯定的に分析・批評できるなんて、やはりタダ者ではないと思いました。