サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 298
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309410692

作品紹介・あらすじ

これまでの情報社会論を大幅に書き換えた「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」を中心に、九〇年代に東浩紀が切り開いた情報論の核となる論考をはじめ、斎藤環、村上隆、法月綸太郎との対談を収録。ポストモダン社会の思想的可能性は、すべてここに詰まっている!文庫版オリジナル構成。

感想・レビュー・書評

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  • サイバー空間の定義を通して、社会学、文化学の切り口から情報化について論考するという試み。
    サブカルやオタクのイメージ強い東浩紀氏はこういうこともやってるんだなという驚き。

  • 思索

  • 新書文庫

  • デリダ、ラカンなどから情報社会を読み解く。

  • はじめて東浩紀氏の本を読んだが、いつもこういう文体なのか?
    非常に難しい文体で読むのが苦痛でした。
    ほとんど内容が頭に残っていません。

    かろうじて読み取れた内容も、「まぁそうだよね」という感想しか持てず、期待していただけに残念に思いました。
    1冊だけでは判断できないので、これからも数冊ほど氏の著書を読んでみたいと思う。

  • 情報技術について本質的に考える上で大いに参考になった。

    第一回
    「精神圏 noosphere」(マクルーハン、シャルダンの神秘思想(汎神論的進化論)を援用)
    →マクルーハンはメディア自体に空間性を見ていた。

    - ハイデガー=ヴィリリオ的な、速度=距離的メディア理解
    - マクルーハン的な空間的メディア理解
    ※マクルーハンのメディア理解は、この二つの間を揺れている。

    「サイバースペース cyberspace」はウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)が初出。
    「東京」と「情報/メディア技術」という不気味な諸要素を、地理的遠方に局所化し押さえ込む悪魔祓い。
    →テクノ・オリエンタリズム

    没入することによる分身的効果は、乗り換え(スイッチング)として描かれている。登場人物の同一性を脅かすことはない。
    →電子メディアの介在によって登場人物の「いま、ここ」が分裂し、彼らの意識自体が二重化する感覚、その結果生じる電子的自己の「幽霊性」が回避されている。

    第二回
    フロイトの精神分析枠組み=三審級間の争いは神経ネットワーク上の伝達速度・情報処理速度の違いに基づく。そのずれが「不気味なもの」として現れる。

    p.29 しばしば言われるように、精神分析の革新性は、ひとりの人間の中に、知覚と運動を制御する複数の情報処理審級、意識/前意識/無意識(第一局所論)や自我/超自我/エス(第二局所論)といった構造を見いだし、それら諸審級の争いを発見したことにある。つまりフロイトは、ひとりの人間の中に複数の心的人格(psychische Persönlichkeit)を見ている。それゆえもし彼にとって「ひとりの人間」なる統一体があるとしたら、それは必然的に、それら複数の心的人格の_争いの場_、ある空間として想定されるほかない。
     →「無意識と熟議の対決の場」(『一般意志2.0』)

    第四回
    ディックの『ヴァリス』。情報潮流=神。情報論的汎神論。経験的/超越的、個人的意識/集合的無意識、有機的/非有機的、両者の媒介者=キリストは人間と機械のハイブリッド=不気味な存在。
     →『涼宮ハルヒの消失』の長門ですか。

    第五回
    スクリーンとアイデンティティの複数性。鏡像段階による想像的同一化=自己イメージの獲得。象徴界=世界の背後=大文字の他者からの不可視な視線を認識することによる象徴的同一化=社会化=社会秩序への信認。

    「サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか」第五回の「スクリーンと背後の二重構造」を論じている図6が、『動物化するポストモダン』の概念図に似てるのは、きっと意味がある類似なんだろう。あとで「動ポモ」読み直そう。

    ラカンによればマゾヒズムは主体の側があえて自らを律する「法=大文字の他者」を設立する倒錯。マゾヒストは絶対的自由に耐えられず、それを制限する他者(サディスト)を自ら育て上げる。この倒錯の一般化は現代社会が全体として「大文字の他者」を失いつつあること、社会全体を律する象徴秩序の弱体化、各々が勝手に「小さな大文字の他者」を設立する必要性に迫られていることを意味する。

    あえて騙される→アイロニカルな没入

    オンスクリーンの仮想現実に没入できるのは「象徴的同一化の機能不全(大文字の他者=国家の幻想が崩壊)」「象徴的同一化の想像的なシミュレーション」だという仮説は実証可能かも。例えば「ミクさんマジ天使」的感性と信仰の関係。なぜ日本で仮想現実が受け入れられやすいのか、とか…思いつき

    1968年、ポストモダン、カリフォルニア・イデオロギーなどから『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』を再読したくなる。

    「インターフェイス的主体性」は「データベース的動物」に対応してる。

    インターフェイス的主体性と情報論的汎神論は、同じコインの裏表であり、カリフォルニア・イデオロギーはそのあいだに挿まれている。

    190 象徴的同一化=社会化の機能不全に陥り、言葉の力だけでは主体になることができないから、言い換えれば「言葉(象徴界)が信じられない」から私たちは仮想現実に熱中するのだと…なるほど…これは『リトル・ピープルの時代』の「拡張現実」論と関係が深い。

    「大文字の他者の死」=「象徴的同一化の機能不全」=「言葉が信じられない」から「熟議は不可能」なので「コミュニケーションなき政治」(『一般意志2.0』)が必要になるわけですね。それは同時に社会化・主体化が不可能で「動物化」するという話にもつながる。

    197 テレビとニコ生の比較のような議論もすでに書かれてた。撮られる訓練を積んでない人がニコ生などのカメラを前にしたときの反応には世代差があると思うんだけど、それは象徴的同一化の世代差かもしれないなあ…

    205 結び:「オンラインコミュニケーションの身体性」を追求する理想について。ぼくが「身体性」というときには間身体性やそれによる共感を重視している。そこではビデオチャット的な視覚的コミュニケーションが重要だと思っている。しかし、それは現実のオンラインコミュニケーションにおいて不可避な「時間的不一致」を否認する態度でもある。むしろ視覚的撹乱と時間的不一致を肯定したコミュニケーションを考えることもできるはず。それが例えばニコ生と熟議の組み合わせなんだろう。

    327 「サイバースペース」は空間的、場所的、地理的なヒエラルキー。「不気味なもの」が外部に排除される(サイードのオリエンタリズム)。しかし本来サイバーメディアは地理的なヒエラルキーを壊す。

  • むず…むず…むずかしか…た…(瀕死)対談はまだしも各論はもうダメでした、何ヶ月かかったよ読むの…

    ううううーーー…象徴界想像界現実界の話は何度も理解したつもりで何度も解らなくなる。どうも言葉がイメージになって落ちて来ないというか私そんな風に世界を認識してないのかもしかしてこれ。という気すらしてきました…文系ですらなく図系。。。

    ほんとに良くわからんのでしたが、多分これは最新著作の一般意志2.0にどう繋がってったのかを考えた方が解るのかなと思いました。もう何周かしてみるけど解らんダロナー。でもすっごいチカチカするんです、ひらめきそうなイメージが脳裏を掠めてて読まずにいられないー。いつかは自分のスペック上がらないかなー精進精進。

    表題作を読んで、瀬名秀明氏著作世界を思い出しました。直近で読んでたから、及び、あんまりSF作品すら読んで無いからなんですけど。

  • SF作家、批評家としての側面が大きく出ている。

    これだけ多くのことを、多岐にわたって考えられる、
    論じられる筆者は、物凄いものを持っている。

    くらいの感想。
    話が広すぎて、どこで納得するかは個人次第なんだろうと思う。

  • 2011/05/02 購入
    2011/05/05 読了

  • SFの評論としても、とても楽しめた。

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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