- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309408712
作品紹介・あらすじ
脳が進化したとき、人類は「退屈」に目覚めた。そして、孤独や不安などの悩みもまた生まれた。子育てやセックスも退屈しのぎにすぎない-壮大な構想のもとに、人類最強の敵「退屈」について考える。本当に恐ろしい退屈は、大人になってから訪れる。人生の意味を見失いかけた者に光を投げかける名著。
感想・レビュー・書評
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f.2011/5/30
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早稲田の古本屋で購入。
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「終わりなき日常」を生き抜くためには、「意味」よりも「強度」が求められなければならないと主張する宮台真司や、『逃走論』で近代の神経症から解放された「スキゾ・キッズ」の生き方を説く浅田彰、さらに、「祝祭」におけるエネルギーの解放を論じた山口昌男や栗本慎一郎らの主張に対して、この本の著者は、「飽きないか」という、何ともみもふたもない疑問を投げかけます。
本書では、文学や歴史、人類学などの成果を参照して、人間が「生の意味を求める」のは生が「退屈」だからだ、という洞察を引き出します。個人的には、これまで哲学や宗教が扱ってきた問題を徹底的に世俗的なレヴェルに引き下ろした本だと理解しました。
ところで本書では、宮台と宮崎哲弥の対談のエピソードに触れられています。ある雑誌の中で「強度」を主張する宮台に対して宮崎が「飽きませんか」と尋ねたというエピソードを紹介している。これは、雑誌『サイゾー』に連載された「M2」(現在は朝日文庫に所収)のようですが、興味深いのは、この対談にゲストとして招かれた映画監督の青山真治の発言です。カンヌ映画祭受賞作となった『EUREKA』について、彼は「今まで神経症的に「退屈を恐れる」ことが、ものをつくる際のひとつのコードになってきた」が、「そういうつくり方の過程で捨てられてきたもののなかに、映画本来のものがあった」と言います。そして、今の時代に「そういうものをそのまま再現することはもはや……不可能だけど、僕がやっているような微分的に解体してもう一度一個ずつ積み上げるというやり方は結構それに近いことができる」と語っています。また宮崎は、作中の出来事がお定まりの「意味」に収斂するのではなく、「刹那に生滅しながら持続する時間の切なさ」が「体に残る」ところを評価しています。ここで2人が言おうとしているのは、自分たちの営みが「退屈しのぎ」であることを知ってしまっている者の態度であるように思われます。
本書の結論は、人間のあらゆる営みは「退屈しのぎ」にすぎないということですが、青山らにとっては今さら驚くような真理などではなく、むしろ彼の作品の前提だったのではないでしょうか。 -
退屈でした。
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「退屈」というものに焦点を当てた著作。
まず驚いたのは著者の知識の量。圧倒的な知識量で、色んな側面から一つの「退屈」というものに光を当てている。
ただ、その膨大な知識量により、所々で読むことが「退屈」になってしまうかもしれない。 -
「暇と退屈の倫理学」を検索欄に入れたら出てきた。
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快楽や自由満載のユートピアは、
飽きないか。
まさに、私が長年疑問に思っていたこと!
楽園みたいな島に旅行にいくと、
こんなとこで呑気に住みたいなー
などと思うが、飽きないかが心配だ。
本では、昔の人は子育てで暇を回避していた、とある。ナルホド。
結婚によって恋愛の自由を奪われると退屈だ。だから子どもが欲しくなる、のか。ふむ。
生きる目的が見つからないと悩むことは、退屈しているということなのだ。
退屈コワイ!!