新教養主義宣言 (河出文庫 や 20-1)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 33
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  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309408446

作品紹介・あらすじ

「日本的四畳半ウサギ小屋的せまさ」に行き詰まっている現実も、ちょっと物の見方を変えれば可能性に満ちている。文化、経済、情報、社会、あらゆる分野をまたにかけて、でかい態度にリリシズムをひそませた明晰な日本語で、いま必要な新たなる"教養"を読者の脳裏にたたき込む。二十一世紀の日本人必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 上から目線が鼻につくが、先見性があるのはたしか。
    もともと、クルーグマンの紹介者として、筆者を知ったが、他にも面白い本の目利きでもある。

    本書は断片的にいろんな話題に飛ぶが、一つのテーマを深く掘り下げたものも読んでみたい。

  • はっちゃけたところとまともなところの塩梅が面白いけど、妙に偽悪的な部分や下品になるところが好きではない。照れなのか逃げなのか。

    最近の本で誰が書いても同じ文体になるんじゃない?という印象の「編集者の案でライターが書いてる」ような、『筆者がのっぺらぼう』の文章よりは、これくらい個性があるのは好きだけど。

    まともなこと言ってくれてる前半はするっと読めたけど、後半は飽きた。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「照れなのか逃げなのか」
      挑発ですね。
      訳者の名前で売れる人の一人だけでど、訳されるモノがハイブロー過ぎて、なかなか手が出せない。。。
      「照れなのか逃げなのか」
      挑発ですね。
      訳者の名前で売れる人の一人だけでど、訳されるモノがハイブロー過ぎて、なかなか手が出せない。。。
      2012/08/28
    • こっこっこさん
      わお!コメントが付くことを初めて知りました。(笑)
      コメントありがとうございます
      わお!コメントが付くことを初めて知りました。(笑)
      コメントありがとうございます
      2012/08/28
  • 教養でもくらえ!

    そう啖呵をきって、
    著者山形浩生は口角泡飛ばしながら雑多な話をべらべらと捲し立てる。

    ご大層な題目の本書だが、
    小難しいながらも分かりやすい語り口で、
    タイトルほど堅苦しくなく(なんならこの堅苦しいタイトルはネタであるように思う)文章自体はするする読む事ができる。

    ただ、予備知識はある程度必要だ。
    そしてその予備知識が多くの人間に備わってない事が問題だ。と、本書の序盤でも書いている。

    予備知識があれば、
    それを踏まえてもう一段先の話が出来るのに、
    そしてもう一段先の話からが、
    本当に面白い話になるというのに。

    だから教養ってのは大事で、
    生きて行くのに必要の無いトリビアみたいな扱いにするのは間違いで、
    実用的で本質的な知を、思想を、アイディアを、もっと人々は知るべきだ。

    みたいな話。

    この本を手に取ったのは、
    別にインテリぶってマウンティングしたいわけでもないし、
    ムズカシイ本読んでる俺カコイイを演出したいわけでも、
    世間の馬鹿さ加減を憂慮してるわけでもない。

    いや、
    結局はそんな見苦しい下卑た思いも含まれてはいるけれど、
    教養とは何か?という学歴コンプレックスからくる教養の無さを埋めたいという思いと、単純な知的好奇心が働いたというのが、大体の理由だ。

    さっぱりわからないところもあるけれど、
    なるほどと得心するところも多々あった。

    特に、
    第一章のメディアは人間の気遣い力を破壊するの項は、現在の日本の状況を言い当ててる。

    見たいモノしか見ない人間の管見さ、
    キャパの狭さは、
    読解力や認識力を低下させる。
    みたいな話。

    つい最近Twitterで見かけた、
    A:このツイートに上げてる曲名なんですか?
    B:うっせぇわ
    A:なんやその態度、ブロックしたろ

    の一連の流れに顕著に出ていると思う。

    これBはAdoの「うっせぇわ」という曲を紹介してて、それをただの暴言だと認識してしまったAが怒った。という馬鹿みたいな話だが、曲名が勘違いさせる要素を多分に含んでいたとは言え、
    気遣い力、読解力、認識力が有れば防げた事態でもある。

    そう、
    うっせぇわという曲名が、
    相手を勘違いさせるかもしれないと考えて、
    「うっせぇわという曲です」とか、
    「Adoのうっせぇわです」とか、
    Bがちょっとだけ丁寧に返事を返せば済むはずだし、
    Aも、話の流れを鑑みて急に暴言吐かれたと考えずに一旦その言葉をググればよかったんじゃ無いかと思う。まぁでも誰でもAみたいに勘違いするよな、普通。

    これはBが投稿してた話で、
    被害者ヅラしてたけど、
    BもBで配慮が足らなかった事を反省するべきだと思う。

    まぁ一番悪いのはこんな曲を作ったAdoだったりする。
    うっせぇわ。


    あとは、
    消費税あげようとか、
    選挙権売ろうぜとか、
    小説とか映画の面白さを伝えるのムズイとか、
    色々言ってて一理あったりする。

    子のつく女の子は頭がいいっていう本の書評もなかなか。
    子がつく女性はメディアに毒される前につけられた名前だから云々って話で、
    その裏付けに紅白歌合戦の参加者にどれだけ子がつくかデータとったとか、説を立証させる切り口が斬新。

    今はキラキラネームのカウンターで、
    普通の名前ブームが来てるけど、
    (普通の名前ブームって変な言葉だな)
    読みは普通だけど漢字が凝ってたり、
    なんだかそれもそれでって感じ。

    ピカチュウちゃんとか、
    キラヤマト君とか、
    ハローキティちゃんは、
    今何歳になったんだろう?

    そして彼等が大人になった時、
    子供にどんな名前をつけるんだろう?

    ピチューとか、
    百式とか、
    ポムポムプリンでない事を祈ろう。

    そんなこんなで、
    教養がいかに必要かというよりは、
    その教養がどんな知的生産だったり、
    知的好奇心をもたらすのかといった、
    脈絡のない思考の澱みたいな本だ。

    冒頭でミームの話があったし、
    ミーム然とした本として在るのは当然と言えば当然か。

    僕がまだミームという言葉を知らない時、
    無意味にも意味があるという意味で、
    無意味を逆から読んでミームという言葉を作ってみたことがある。

    その曖昧でごにょごにょしたイメージは、
    本来の意味のミームと少し似ている気がする。

    思考やアイディアの塊としてのミームは、
    またその触手を伸ばし、
    僕の元へとやって来た。

    それからまた、
    誰かの概念の中に住み着き、
    また広がっていく。

    そういうふうに、
    教養と言われるものも広がって、
    どこかの誰かが、
    その概念とともに知を求める面白さに目覚めて、ミームとなって脳に侵食していけば、
    破綻した民主主義の中にも、
    一縷の光が差し込むかもしれない。



  • 2021/12/07読了

    おもしろかった!
    書かれていることが刊行から20年近く経った今でも古くなく今のSNSやインターネットの状況を予言してるのか?ってくらいメディアやその周辺への指摘が鋭い

    あとおもしろさと教養についての話がすごいよかった

  • 「バカでもわかるように作られている最低のハリウッド映画すら話がわからんという人は、実際の世界の支離滅裂な現実の中でどういう生き方をしているんだろうか」(p.15)

    「蓮實重彦の文ははとてもつらい立場におかれていて、かれが言おうとしていることを普通のことばで言おうとすると、どうしても「人間、結果はどうあれ努力が大事です」とか「やはり結果を出さないとだめです」とか「出会いを大切にしましょう」とか、そういう鼻くそみたいなお説教になってしまう。それはウソではなくて、一面の真実を持っているんだけれど、どっかできいたお説教だと思われた瞬間に、そのことばはもう頭の芯には届かずにバイパスされてしまう。(…)だから蓮實は、「例の」お説教だと思われないように、様子をうかがうような文章をつむいでいくんだ。そして予想外の方向からせめて、なんとかみんなの頭の芯にたどりつこうとする。同時に、お説教からはばっさり切り捨てられるいろんな注意書きやただし書きも温存しようとする。(…)蓮實先生が言ってることは、あたりまえだけど大事なことなんだから。入学式のときに寝てしまったぼくの後輩たちも、自分たちが耳にしたのがなんだったのか、この本を手にとってもう一度確認してほしいと思う(もちろん後輩たち以外もね)。そしてこの世の「わーい見て見て、こんなものできちゃった!」「ねえねえ、こんなことしちゃった!」という楽しさを、もっともっと増やしてほしいと思うんだ。『知性のために』がもう一つ言ってるのは、知性ってのがまさにその楽しさなんだってことなんだけれど、でも、あなたは(ぼくも)わかったつもりで、実はこれがわかってない』(p.191-193)

    「「権利」なんてのはたいがいはその人が勝手に考えている根拠レスな「べき」論にすぎないし、最終的には公共の金をむしりとるための口実でしかない。「ポルノを見せる権利はない」ってのはつまり、警察がそれを取り締まれってことでしょ」(p.229)

    「ラファティが肯定しているのは、己の能力を限界まで発揮し、そのためには他人を一顧だにせず蹂躙し、他の存在と死闘をくり広げて潰え死ぬ、そういう生のあり方なのだ。赤玉ポートワインに満足するようなたるみきった生ではない」(p.240)

    「今晩飯を喰って、ウンコをして寝るーーそういう卑近な現実は、ディックを語る人々が口にする抽象的な「現実」からはまったくぬけ落ちている。そういう人々が「現実」と言うとき、それは「自分がいい加減に思いこんでいる世の中の仕組み」という意味で、そんなのが虚構であるのはディックにきくまでもなく、傍で見ている人はとうに知っている」(p.267)

  • 2019/9/22再読。多分もう一回読む。
    この本を起点にいろんな方向へ知識を広げていきたい。

  • 1993〜1999ころの山形氏の書評、あとがき、コラム等をまとめたもの。ミルグラム実験(服従の心理)の本を翻訳した人だが、こんなに面白い人とは思わなかった。
    自分の考えに自信があり、さらに論理的で反論のあとのこともよく考えられているようだ。
    金融政策のことも10年以上前に書かれたことながら、古くなっていない。
    ふざけた内容も多くあるが、読むと面白い。
    今後もこの人に注目したい。

  • 思索

  •  教養論だと思って、去年の三月に購入したらしいのだが、教養について論じたものではなく、著者のもつ具体的な教養を陳列したもの。文章を書ける人はいいなあと思う。こういう先生は早熟なんだろう。

  • 途中から何となく、独りよがりで、読者を意識してない感じの展開について行けなくなってしまい、3分の1を過ぎた辺りからは、斜めに読み飛ばす事になった。

    部分部分では、成る程と思う所もあるんだけど、自分にとって面白く読み進めるという本ではなかった。

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著者プロフィール

評論家、翻訳家。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程およびMIT不動産センター修士課程修了。開発援助関連調査のかたわら、小説、経済、建築からネット文化まで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行う。
著書に『新教養主義宣言』『要するに』(共に河出文庫)、『訳者解説』(バジリコ)、『断言』『断言2』(共にPヴァイン)など。訳書にピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(ちくま学芸文庫)、ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(講談社学術文庫)ほか多数。

「2021年 『経済のトリセツ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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