夢を与える (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309411781

作品紹介・あらすじ

その時、私の人生が崩れていく爆音が聞こえた──チャイルドモデルだった美しい少女・夕子。彼女は、母の念願通り大手事務所に入り、ついにブレイクするのだが。夕子の栄光と失墜の果てを描く初の長編。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは「夢を与える」仕事をしているでしょうか?

    このレビューを読んでくださっているみなさんは何かしら仕事をされている、もしくは仕事をされてきたと思います。それはもう千差万別です。しかし、共通しているのはそれが誰かのためになるものだということでしょうか。無人島で一生一人暮らしをしていますという特殊な方以外、仕事とは誰かのためにあるものであり、その仕事によって誰かに何かをもたらすものだとは言えると思います。

    そんな仕事のあり方について「夢を与える」仕事という言い方をする時があります。あなたなら、そこにどんな仕事をイメージするでしょうか?『たとえば農業をやるつもりの人が”私は人々に米を与える仕事がしたいです”』とは言わないと思います。では、『お米は無理で夢だけが堂々と”与える”なんて高びしゃな言い方が許されて』良いものでしょうか?「夢を与える」という言葉はなかなかに定義付けの難しい極めて特殊なものなのかもしれません。

    さてここに、『将来について訊かれると「夢を与える人になりたいです」と答える』一人の少女を描く物語があります。幼少期から『衣料品の通販カタログのモデル』をはじめた少女を描くこの作品。そんな少女が一気にスターダムにのし上がっていく様を見るこの作品。そしてそれは、「夢を与える」という思いの先に栄光と失墜を見る少女の物語です。

    『今日、私は六年間付き合った男に別れ話を持ち出される。そして私の答えは、「ぜったいに別れない。」』という思いの中、家を後にしたのは幹子。『二人で何度か行ったことのある喫茶店』でトーマに会った幹子は、『あのとき君が結婚のことを言い出して、正直驚いた』、『これ以上付き合って君の時間を奪う権利は僕にはない。別れよう』と切り出されます。そんなトーマの台詞に『私が予想外のことを言えば、混乱して弱気になるだろう。そこを追いつめる』と考えを持ってきた幹子は、『就職先が決まったの』とトーマの不意をつく台詞を口にすると、部屋が見つかるまでトーマの部屋に居させてくれるよう懇願します。そして、『トーマの部屋に住み始め』た幹子は、『肉の関係を復活させ』ると、『避妊具に細工し続けて妊娠』し、結果子どもが産まれました。そんな子どもは『天性の可愛さでもって、二人をまるで変えてしま』います。『現実離れして可愛いらしい完璧な赤ん坊』という二人の子どもに夕子と名をつけた両親は『幸せな夫婦関係』を送ります。そんなある日、『雑誌社に勤めていた友人』に『あの子本当に可愛いわよね。チャイルドモデルになれるんじゃない?』と言われたことをきっかけに『衣料品の通販カタログのモデル』になった夕子。幹子は夕子を連れて『月二回の撮影所通いを続け』ます。そして、撮影が終わった後、スタジオ関係者に『広告代理店の人が今来てる』ので会って欲しいと言われた幹子。そこには『阿部夕子さんを我が社のCMのキャラクターに起用したいと思い、本日は参りました』と話す『有名な食品会社の』関係者が待っていました。『発売から三十周年にな』った『スターチーズ』の広報にこの先夕子の『成長していく様を撮り続け』たいというその申し出。契約書を見る幹子は、そこに『半永久』という文字を見て驚きます。『私たちは夕子ちゃんが”将来性のある”女の子だと考えてい』るとその契約期間の考え方を聞いた幹子は契約を決めます。『夕子の顔が全国に知れ渡るのだ』と思う幹子。一方で『無名の夕子はテレビや雑誌に出ることはほとんどなく、CMのなかだけで成長し、愛らしさを増していく不思議な存在』となっていきます。やがて、『CMの放映が重なるにつれ、ゆーちゃんは一体何者なんだという電話や仕事の依頼が広告代理店のほうに頻繁にかかってくるようになり、個人では対応しきれ』なくなります。そして『小学六年生にな』った『夕子は両親に連れられて、契約の話を熱心に持ちかけてきたS事務所を訪れ』ました。案内された社長室に『おお、ゆーちゃんだ』と現れた社長は、夕子を眺め回すと『うちに任せてください、ゆーちゃんを芸能界の荒波から守りながらどんどん成長させていきますよ…この子は日本で一番きれいに咲き誇ることのできる花です…』と話します。そんな場に同席した『制作部の部長』は『受ける仕事、スケジュール管理、売り出しの方針はすべて我が事務所に委託してもらいたい』と補足します。それに、『私はこれからも夕子の仕事の相談相手として、夕子の芸能活動を支えていくつもり』と宣言する幹子。そして、『夕子はS事務所と契約を結ぶことにな』りました。沖島という男性マネージャーが夕子の担当になり、『事務所に毎週決まった日時に通い、簡単な演技指導、カメラ前での表情の作り方、歩き方、目上の人間に接したときの礼儀正しい挨拶の仕方などを習』いはじめた夕子。そんなある日、幹子の実家で催された新年会へと出かけた三人に、『なんだかかわいそうな気がするね。こんな小さい頃から働いて、人目にさらされて』と心配そうな目で見る伯母に、『一番信頼できそうな事務所に決めたんだもの。夕子のこれからの活躍を支えてくれるわ』と返す幹子。そんな幹子に『幹子、ゆーちゃんに自分の夢を押しつけすぎたらいけないよ』と語る伯母。『大手芸能事務所』へと入り、ブレイクしていく夕子とそれを支える幹子の姿が描かれていきます。

    “幼い頃からチャイルドモデルをしていた美しく健やかな少女・夕子。中学入学と同時に大手芸能事務所に入った夕子は、母親の念願どおり、ついにブレイクする。連ドラ、CM、CDデビュー…急速に人気が高まるなか、夕子は深夜番組で観た無名のダンサーに恋をする。だがそれは、悲劇の始まりだった”と内容紹介にうたわれるこの作品。2004年に「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞された綿矢りささんが前作から3年半の期間を空けたのちに刊行された”芥川賞受賞第一作”となります。早稲田大学に在学中という当時の史上最年少記録での芥川賞受賞は綿矢さんにとって当然大きな出来事だったはずです。そんな偉業の後のプレッシャー、これは想像を絶するものがあったのではないかと思います。そして、そんな綿矢さんが送り出されたのがこの「夢を与える」という作品であり、2015年に小松菜奈さん主演でドラマ化もされています。

    そんなこの作品は三人称で書かれています。誰かの視点ということではなく、主人公となる夕子と幹子を第三者的に見る視点です。そこに描かれていくのが『大手芸能事務所』に入りスターダムにのし上がっていく夕子の姿です。物語は、夕子が幼き日に『衣料品の通販カタログのモデル』になったことからスタートします。ということで、芸能人・夕子のプロフィールを簡単にまとめてみましょう(笑)。

     ● 阿部夕子さんの略歴
      ・本名: 阿部夕子(あべ ゆうこ)
      ・両親: 父・トーマ(フランス人)、母・幹子
      ・生い立ち: 山も海も川もある自然にあふれた町で典型的なベッドタウンでもある昭浜で育つ
      ・学歴および芸歴
       - 昭浜の幼稚園に入園
        衣料品の通販カタログ(月刊)のモデル
       - 昭浜の小学校に入学
        衣料品の通販カタログ(月刊)のモデル
        有名食品会社のスターチーズのCMに出演(1年に2回新CM、半永久契約)(『ゆーちゃん』という決まり文句が定着)
        『大手芸能事務所』のS事務所と契約
          ※ マネージャーは沖島(男性)
       - 昭浜の中学校に入学
        ワイドショーの”期待の新人、あの子はだれ?”といったコーナーへの出演
        雑誌のグラビア撮影
        中高生向けの腕時計のイメージモデル
        一日郵便局長
        RQ刹那ギャルズクラブ(レースクィーン)に妹分として参加
       - 都内の私立M高等学校に入学
         ※ 幹子と都内のマンションに二人暮らし
        ホームドラマの初出演が決定、主人公の妹役
        バラエティ番組への出演
        AMラジオのパーソナリティ
        献血キャンペーンのイメージキャラクター
        ファッション誌専属モデル年間契約
        一月期の連続ドラマに準主役として出演
        CMタイアップ曲の制作、録音、インストアライブ

    …といった感じでしょうか?いかにも典型的な『子役』としてブレイクする芸能人という経歴そのものだと思います。物語は、そんな夕子の成長と、両親、特に母親・幹子との関係性に光を当てていきます。

    そんな作品は三人称で書かれた作品ならではの登場人物たちの心の動きが絶妙に描写されていくところが最大の読みどころではないかと思います。では、この作品一番の読みどころとも言えるスターダムにのし上がっていく夕子が見る芸能界の裏側を抜き出して見ましょう。

     『夕子は自分が芸能界を気に入っているかどうかも分からない…未来は見えず、ただ走り続けていた』。

    忙しさを増していく日々の中で落ち着いて現状を考える時間もなく、ただただ走り続けるしかない夕子を見る視点です。そこに、他の芸能人を第三者的に見る夕子の心持ちがこんな風に描かれます。

     『なんとかこの世界に生き残ろうと必死な芸能人たちは独特のオーラを放っているからすぐ分かった。明るい笑顔に”明日にでも使い捨てられるかもしれない”という不安が見え隠れしているからだ。また、いきなりもてはやされて、舞い上がってしまい、周りが見えなくなっている人も分かった。一度舞い上がるともう誰も止めてくれる者はいない』。

    なんだかとてもリアルです。芸能界という特殊な世界ならではの独特な雰囲気感を絶妙に言い表していると思います。また、あまりの忙しさの中に夕子はこんな高みへと足を踏み入れます。

     『疲れが極限に達すると一種の気持ちよさを体感する。二時間しか寝ずに飛び回っているときは、虹色の電光板でできたトンネルを走ってワープしている気分、トンネルから一歩出れば外は果てしない闇、トンネルの電気が明るすぎて外の様子なんて見えない』。

    私も一人の会社員として忙しい時間を過ごすことがありますが、ここまでの経験はないです。睡眠時間も十分に取れない極限状態に『一種の気持ちよさを体感する』というこの記述。それを具体的にこんな風にも記します。

     『学校に行ったら眠るだけ、放課後スタジオに直行し、マンションに帰るのは明け方。少し前のことがもうまるで思い出せず、世界がどのくらいの速さで回っているのか想像もつかない』。

    学業と芸能界の二足の草鞋を履く芸能人の皆さんの日常は必然的にこうなってしまうのだと思いますが、私にはとても務まりそうにないです。また、そんな光が当たる日々の感覚を絶妙に表現します。

     『スポットライトの光は熱いほどまぶしくて、当たらなくなってからも、まぶたを閉じても残像が消えない。強い光であればあるほど、舞台から降りたときの客席の暗闇は濃い』。

    これも舞台に立つ者の感覚を上手く表現していると思います。幼少期からフラッシュを焚かれ、CMでTVに登場し、芸能界を一気に駆け上がっていく夕子の姿が描かれるこの作品。それは、ある意味で成功者の歩む道であり、幼き日を知る読者だからこその感情移入もあって、そんな彼女の輝きが我がことのように感じて来ると思います。

    一方で、夕子はいつも帯同してくれる母親の幹子のことをこんな風に感じています。

     『夕子にとって母親はよく言われるステージママなどというものではなく、戦友だった』

    幹子への強い信頼感がそこに見え隠れします。そして、実際に、さまざまな悩み苦しみを幹子に相談し、共有していく夕子。そもそも夕子を芸能人への道に進ませたのは幹子ですし、有名食品会社とCM契約を結んだ時も『夕子の顔が全国に知れ渡るのだ』と一番喜んでいるのも幹子です。しかし、夕子の大人への成長は、そんな『戦友』であったはずの母親との関係性に変化をもたらしていきます。内容紹介にうたわれる”急速に人気が高まるなか、夕子は深夜番組で観た無名のダンサーに恋をする。だがそれは、悲劇の始まりだった”というその先の物語、親子の関係性に大きな変化が生じてもいく中に物語は大きく動いていきます。そんな中にこの作品の書名でもある「夢を与える」という言葉が浮かび上がってきます。マネージャーの沖島からのアドバイスもあって、夕子は自分の将来を訊かれるとこんな風に答えるようになります。

     『将来はテレビを見ている人に夢を与えるような女優になりたいです』

    いかにも優等生然とした答えです。さらには、『夢を与える瞬間』をこんな風に具体的に落とし込んでもいきます。

     『阿部夕子が本当に人に夢を与える瞬間は、出演している役を演じているときじゃなくて、私自身の人生で、普通の理想の人生を歩んでいるときなんだから。私は私の人生自体で人に夢を与えてるの』

    『人に夢を与え』続ける夕子が歩んでいく道のり。しかも、それが役作りの場ではなく、自らの『人生自体で人に夢を与える』という考え方は自身に対して非常に高いハードルを課しているとも言えます。十代にしてこんなある意味崇高な目標の下に生きる夕子。その一方で大人への階段を上がる中で、誰もが通る悩み苦しみを感じてもいく夕子。物語は後半に入って一気にスピードが上がっていきます。そして、その先に待つなんともやるせ無い結末、『人に夢を与えるような女優になりたい』と語った夕子の言葉がいつまでもあとを引く中に本を置きました。

     『夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。』

    芥川賞を受賞された綿矢りささんが受賞後第一作として送り出されたこの作品。そこには、芸能界をスターダムにのし上がっていく者の栄光と失墜の物語が描かれていました。まさしく芸能界の光と闇が描かれたこの作品。そんな物語の中に綿矢りささんらしく青春のほろ苦さを絶妙にブレンドしたこの作品。

    幼き日の夕子を知るからこそ、読者の心を激しく揺さぶり続ける物語の中に、「夢を与える」という言葉がいつまでもあとを引く素晴らしい作品でした。

  • 伸びやかな手足と
    中性的な顔立ちをした美少女の阿部夕子は、
    母の溺愛を一身に受け
    やがてチャイドルから
    CMに抜擢され
    国民的アイドルへと祭り上げられていく…。




    「血を流す綿矢りさ」といった印象。

    痛くてツラい内容でありながらも
    決して読むことを止められない
    この吸引力はなんなのか?


    杉田かおる、安達祐実、観月ありさ、広末涼子、大島優子など
    子役から芸能界を駆け抜けていった様々なスターたちを頭に浮かべながら
    一気読みしてしまいました。




    芸能界を嫌い
    家庭から離れていく父。

    夢を娘に押し付けるしか
    自分を生かす道がなくなっていく母。



    高校入学と同時に
    夕子はブレイクするも、
    多忙な毎日に押しつぶされていく。


    スキャンダルにおののく夢に
    毎晩うなされ、

    人前では
    過剰に気持ちを飾るクセがつき、

    同年代の友達は皆無になり、

    ロリコン趣味な衣装を着せられ

    重荷の味がするチーズを惰性で食べ、

    夜毎のパーティーに
    笑顔を貼り付けて
    大人たちの間を渡り歩き、

    次第に心壊れていく夕子が
    なんとも切なくて痛々しくて、

    コレ以上何も起こらないようにと
    中盤祈りながら読んでました(笑)



    それにしても壊れていく者の心情を
    ここまでリアルに
    シンパシーを持って描けたのは、
    綿矢自身がその奈落の淵に怯え血を流し、
    夕子と同化していた経験があるからなのでしょう。


    今の綿矢の復活劇を考えれば、
    ストーンズがブライアンの死を越え
    レノンがビートルズの幻影を葬り去ったように、
    綿矢自身、光を掴むために
    避けては通れない題材だったのかな。



    最後に…

    誰かのためには
    甘やかな言葉だけど
    それは奢りでしかないし、
    必ず自分を滅ぼす。


    人は誰かのためにと思った瞬間に
    すべてが嘘になるんですよね。


    夢を与えるなんて言葉は
    おこがましいと思わなきゃ(笑)


    後味の悪さを残す内容だけど、
    自分は綿矢りさの
    抗う意志を評価したいですね♪

    • 円軌道の外さん

      わぁ〜
      まろんさん、
      めっちゃ沢山コメント
      ありがとうございます!


      そうなんスよ〜

      ホンマにあんなに素直やった夕...

      わぁ〜
      まろんさん、
      めっちゃ沢山コメント
      ありがとうございます!


      そうなんスよ〜

      ホンマにあんなに素直やった夕子が
      なんで壊れちゃったんやろって、
      もう痛々しくて
      かわいそうで
      自分も辛かったです(>_<)


      まぁすべてが
      綿矢りさの本音ではないやろうけど、
      彼女は自分を削るように作品を書く人だと思うので、
      全くのフィクションは逆に書けない人だと思います。
      (じゃなければ書けない期間などなかったと思う)


      だから彼女の苦悩が
      あの作品に少なからず投影されてたのは
      間違いない事実だと思うし、

      あとあと振り返ると
      彼女にとっても
      ターニングポイントとなる重要な作品になるんやろなぁ〜って
      自分に言い聞かせて
      読んでました(笑)(^_^)v


      コレを書かなきゃ前へ進めない理由も
      なんとなく分かった気がするし、

      自分もまた
      綿矢りさ
      追いかけていきたいなぁ〜って
      改めて思ってます(^O^)


      2013/02/05
    • oyasumiさん
      今作を読んで、ぐちゃぐちゃしていた心のまま、円軌道の外さんのレビューを読んで少しずつ自分の考えと思いを整理できたような気がしました。わたしは...
      今作を読んで、ぐちゃぐちゃしていた心のまま、円軌道の外さんのレビューを読んで少しずつ自分の考えと思いを整理できたような気がしました。わたしはレビューを書くのが苦手なのですが、『ああ、こういうこと表現したかった』『こういう受け取り方もあるのか…』と新たな作品を受け取るようにして、円軌道の外さんの他の作品に対するレビューも読みあさってしまいました
      2022/01/27
    • 円軌道の外さん
      oyasumiさん、はじめまして。
      ずいぶん古いレビューに
      コメントありがとうございます!
      僕もこの作品を初めて読んだ時はかなり面くら...
      oyasumiさん、はじめまして。
      ずいぶん古いレビューに
      コメントありがとうございます!
      僕もこの作品を初めて読んだ時はかなり面くらったし、衝撃的でした。
      綿矢りさ自身がアイドル作家として持て囃され、苦悩したからこそ生まれた作品だと思うし、
      そういう部分を避けて通るのではなく、
      あえて逃げずに作品に投影し
      血を流しながら乗り越えていったことにこの作品の価値があるのではないかと思っています。
      (そういう気概を持った作家だからこそ、僕は綿矢さんを信じられるのです)
      最近は仕事が忙しくてレビューサボってますが、oyasumiさんの気持ちの入ったコメントを読んで、また書いてみようかなーと
      気持ちが揺れております笑
      フォローもありがとうございます!


      2022/01/27
  • 感想
    芸能界は大変だなぁ。子供の頃にすべてを手に入れてしまうと色々勘違いしてしまう?のかもしれない。ただ、一度きりの人生でジェットコースターのように体験できないことややりたいことをやっているのは貴重なのかもしれない。

    夢を与える。与えるという言葉が傲慢なのかもしれないと言ったゆうちゃんの感覚が正しかったのかもしれない。

    あらすじ
    幹子は、付き合っていたフランス人ハーフのトーマから別れを切り出され、回避すべく、色々努力し、夕子が生まれる。

    夕子は、幹子の熱心な活動で雑誌モデルをしていたが、ある日チーズのCMに半永久的に出演することになり、成長と共に有名になる。

    高校までは順調に仕事をこなしてきたゆうちゃんだったが、TVで見たダンサーに入れ込み、深夜遊びをする中で、情事を撮った映像がインターネットに流れてしまい、一気にその地位を失うことに。残されたのは何だったのか。

  • どうなるんだろと気になり一気読みした。
    綿矢さんは、血なまぐさい情景の表現がうまいなぁとつくづく思いました。言葉の限りを尽くしグロを表現する感じ。偉そうですが称賛してます。

  • ──単行本を読んでのレビューを加筆修正──

    最初の5ページほど読んだだけで嫌な予感がしていた。だから読み進められなかった。
    何とか読み終えた今、はあ、気が重い。
    これが発行されたとき「これは、綿矢さん自身の話なのでは?」と訊かれて本人は否定したらしいが、そう読まれて仕方ない部分もある。
    彼女自身、敢えてそこにシニカルに切り込んで、この作品を仕上げたという見方もできるけれど。

    2004年の芥川賞受賞後、出版業界は彼女をヒロインに仕立て、カンブリア村上氏言うところの出版不況好転を願って、「綿矢先生、是非、次の作品はうちでお願いします。あなたは日本で今いちばん注目されている作家ですよ」というオファーがたくさんあったに違いない。
    「この子は日本で一番きれいに咲き誇ることのできる花ですよ」と事務所の社長が夕子に言ったように。
    さすがに
    「綿矢先生(夕ちゃん)は今ブレイクするときなんだ」、
    或いは「あなたに来ている波は、今出版界(芸能界)のなかで一番大きな波だ」
    註:()内が『夢を与える』原文
    とまでは言わなかったにしても。

    『人の噂も七十五日』とはよく言ったもので、時が経てば経つほど話題性は薄れていく。
    これは芸能界も当時の出版界も同じ。
    結局、この次作を世に出すまでに3年半の歳月を要することになる。
    その間、ストーカー被害に悩まされ、*実りのない恋に激怒し、どこかの誰かに「愛してる」と言われ、狂ったように引越しを繰り返した。(*文藝 2011年 08月号、本人談)
    ところが書けない。
    書いては破り書いては破りの繰り返し。悩み、もがき、苦しみ抜いた3年。
    そして「一人称の限界を感じ、三人称に挑戦」(本人談)。
    だが、そこは出版界も同様。
    3年以上も経ってしまっては話題性も薄れ、そのせいか、内容のせいか、部数も「蹴りたい背中」の127万部に対し18万部と激減。
    もちろん部数が作品の良し悪しを決めるものではないが、この作品が受賞の翌年にでも発表されていたら、少なくとも「蹴りたい背中」の半分くらいまでは届いたのではないか。
    そうすれば河出書房新社もホクホクだったろうに。
    文庫化するのに、敢えて6年もの歳月をかけざるを得なかったことからも、河出書房新社の苦悩が窺える。
    普通ありえませんからね、長篇の文庫化に6年もかけるなんて。
    (それとも、かなり加筆修正されているのか? いや、まさかね)


    「信頼の手を離してしまったからです。信頼だけは、一度離せば、もう戻ってきません。でも……そうですね、別の手となら繋げるかもしれませんね。人間の水面下から生えている、生まれたての赤ん坊の皮膚のようにやわらかくて赤黒い、欲望にのみ動かされる手となら」
    「でも、今はもう、何もいらない」
    夕子(綿矢りさ)は見えない何かと決別、或いは諦観してしまう。

    結局、綿矢りさは次作「しょうがの味は熱い」で、再び一人称に戻すことになる。
    ただしそこでは、もう一人の男性視点での一人称も加えるという試みに挑む。
    試行錯誤を重ねながらの「しょうがの味は熱い」のラストの場面。
    「この部屋を出て行こう。一人暮らしの自分の部屋に戻ろう」
    明るく開き直り、というか再び決断し、「自分の書きたいものを書こう」という方向へ向かう。
    その結果、次の作品「勝手にふるえてろ」では、存分に弾けまくる一人称視点への回帰。
    こんな時系列を勝手に思い浮かべながら「夢を与える」を読めば、この作品の立ち位置は結構興味深いものがある。
    かなり穿った見方なのは分かっているけれど、ね。

    内容は、芸能界でよくあるチャイドルの転落物語。新鮮味は全くないですね。
    これが発表されたのは2006年ですが、今ではテレビ番組で、昔子役で頑張っていた子が実は裏ではすごいことをしていた、なんて話を暴露するのが当たり前の状況だし。
    実際、芸能界とか、レースクイーンの世界とか、こんなものです。
    ストーリーも、次はこうなるよな、だから彼はこうするだろうし、母親と父親はこうなるに決まってる。
    と誰もが思う予想通りの展開。
    唯一、多摩君との話が心を少し軽くしてくれるのだけれど、それも、あっという間。
    救われない物語でした。
    彼女にしか書けない美しい日本語、巧みな比喩はいったい何処へ消えた?
    いくつか散見されるものの、おそらく現在2012年までに発表された彼女の作品の中では最も長い小説にもかかわらず、綿矢さん独特の表現や、話し言葉や、比喩は少ない。
    三人称視点で、なおかつこういったストーリーでは彼女の素晴らしい感性による表現力は発揮できない気がする。
    この文体で、このストーリー展開で、途中に
    「で、夕子の下のふせんも俺が取ってあげるよ、ってか。正気か。」
    などという文章を挟みこめるはずもないし。

    一人称視点の長所は、感情描写がしやすく、語り手への感情移入もさせやすい。
    短所は、読者が語り手に共感できなかった時に拒絶されやすい。
    読者の感情移入しやすい人物が、悩み考えながら何かをする小説に向いている。
    三人称視点の長所は、主人公と関わらない場所でも他の人物も書けるし、他の視点ほど読者を選ばない。

    これを冷静に判断すれば、綿谷さんの作品は、内なる心の葛藤を表現する文章でこそ、彼女独特の感性を発揮し、美しい日本語、巧みな比喩、或いは口語が書けるわけだから、一人称視点に向いているのは明らかだろう。

    彼女の作品を時系列で追っていくと下記の様になります。 
    *◎などは、私の個人評価
    1.◎ インストール              『文藝』2001年冬季号
    2.◎ 蹴りたい背中       『文藝』2003年秋季号
    3.〇 You can keep it .       河出文庫収録 2005年10月
    4.× 夢を与える          『文藝』2006年冬季号
    5.△ しょうがの味は熱い      『文學界』2008年8月号
    6.◎ 勝手にふるえてろ       『文學界』2010年8月号
    7.△ 自然に、とてもスムーズに  『文學界』2011年1月号
    8.◎ かわいそうだね?       『週刊文春』2011年2月10日号~
    9.〇 亜美ちゃんは美人      『文學界』2011年7月号
    10.△ トイレの懺悔室       『文藝』2011年夏季号
    11.× 憤死       『文藝』2011年秋季号
    12.◎ ひらいて         『新潮』2012年5月号
    13.◎ 仲良くしようか      『文學界』2012年7月号
    あらためて見ると、2011年以降、突然雪崩のように作品を起こし続けているんですね。
    そう考えると、2006年に発表されたこの『夢を与える』は、彼女が創作活動に悩んでいた時期の過渡期の作品だと見ることができる。

    註:初の三人称に挑戦と書いたが、実際は「You can keep it . 」も三人称。ただ、この作品の場合は「インストール」文庫化に当たり、彼女がそれまで書き溜めていた作品を再構築したのではないかと推測される。でなければ、本人が「夢を与える」について語った時、「一人称の限界を感じ」と言わないだろう。

    ということで綿矢さん、これからもあまり悩まずに、一人称で書きたいものを書いてください。
    あなたは時代と日本語に選ばれた天才なのだから。

  • 最後の展開が苦しかった。

  • 確かに読んでいて辛くなる失墜の物語ではあるけど、まさに人生という感じがしました。
    淡々と進む幼少期からの成長も、瑞々しい感情が伝わってくるようで引き込まれました。

  • 中途半端な平和は一番きつい。
    狂った毎日に狂わされないようにする闘いが、唯一私をまともにしていたのに。

    明けない夜はなくても、越せない夜はあるのではないだろうか。

  • 芥川賞やらでとても話題になった作家さんなのに、実は読むのはこの本が初めて。
    読んだ後ちょっと検索してみたら、「インストール」や「蹴りたい背中」と、最近の作品のちょうど中間あたりの時期に書かれた作品らしい。間にスランプの時期もあったとか。

    読後感はあまり意識されていないような終わり方で、ハッピーエンドではないけれどバッドエンドとも言い切れない、だけど希望の光を感じるようなものでもない、不思議な感覚で読み終えた。
    尻切れな感じもしなくない。というか、単純に「もう少し先の流れも読みたかった」と思った。

    他人に「夢を与える」とは一体どういうことなのか。「夢を与えられるような人間になりたい」と口にする有名人(ミュージシャンやアスリート等)はけっこういるけれど、それを耳にしている一般人である私は、あまりその言葉を本気で捉えていなかったことに気づいた。

    美しい容姿を持って産まれた夕子は、幼い頃からチャイルドモデルとして活動し、とあるCMに出演したことをきっかけにスターダムへとのしあがっていく。
    芸能界に身を置くことが当たり前になっていた“普通ではない”人生で、17歳の時にした初めての恋が彼女の未来をがらりと変えてしまう。
    そこで夕子は初めて、自分が立つ場所はとても不安定だということに気づく。

    夕子は周りに言われるがままに、インタビューでどういうタレントになりたいか問われると「夢を与えられるような人間になりたい」と答えていたけれど、その言葉にずっと違和感があった。
    そして状況が変わって初めて、その意味に気づくことになる。

    私自身は人に夢を与えられるような人間になりたいとか思ったことはないけれど、立場上少し演じたり少し嘘をついたりということが無いわけではない。
    自分のありのままをさらけ出し、傍若無人に生きることは、人に夢を与えることには繋がらない。
    例えばアイドルが自分の恋愛を赤裸々に語ることは御法度だ。それはファンの夢を壊すことだから。
    その人生を自分で選択したのなら、責任を取る必要もあるのだということ。

    人から見られる職業って大変だな、とつくづく。夢を与える気はなくても、勝手に思い込む人間(ファン?)も中にはいるわけで。
    消費されるのも早い世界で、絶妙なバランスで「夢を与え」続けている人は本当にすごい。
    わりとありきたりな流れの物語ではあったけれど、そういうことを考えるには充分だった。

  • p46
    夕方と夜の境目に、川にかかっている赤い鉄橋にライトが点く瞬間が夕子は好きで、橋がぼうっと光り出すと、遊びの手を止めて目を奪われた。

    p59
    「阿部ぇ、梅雨の日の学校の手すりは半魚人のにおいがするぞ」

    p67
    「そう、嘘ばかりだ。だから夢なんだよ」

    p104
    もし泣いたり悲しんだりしている人を見つけたら、今日の多摩がしてくれたように元気づけられるようになりたい。

    p262
    ふしぎ、大好きなのにいつか逃げ出せる日を夢見てる。

  • 夢を与えるとは、他人の夢であり続けること。
    チャイルドモデルから芸能界入りした少女が成長していく様が、無情なまでに淡々と描かれていた。
    最初はあまりにも良い子だったが、後半は多忙に身を崩しながらも人により縋る姿が痛ましかった。
    夕子のその後も知りたくなる作品だった。

  • スゲエ淡々としている。ビックリするほどに淡々だ、、、と思いながら読んでました。で、なんというか。正直に言いますと、読んでいて、面白味はないなあ、ってね、思いました。うん。なんだか、正直。だが、何故かその中に、不思議と惹かれる何かがあったのも、間違いなく事実。

    「物語としては面白くないのに、作品としてはなんだか面白い」という、不思議な違和感を感じながら読み終えた次第です。うーむ。不思議な感じだった。で、結論としては、やっぱ俺は綿矢りさは好きだなあ~、というまあ、結局贔屓の引き倒しの結論に至った訳ですが笑。

    綿矢りさ
    インストール 2001年
    蹴りたい背中 2003年
    夢を与える 2007年
    勝手にふるえてろ 2010年

    夢を与える、前で4年、後で3年の空きがあるんですよね。「勝手にふるえてろ」以降は、比較的コンスタントに作品発表されてますし。

    ネット上の情報も含めての、勝手な分析ですが、「夢を与える」を執筆していた時期は、色んな模索期、というかスランプ期?みたいな感じだったの、、、だろうか、、、?だからこんな暗いダークな重い作品、書いちゃったのだろうか?とか、ま、勝手なことを想像してしまいますね。

    すごーく単純に話をまとめると、芸能界の光と闇、、、というものを描いたのだろう、という感想になるのですが、なんというか、こんな物語、リアルにめっちゃありそうですな、って感じ。芸能界に一切縁のない生活をしていても「ああ、、、芸能界って、、、こんな感じなんだろうなあ、、、」って想像できちゃう感じが見事にリアル。実際はまあ、芸能人も十人十色で、一人一人の芸能人生は、全然違うのかもしれないのですが。っていうか違って当然なのでしょうが。

    映画で、近いテイストを感じたのは、ダーレン・アロノフスキー監督の「レクイエム・フォー・ドリーム」でしょうか。なんか、アレに近い感じを、勝手に感じました。ただ、「レクイエム~」の方が徹底的に救いの無い感じで、あっちの方が鬱度合いは断然高いですし、ま、個人的好みでいうと「レクイエム~」の方が圧倒的に好きですね。綿矢さん、すまん。

    こっちの「夢をあたえる」の終わり方、なんか、なんかね。希望を感じたんですよ。俺は。「え?あの終わり方で希望を感じるの?おれ、アタマ大丈夫?」という気もするのですが、いやもう、なんか、希望感じちゃったんだからしょうがない。読み方間違ってるよ、って事かもしれませんが。

    あの最後の、主人公の夕子は、何故か個人的に「この子は今後は大丈夫」ってね、思えちゃったんですよね。あんなヒドイ終わり方なのに。本当にヒドイ言いかたしますけど、夕子のあの転落の悲劇は「芸能界では良くある事じゃねえの?」とまで思ってしまう。俺は酷い人間なのだろうか?

    ま、正晃は間違いなくクソ野郎でしたが、どうしようもなく魅力のあるクソ野郎なのでしょう。そういう人間って、絶対いるでしょうし。で、夕子がそれに捕まっちゃったのも、言いかた悪いですが「しょうがない」って事ですよねえ。正晃には、なんらかの魅力は、絶対にあった訳でしょうから。

    「夕子。しょうがないよ。それすらも飲みこんで、生きて行くしかないんだよ」ってね、、、思うんだよなあ。ま、夕子にとっては、今後、正晃は、絶対に許さなくていいっすよ、って事したから、許すなよ、って思いますけど、でもきっと夕子は正晃のこと、それはそれでずっと好きなんだろうなあ。「しゃあないよね。だってそれが感情だし」としかなあ、、、言いようがないなあ、、、

    ま、とにかく。
    「物語としては面白くないのに作品存在としては面白い」
    というね、中々に稀有な感じの読書体験でした。やっぱ、綿矢りさ、好きだなあ~。

    あ、スターチーズの企画
    「一人の主人公の幼少時代からリアルタイムでCMを撮り続けて、主人公の成長するとなりに常にスターチーズがあると宣伝し続ける」商法は、ちょっとスゲエな、って思いました。企画としてマジで凄い。日本で、ここまでの超長期CMって、、、実現してないですよね?ある意味究極やんか。とか思った。

    契約期間「半永久」とかね、おっとろしいなあ~、ってね、思いました。このCM企画の狂いっぷりこそが、夕子を縛りつけ歪ませたのではないのか?とも思ったりもした。いやあ、おっとろしい契約ですねえ。契約「半永久」って、マジ怖いですよ。

    あ、犬童一心監督が、WOWOWで、連続ドラマ化されてるみたいですね。犬童監督はすげえ好きなので、これはちょっと、是非とも観てみたい。うーむ、観てみたいですね。

  • 何となく、残念な終わり方
    作者もプレッシャーがあったのかな?

  • 犬童一心さんの解説まで一気に読んだら、犬童さんの視点に「そういう見方があったのか」と驚かされ、その直後、後半1/4くらいをもう1回読み返した。予想外の展開は一切無いぶん、主人公・ゆーちゃんの心の動きや言葉がぐさぐさ刺さってくる。後半は、なぜか急かされるようにページを読み進めていった。

    綿矢りささんの小説は、どこかで「なぜこのタイトルになったのか」がわかる瞬間があり、そのときにスカっとした気持ちになれるところが好き。この小説も然り。なぜ「夢を与える」なのか…それが一気に紐解ける、あの4行は、繰り返し何回も読んだ。共感、ただその一言しか無くて。

  • 「夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。」

    夢を見てしまったから、夢を与える側でいられなくなった主人公の夕子。でも最後に夕子が記者に対して正直に告白する場面に思う。
    自分で、自分自身の夢を見ることができない人なんているのだろうか?と。

    「夢を与える」というのは、結局は受け取る側が自分勝手に「夢を与えてもらった」と感じているだけのことではないでしょうか?
    受け取る側が押し付けた「夢を与える側」という位置に立っていた夕子は、最後の最後で押し付けられたものを跳ね返し、「夢を見ることができる自分」を取り戻したのではないかと思います。

    夕子の立場から読むと栄光と失墜の物語ですが、私には、勝手に期待しそして勝手に裏切られたと切り捨てる人間の身勝手さという大きな黒い影に覆われた、現代社会にも通じる警笛のようにも感じられました。

  • たまたま『ピンクとグレー』を読んだばかりなので芸能界ものが続きます。こちらは子役から活躍していた女の子タレントが高校入学と同時にブレイクして多忙を極めるも、たちの悪い男にひっかかりあっというまに転落・・・という芸能界ものの王道ストーリー。

    主人公の父母の恋愛からストーリーが始まっているのはとても興味深かったし(この母、やりすぎと思われそうだけれど私はこれくらい強かな女性は結構好き。むしろ被害者ぶってる優柔不断な父のほうにイライラする)、子役時代は芸能界にいながらも素直さを失わない主人公・夕子ちゃんのピュアさに癒され、初恋未満のボーイフレンド多摩くんの優しさにも涙し、一体この先どうなっていっちゃうのかなというワクワク感があったのですが、純粋だった夕子がだんだん荒んできて、恋は盲目の言葉通り、絵に描いたようなスキャンダルであっというまに転落してしまう後半は、あまりにも「芸能界あるある」すぎて、陳腐だったかなあ。ラストで突き放されすぎて、ちょっと寂しい気持ちになりました。

    芸能界の裏側描写は結構リアルだったんじゃないでしょうか(いや芸能界いたことないから知らないけど・笑)。仲良くなった女性タレントに宗教勧誘されるくだりとか、あと「働いても働いても疲れないのは、主に男性グループのアイドルたち」というのも妙に納得(笑)。タフですよねえ、某事務所のグループの皆さんって。もちろん軌道を逸れちゃう人もいますが、やっぱり一人より複数でいるほうが芸能界の毒に対して耐性が強いのかも。

    それにしてもいつの時代も若い女の子は、いくら相手が好きな男とはいえどうして簡単に自分の裸や行為を撮影させてしまうのか。本当に自分を大事に思ってくれてる相手は、間違ってもそんな要求してこないんだよ!捨てられたくないからってそんなの受け入れたら駄目!と、その手の事件が起こるたびに、すでに若い女の子ではない自分は思うのですが、それが若さ、そして恋というものなんでしょうか。困ったものです。

  • だいぶ前に買ってあってなんとなく読む気になれずにおいてあったんだけど、なんとなく読みはじめたらものすごく引き込まれてほとんど一気読み。
    子役が成長していく過程を描いていて、芸能界の裏をのぞき見るみたいでミーハー的に興味を引かれるというのももちろんすごくあるんだけど、綿矢りさならではと思えるような厚みというか凄味がある感じがして。ほかの作家が書いたら、もっとテレビドラマみたいな薄っぺらい安っぽいものになるんじゃないだろうかとか。
    主人公の子役の両親の話からはじめて、ずっと両親の話をからめていくところも奥行きというか深さが出ているように思ったし。
    風景描写とかもすごくよくて、主人公の目に映るものがすごく目に浮かぶし。
    特に前半がよかったなかなあ。
    後半の恋人ができてスキャンダルが起きるあたりからはちょっとありがちというかいかにもありそうな話になってきた……と思ってしまったのだけれども。

  • 祝文庫化!でも辛い話みたいなので、読めるかな、、、

    河出書房新社のPR
    「その時、私の人生が崩れていく爆音が聞こえた──チャイルドモデルだった美しい少女・夕子。彼女は、母の念願通り大手事務所に入り、ついにブレイクするのだが。夕子の栄光と失墜の果てを描く初の長編。」

  • 「蹴りたい背中」「勝手にふるえてろ」に続き3冊目読了。
    子役タレント親子の成長と挫折と転落の物語。
    著者お得意の若い女性のストレートでコミカルな心情表現は抑えられ、純真で無垢な主人公の心情が綴られていく。読者はチーズのCMで夕子を見守る視聴者よりも濃い濃度で夕子の成長を見守っていくだけに転落していく様はなかなかにつらい。大好きな両親の不仲、高校生活や仕事での挫折、殺人的な忙しさの中でも一歩ずつ成長していくが、恋人を作ったことからみるみる転がり落ちていく。
    そもそもどっぷりつかるべきでなかった芸能界、結婚するべきではなかった両親。築き上げてきたはずのものがどんどん崩れ落ちていく恐怖と現実。穏やかな普通の人生がいかに幸せなことか。
    17歳で作家デビューし芥川賞受賞後の22歳の3作目。夕子に著者自身を重ね合わせているのだろうか。

  • ずっとざわざわする心

  • はじめが長々としんどかった。
    最後まで読んでそこの恵まれていた感じが必要なものだったのかもとは思った。
    正晃とのところも先の読める展開で
    やるなよ、やるなよ、という
    親と事務所、そして読者の思いを
    夕子が綺麗にぶったぎっていく。
    夢を与える側の人間の自業自得のお話。
    思春期の失敗がここまでのことになる
    芸能界大変やなぁ…

  • #夢だけが与える暴力持っているスターチーズは成長の味

  • 多摩に会えなかったシーン、すごく寂しかった。
    もし、二人が再会してたらどんな話をしたんだろう...。

  • 前半はだらだらと長ったらしい印象でした。
    ただ恋をしてからの展開は、予想できつつも次が気になり読み進めていました。
    若いときの恋の失敗は、大小はありますが多くのひとにあると思います。頭の片隅でやめなければならないとわかっていても、実際は流されてしまう。昔の自分と重ね合わせて、なんだか恥ずかしいような、また祈るような気持ちで読んだ作品でした。

  • 「ゆーちゃん壊れてきたなあ、なんか」っていうセリフ、所詮商品でしかないのだなと思った。
    前半は、芸能人ってこんなものかあ、と思うだけで長ったらしくてくどいなぁと思いながら読んでた。綿矢りさの片思いの描写が好きだから、正晃と出会ったところから面白くなった。最後(たぶん)仕事も好きな人も失って「今はもう、何もいらない」と言った主人公は見ててすごくつらくなったけど、変にハッピーエンドにしなかったのはリアルでよかった。他の作品みたいにぶわーっと一気に読めるような作品ではなかったけど、結末はすごく綿矢りさらしい。

  • 作者初の長編。綿矢りさにしてはオーソドックス?

  • 生まれた時から責任を押し付けられすぎてる。勝手に父を引き止める道具にされ、勝手に半永久の契約をされ。普通の女の子が潰されていくのが痛々しくて辛かった。
    優しそうな父だけど、ダンサーの男の子と同じく性欲に従順で、強い拒絶はせず、変な優しさ持ち合わせてる。母も娘もどちらもそれを心得ていて、それぞれ妊娠したし、避妊もした。
    堕ちていくけど、最後に描かれた振る舞いを見る限り、だめになっていくことはないと思った。

  • 今まで読んだ本の中で上位を争うほどのバッドエンドだと思う。
    主人公が「普通」を求めれば求めるほどどんどんと生き辛くなる光景がとても残酷で、そんな彼女を見守る母は娘に対する愛なのか、それとも自己愛なのかよく分からなくとてもムズムズした。

    力ずくで手に入れたものは最終的には離れていく。
    残酷だけどこの世界はその通りだと思った。
    この先、夕子が多摩に会える日が来ますように。

    P63
    未来はまるで思い浮かばなくて、ただ、楽しい今だけがあった。
    P197
    狂った毎日に狂わされないようにする闘いが唯一私をまともにしていた

  • もっと早く読んでおけば良かったと思うと同時に今でしか感じられない感情があると知る 「夢を与える側は夢を見てはいけない」の言葉が重く響く 最後の解説まで素晴らしい
    (私も多摩のシーン大好きです)

  • ハッピーなエンドじゃなくて、ハッピーがエンドする終わりかただけど、でも、それで良かった気がする。

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著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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