金毘羅 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 163
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309410371

作品紹介・あらすじ

「私は、金毘羅になった!」1956年嵐の夜、人の子の体を借りて、深海から陸に移り住んだ私=「金毘羅」。失った過去の記憶が甦る時、近代が封印した、魂の歴史と祈りの本質がついに開かれる。21世紀いまだ解決されざる内面の神話に挑戦した、超絶怒濤の世界文学。第16回伊藤整文学賞受賞作品。著者記念碑的代表作。

感想・レビュー・書評

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  • 壱で必死に追いすがって、弐で引き込まれて参で感動し、四で混乱させられました…。「自分の言葉で」書かれた私小説と言う感じ。もう一度読めば違う印象かも。
    「そもそも日本国民の殆どはロジックに載せてまともに日本語を使う能力などありません。矛盾した事をころころいいながら自分の感情だけ身振りだけを表現するのです。そして職場ならば力関係で物事が決まります。家庭ならば言葉はただ身振りと感情だけでやりとりされて、愛情や調和があれば、それでいいのです。」この一説にいたく感動した。洞察力が凄い。

  • ふむ

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682419

  • 笙野頼子の本領発揮。

  • 難しい。
    金毘羅はごく私的なカウンター神。伊勢神宮や、国家的な神道に対するアンチテーゼ。彼らが国を統一する時に反逆し切り捨てられた少彦名。そんな金毘羅が死んだ女の子に宿った。人間の母は金毘羅を男のように学問をさせて男のように育てる=女であることを否定する。女であることは、この男性中心社会において金毘羅であることなのだろうか。

  • 5年くらい前に読みかけで止まってたのを読み返しました。忘れすぎてて初めて読んだみたいだった。
    わたしの理解が追い付いているとは思えないんだけども、これは笙野作品でよく言われるフェミニズムとかジェンダーとかそういうのとは違って、発達障害的な生きづらさなのかなと思ったよ。
    国家宗教のだけじゃなく、性や、あと世間や社会に対してのカウンター神なんだろうね。

  • 2011/5/15購入

  • サイードが『文化と帝国主義』の中で「帝国主義」という定義に触れ、領土を支配するイデオロギー的な理論と実践、またそれがかかえる様々な姿勢だって言っていたけど、日本風土の基層から笙野節でそのことが書かれているんだよ。サイードさんと笙野さんって結びつき難いようで奇妙な私の中の結び付きを感じた。

    「日本国民の殆どはロジックに載せてまともに日本語を使う能力などありません。矛盾した事をころころいいながら自分の感情だけ身振りだけを表現するのです。職場ならば力関係で物事が決まります。家庭ならば言葉はただ身振りと感情でやりとりされて、愛情や調和があれば、それでいい」p121

    「そんな私の、金毘羅の目から見れば、例えば文学の世界で語るべき事が何もないと言っている人間は新しく語るべき現実から目をそむけているだけだと判りました。また『私などない』といっている人間は自分だけが絶対者で特別だと思っているからそういう負抜けたことをいう」p125

    「金と科学の国、とはいえ金毘羅的なものをすたれさせる原因は別に戦後だけではなく明治も同じでした。そもそも国家の根源にキリスト教、もとい天皇という迷信があり、差別や非合理な制度が一杯あった。それを迷信と呼ばない以上、人々の理性は曇ったままなのです。そして理性の彼方で本来健全に機能するはずの信仰というものは、国家的迷信に洗脳された愚民の手で隠され、戦前は全部ヤマト系の神々の下に一本化系列化されていた。」p132

    「それ故、インテリから『ないこと』にされ野放しにされた『心の問題』・信仰の方は結局迷信化し、お金と数字を伴う、けったいな理論を挟まれた偽科学に化けた。挙句、戦前、ただ一種類だった愚民は、二種類に分かれた。ひとつは国家的迷信に洗脳された愚民、もうひとつはその国家的迷信を信じている普通の愚民を冷笑し、しかしなぜ信じているかということを解析する能力はなく、ただ自分たちだけは違うとひたすら思い悩んで、そして贋数学贋科学の世界に逃げ込んでいる腑抜け的愚民だった。そういう人たちが宗教にハマると、『高級な』宗教的思想だけを問題にして祈らないのである。」p132-133

    『金毘羅』の根底にあるもの、それは私小説という体裁をとりながら、人間嫌いな「私」の根源に辿りつこうとする地層を横断する試みであり、その姿勢が強烈過ぎる。

    「仏教的な大きい世界観や来世観、個人の自我の要求に応じたものをとりいれてきた。しかし明治期の神仏分離で政府はそれらを全部無かったことにして、いきなり清潔な国家神を復活させたのだ。『わしら』の神であった。しかもそれは単なるでかい国家という『わしら』の神だった。」p295

    「『日本人は不思議だ葬式は仏教で結婚式は教会、お宮参りは神社』不思議なんかじゃない。ただルーツが消されただけ。見えなくさせられただけだ。それが日本人だ。神仏習合の歴史が日本の祈りの歴史。神は仏なしには語る事ができない。」p295

  • 「オカルトを排除しつつ国家宗教をも否定しつつ、宗教の思想性も拒否し続け、それでも信仰を続けるなんて。」
    「インドの小国の王子ゴータマ・シッタルタが始めたこの宗教は、最初この古神道「

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著者プロフィール

笙野頼子(しょうの よりこ)
1956年三重県生まれ。立命館大学法学部卒業。
81年「極楽」で群像新人文学賞受賞。91年『なにもしてない』で野間文芸新人賞、94年『二百回忌』で三島由紀夫賞、同年「タイムスリップ・コンビナート」で芥川龍之介賞、2001年『幽界森娘異聞』で泉鏡花文学賞、04年『水晶内制度』でセンス・オブ・ジェンダー大賞、05年『金毘羅』で伊藤整文学賞、14年『未闘病記―膠原病、「混合性結合組織病」の』で野間文芸賞をそれぞれ受賞。
著書に『ひょうすべの国―植民人喰い条約』『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』『ウラミズモ奴隷選挙』『会いに行って 静流藤娘紀行』『猫沼』『笙野頼子発禁小説集』『女肉男食 ジェンダーの怖い話』など多数。11年から16年まで立教大学大学院特任教授。

「2024年 『解禁随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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