屍者の帝国 (河出文庫)

  • 河出書房新社
3.60
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本棚登録 : 1982
レビュー : 197
  • Amazon.co.jp ・本 (525ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413259

作品紹介・あらすじ

屍者化の技術が全世界に拡散した19世紀末、英国秘密諜報員ワトソンの冒険が始まる。未完の絶筆を円城塔が完成させた超話題作。

感想・レビュー・書評

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  • ダブルカバーが欲しくて、本屋を三軒はしごした思い出のある本。カテゴリに迷ったけど「SF」と書かれていたので、SFなんだろう…ということで、自分の中で決着させた。映画を見てからの原作というコース。映画はラスト「ハテナ???」という状態だったので、両方とも、見て読んで、あ、なるほどなぁ…ということが多かった。

    わくわくが止まらず、このオールスター勢揃いぶりに、本当に興奮してわくわくしました。好きなキャラのクラソトーキンもこういう立場だったのね。(あのシーンがなくって、ちょっと残念……。)
    フライデーの立ち位置もこうだったのね…と。(原作の方が落ち着いていて好きだなぁ…)

    読んでいるうちに、ワトソンのイメージや年齢が何ともつかみにくくなってしまい、(映画とのギャップが……)ぼやけてしまった感じがした。逆に映画では怪力のただのパワーゴリラおっさんだった、バーナビーが原作を読んだら思いがけずよくって、好きになりました。(こういうおっさん好きですわ)

    冒頭と最後の方や、あとがきを読んで、計劃さんの話もあり、なんかもう計劃さんはいないのね…。けど作品は残っているし作品の中にもいると思うと、とても切ない。

    面白かった。これを機に、もう一回、映画見ようと思ってます。
    2018年積読本消化55冊目。
    もう一冊くらい積読本読みたい。がんばろう。季節に合わせて『煌夜祭』あたりGO-!!

  •  この作品はもともと、故伊藤計劃氏の長篇、「虐殺器官」「ハーモニー」に次ぐ作品になるはずであったものだそうだ。故伊藤氏は30頁足らずのプロローグを残し、それを基に円城塔氏が全体を書き上げた。経緯は、円城氏による「文庫版あとがき」に詳しい。
    舞台裏の成立事情だが、その才能が惜しまれる伊藤氏と円城氏の関係も含めて興味が尽きない。そして、もし、伊藤計劃が生きていてこの作品を書いたら、と想像してみたくなる。この「もしも」は、別の新たな歴史改変SFへの扉のような気がしてくる。物語の終った処から、物語の外側で、「もしも」の世界が広がっていく。それは、この物語の主題と仕掛けに絡んで来て、故伊藤計劃氏が蒔き、円城塔氏が育てた世界に呑み込まれてゆく眩暈をもたらす。
     物語の主人公は、ジョン・H・ワトソン。この「屍者の帝国」という物語の外側で、ロンドン、モンテギュー街に間借りする「諮問(コンサルタント)探偵」=シャーロック・ホームズに出会い、数奇な冒険を繰り広げることになる人物だ。ホームズの物語の中では、ワトソン博士は「アフガン戦争」から帰還したことになっているが、本作はワトソン博士登場の前日譚ということにもなる。
    ワトソンの活躍する舞台は、「もしも」の過去、19世紀末の仮構の歴史である。この世界で「必要なのは、何をおいてもまず、屍体(したい)だ。」
    遡ること100年ほど前、ビクター・フランケンシュタインは魂の正体を突き止め、生命を生命たらしめている根幹が「霊素」として把握できることを解明した。さらに歩を進めたフランケンシュタインは、擬似的に構成された「霊素」を屍体に書き込むことによって死者を動かすことを可能にしたのである。この屍体制御は技術として普及し、19世紀末には、擬似霊素を書き込まれた=インストールされた屍者が重宝な労働力として、蒸気による産業革命を経た社会のインフラとなった。ロボットを使役する社会として描かれる未来が、ゾンビによって19世紀末のヨーロッパに実現された按配である。
    ロンドン大学の医学部で屍体蘇生術を学んでいたワトソンは、その腕前と熱心さを買われ、英国政府の諜報機関にスカウトされる。ワトソンの運命を変える導き手は、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」に登場するジャック・セワードとヴァン・ヘルシングだ。彼らは諜報機関の人物「M」にワトソンを引き会わせる。その機関の名前は、女王陛下の所有物(プロパティ)、スパイの祖、サー・フランシス・ウォルシンガムの名前を戴く「ウォルシンガム機関」。そして、機関の駒となったワトソンのお供をする屍者フライデーの、機関での登録名称は、スパイと言えば当然出てくるべき名前がついていてくすぐったい。
    機関はワトソンをアフガニスタンへ派遣する。任務は、「ユーラシア大陸を股(また)にかけた大英帝国とロシア帝国の陣取り合戦」=「グレートゲーム」の只中で、奇妙な噂話の真相を探ること。それは「ロシア帝国の軍事顧問団の一隊アフガニスタン首都カーブルを離れ」、「屍者の一団を引き連れて」「アフガニスタン北方に屍者を臣民とする新王国を築こうとしている」という話で、そこには、東側の持つ未知の疑似霊素=屍者制御ソフトウェア(ネクロウェア)の秘密が見え隠れしていた。この「屍者の王国」を築こうとする、「地獄の黙示録」のカーツ大佐的な人物は、またもやフィクションの登場人物で、のけぞる程の有名人だ。
    こうしてこの小説には、物語の外側のフィクションが次々に侵入してくる。それに驚かされ、くすぐられ、ニヤニヤさせられている内に、謎を追って世界中を引きずり回されることになる。途中、明治維新の日本も舞台として登場する。つまり史実も参照されるわけだ。歴史改変SFは、この史実との距離がまた楽しく、本作でも虚実が入り乱れる様を堪能することができる。
     ところで、史実とは何だろう?歴史とは実体を有する何ものかだろうか。物語の内側から見れば、フィクションも歴史もさほど差はないことに気づく。そして、歴史よりも物語の方が、小説「屍者の帝国」の方がより現実らしく、紙の書籍もしくは電子書籍を実現するデバイスとして実在して、読む者の手の中にある。これは物語が実在化しているということだろうか?言葉が実在化したということだろうか?
    空想はジャンプする。
    物語を読むという事は、擬似霊素をインストールすることに似ているのではないだろうか?物語を読むわれわれは、「屍者の帝国」に属しているのではなかろうか?では、物語を読み終った時、何が起きるのだろう?意識が残っているのではないか?意識とはそもそも一体何か?
    意識と言葉について、実在と虚構について、疑問符が生れ続ける。これが恐らく、円城塔氏によって仕込まれた仕掛けであり、主題なのだ。
    荒唐無稽の冒険譚中に織り込まれた、意識を巡る思弁的主題が「屍者の帝国」の魅力だ。文体の温度の低さが、凝った馬鹿話の速度を削いでいるが、屍者の肌を思わせて、読後の印象は強い。あとがきに、「賞賛は死者に、嘲笑(ちょうしょう)は生者に向けて頂ければ幸いである」と書かれているけれども、嘲笑の必要は感じない。故人の意志を継いで、見事な円城搭のSFを生み出し、読者のもとに届けてくれたことに感謝するばかりだ。

  • 架空の人物と歴史上の人物が入り乱れて活躍する19世紀が舞台のスチームパンク・・・という側面では気楽に読める娯楽作なのだけれど、いかんせんテーマが難解、SFとしての部分で脳みそがついていけず、ちょっとしんどい部分もありましたが、概ね楽しく読み終えました。しかしある意味、衒学的というか・・・作者が持っている同等の知識を読者も持っていないと完全には理解できないし、楽しめないのではないかとも思います。せめて巻末か巻頭に、登場人物一覧(元ネタと架空か実在かの区別)と、現実の歴史年表および地図、くらいは付録としてつける親切心は欲しかったかも。

    主人公は、かのホームズの相棒ワトソン君(※ストーリー上ではホームズと出会う前)、彼をとりまくおもな架空の登場人物たちは、カラマーゾフの兄弟、ドラキュラ退治のヴァン・ヘルシング、フランケンシュタインの怪物、風と共に去りぬのレッド・バトラー、未来のイブのハダリーなど。実在の人物は沢山登場しますが、主要キャラではバーナビーや、グラント、リットン、ニコライ・フョードロフあたりでしょうか。二部の舞台が西南戦争後の日本なのですが、こちらは得意ジャンルなので大体の背景や人物の立場を把握できているのでわかりやすかった。

    ストーリーは、ひらたくいえば「ゾンビもの」でもあります。死体にある種の霊素をインストールすることで復活させる技術が確立していているもう一つの過去、例えばカレル・チャペックが近未来ディストピアの労働力として描いた「ロボット」や「山椒魚」と同じように「屍者」が労働力として社会を支えている世界。彼らがゾンビと違うのは、けして自主的には人間を襲って仲間を増やしたりはしないこと。生前の記憶や意思を持たず命令されたことに従うだけの機械同然だということ。この設定自体は非常にユニークかつ、ありそうで誰もやらなかったなという印象で、この設定だけでいくらでも物語を広げられそうな素材としてとても興味深い。たとえば死体さえあれば、歴史上の有名人や偉人、早逝した女優や俳優、あるいはもっと身近で大切な人を亡くした場合も、いくらでも不死身の屍体として甦らせることができるんですもの。夢が広がります(笑)

    しかし最終的なテーマとしては結構普遍的な「死とは何か」「人間を動かすものは魂なのか?」「では魂とは何で、どこにあるのか?」というようなもので、そこはなんというか、本作で重要な役割を果たすメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」の頃から未解決のお題なわけですから、そこに新鮮味はなかったかな。これ言ったら身も蓋もないけど、だったらメアリ・シェリーを読めばいいわけで。

    ワトソンが追跡する「ザ・ワン」は、フランケンシュタイン博士の作った怪物=人造人間界のアダムともいうべき存在で、彼とハダリー=未来のイブが対決する場面というのはちょっと面白かったですが、フランケンシュタインの知名度に比べてハダリーと聞いて即座に出典が「未来のイブ」だと気づく読者はどのくらいいるのかわからないけれど、彼女の正体が中途半端な形で終わってしまったのは勿体ない。ラストのアイリーン=ハダリーとかこじつけっぽいし、フライデー=モリアーティ教授?ってのも無理があるような。単に時代が被っているからという理由だったのか他に理由があったのか、レッド・バトラーの登場もやや唐突でした。

    伊藤計劃のプロットを引き継いだ円城塔の仕事ぶりには頭が下がるし、それなりに面白く読めたけど、何かが惜しい。基本はエンタメ作品であるはずなのに、これだけのページ数を読み終えて痛快さとか満足感とかが薄いのがちょっと残念でした。

  • 円城氏の文章と合わないのかなかなか進まなかったが、最後まで読んでみて面白かったという感想がいちばん大きい。ただいまいち理解しきれていないので、気が向いたらまた読みたい。

    ヴァン・ヘルシングが言うには、人間を「意識がある」かのように感じさせているのは言葉である。

  • "伊藤計劃さんが2009年に惜しまれつつこの世を去った。
    その方が残したわずかな原稿と円城塔さん、および本書に携わった方々の尽力により完成したもの。
    過去の古典的名作へのオマージュにあふれた作品。
    イギリスの小説家メアリー・シェリーさんが生み出した作品、「フランケンシュタイン」。
    この作品が事実だった世界を描いている。"

  • 劇場版を見終えてから購入、約一年かけて読了。

    エピローグに「■」が置かれたところを『ハーモニー』の例の部分を読んだときに近しい気分で受け取った。人を乗り継いでいく菌株、X、あるいは言葉、は私たち読み手だったのではないか……俺が、俺たちが略(ガンダム並感)という気持ち。菌株と同じ視点を読者が共有していたかのような。あんまりな言いようなので言い換えると、印字された文章、そうでなくても言葉、としてしか存在しなかったものが、私たちがそれを読むことによってようやく形を持つ=読者と言葉のあいだに「わたしなるもの」(ワトソンはじめ物語内存在)が立ち現れる、という解釈をした。フライデーの手記に対しての「将来的な読み手」としての私たち。私たちにはワトソン、つまり「わたし」のことが「見えている」。そのつもりでいるし、そう祈りたい。私たちの読み手はいったいどこにいるだろう。

    ぼんやり劇場版をふり返ると、あれは舞台背景を同じくしたオリジナルだったのではないか、という思いがわいてくる。劇場版は劇場版で楽しめた人間なので今あれこれ言うのもお門違いだとは思うのだけれども、一点、フライデーという存在が物語内で持つ役割は書籍版と劇場版で違うのだから、あの独白をねじ込んで無理に書籍版を踏襲する必要はなかったのでは……とは感じるところ。劇場版は「Project Itoh」としての関連性を押し出したいせいか、『ハーモニー』に対する『屍者の帝国』という意味合いを強く感じる設定とストーリーであったなあと思う。本の感想に書くことではない。

    伊藤計劃:円城塔の関係性をワトソン:フライデーの関係に落とし込んでいると読むのはどうなのか……という思いが強かったが、エピローグの独白とあとがきの引用文を何度か読むにつけ、事実そうなのではないかと思い始めてしまう部分もあり、それでいいのかと感じる自分もあり。

  • 時は19世紀のロンドン。死体にあるソフトウェアをアップロードすることで「屍者」として動かし、労働力として活用することが一般的になっているこの世界において、優秀な医学生ジョン・ワトソンは諜報機関の大物「M」の誘いを受け、大英帝国の諜報員として英領インドに旅立つ。目的は、「屍者の帝国」を作ろうとした男の秘密を探り出すこと。次々と現れる謎の協力者たちやライバルたちや美女との権謀術数をくぐり抜けながら、戦乱のアフガニスタンへ、開国直後の日本へ、興隆著しいアメリカへ・・・世界各地を転々とするワトソンは、やがてある書物が全ての謎を解明する鍵となることを知る。その書物は今どこに?そして、書物と屍者をめぐる壮大な可能性とは?

    夭折したワン・アンド・オンリーなSF作家・伊藤計劃が書き遺したプロローグとプロットとを基に、円城塔が完結させた合作。
    伊藤計劃も円城塔も、どちらも読んだことがある鴨としては、全くテイストの異なるこの二人の作家がどのように融合あるいは化学反応を見せているのか、その点を楽しみに手に取ってみました。伊藤計劃のプロットに忠実に書き進めたとはいえ、伊藤計劃自身が手がけたのはプロローグの30ページ程度のみ。たぶん相当に円城塔寄りの作品になっているのでは、と予想してたんですが、読了後の感想は「思ったよりも伊藤計劃」でした。

    といっても、他の伊藤計劃作品とはかーなり違います。ジャンルとしては歴史改変もの、更に絞ればスチームパンク。これまでの伊藤計劃作品は現実社会と地続きの世界観の中、やたらと内省的な登場人物たちが個人の内面でいろいろと葛藤しつつ社会との軋轢にも苦しむというダークでクールなイメージで統一されていますが、この「屍者の帝国」はもぅ登場人物からしてパロディそのものですし、キャラの立ちまくった漫画的な脇役たち、スラップスティックな場面展開とド派手な戦闘シーン、ファンタスティックで絵画的なクライマックスと、何ともまぁ賑やかなこと賑やかなこと。正直なところ、少々とっ散らかって収拾がついていない印象も無きにしも非ずです。
    が、そんなおもちゃ箱のようなストーリー展開の底辺を重低音のように貫いているテーマ、「言葉と認識」「言葉と人間」の関係性というテーマが実に伊藤計劃的なんですね。「虐殺器官」も「ハーモニー」も、同様のテーマあるいは問題意識から書かれた作品だと鴨は理解しています。そういう意味で、この作品はまぎれもなく伊藤計劃の作品と言えますし、そこを最大限尊重してラストまで書き切った円城塔の力もたいへんなものだと鴨は思います。まぁ、クライマックスに至るまでのファンタスティックな突っ走りぶりは、伊藤計劃のプロットに従ったとはいえ思いっきり円城塔ワールドになっちゃってますがヽ( ´ー`)ノ

    ただ、鴨的には残念ながらストーリー全体のとっ散らかりぶりが目についてしまい、かつSFというより幻想小説だろコレといった印象もあって、面白かった!と言い切るには至らないところ。どちらかというと、円城塔慣れしている人にお勧めかもしれません。伊藤計劃しか読んだことのない人がコレを読むと、相当ビビると思います(笑)

  • 総じて面白かった。ただ一読して自分が把握できた範囲でもシャーロックホームズ、フランケンシュタイン、カラマーゾフの兄弟など、多くの「古典」を下敷きにしており、この辺の好みは人によって分かれるかもしれない。テーマの割にはテンポもそれほど早くなく、落ち着いて読めたのは良かった。
    アニメ版は尺の関係上いくつかのシーンをカットしており、イマイチではあったが、それは別の話。ただアクションについてはやはり映像の方がわかりやすい。

  • 伊藤計劃三部作のラストは未完の書を盟友円城塔が完成させた力作。伊藤の世界観を崩さず円城さんの良いところが出た力作となっていた。屍を労働力として受け入れている歴史改変小説なので、色んな歴史上の人物が登場してきておもしろい。Mの弟って確実にホームズで、本書の主人公のワトソンは、あのワトソンだね。ダーウィンとかフランケンシュタインとか出てきてびっくりですよ。

  • シャーロック・ホームズの相方ワトソン博士を主人公に、「カラマーゾフの兄弟」のアレクセイ、「風とともに去りぬ」のレッド・バトラーなどの文学上の登場人物、アメリカのグラント将軍-大統領、寺島宗則、大村益次郎、川路利良などの実在の人物らが活躍する活劇。医学生だったワトソンが諜報機関にスカウトされて与えられた任務は、インドからアフガンに屍者の帝国を築いた王との交渉。しかし、その王アレクセイから託された、最初の屍者「ザ・ワン」を巡る大きな流れに巻き込まれていく...と。スピード感、スケール感は大きく、しかし、複雑に絡み合い、少々読み解くのに苦労した感はあり。19世紀末、インド、アフガン、日本、アメリカを駆け巡り、実際より技術が進歩していた仮定で語られる物語。参考文献の、「ヴィクトリア朝のインターネット」はなんだか気になる。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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