- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309407173
作品紹介・あらすじ
独立教会の牧師だった父親が開いていた祈祷会。そこではみんながポロポロという言葉にはならない祈りをさけんだり、つぶやいたりしていた-著者の宗教観の出発点を示す表題作「ポロポロ」の他、中国戦線で飢えや病気のため、仲間たちとともに死に直面した過酷な体験を、物語化を拒否する独自の視線で描いた連作。谷崎潤一郎賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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あまり無い不思議な読書体験をした。
一見普遍的な戦争文学だが、物語性を拒絶した煙に巻くような、言葉を転がしながらその実何も語っていない文体に奇妙な引力がある。
作者の拘り、“何かの形式に収めない事”をまだ全て理解は出来ていないが、谷崎賞を獲ったこの作品に文学的重要性と、錚々たる選評者達の心を掴んだ魅力はビンビン感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと変わった主人公の戦争日記。
視点違うけど、日本が負けた理由がわかるわ。
戦う前からこれじゃ。。。 -
書くことが、必然的に何かの形式におさまること。具体的には「物語」になってしまうこと。そこから何かが匂い始める……田中小実昌はそうした匂いに敏感で、そこから何らかの(こんなキツい言葉は使っていないが)「嘘くささ」「フェイク」をも嗅ぎ取ってしまうのだろうなと思った。いや、だったらただ言葉をざっくばらんに並べて終われよということになるのだろうが、そうしないというか、ついつい良質な「物語」を編んでしまうところがこのコミさんの生理でもある。そこでコミさんは「いいのかな?」と葛藤する。それは極めて「誠実」な態度と思う
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読み終えたあとに、これは全部ひっくるめてポロポロだったんだなと気付く。
用心深い作品。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/771206 -
戦場での日々を淡々と(それはどこか呑気にすら感じるほど)書いていると思っていた連作が、最終的に「物語ること」への強い自戒へ連想されていく。
かんがみると作中にある「戦争の悲劇とか、戦争の被害者だとか」という、戦中の日々を描いたものに付随する記号性を消し去る心づもりも文体には込められているのかもしれないとかんぐる。 -
「ポロポロ」以外は軍隊の話。生死の中にありながら、どことなく冷静な視点がある。小説というより、自分の体験を自分の目線で言葉に置き換えたような。
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3.6/286
内容(「BOOK」データベースより)
『独立教会の牧師だった父親が開いていた祈祷会。そこではみんながポロポロという言葉にはならない祈りをさけんだり、つぶやいたりしていた―著者の宗教観の出発点を示す表題作「ポロポロ」の他、中国戦線で飢えや病気のため、仲間たちとともに死に直面した過酷な体験を、物語化を拒否する独自の視線で描いた連作。谷崎潤一郎賞受賞作。』
『ポロポロ』
著者:田中 小実昌(たなか こみまさ)
出版社 : 河出書房新社
文庫 : 230ページ
受賞:谷崎潤一郎賞(1979年) -
最初の「ポロポロ」と一部の小説を除いて、軍隊生活の同じ時間を反復して語られる。しかしそれに飽きるということはなくて、というのもおそらく語り直す度に作者は語るということに直面しているからで、徐々にそれは“物語”の否定という形をとっていく。確かに我々は物語を生きてはいない。生活は物語ではない。軍隊生活も、物語ではない。ましてや死んだ人間を語るのにそれをしてしまっては……ではどうするのか。答えなど出ない。ギリギリまで物語を否定して、それでも答えらしきものは何もない。小説は答えを提示するものではなく、考え続けることを示す表現方法だと思う。無茶なことを言ってしまえば、表題作の「ポロポロ」に出てくる異言「ポロポロ」は、自らの生活を物語にしないためのいちばん誠実な実践なのかもしれない。言葉には常に物語化しようとする強い圧力が潜んでいるのだから。
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ただ、ポロポロ。言葉でも祈りでも願いでも宗教体験でもなく、身につくものでもなく、ご利益のあるものでもない。ぽっかりと空いた底の見えない穴のような観念をポロポロの中に垣間見た。