- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309413150
感想・レビュー・書評
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アンヂェラスも舟和みたいに生き残って欲しかった
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グルメというよりはグルマンかな。
凡百のグルメ本と違うのは、蘊蓄にも高級店礼賛にとどまらないところかな。 -
古い口語の文体で書かれているが、食に関するエッセイなのでするっと読める。
昭和30年出版の古い本なのに風俗というか感覚が今でも通じる内容なのに驚く。食べる事は普遍なんだなぁと、実感。
ただ、戦前戦中戦後を経験している作者ならではの感覚は、現代の私達では体験出来ないので考えさせられる所もあった。
『お金持ちになったら、世界中の食べ物を食べて歩きたいと夢を持っていたが、近頃その夢を捨てることにした。世界を廻ることはない、日本にいた方がよっぽど食べる事に恵まれている。日本こそ食通の天国だと気づいた。食べ物の浮気を続ける事が1番幸福。』
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非常に好みがはっきりしていて、当時の読者を牽引するだけの魅力も説得力もあったんだろう。その辺の「言い切り」が一般大衆に受けるのは今も昔も変わらない。
一方、それ故に、ってことでもないのだろうが、あんまり自分自身の思考を分解する、というようなことはしなかったんじゃないかと思う。無意識に自分が芸能人という特権階級にいることを誇示しようとして、人気商売としてはそのへんのアフターケアというか、後処理はうまくない印象。
で、この辺の後処理の完成形が立川談志あたりにあると思っている。談志は六波のファンだったという志らく師匠の解説があり、このあたりのよもやま話を藝として完成させていったんだろう、というのは想像に難くない。 -
声に出して読みたいエッセイだと思う、軽妙で、この時代を生きた粋なひとが書いたからこそ美味しそう。
どの節回しも、美味しい。
「これを駄洋食と、蔑む奴に呪いあれ。」
「豆大福や、スアマなんていう菓子があったっけ。十銭二十銭の豪遊。」 -
さしずめ、喜劇人ロッパの〝グルメブログ〟といった内容。
江戸っ子にもかかわらず蕎麦は食えず、寿司屋に行っても「こはだ、あなご、玉子」くらいしか食べられない。いっぽう、さすが男爵家に育っただけに物心ついたころからフォークとナイフを器用に操り西洋料理に親しむ反面、おでんや天ぷらといった「下司(げす)な味」をこよなく愛する。その偏食と大食が、こちら読者としてはかえってチャーミングである。
ロッパによれば、洋食や洋菓子の場合、おなじ店のおなじメニューでも戦争を境にすっかり味が変わってしまったという。もちろん「むかしの味」の方が、よかった、ということになる。ロッパとも親交のあった食通の映画監督.山本嘉次郎もたしか同様のことを言っていたと思う。戦争は、ことほどさように、ありとあらゆるものを変えてしまったのだ。 -
底本が『あまカラ』(甘辛社)、『ロッパ食談』(東京創元社)、『ロッパ悲食記』(ちくま文庫)で、再編集したもの。どうりで読み覚えがあるはずだ。
とはいえ、ずーっと読んでられる心地よさ。ああもうなんだろねコリャ。 -
1951年創刊の伝説の食べもの冊子『あまカラ』連載された「ロッパ食談」をはじめて完全収録。ただおもしろいだけじゃない、「うまいもの」「食べること」への執念を感じさせるロッパエッセイの真髄。