枯木灘 (河出文庫 な 1-1)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413396

感想・レビュー・書評

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  • 「推し燃ゆ」の宇佐見りんの推しに中上健次が挙げられているのを知って手にした本書。

    今ではコンプライアンスやらハラスメントやらで抑制された人間の根源的な衝動や欲望がむき出しにされている。日常的には道義的に許せないことが、この作品では、なぜここまで心揺さぶられるのか?
    自分の中にもきっとそんな衝動や欲望が潜んでいて、この作品の持つ文学性によって呼び覚まされ、熱い生命力がみなぎってくるからだろう。

    ひどい話ばかり繰り返されるのだが、なぜかこの一家の血のつながりが愛おしく感じるのだ

  • 肉体労働の描写、山や梢、風や光の美しさの表現がとどまるところを知らない。(温かい日を受けた葉が光を撒き散らすように等)内容としてはちょっと飽きるというか、またその話〜?みたいな感覚は否定できないのだけど、たまにくる繊細で顎にクリーンヒット!みたいな、思わず手が止まるような感覚の文章が出てくるから最後まで読んだ。

  • 中上健次の世界観は良いのだが、描かれるループ状の閉塞感、その中で原始的な欲望をぶつけ合い、それがこの世界のリアルだとするようなストーリーは、読み手のコンディションによっては耐えきれない。『岬』を読まずにこちらを先に手に取った不味さもあっただろう、数多の登場人物とそれらが抱える因果についていけなくなる。

    元首相の死亡ニュース、体調不良、どこにも向かわない参院選。暑苦しい部屋で、中上健次を読むと、何にも変わらない日常の無限ループに嵌ってしまう気がした。

  • ネタバレ/下有劇情

    看完這部系列第一本「岬」之後,過一陣子才續讀這本。主人翁秋幸長在新宮附近的小村莊。母親フサ與亡夫西村間有一男三女,後來與濱村龍造拍拖懷上秋幸,得知龍造又同時讓另外兩位女人懷上孩子,怒在龍造入獄之後與其分手,嫁給竹原繁藏,只帶著秋幸過去。在「岬」裡面不斷重複訴說長兄郁男的自殺,後來在這卷似乎是因為郁男對三妹美惠可能有異常的感情,美惠拒絕並和實弘私奔,而郁男又對母親拋下他們兄妹只帶著最小的秋幸去幸福這件事感到耿耿於懷好幾次帶著菜刀想殺了他們,但最終還是自殺。這個兇事在家人之間從未散去,至少美惠還住在路地的同一間房子中,還是不斷提起這件事。

    秋幸跟著母親到竹原家,和竹原繁藏另外與前妻所生的文昭一起長大,兩人在繁藏的教育下做建設業,秋幸是土方。他的生父龍造是傳說中的男人,靠著自己的手腕在商場上縱橫日漸擴大地盤,很多傳說他是心狠手辣靠放火與騙術擴大自己的財產,甚至回鄉買下有馬的大片土地,蓋了一個(自認其為祖先的)濱村孫一(四百年前與信長作戰失利,從枯木灘逃到本宮、有馬的戰士)的紀念碑。秋幸自小就非常在意自己這種生活環境的複雜性,與兄姊留著不同的血液,他其實非常在意自己的生父,也常回想起三歲生父出獄偷跑來看他的情節。他的生活環境就是繞著母親、竹原家和姐姐,以及這個路地,然後單純地土方上工,血脈的問題和沉重的枷鎖也讓他感到很反感。在「岬」的卷末,三姊美惠發瘋,秋幸在心中對血緣的痛苦掙扎下,和自己的同父異母妹さと子發生關係。而在這卷,他則偷跑去有馬看那令他感到荒唐的紀念碑,並且刻意帶さと子直接與生父對決,想讓他痛苦,沒想到生父竟說反正生了白痴也沒關係,渴望硬碰硬的秋幸,更困在血緣這個網羅之中無法自拔,對自己長得很像生父,留著生父的血,遺傳生父體型感到厭倦,對濱村孫一紀念碑的虛榮和歷史建構感到不屑,對竹原的姓也感到厭煩。盆踊り的阿桑唱的歌就是近親相姦,與異母妹さと子發生關係的秋幸,也偶然透露出自己對三姊美惠可能有些微異樣的感情,與さと子這件事被流言傳成是龍造幹的,但秋幸已經受不了背負這個秘密,就在暴力中告知自己的女友紀子。秋幸也察覺,他其實跟自己哥哥郁男的心境很像(特別是面對到龍造現在一起住的家人),郁男這段不斷在家裡重複的話題,最後漸漸與秋幸完全重疊。

    美惠的女兒美智子和五郎混在一起懷上了孩子,五郎和龍造的兒子秀雄起了糾紛,而秀雄也認出了秋幸,造成後面一連串兩人的火花。後來在お盆放精靈船的時候,偶然龍造也在附近,秋幸就將一直以來的不滿和其惡行傳聞直接殺球到生父臉上,在旁邊看的秀雄不滿其對父親的態度,而秋幸看到這一家之間親和的氣氛更是惱怒,然後他完全感受到當時郁男鬱悶吃味的心境,這一切終於達到臨界點,他就將用石頭攻擊他的秀雄給毆打致死。卷末老喜歡四處抱怨跟傳遞流言蜚語的阿桑竹原家ユキ開始散佈秋幸染指白癡女的事情(其實是徹做的,秋幸威脅洋一小朋友不准說出去),徹之前雖然每天跟秋幸一起上工,後來突然也覺得不希望知道自己祕密的秋幸回來了。

    **
    因為三十三所巡禮時去了熊野三山,也在新宮待了半天,然後最後甚至到了枯木灘附近(?)的串本,也在勝浦當地書店認識了這位作家,因此決定要挑戰這部作品。因此雖然岬一開始的混亂情節和世界(還好有付家系圖)讓人覺得很不親切一度想放棄,但一旦進入,就完全被吸入書中這片土地,而且由於作者會絮絮叨叨不斷重複這些人事(重複倒有點煩的地步),就不會像紅樓夢丫環的名字一樣馬上忘記,終於漸漸掌握這些人物之間的關係。

    在這片沉悶的土地,整片都是山,然後是海的包圍,大家能生活的地方,深深被這個狹窄的路地所束縛,他們也只能活在這裡。在這個狹小難耐的土地,親屬關係混亂,犯罪縱火不斷,是一片讓人躁動的土地,然而在這裡卻又被深深綑綁在土地上,在親族裡,被束縛但又絕對離不開的環境牢籠,是整個故事的大前提。故事的編排,被困在血緣問題中的秋幸,先是近親相姦,然後是一路失速,挑戰生父卻又碰了一鼻子灰,一開始覺得孫一很荒唐但最後又想跳過自己生父直接連結孫一,總之,他需要一個穩定的健全的安心的歸屬,而他始終無法有。到最後,終於與永遠揮之不去、家人(特別是美惠)開口閉口總是在談他的郁男結為一體,犯下郁男最終不敢犯的那一兇事,然而這兇事是否一切都是當初自己生父埋下的禍根。

    自己無法認同自己的血緣以及被綑綁在親族與這塊之中,無法改變環境的不耐與沉鬱(附近只有很煩的阿婆ユキ,還有親戚之間一系列五四三的事情,例如安雄殺人,美智子私奔,五郎是屁孩,然後家人始終在說亡兄的事)。秋幸有一個可以讓他感到安心的工作,與日光與土為伍,日出而作日落而息,他喜歡這樣單純的作業,然而對自己血緣的懷疑、躁動與不耐迫使著他總是有想破壞(目前這個身分認同)現狀的一種莫名衝動,也可能或許是與那個男人同時活在這塊土地,而那個男人卻和自己現有的家庭和樂融融,生意成功地活著,然後不斷有那個男人的謠言(多半都是惡行)傳來,他也不斷幻覺到來自那個男人的注視,這一切都推著他衝往父與子的對決之路。這位作家所刻劃出來的土地的熱氣、親族的交往日常,以及秋幸內心的煩躁與加速,執拗地重複兄長的自殺、近親相姦的主題、父子相剋與血緣的質疑,構造層疊,所有主題都寫得很好,讓讀者事可以完全被吸納沉進入整個作品的氛圍之中,筆力並非尋常,儘管我並不喜歡書中這種封閉狹窄只有親族(而且關係還很混亂複雜)的環境,書中龍造對女人的態度更是讓人有些火大,然而沒想到由於作者的筆力,還是最終把這部作品讀完。無論是什麼人,都無法避免血族裡出了讓人很痛苦的家人或者問題人物,這種永遠拋不開的包袱與苦澀,可能無解糾纏一生,是一個永不間斷的課題與文學主題,書中秋幸的環境與個性更加劇這個苦悶。然而,我也不禁想,故事裡面有一個更可憐的角色就是繁藏,繁藏從國小把秋幸養大還把他帶入土方的世界,而實際上繁藏對秋幸顯然比對自己的兒子文昭更好,為何秋幸對養父始終無法把他當作真正的父親(反而放話說他死後也不想入竹原墓),而卻整天在那邊窺探、在意甚至不惜近親相姦就是要挑戰生父龍造。秋幸殺了秀雄之後繁藏穿上西裝去跟龍造謝罪,龍造很大度(或許這個人意外地根本不是壞蛋?但他對女人的態度還是很惡劣就是了),讀到這一幕覺得繁藏真可憐,始終沒有獲得秋幸真正的心,然而秋幸這種對竹原血緣的厭惡當然也包括那一家依然很複雜、阿婆很煩等各種因素構成,但對生父的異常執著,特別是血(相較之下姐姐們其實並沒有很在意秋幸的父親和他們不一樣),正是造成整個悲劇的因素,我覺得秋幸其實應該好好地面對自己的養父,比起面對早有另外一個生活與家庭的生父,養父令人不憫。養育之情,難道不能勝過身體裡流淌著誰的血液嗎?或許是這個風土與環境,讓血這件事變得益發重要說不定。

  • 重くて濃い。色々な反復に飲み込まれていく気分。フォークナーが引き合いに出されることが多いようだが、少し前に読んだフォークナーの『八月の光』と照らしてみても、確かに読後感が似ている。

  • 燃え立つような、あるいは匂い立つような文章で複雑な血縁関係の渦中にいる主人公の葛藤が描かれており、夏に読むには持って来いの一冊でした。
    三部作の二作目ということで、読んでいる途中から続きが気になり、三作目も用意しての読了。
    とにかく面白い。
    夏におすすめの一冊。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682446

  • 同じ表現のループが気になった。これが中上健次の表現なのだろうが、何を表現したかったのか、難しいことはわからない。
    秋幸の土方をしている時の文章が大好きだ。
    後書きに浜村龍造は神だという見方が書いてあったが、なるほど現実の神は男のように種をまき散らし無責任で、愚かな夢想家であるのかもしれないな、とふと思った。

  • 以前読んだ『岬』の続きにあたる本作は、量もさることながら、数多登場する人物達の奥深さ、そして血縁や家族といった共同体というテーマをより一層深掘り、現在の横の繋がりに加えて、歴史性、更にはそれを超えた神話性すら垣間見せる縦の繋がりをも包含するような点において、本当の意味での浩瀚な作品となっている。物語は相変わらず、家族の中で種違いの身であり、実父龍造の存在やその繋がりに懊悩する秋幸を軸に語られる。秋幸を囲む人物達(主に家族や親戚であるが)が多いのが始めは躊躇われたが、頁を進めるにつれて仄かな人物の繋がりや共通性、ある出来事の一致、そして時を超えて起きたそれに類似した出来事の反復といったような調和性がだんだんと明瞭になっていき、共同体に加え、人物一人の個体とは何なのかの輪郭を浮き彫りにしていく。これらの人の繋がり、現在と過去との一致、そして縦横の深さは、まさに歴史の特徴でもある。そしてこの物語も歴史を體にした虚構、フィクションを交えた神話的な力を持つように感じる。
    ユキの過去の苦悩、美智子と五郎の車での爆走、文昭の仕事のための悪事、徹と白痴の子の秘密、郁男の狂乱の所以、龍造の過度なまでの妄想、そして秋幸の懊悩は確かにこの物語で語られている。しかしこれらは三人称視点で語られるのみで、薄々感じていても、人物間でこれらを明らかに認識し合ってはいない。人の隠し事は、親密な家族という共同体の中でも幾多も存在する。共同体とは正に個人の集合であり、完全な融合物ではないのである。人間同士の繋がりを鳥瞰した時、人はまるで違う人物になったように映る。その隠された自身というのは神しか知らない事である。203頁で美智子には徹が洋一を嫌っているように映る場面や、215頁で冗談が過ぎて清ちゃんを泣かせてしまう場面は何気ない彼らの日常の断片に見えて、人の気持ちが如何に見えないかを表しているようである。
    秋幸はこの物語の主人公というより軸であるという方がやはりしっくりくる。何故なら彼以外の人物との共通性というのを感じる節が多々あり、それが秋幸自身の自己の内面の発見となっているからである。『岬』から秋幸はずっと自身の懊悩について、明確に判然としない曖昧な苦悩を抱えている。はっきりとわかる事は龍造という存在のみであり、成熟して他人を考えるようになるにつれて、漠然とした苦悩が輪郭を帯びてくる。例えば、秋幸がさと子と同衾した理由が姉の美恵に関係があると彼自身が知った時も、自殺した兄の郁男と美恵に関係があったという根も葉もない噂を昔から耳にしていた過去の記憶が結びつき、かつて憎んだ郁男と自身が一致していることに気がつくと同時に自身の抱える懊悩が確かな形をつくっていく。
    秋幸の龍造に対しての心持ちは、嫌悪と憧憬が入り乱れている。そして秋幸と龍造の類似性は、秋幸も当然感じている事であるため、ここでも父を通し自身を見つめている。体つきに加え女に対する考えや、思いの外思慮深い所はまさに生き写しのようである。そして彼ら二人は自身の存在というものを常に探している。秋幸は父親から逃れるためにそれを行い、龍造は不明瞭な自身の境遇を明確にするためにそれを行う。その理由は、龍造は忘却を恐れ、秋幸は侵食を恐れる所から来るのではないか。実父と自身が似てしまうことへの何とも言えない快感のような不愉快さは、彼の労働の姿勢にも反映されているようである。
    秋幸の労働の持つ意味も実に多元的に思えるが、かなりの序盤に秋幸は風景を見た気持ちを自涜の快感に喩えている。自涜という行為は、正に自己を癒す行為でもあり、痛めつける行為でもある。秋幸にとって土方として働く事は自然に晒されることで自己洞察と自己逃避の意味を持ち、精神を保つ大切な行為であり、自傷行為でもあるようである。読んでいくうちにこの労働という行為の意味が自分の中で変わって、そして戻っては増えてを繰り返していってとても興味深かった。
    中上健次の発言もあってか、フォークナーの『八月と光』を読んだ時と似たような心持ちで読んでいる自分に気がついたが、多くとも無駄のない人物や、人物たちの行為の意味の多元性、そして人との交錯の感動という面でやはり類似点があり、畢竟どちらも素晴らしい作品であるには変わりないと感じた。

  • 熊野古道を歩いたのを気に色々と土地のことを知りたくなり読みましたが、フォークナーの換骨奪胎と思いきや、読後の後味は全然違いました。

    誇大妄想に虚言癖、ペドフェリア、近親相姦、など現代でも普通いる人たち。文学ではおなじみのテーマ。そして山と海に挟まれた土地で血縁に囲まれ、路地では常に視線を感じる主人公。外がないので当然煮詰まっていきます。

    唯一の外部として白痴の女の子を描いているのかな?だから最後のシーンで外からの視点でこの物語を笑っている、と解釈しました。

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著者プロフィール

(なかがみ・けんじ)1946~1992年。小説家。『岬』で芥川賞。『枯木灘』(毎日出版文化賞)、『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』、『異族』など。全集十五巻、発言集成六巻、全発言二巻、エッセイ撰集二巻がある。

「2022年 『現代小説の方法 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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