笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

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  • 河出書房新社 (2010年8月3日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784309408293

みんなの感想まとめ

日常の中に潜む葛藤や不条理を巧みに描いた作品集で、特に「なにもしてない」は、共感を呼ぶリアルな日常の一コマを切り取っています。主人公が皮膚科に行くのを先延ばしにする様子や、母親との関係に悩む姿が生々し...

感想・レビュー・書評

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  • 『毎日』の記事がきっかけで、「タイムスリップ・コンビナート」が目当てで購入。

    https://mainichi.jp/articles/20210131/ddm/014/070/016000c

    要は、西武新宿線の都立家政駅から鶴見線の海芝浦駅まで移動する話。私も海芝浦には行ったことがあるのだけれど、私には全く見えなかったものが作者にはたくさん見えているのだなぁ、と月並みな感想が浮かんだ。鶴見駅周辺が四日市に似ているという指摘は、風景論としても面白い。

  •  初めて読む笙野頼子さんの3つの小説。1981年に群像新人文学賞を受賞した後、書いても書いてもほとんど作品を認めて貰えず、沈滞した10年を過ごし、やっと本書収録の「なにもしていない」(1991)が突然野間文芸新人賞を受賞。さらに「二百回忌」(1993)で翌年の三島由紀夫賞、「タイムスリップ・コンビナート」(1994)で芥川賞を受賞と、いきなりの華やかな?受賞ラッシュを経験する。一般的な大衆小説ではないので一部の純文学界とその愛好者には認められて、今日に至るようだ。本書にはメルクマールな受賞作3つが収められている。
     私がこの作家の名をはっきり認知したのは、私が制作した楽曲動画「前衛スギルキミ」に付けられた、見知らぬ人のコメントだった。
    https://youtu.be/KwnrrHdndco
    「しょうのよりこのnovelをおんがくにしてクルシェネックで濾過したみたいで平成耽美主義みたいでももう新時代なのにねぇ?」
     現代音楽についてどうやらクルシェネクしか知らないらしい無知で粗雑なコメントに過ぎないが、「しょうのよりこ」という作家の作品が何か自分の音楽に通じるものがあるのか? しかし無教養なコメント主の程度の低い類推でしかない可能性が高いような。
     今回やっとこの作家の小説を読んでみて、けれども巻頭の芥川賞受賞作「タイムスリップ・コンビナート」は私にはつまらない駄作にしか思えず、がっかりした。「マグロとの恋愛」というシュールなモティーフで少々いびつな生活空間を描出しているのだが、そこに深いものを感じなかったのだ。
     読んでいてつげ義春さんのマンガを想起した。が、比較すると、表現の迫力や感覚のリアリティにおいて、つげ義春さんの方がはるかに優れており、芥川賞はつげさんにこそ出すべきだった、と独りごちた。
     続く「二百回忌」もシュールなネタだが、面白いとは思わなかったので、かなり失望しながら読み進めた。が、最後の「なにもしていない」は私にはもっともぐっと来て、感銘を受けた。
     本作は野間文芸新人賞受賞前の、暗澹たる「まったく売れない作家(と呼ぶには原稿依頼も雑誌掲載もほとんどない)生活の10年」における作者自身の体験を恐らく書いていると思われる。バイトもせずにアパートに引きこもる日々は、たぶん親からの仕送りを頼ってでないと成立しないだろう。ワープロで小説を書きつつも、ほとんど売れることのない原稿の生産という虚しい営みを自ら「なにもしていない」生活と痛感しており、精神はうらぶれて鬱屈としている。この虚しい感じと、茫漠とした日常の感覚とが、平日働いてはいるものの、自分の時間において楽曲創作励みながらその生産がほとんど評価されることのない私自身の精神生活に素晴らしくシンクロしていたのだ。むしろ、私も金さえあるなら仕事もやめて、こんな「無能の人」の生活に墜ちて行きたいようにさえ思った。
     この作品はつげ義春さんの一連のマンガに通じるものが多分にあるし、それと同じレベルまで到達していると感じた。
     特に、何故か手の皮膚が極度に乾燥しひび割れ、腫れて、ゾンビのような異様さに変形してしまう湿疹を体験する場面は、多分に誇張されているのだろうが、心理的にリアルでファンタジックであり、文学として素晴らしいものであった。後で調べてみると、笙野頼子さん自身が難病を持っていて、その体験が反映されているのだろうと思われる。
     この「なにもしていない」を読むと、この作家の精神はなるほど、私にちょっと親近性があるのかもしれないなあ、と思うのだった。
     逆に自由に空想を広げた芥川賞受賞作は私にはつまらなかった。作者自身の体験に基づいた私小説的なこの人の作品を、また読んでみたいと思った。

  • 笙野頼子作品を人からすすめられたので、読んでみようと購入しました。三作品収められていて、どれも良かったのですが、「なにもしてない」が出色でした。皮膚科に行くのを日々先延ばしにするところが秀逸で、病院の診療時間を調べて保険証を準備して…その日はそれで終わりというあたり、「そうそう!」とうなずきながら読みました。母親の支配から逃れたいのに、母親が心配で実家に帰ってしまう、その葛藤もじれったいほどよく描かれています。
    ほかに収められているのは「二百回忌」と「タイムスリップ・コンビナート」。前者は普段と逆の行動をとることが奨励される<イベント>を描き、女性が男性を投げ飛ばしてもOK、むしろよくやったと賞賛される…その意味ではファンタジーと言えるかもしれません。後者は夢と現実が交錯するような不思議な作品で、ある種けだるさのようなものも感じられました。

  • 町を歩いていて、思わず古い建物を見かけると、幼少期の頃の記憶が呼び起こされるという経験は、ある程度年を取ってくると、誰にでもあるのではないかと思う。横浜で仕事をすることになり、初めて鶴見駅を降りて、鶴見川まで歩いたときに感じたのは、自分の原風景に、こうした大きな川の光景がないということだった。逆に言えば、幼少期、川の近くで暮らしてきた人にとって、その光景は、懐かしさ以外の何物でもないだろうと思う。「タイムスリップ・コンビナート」とは、まさに、そういう小説だったのではないかと思う。
    けれども、こうした理解にたどり着いたのは、ゼミで後輩たちが、精読する様子を見たからだった。小説を数ページずつに分けて、朗読を聞き、一文ずつ何が書いてあるのかを検討していく。一日十時間近く、四日に渡って行った読書会を通して、ようやくこの小説の楽しみ方は理解できた。楽しいかどうかは別にしても。
    要するに、初読のときは、つまらないだけでなく、大前提として、一体何が書かれているのかすら分からなかったのである。それくらいに、この物語の語りは、錯綜している。物語の冒頭は、こうである。

    去年の夏頃の話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいたある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、いきなり、電話が掛かって来て、ともかくどこかへ出かけろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった。(p9)

    もし、この物語が、ストーリーとして面白いものを描こうとしているのであれば、この先には、海芝浦に向かうに至るまでの何かしらの事態があり、その事件は、ストーリーのラストで解決されなければならないだろう。しかし、まずこの後に続くのは、まったく理解できない謎の電話相手との会話である。その会話は、何の理由もなく出かけることを促す電話相手と、場当たり的な連想で言葉を紡ぐ語り手との間で繰り広げられる、目的の分からないやりとりになる。

    ーーええと、えき、なんですね、それでうみ、なんですって、……海品川、馬白裏、なみ、しまうら、ちょっと、待って、下さい。
    寝起きの不機嫌もコミで私は駅の名をずらしてやる。でも相手は気付かない。真面目に教える。
    ーーだ、か、ら、うーみーしーばーうらっ。
    ーーええと、きーみしーまならっ、君島奈良、ですか、山の中なのねえ。(p21)

    ここでのやりとりが、この電話の会話を象徴的に表しているように思う。マグロとの恋愛、カメラの話、選挙、昭和と平成、景気の話。話は、脈絡なく色々な話題へと繋がっていくが、そこには、文字通り脈絡はなく、言葉の音と偶然そこに出てきた単語同士のつながりがあるだけである。
    こうして、夢なのか、現実なのかも分からない電話を通して海芝浦へ行かざるを得なくなったのは、やはり語り手自身の中に、そこへ向かうという意識が、はじめからあったからではないかという気がしてくる。実際、海芝浦へ向かうまでの電車と駅で、語り手は、たくさんの幻想を見ることになる。それらに共通するのは、目に見えるこれまた現実なのか、夢なのかも分からない様々な出来事が、すべて語り手の幼少期の記憶に繋がっていることである。

    駅の構内に出ると、ガラス越しに見えるのは妙に懐かしい町だ。ごちゃごちゃしたビルの低さ。賑やかそうなのに、光が薄いような煙った空気も……、海に面したプラットホームのはずがなんでこんなに広い明るい、何本も線路の通っている駅にいるんだろう。見覚えがあった。無論、錯覚の。でも思い込んだ。ここは、四日市じゃないか。私の生まれた町。(p45)

    彼女が降りた駅は、四日市ではなく鶴見駅だった。しかし、彼女の目には、現実の鶴見駅が、自分の生まれ故郷である四日市と重なり合ってしまう。このような具合に、あらゆる景色が、記憶の中の光景と、重なり合ってしまうのである。
    その重なりは、上の四日市のように、明確に彼女の幼少期につながることもあるし、高度成長期の頃の人々と思われるサラリーマンたちの幻影のような、ある大きな時代の表象であることもある。彼女は、そうした光景の混乱によって、タイトルにある通り、「タイムスリップ」してしまうのである。

    そうしたタイムスリップが行き着く先は、どこだったのか。それは、かつてアメリカに占領されていた時代の沖縄へ、出張に出ていた父の記憶であり、まさに、目的地であった海芝浦で働いていたという母の記憶である。この物語は、夢の中で恋をしたマグロに導かれて、忘れていた母と父の記憶に巡り会う物語だととりあえず言える。
    しかし、そんな物語の筋が、どうでもよくなるくらいに、この物語は、それを語るまでの間に多くの時代の表象を含んでいる。そうしたタイムスリップの描写そのものを楽しむための物語だったのだということに気がついたのは、途方もない精読を重ねてからだった。
    この小説は、注釈が楽しい小説だと思う。物語の筋を追うのではなく、そこに現れる緻密な時代の風景を追体験するところに、この小説の真骨頂があるのだろう。しかし、そこにたどり着くには、かなりの読みの忍耐力が、必要になるのかもしれないけれども。

  • これはまただいぶ近寄りがたい作風,日常感覚と土着信仰などを曖昧に結びつけるところに特徴がある。すれ違いコントみたいな会話も多く,それ自体におかしみを感じられるか否か。

  • 「タイムスリップ・コンビナート」★★★
    「二百回忌」★★★
    「なにもしてない」★★★

  • 「タイムスリップ・コンビナート」のみ読了。夢うつつが、とりとめないを通って、過去の回想を引き出して、取り留めなく終わる感。謎の電話とマグロとの思い出に導かれ。海芝浦と沖縄会館が強い印象を起こすけれど。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682420

  • カニデシ、カニデシタ、カニデナイ、カニカモネ‥
    「二百回忌」が良かった。
    可愛いな、面白いな。
    大学時代を思い出した。
    こんな風に純文学を楽しめる時間が、涼やかだった。

    「タイムスリップ・コンビナート」がどうしても読めなくて、しばらく遠ざかっていたけれど、今回は「二百回忌」が良かったな。

  • キンドルで読む。
    偶然ながら、今まで住んでいた土地(鶴見、そして三重県)に繋がることを読み始めてから気づく。

    ちょっとこれは、私は余り揺さぶられる部分がないのだが...

    最近、名古屋では百回忌をするという話を伺って、本当にそんなに遡って法事をすることがあるのを知った。
    真っ赤な着物、というのは実は私自身の夢に時々出てくるモチーフ。

  • 野間文藝新人賞受賞作「なにもしてない」、三島由紀夫賞受賞作「二百回忌」、芥川賞受賞作「タイムスリップ・コンビナート」のどれもが私小説として超一級品だ。夢と現実が絶妙に絡み合っている世界観と諧謔が読んでいて気分がいい。特に、「タイムスリップ・コンビナート」は面白かった。マグロについて作者は後書きで「近代が覆い隠してしまった宗教的感情のひとつのあらわれ」と述べている。「自らの感情を対象化し、神をつくりだす」物語だったらしい。
    再評価されるべき作家だと思うのだが……

  • 作者のこと好きになるしかなかった

  • 芥川賞、三島賞、野間文芸新人賞、三冠を一冊で読める、たしかにお得な本だった。本人の解説付きなのも良い。

    「タイムスリップコンビナート」
    意識の流れで書かれた、現実の中に時折混じる変なもの。マグロへの恋、謎の電話、大量に現れたおっさん、片面が海の駅。初めて笙野頼子を読むものだから、ただただ変な話だなーゼンエイテキなゲイジュツだなーと思いながら読んでいた。解説で若干腑に落ちた。

    「二百回忌」一番面白かった話。トンチンカンな話で200年に一度の奇祭、時空が歪み蘇った者も一族が一堂に会し、でも会話をするでも親交を深めるでもなく、でも一族であることが分かる、その騒々しさと乱雑さといい加減さ。

    「なにもしていない」
    これは、誇張はあるものの、私小説だろうと思う。長くて、卑下卑屈となにくそ魂と自己肯定感が波のようにうねり、世の中や周りや自分自身の心境の描写が客観的でズバズバ的確(でも結局引きこもってなにもしていない)なものだから、読んでて少し辛くなってくる。
    ちょこちょこ母親との不仲の話(頼っているくせに強がり、自意識過剰自分しか見えず自分の主観で家族を動かそうとする)が出てきて、架空の毒親、心がズキズキした。
    p165「バカナコトヲイウナ。綱わたりの最中、ああおちたらこわいなーここは百メートルあるよー、などと本当の事を叫びながら渡れとでも言うのか…」

  • 文芸誌を部分的でも読む「砂金の一粒」相手の商売か
    いや商売でなく芸術か
    商品であるなら売れなければならない正義ゆえに芸術は存在する意義を持つ

  • この人の作品は…なんというか、自己主張が強くて読んでいて疲れますねぇ…まあ、何かしら目の張るところがあるので読み続けているわけですが。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    特に「何もしてない」なんて自身の病気の症状を延々と語り出すものだから、何か闘病ブログでも読んでいるんじゃないかと錯覚してしまいました…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    好きなのは他の二編ですねぇ、タイムスリップコンビナート? もマグロとの恋愛に疲れて……みたいな書き出しが面白いと思いましたし、二百回忌は変なことが延々と起きているのに主人公はどこか飄々と、と言いますか、淡々と、と言いますかあまり動じていない風なのが面白いと思いました。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    あとがきもまた独特でして…とにかく不遇な時代が長く続いたという著者。それが「三冠」も達成して、いやはや、作家として順調じゃないですか! おめでとうございます!

    というわけで、さようなら…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • こういう作品の纏め方って、あざといとも思う反面、潔いですね。いわゆる私小説になるんだろうけど、収められた三篇がそれぞれに違う雰囲気を醸してて、でも笙野頼子印がしっかり押されていて、読んでて気持ちよかったです。”二百回忌”に至っては、もはや完全にファンタジーだし、他の二編についても、電車移動とか皮膚科診察とかを軸にしながらもあちこちに妄想飛びまくりで、混沌世界観が満載。ただ単に意味が分からんだけと思えないのも、構成や文章の妙があってこそと理解。さすがの力作三部でした。

  • 2012/01

  • (m.t)

  • 純文学というものらしいが、根底に横たわる価値観のようなものに、たどりつけそうで、うまくたどりつかない。きっと、普段から読み慣れていないせいだ。ただ、生存への迷いがないのはわかる。

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著者プロフィール

笙野頼子(しょうの よりこ)
1956年三重県生まれ。立命館大学法学部卒業。
81年「極楽」で群像新人文学賞受賞。91年『なにもしてない』で野間文芸新人賞、94年『二百回忌』で三島由紀夫賞、同年「タイムスリップ・コンビナート」で芥川龍之介賞、2001年『幽界森娘異聞』で泉鏡花文学賞、04年『水晶内制度』でセンス・オブ・ジェンダー大賞、05年『金毘羅』で伊藤整文学賞、14年『未闘病記―膠原病、「混合性結合組織病」の』で野間文芸賞をそれぞれ受賞。
著書に『ひょうすべの国―植民人喰い条約』『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』『ウラミズモ奴隷選挙』『会いに行って 静流藤娘紀行』『猫沼』『笙野頼子発禁小説集』『女肉男食 ジェンダーの怖い話』『解禁随筆集』など多数。
11年から16年まで立教大学大学院特任教授。

「2025年 『白内障完治年の老婆カレンダー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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