塩一トンの読書 (河出文庫 す 4-11)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (179ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413198

作品紹介・あらすじ

「一トンの塩」をともに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。当代無比の書評家でもあった須賀の、極上の読書日記。

感想・レビュー・書評

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  • このタイトルはどういう意味だろうと興味を持って手にとってみた。
    なるほど、塩一トンをなめるのにはとても長い時間がかかるけれど、それくらい本と向き合うということか(本来は人との付き合いに対して著者の義母が言った言葉だったらしい)。
    前の須賀敦子作品へのレビューでも書いた気がするけど、なぜだか私は須賀敦子の文章にすごく惹かれる。今回も、私からすると、到底手の届かない高いところに達した須賀敦子の思考と、博識ぶりと、読書量と、書評の文章の上品さに、圧倒されるし、理解はできないし・・・という状態だったけれど、やはり惹かれる。
    ちなみに、後半の書評については、どの本ももちろん読んだこともなければ、ほとんどが知らない本だった。
    いわゆる「文学」と言われる有名な作品や海外作品に全くもって疎いことを一瞬恥じたけれど、私は私の読書をしていこうとも思った。

    しかし、日本語以外の言葉で読書ができるって、とてつもなく羨ましい。一度でいいから、母国語以外で本を読んでみて、日本語と同じように感慨を得たい。

    最後にとてつもなく惹かれた部分を(長いけれど)引用したい。
    「砂のように眠る」(関川夏央)によせた書評より
    ー著者がこの本を書きおえて二年目の一九九五年、阪神地方を襲った大震災がそれにつづく暗い時代のいやな予兆ででもあったかのように、日本人は、じぶんたちの国が、世界のなかで確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、なにを忘れてきたのだろう、なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答は、たぶん、簡単にはみつからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答をいつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。
     人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。この本を書いた関川さんは、そんなふうにいっているようにも、私には思える。

    まだまだこの国は、人生における空虚な価値観が漂っているのではないか。あれから数十年経とうというのに、何も変わっていないのではないか。心に沁みる文章だった。

  • 須賀さんの文章を読むと背筋が伸びる。そして読書は、本が好きな人たちだけの趣味ではなく、人間が豊かに生きていくのに欠かせないものであるということに気づく。

    ” 人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。”

  • 塩そのものについての本ではありません。ある人を理解したり、ある本を理解するには、一緒に塩一トンを舐めるほど、長い長い時間がかかる… という意味なのです。
      
    イタリア文学者である著者が、人生で出会った大好きな本や作家について綴っていきます。優れた本ほど、読むたびに新鮮な驚きが待っているもの。人との出会い、本との出会い。それらが“塩”というキーワードで重なります。
     
    塩がこのような場合のキーワードになることが、その存在の重要性を物語っているのではないでしょうか。塩は、人間が生命活動を維持する上で必要不可欠なものであり、美味しい料理に欠かせない身近な存在でもあります。
     
    素敵な人との出会いや、素敵な本との出会いは、人生をより味わい深いものにしてくれるものです。それらの出会いは、人生にとっての“塩”なのかもしれません。

  • 「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければならないのよ」
    著者の須賀さんが結婚して間もないころ、姑に言われた言葉がこの本のタイトルに。

    一トンという大変な量の塩をともに舐めつくすには、途方もない時間がかかる。一人の人間を理解するというのは、生易しいことではない、ということ。
    そして須賀さんは古典文学に触れたとき、この姑の言葉を思い出すのだそう。理解しつくすのがひどく難しい、という意味で。

    海外で暮らした経験を持つ文筆家、須賀敦子さんの読書エッセイ集。
    日々の生活や人とのふれあいのなかには常に本が存在していて、それはけして特別ではなく当たり前のことなのだけど、その当たり前を切り取って文章にしているような本。
    シンプルに本が好きな人の側には確かに、ごく自然に本が存在している。そこに多くの出逢いや発見があり、年々大切な本が増えていく。

    私はどちらかというと海外の作品よりは日本の作品を多く読むほうだけど、このエッセイでは海外の作品が多く紹介されていて、読んでみたいと思った本もいくつか。久々に付箋の出番でした。

    本当は、一冊の本を理解するのにも、一トンの塩を舐めつくすくらいの時間が必要なのかもしれない。
    日々たくさんの本にふれあいながら、一生をかけて理解したい唯一の本を持つというのも、いいのかも。

  • 「一トンの塩」をいっしょに舐めるうちにかけがえのない友人となった書物たち。本を読むことは息をすることと同じという須賀は、また当代無比の書評家だった。好きな本と作家をめぐる極上の読書日記。

  • 須賀敦子さんの書評集。彼女の紡ぐ言葉はどんな時でも星のように煌めいて美しく、同時にはっと胸を衝く。「塩一トンの読書」と題された短いエッセイの中で語られる彼女の本を読むことへの情熱やどんなに書物を愛しているかがよく伝わってくる。「ひとりの人を理解するまでには、すくなくも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」と言ったのは著者の姑であるらしいがその意味は「一トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まあいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないもの」ということらしい。それを踏まえて彼女は言う。「すみからすみまで理解しつくすことの難しさにおいてなら、本、とくに古典とのつきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。読むたびに、それまで気がつかなかった、あたらしい面がそういった本にはかくされていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮なおどろきに出会いつづける」と。私もこれまで色々と読んできたけれど、どれだけの「塩」を舐めてきただろう。1冊の本ですら読み尽くせていない気がしてくる。谷崎潤一郎の「細雪」の考察はとても興味深く、またこちらの作品も再度したくなります。後半の数々の書評にも彼女の鋭い言葉がきらりと光る。「夏少女・きけ、わだつみの声」の結びの文「侵略戦争の記憶を、淡々しい悔恨や、やさしいだけの鎮魂歌に終わらせてはならない。どうすればその先を開くことができるか。現在の私たちの周囲に、内面に、あのときとは異なったふうではあっても、なお生きつづける全体主義や排他主義と、私たちは日々闘っているだろうか。」または「砂のように眠る――むかし「戦後」という時代があった」の結びの文「この国では、手早い答をみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきた」として「人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。」これらの静かに燃えるような彼女の言葉を忘れずにいたい。

  • 「読書が趣味です」という言葉を口にするのが憚られる。比較すること自体おこがましいんだけど。それくらい1冊に対する向き合う方が違う。その本の持つ形を捉えて、読みこめるようになりたいという思いを新たにさせてくれる本だった。

  • いつも優しい、だけど芯の強い文章を書いてきた須賀敦子さんの頭の中が少し垣間見える。塩一トンを舐める期間、すなわちほぼ一生をかけて付き合うものとは?を考えさせられた。

    イタリア語を習得することで、日本とそれとは違う文化の間で様々な表現者の意図をより深く理解し、ときに自分を演じ分けることもできる。あくせくと働く日本人への警鐘もあるように感じる。

    最後に出てくる本の紹介は楽しかった。ほとんど読んだことはないが、須賀敦子さんの感覚に近づくために少しずつ読んでみたい。

  • 知らない本の話ばかりでもずっと読めちゃう。須賀敦子の文章だいすき。阪神淡路大震災のはなしが出てきて、そうか少しだけでも同じ時代を生きたのかと感じ入った。

    「この国では、手早い答えをみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力をいれてきたのだから。」

  • 書評のお手本とはかくあるべきという学ぶ点が多いエッセーである。

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著者プロフィール

1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。

「2010年 『須賀敦子全集【文庫版 全8巻】セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

須賀敦子の作品

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