クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社 (2013年2月5日発売)
3.86
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本棚登録 : 496
感想 : 31
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309411989

作品紹介・あらすじ

人生の折り返し、三五歳を迎えたぼくに、いるはずのない未来の娘からメールが届いた。ぼくは娘に導かれ、新しい家族が待つ新しい人生に足を踏み入れるのだが…核家族を作れない「量子家族」が複数の世界を旅する奇妙な物語。ぼくたちはどこへ行き、どこへ帰ろうとしているのか。三島由紀夫賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 量子回路ネットワークのゆらぎで計算処理の産物として、無数の重ね合わされた計算資源により反現実言語、情報世界が機械によって作り続けられ、平行世界が発現し拡散して現実世界を脅かす、人類が接触できているネットワーク領域は宇宙に浮かぶ小島にすぎない…
    この設定、言葉の繋がりだけで、ワクワクした。増殖する情報世界の氾濫。炭素が年月の重みでダイヤモンドになったり、水が雨、川、水蒸気と循環する不思議な世界だもの、情報世界だって壮大で人知を超えた現象が起きてもいいよなぁと思いました。35歳問題、私たちは「選ばなかった選択肢」に潰されて生きている。
    量子家族という架空のほのぼの家族生活なのかと思ったらずっとすれ違いを感じギスギスと冷たく、なんか悲しかった。それにしても平行世界の把握を諦めて読んでいるので、誰がどこの世界でどう交わっているのか理解できなかった。。。

  • 東浩紀の本で最初から最後までちゃんと読み通したのは、この本が初めてな気がする。根底にある思想やSF的世界観、文学への愛が伝わってくる良書(っていうか読み物として単純に面白い)で、予想していたよりも楽しめた。SFにあまり免疫がないので、筒井康隆の解説もありがたく拝聴。この1冊を読む事によって、他のSF作品にも触れてみたいと思わされる、SFへの入り口になってくれるような作品だった。構成や章立ても面白い。こんなに小説も上手に書ける人なのかと感心してしまった。

    P36 ぼくは考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば別の職業は選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。

    P268 もし、ぼくが引き継いだセーブデータにおいて、すでにこの救いのないバッドエンドのフラグが立っていたとするのなら、ぼくはそのデータをハックしよう。幸せは運命の鎖からの解放を意味する。だとすればそれは必ずしも並行世界への逃避だけを意味するのではない。ハッキングこそが幸せの条件のはずだ。
    ぼくは運命を変える。
    そして幸せになる。

    P326 わたしたちはひとを愛するとき、その世界のそのひとだけを愛するのだろうか。わたしたちは家族を作るとき、その世界のそのひとだけと家族を作るのだろうか。わたしたちは死ぬとき、その世界で愛したひとだけに囲まれて死ぬのだろうか。わたしはおそらくは数年を経ずして死ぬだろう。並行世界の重みがわたしの狂気を押し潰すだろう。世界もまた滅びるだろう。そのときわたしのそばにいるべきひとはだれだろうか。わたしには力がある。ほかの世界のわたしにはできないことができる。いまのわたしならば、量子的に拡散してしまった家族を再縫合することができる。

    P408 ぼくはさまざまな人生を生きる。あるときは幸福なあるときは不幸な人生を生きる。それは驚くほど豊かだけれど、また驚くほど貧しい世界で、順列の種類は信じがたいぐらいに限られている。運命を受け入れるとは、過程を受け入れることでも結末を受け入れることでもなく、おそらくはその数字的な限界を受け入れるということなのだ。人間は数学には抵抗できない。そして抵抗しても意味がない。二かける二は断固四であり、それはドストエフスキーの時代もいまも変わらない。ぼくは、どの人生を選んだとしても、渚と友梨花と風子と理樹が作り出す四角形から決して逃れることができない。
    そしてそれでいい。
    ぼくはなにも引き受けなくていい。
    父の役割も夫の義務も強姦者の容疑もなにも引き受けなくていい。
    ぼくはただ愛するものだけを愛せばいい。

  • なにが起こっているんだ、どうなっているんだ、と混乱とワクワクを抱えながら読み進められる作品で、大変良い読書体験だった。読了感はなんとも言えないものがあるが、読んで良かったなと思う気持ちは不動。

  • 現実に疲弊した男が、ある日存在しない未来の娘からメールが届く。量子力学並行世界における家族の交錯、高度に発達したネット情報が人間の記憶のようにねじ曲げられる、現実と虚構と時間と夢、多次元宇宙と多重人格、全て折り重なる。複雑に絡み合ったラカンの鏡像的主体の世界のような構造。『ゲンロン0観光客の哲学』にも共通する概念がこの世界を作る重要なテーマとして位置づけられている。
    友敵も思想もないマルチチュードとしての同時多発テロ。ディックの小説ヴァリスの分身、少女。カント的道徳命題を遂行するグローバル資本主義の行き着いた量子コンピュータ。技術革新と反動的宗教。ドストエフスキーの主体のような複数のぼく、このぼくは地下室人、別のぼくはスタヴローギン。
    また、ここでは村上春樹の引用も幾度もされていて、反実仮想が重荷となる「35歳問題」が呪いのように反復される。メタ小説が挿入され、テーマもずらされながら反復される。多重世界となっていて、どうやってその中でそれを引き受けるかを見つけ出していく。現代思想の旗手であるからこそ作り出せる小説だと感じた。
    登場人物の名前に含まれる船、汐、渚、風など世界を自然と捉えて登場人物が漂ったり、テロ組織の人物名は柄谷行人、浅田彰、磯崎新、東浩紀に語感が似ていたのがおもしろい。

  • 量子論を基にした、多元的宇宙世界(並行世界)を舞台の物語。筒井康隆が解説した通り、この小説では異なる時間軸の世界がいくつも登場し、折り重なりストーリーを形作っている。
    印象深かったのが、仮定法過去の世界という、いわゆるifの世界を言語構造の比喩として記述している点。
    この記述と異なる時間軸が折り重なる物語進行から、自分は世界の終わりとハードボイルドワンダーランドよりも、テッドチャン著のあなたの人生の物語を想起した。(クォンタム・ファミリーズの方が執筆されたのが早いためこれは個人的な想起だが)
    この物語には検索性同一障害という、並行世界での自分の記憶が無意識に流れ込んでくるという人物が出てくるが、この人物のように自分の現在の人生と異なるルートを進んだ自分の姿を見ることができるということは、果たして自分の人生にどのような影響を与えるのだろうか。
    映画〈メッセージ〉の登場人物は規定された未来を受け入れ、未来へと過去から向かう覚悟を決めて行動するが果たして自分にはそれが出来るのだろうか。そしてそのような世界において、社会とはどのような変化を遂げているのだろうか。

  • 可能世界の話。ありえたかもしれない仮定法過去の話。さいこうの本。

  • 量子コンピューターが、「別の現実」に存在する電子を仮定して
    計算に利用しているのだとしても
    それを即、並行世界の実在に結びつけてしまうのは
    論理の飛躍というものだ
    しかしともかく理論に限定するならば
    この現実も、コンピューターの見た夢にすぎないと
    断定しうるのだろう
    「九十九十九」というよりは「ディスコ探偵水曜日」だな・・・
    そういう世界に暮らす中年男の現実逃避願望が
    未来に生じるあらゆる責任を、子供たちの
    甘えの感情にすり替えてゆくわけだが
    しまいには
    「もしも妻がもっと優しい女だったら・・・」という話になって
    そこまで来られると少し泣けてしまうのだった

    ドスト、春樹、大江、ラカン、あとひょっとしたら河野多恵子
    パロディ小説として楽しむことはできる
    しかしこれはラスコーリニコフというよりも
    マルメラードフだろう

  • パラレルワールドを題材にしたSFとし、十分に面白かった。
    年表を参照しながら読み直したい。
    http://d.hatena.ne.jp/superficial-ch/20100217

  • 解説で筒井康隆がいうように、「現代思想としての多元宇宙SF」
    という今までなかったような読了感。村上春樹が引用されており、村上春樹はファンタジー、東浩紀はSFという感じか。

    この現実ではない「もうひとつの現実」の存在、言いかえれば「あったかもしれない現実」「これからあるかもしれない現実」。この複数の現実=多元宇宙が、人類を滅ぼし、家族が救われる物語。

    「わたしたちの世界のすぐ隣には、無数の平行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。」

    ネットで実際に目にしない事象を知ることができるようになり、様々な可能性が自分にインプットされる。例えば、SNSをみていれば友人の成功談や幸福な写真に出会うだろう。それは自分にとっても「あったかもしれない現実」だと考えられる。量子力学、数学の世界ではその可能性は示唆されるし、むしろそれは自分の「現実であるかもしれない」。このことが、現実の自分の境界をぼやかしていく。

    何のために生きるのか、そんなことはどうでもいい。なぜなら、そう考える自分でさえ量子演算されるパラメータ数値やその塊でしかない。計算結果でしかないのだ。

    そういえば、最近、上司と30を越えてからのキャリアの話をした。村上春樹の「35歳問題」のような可能性の話だ。
    「やりたきゃやればいい」そう言われた。
    自分もそう思った。
    この本を読み終わって、「やりたきゃやればいい」と強く思い、「自分が現存すると感じているなら」「自分の可能性を信じてもいい」と思えた。

  • 舞城みたいな疾走感で、並行世界ものSFとして普通に面白いんだけど、小説以外の言説ときれいに繋がって見えるところがすごい。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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