私の話 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
3.49
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本棚登録 : 234
感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309407616

感想・レビュー・書評

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  • 本書が出てから2年後に亡くなったことを抜きにして読むことができなかった。タクシーの運転手さんの話に「大丈夫だ」と気をしっかり持ち直そうとし、自分を待ってくれている識字教室のオモニたちのためにも行かねばと思っているのにその先に起きたことを思うと胸が締め付けられる。しかし、それは置いておいても、なんと真摯に他者の気持ちを汲み、自分の来し方と向き合った文章だろう。自分が書いたことで祖母にどれだけの苦痛を与えたか、この人は他者が想像する以上の痛みを背負ったに違いない。自分のことを語りながら自分は脇に置き、他者を照らし出した稀有で見事なエッセイ。

  • タクシーの運転手さんの話で、朝の通勤電車で泣きそうになりました。
    あたりまえだと思っていた「すこやか」への努力の重み。

    わたし、鷺沢萠さんの作品、好きなんです。
    好きすぎて、一度に読みたくないって思ってしまうくらいで、
    少しずつ読んでいるんです。

    これまで、鷺沢さんのことを、すごく繊細ではかなげな人なのかな・・と
    病弱で細身な作家さんを勝手にイメージしていたのですが、それってとても一面的でした。

    読み進めていくうちに、
    鷺沢さんは、その繊細さや鋭さを、自らのイメージの世界で優しく暖めて育てる、
    って感じの人じゃなかったんだな、って気付きます。

    むしろ、自らのその感触を確かめるように、
    本能、本音に身をゆだねて、
    全身全霊で現実社会のドアをノックして、
    全然知らない世界にひとり乗り込んで、体中生傷だらけになって、
    でも自分の欲しかった宝物はしっかり握りしめて帰って来る、みたいな人だったんじゃないかな、って思い始めるんです。
    それは最後の酒井順子さんの解説で、すとんと腑に落ちます。

    もし、もしですけど、
    同じ時代をそばで見れる関係にあったなら、
    わたしはきっと鷺沢さんがまぶしくて、残像しかリアルに感じられなかっただろうなと思う。
    それほどまでに、あまりに速く、まっすぐ伸びていく彗星のような方だな・・と思いました。
    そして、その彗星はどこに向かおうとしていたのだろう、としんみりするのです。

  • たぶん帯の「次々苦難に見舞われた作家の波乱の半生」と言う文章に惹かれて買ったのだと思うけれど、読まずに置いてあった一冊。
    鷺沢萌の作品も読んだことが無く、どんな人物か全く知らなかった。
    自分のツールが韓国にもあったことなど、確かに波乱に満ちた半生ではあったけれど、この本では生きる希望のようなものを感じることが出来た。それだけに彼女がもういないことが残念に思う。

  • 表紙裏
    家庭の経済崩壊、父の死、結婚の破綻、母の病・・・何があってもダイジョーブ!次々苦難に見舞われた作家の波乱の半生を、ユーモラスな語り口で淡々と描き、涙を誘う、著者初の私小説。急逝した鷺沢萠自らが、「愛着の深い本、文筆業をはじめて15年の記念作品」と記した、作家の到達点ともいうべき傑作!解説=酒井順子

    目次
    私の話1992
    私の話1997
    私の話2002

  • 職場で何気に本の話になった時、鷺沢萠さんがかつて好きだったという方がいました。

    「鷺沢萠か…」

    昔彼女のエッセイを1冊読んだような気が何となくしていて、過去の記録を紐解いてみると『町へ出よ、キスをしよう』を読んだようでした。父の所有本でした。読んだのはそれだけで、小説などは読んだことがありませんでした。

    韓国にルーツのある作家で、自分で命を絶ってしまった方… 鷺沢さんのイメージは断片的にしかなかったのですが「鷺沢さんがとても好きだった」というその方の話を聞いてどんな作家であったかを何となく知りたくなりました。「小説を読みたい」と思ったので、確か『町へ出よ、キスをしよう』の中に、ご自分の著書である『少年たちの終わらない夜』という小説が、福永武彦の『夢みる少年の昼と夜』という小説の題からインスパイアされている、という記述がなんとなくあったような気がして、それだけは何となく読んでみたいと以前から思っていたことから、それにしようかなと思っていました(うろおぼえなので間違えているかもしれません)

    小説を手に入れる前に、鷺沢さんの略歴などをWebで追っているうちに酒井順子さんと仲良しであった、との記述がちらほら見受けられました。少し意外な気がしました。何となく派手で華やかなイメージの鷺沢さんと、どちらかというと地味な感じもする酒井さん(失礼な思いこみです)が仲が良かったのかと。酒井さんは『負け犬の遠吠え』以来、たまに読みたくなる作家という自分の中の位置づけでしたので、なおさら興味を惹かれました。

    書店の河出文庫の棚を眺めていると、鷺沢さんの著書がありました。『少年たちの終わらない夜』もあったのですが、『私の話』の中に酒井順子さんの解説があったことから、少しぱらぱらと眺めていました。しかし、読んでいるうちに涙がこぼれそうになるのを抑えられないので、『私の話』を買って持ち帰って読むことにしました。

    『私の話』は1992年、1997年、2002年に鷺沢さんの身の上に起こった出来事を書いています。「私小説」とのことです。読めば、鷺沢さんが常に鬱屈とした思いを抱いていたことがわかります。周囲の人の「すこやか」や「まっとう」に限りない羨望を覚える様子が丁寧に描かれます。時にそういう自分を客観視し、ユーモアも交えます。こういうものを読むと作家の筆をコントロールする力、というものを感じずにはいられません。

    同時に、読んでいてこれは作家に対し、とてつもない痛みを強いるものだとも感じました。書きながら自分自身をも傷つけていくような作業に思えました。しかし、解説で酒井さんがおっしゃっているように、そこには一種のすがすがしさがあったのかもしれません。また、鷺沢さんが抱えてしまっているものは、何となく自分にもあるものだと思いましたが、自分では巧みにそれを見ないふりをしてやりすごしているのだな、ということを逆に感じました。そうやって折り合いをつけていかないと、日々を過ごすのも大変なのです。

    「自分が放つ言葉が曲解されるかもしれない」というのは、物を書く人に常にある不安なのではないでしょうか。その時に助けになるのが、第三者による言葉。「これはこういうことなんだよ」というのは本人からだけだと上手く伝わらない場合もあるのだと思います。伝わらないことを作家本人の力量のせいにする考え方も一つだと思いますが、言葉を巡る世界はもう少し複雑にできているような気もします。そんなとりとめのないことをなんとなく考えました。

    自身の母親が乳癌になったことに舌打ちをする、というような本書に出てくる、ともするとこちらをやきもきさせるような表現は、そんな鷺沢さんのことを「わかってるよ」と言ってくれる酒井さん(もしくは、共感する多数の読者たち)の言葉とセットである、という安心感のようなものがないと読めないような気がします。結果的に本の後ろ側にある人と人のつながりを強く意識することとなりました。

    とある本屋の角川文庫の棚を見ると、鷺沢さんと酒井さんの著作は一人の作家を挟んで並んでいました。二人は「めめたん(鷺沢さん)」と「じゅんたん(酒井さん)」と呼び合っていたとのこと。戦友であったであろう、二人の来し方に思いを馳せています。

  • ふっと目についた一冊。
    鷺沢萠さんはデビュー作以来、読んだことがなかったかもしれない。名前「めぐむ」と呼ばせるのだと、今回改めて認識した。デビュー作は話題になったので、掲載されていた雑誌を買い求めた。同世代で、私は大学生だった。講義で話題にする先生もいたのを覚えている。評者からガラスの器の描写についてちょっと物言いがついていたような記憶もある。
    その後、気が付くと、テレビのコメンテーターのような感じで出られてて、すごく貫禄があるように見えた。今考えてみたら、まだ30歳前後だったんだと思う。そしてしばらくして訃報を聞いた。最初の報道では病死のように発表されていた気がするが、そののちほんとうの死因が伝えられて、この人もそういう道を選んでしまったのか・・と思った記憶がある。
    解説を書いた酒井順子さんは、彼女の一つの到達点だという。1992年のあたりはちょっと若さ=稚さみたいなものも感じたけど、97年のパジョンの話、02年の在日の方たちとの話になってくるにつれ、こういう話はホント彼女にしか書けないんじゃないか・・と納得した。酒井順子さん曰く「ちょっとした出来心と冒険心」で、筆を絶つことになってしまったのが残念だ。もしかしたら、今、すごい論客になっていたかもしれない。
    というようなことを思う一方で、この本に太宰の『人間失格』と同じ種類のペーソスを少し感じてしまったのは、うがった読み方だろうか?

  • 面白かった。自分を飾らず文章にして、ありのままの自分をさらけ出しているのが潔すぎる。かっこいい!!

  • 彼女が突然この世から去った時は、普段のweb日記から感じる豪放なイメージからは想像もできなかったのだが、その小説を読めば彼女がいかに繊細な人だったが良く分かる。

    著者自身が「私小説」と言っているから私小説なんだろうと思うが一般的な私小説のイメージとは違う話。「自伝小説」かというとそれも違う。
    文字通り執筆した時々での「私の話」だ。
    繊細な神経で、頑張り屋で、とにかく一所懸命なんだけれど、周りの人にはそれと悟られたくない、とても面倒な性格の鷺沢萠という作家がどうして出来上がったのか語られる一冊

  • これを読むまで鷺沢さんのルーツについては知らず。
    デビュー作を読んでみようと思った。

    在日の視点、コミュニティについての話は興味深かった。

    「星占いのいいことを信じる」

    民族民族というのではなく自分の一つの属性として。

    識字学級の話。教える人が学ぶというのはその通りだと思う。

    一人の人間の素の意識、受けた言葉、そんなものがダイレクトに伝わる話だった。

  • 私小説らしい私小説をはじめて読んだかもしれない。はじまりからは終わりが全く見えないおもしろさがあった。
    今、フジテレビ関連の韓国偏愛についての問題のことを時々考えていて、そうしているとだんだん勝手に韓国に対してあまりいい気持ちがしなくなっていた。もともとはメディアの体制の問題であるのに。そうした、正体の見えない「ガキな」嫌悪を払拭してくれた一冊でもある。
    また、本筋とはズレるかもしれないが、印象に残っている言葉がある。「弱者には同情ではなく愛情を注ぐこと」この言葉を受けた時、わたしはまだこれを受け入れられるほどには大人になれていないなと思った。弱者の側からこの言葉を言うことは、自分の弱さと相手の強さを認めて、庇護を求められる、覚悟というか、強さがいると思った。

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著者プロフィール

鷺沢萠(1968.6.20-2004.4.11)
作家。上智大学外国語学部ロシア語科中退。1987年、「川べりの道」で文學界新人賞を当時最年少で受賞。92年「駆ける少年」で泉鏡花賞を受賞。他の著書に『少年たちの終わらない夜』『葉桜の日』『大統領のクリスマス・ツリー』『君はこの国を好きか』『過ぐる川、烟る橋』『さいはての二人』『ウェルカム・ホーム!』など。

「2018年 『帰れぬ人びと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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