科学以前の心 (河出文庫)

著者 :
制作 : 福岡 伸一 
  • 河出書房新社
3.87
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本棚登録 : 165
レビュー : 20
  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309412122

作品紹介・あらすじ

雪の研究に一生を捧げた、日本を代表する科学者にして名随筆家・中谷宇吉郎のベスト&レア・エッセイを生物学者・福岡伸一氏が集成。学生時代を過ごした金沢の旧家での思い出から科学する心の大切さを説いた表題作のほか、日食や気象、温泉や料理、映画に書道に古寺名刹、戦中戦後の疲弊と希望、そして原子力やコンピュータまで、精密な知性とみずみずしい感性が織りなす、珠玉のエッセイ25篇。

感想・レビュー・書評

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  • 雪の研究に生涯をささげ、世界で初めて人工雪の生成に成功した中谷宇吉郎の随筆を、生物学者・福岡伸一がセレクトしたもの。編者の言葉として、「精密な知性とみずみずしい感性が織りなす珠玉のエッセイ」という表現があるが、まさにその通りだと思う。特に個人的に心を揺さぶられるのが、子供の頃のエピソードを綴った数々。なぜかキラキラと輝くようなまぶしさというか、ジンワリ湧き出るようななつかしさというか、不思議な温かさを感じるのは、やはり筆者の人間性のなせる技なのだろうか。時代の細やかな描写もさることながら、科学、気象、文化、コンピュータ、原子力に至るまで幅広いテーマが収められており、中でも原子の力が原爆という形で実用化されたことの意味を重くとらえた宇吉郎が、「原子力の開放が、人類の文化の滅亡をきたすか、地上に天国を築くか、(中略)それを決定するものは科学ではなく人間性である。」(昭和25年1月「未来の足音」より)と言っているのは、時代を考えると心に響く。しかも、この問題について、人類の半数を占め、子供を味方に持つ女性たちの任務は重いとさえ言っている。
    人間だけにとって都合の良い便利さを求めてきた時代の曲がり角に立つ今、本来あるべき方向に向かって舵を切るには何が必要かを見つけるヒントを数多く与えてくれる随筆集といえる。

  •  鼠は温泉が好きだということが真先に分かった。金網の籠に入れたまま、温泉に入れてやるのだが、温泉の温度がちょうど良い加減だと、鼠達はひどくのんびりした顔付で、金網につかまって首だけ出して静かにしていたという話であった。中にはそのまま居眠りなんかして、手を離して湯に潜り落ちて、慌てて駆け上るような奴もいたそうである。(p.64)

     自然法則が生き物であるとすると、その生き物が棲む環境がそれぞれ個性をもってくるのは当然である。雑草のようなものでさえ、それが繁茂しているところを見ると、いかにもその所を得ているものである。
     実験室のような無生物に記憶が残るといえば不思議であるが、実験室という生き物が記憶力をもつと考えれば、それは当然のことである。
     実験室へはいってみると、その実験室が生きているか死んでいるかは、すぐ分かる。それは掃除が行届いているか否かとか、設備が完備しているかいないかということとは別問題である。
     実験室の生命の話は、いかにも荒唐無稽な話のようであるが、この生命を感知し得る神経を育てることは、研究者の一つの躾として、案外大切なことのような気がする。(p.112)

     近代の専門的な教育法のことは知らないが、私には自分の子供の頃の経験から考えて、思い切った非科学的な教育が、自然に対する驚異の念を深めるのに、案外役に立つのではないかという疑問がある。幼い日の夢は奔放であり荒唐でもあるが、そういう夢もあまり早く消し止めることは考えものである。海坊主も河童も知らない子供は可哀想である。そしてそれは単に可哀想というだけではなく、あまり早くから海坊主や河童を退治してしまうことは、本統の意味での科学教育を阻害するのではないかとも思われるのである。(p.123)

     雲の中に電気が生ずるというのは、どういう意味か、また大地との間に放電が起きるというのは、どういうことかと聞かれると、ちょっと即答のできない人がかなりあるであろう。
     物理の話をするのが目的ではないから、ごく簡単にいうと、電気があるということは、その周囲に電気の場、即ち電場があるということなのである。もともと地球の表面には、いつでも電場があるので、それを大気電場といっている。その強さは、日により気象条件によってちがうが、だいたい高さ1メートル新津いて、100ヴォルト程度の電圧がかかっているくらいの電場である。それがいわゆる雷雲が発生する気象条件になると、数千倍にも強くなって、やがて大気の絶縁が破れる。それが放電、即ち落雷の現象なのである。(p.243)

     知識がなくて、どうしてそういうことができたかというと、米作が彼らにとって、文字どおりに真剣な問題であったからである。彼らにとっての稲は、ラスコウの原始人の場合の狩猟動物と同じものであった。稲の修正を十分にしり、わずかな異変の徴候出も感じとらなくては、生きてゆくことができなかったのである。そしてそういうささいな体験による知恵が、次第に蓄積し、それがつぎつぎと受けつがれて、生活の知恵として、身体にしみこんだのであろう。行としての科学は、この身体にしみこんだ知恵から生まれる。(p.277)

     特別な能力のある機械を使うことも科学であるが、機械など使わなくても、こまかい注意をまんべんなく払って、現在の能率を一歩向上させることも、広い意味での科学である。行としての科学などというと、たいへん高級な話のように聞こえるが、ありていにいえば、おっくうがらずに、こまかい注意をまんべんなく払って、それを行動に示すということである。考えているだけでは、駄目である。(p.279)

     忙しい忙しいといいながら、時間と労力とを無駄につかっている人があんがいに多い。その一番わかりやすい例は、整理の問題である。整理などしている暇がないという人もあるが、それは反対であって、整理をしないから暇がないのである。使ったものを、元の場所にかえしておくには、ふつう10秒くらいしかかからない。それをちょっと棚の上におき忘れると、探すときは5分も10分もかかる。(p.312)

     この精神的態だがどこからくるかというに、いちばんの原因は、頭脳の疲労である。そしてその疲労は、不必要なことに、精神力を無駄づかいしているところからくるように、私にはおもわれる。たいていのことは、イエスかノーかで片づくはずのところを、不必要な精神力の垢をその上に塗りつけることによって、大切な精神力を浪費するのは、つまらないことである。
     科学が生活の中でいちばん役に立つのは、こういう考え方の整理の面ではなかろうか。もちろん個々の知識とか、機械とかも、その基盤の上に立って、大いに役立つ。ただそれらの表面に見えるものの奥に、もっと大切な要素があることは、知っておいてよいことである。(p.314)

    (解説)目覚まし時計が壊れたときに、それを修理できる主婦よりも、すぐに時計屋に出して使えるようにしておく主婦の方が、より科学的なのだと中谷は語る。何かを問われたとき、一から経緯をきちんと説明するより、単にイエスかノーで答える方が科学的なのであるとも。(p.318)

     人間には2つの型があって、生命の機械論が実証された時代がもし来たと仮定して、それで生命の神秘が消えたと思う人と、物質の神秘が増したと考える人とがある。そして科学の仕上仕事は前者の人によってもできるであろうが、本統に新しい科学の分野を拓く人は後者の型ではなかろうか。(p.333)

  • 編者後書にあるように「中谷博士の文章は優れて可視的であることにその特性がある」
    「古寺随想」の京都の寺院を拝観する描写など、実に視覚的で、凡百の観光録と違う。美しい科学者の文章だ。雪国の温泉に一泊する時に雪にちなんだ本をと思って帯同したが、知らなかった随筆家の一面を堪能した。

    [more]<blockquote>P10 氷雪を思慕するというような心情が我々のどこかに秘められていて,その一つの現れと見られる現象であるかもしれない。もっとも日本人が脂肪質をたくさん食べ,毛織物を一般に用いるようになったためかとも考えられる。

    P97 非科学的というのは,論理が間違っているか,知識が足りないことに起因する場合が多い。どんなに間違っていても,とにかく論理のある場合には,その是正は可能であり,知識はゼロから出発しても,いつかは一定の量に達せしめることができる。しかし科学以前の考え方は全く質の異なったものである。それは抜くべからざる因習に根ざしているか、それ自身に罪はないがしかし泥のような質の無知か,または自分にも意識していない一種の瞋恚(しんに)に似た感情が,その裏付けをしている場合が多い。
    そういうものの考え方も,平時にあっては,複雑な社会生活における一種の陰影のような役割をつとめているものとして見逃しておくほうが賢明なのであろう。

    P128 バターと蜂蜜とを練ったような本がたくさんあって,それらを自由に読むことができれば,子供たちは大変幸せである。しかしあまり栄養物ばかり食べさせておくと,芯が弱くなる恐れがありはしないかという気もする。たまには面白くて為にならない本も読ませたほうがよさそうである。

    P138 いろいろの雑魚がまだ砂にまみれながら銀色に光っている。そんなのを買ってきて,すぐ簡単に塩をふって焼くと,魚は金網の上に反り返る。そして身がはじけてジージーと脂を炭火のうえに落とすのである。それを細君が太い箸でつまみ上げて皿の上に乗せてくれるのに醤油の数滴をたらすとじゅっといってしみ込むのである。まあこんなところを味覚の秋とでもいうのであろう。到るところに人生があるという文句がふと思い浮かべられた。

    P172 馴鹿(トナカイ)の蹄は指ごとについていて,踏んだ時は趾が広がるので,深い雪の中を走る時には,かんじきを履いたようになるのだそうである。それが,足を上げた時には窄まるので,蹄の触れ合う音が,ぱっぱっと軽い響きをたてる。周囲には何の音もないこの凍土の地帯では,人間も寒さに身をこごらせて,黙ってこの馴鹿の蹄の音に聞き入るばかりである。

    P200 子供というものは,魚粉と稲茎の粉との混じった団子を食ったことは忘れるが,そのとき聞いたアマゾンの秘境の情景はなかなか忘れないものである。

    P220 どの墨がどのような墨色をしていたかはすっかり忘れてしまったが,支那の古い墨の一つには透き徹るような青みを帯びた墨があったが,あの色だけは忘れかねるものがあった。「幼児の瞳をのぞいたような感じというのはこんな色をいうのでしょうね」

    P251 生を意識して死を怖れないことと,生も死も意識しないこととは,比較のできないことなのである。

    P286 歯車には,大小があり,その配置には上下左右がある。もし一つ一つの歯車が,みな同じ大きさであることを要求し,あるいはこんな隅のほうに押し込められるのは嫌だといったら、機械の組立てようがない。機械の内部を見た人が,あんな小さい歯車だとか,あんな隅にあるとかいって,その歯車を軽蔑することは,決してない。

    P313 すべての事柄について,ちょっと気がついた時に,すぐ直して,いつでも整備した状態で保っておくことは,精神的に怠け癖のついた人にはできない。この精神的怠惰がどこから来るかというに,一番の原因は,頭脳の疲労である。そしてその疲労は,不必要なことに,精神力を無駄遣いしているところから来るように私には思われる。たいていのことは,イエスかノーかで片付くはずのところを,不必要な精神力の垢をその上に塗り付けることによって,大切な精神力を浪費するのはつまらないことである。</blockquote>

  • 『機械の恋』の章にとても惹かれた。そうだなと思う内容だった。
    科学的な姿勢というものはどこか冷たく思えていたが、中谷さんの科学的な姿勢は冷淡でなく、暖かみがあり人間らしかった。
    本書には見落としたこと、気づかなかったこと、読み取れなかったことがまだまだあるように思う。また、いずれ読み返したい。

  • 雪の研究者である中谷宇吉郎氏の科学にまつわるエッセイ。雪今昔物語の雪の結晶を天皇に見せる話。雪の結晶をスタッフと徹夜で準備して、身体の不調もなんとかやりきる。終わって、伊東に養生しにいく。ちょうど大雪予報の東京から、出張で伊東へ。こんな偶然あるだろうか。
    昔ながらの生活、伝統は計算して、あるロジックで導き出される科学的な解釈ではない。筆者は、それを科学以前として、撲滅するのではなく、優しい眼差しでもって整理しておく。つまりは、すぐ否定せずとも淘汰されていくと考えている。すごいのは、これが昭和16年に書かれたものであることだ。科学を盲信し、戦争、テロ、無差別殺人、環境汚染、原子力。こうした負の部分をある種、導き出した科学、そして科学で説明不能な理論を予言しているかのようだ。AIが台頭し、いまは、きっと科学の次に来るものを探しているのだから。
    本統の科学とは、不思議を解決するだけでなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも重要な要素。河童を知らない子供は可哀想だ。科学者として、この言葉は本当に素晴らしい。北海道の自然の中にあって、お寺回りやスキーなど、科学的でない活動にその魅力を感じ、視野だけでなく、行動の幅広さをもっともっと求めて行かなくてはと思わされる。

  • 「イグアノドンの唄」とそれに対する文庫の解説が心に残った。

  • 雪の研究の第一人者の中谷宇吉郎博士のエッセイ集。主題は時代を感じるものが多いが、それを感じさせない鋭く理路整然とした書き方に引き込まれる。雪今昔物語、科学以前の心、私の履歴書、何かをする前に...が特に好き。

  • 雪の研究の第一人者である著者。科学的とは「なにかをする前に考えてみること」だそうだ。そんな信条の著者だからか、シンプルで無駄のない言葉で書かれた文章は、静かで寒い冬にじっくり味わって読むのにぴったりだ。

  • 雪の研究で著名な中谷先生の随筆を福岡先生がチョイスしたアンソロジー。科学の心を平易な言葉で伝えようとしたもので、主観をできるだけ廃したかに見える文章が、実は雄弁であることに気づきます。いい本でした。

  • 師匠の寺田直伝の文章の切れ味。

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著者プロフィール

1900年石川県生まれ。物理学者。東京帝国大学理学部で寺田寅彦に師事し、卒業後は理化学研究所で寺田の助手となる。北海道帝国大学教授、北海道大学教授を務め、1962年没。雪の結晶の研究や、人工雪の開発に成果を上げ、随筆家としても知られる。主な著書に『冬の華』『楡の花』『立春の卵』『雪』『科学の方法』ほか。生地の石川県加賀市に「中谷宇吉郎 雪の科学館」がある。

「2014年 『寺田寅彦 わが師の追想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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