- 河出書房新社 (2015年1月7日発売)
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感想 : 36件
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784309413402
みんなの感想まとめ
多様な感情と経験を描いた短編集は、主人公たちの成長と葛藤を通じて、何者でもない不安や居心地の良さを探求しています。特に、康二という一人の男の物語が各短編を繋ぎ、彼の無邪気な子供時代から、家族の悲劇を経...
感想・レビュー・書評
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宇佐見りんさんの推し作家ということで読んでみたかった中上健次。
「一番はじめの出来事」「十九歳の地図」「蝸牛」「補陀落」の4編からなるこちらが第一作品集とのこと。
いずれも独立した短編だと思ったのだけれど、補陀落を読んでいるうちに、これらは康二という一人の男の物語であることに気がつく。
「一番はじめの出来事」は康二が小学5年生の時の話であるけれど、仲間と秘密基地をつくって遊んだりする無邪気さ、無垢さが、家族の父親がわりだった兄やんの自殺を経験していっぺんに損なわれていく様が苦しかった。子供は無知で、無力で、でもそれは救いでもあった。ずっと子供でいられたらよかった。多分これは重松清の疾走を読んだ時にも感じた閉塞感。
ひとつひとつの短編としてみた中では、「補陀落」がいちばん好き。女と遊ぶ金をせびるために姉のところにやってきた康二。そこで姉からえんえんと語られる聞き飽きた家族の話。この文体は宇佐見りんさんのデビュー作「かか」に色濃く影響しているようにも思った。
きっと宇佐見りんさんが紹介してなかったら読む機会はなかったかもしれない。泥臭さがとても好みだったので、今後もいろいろ読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
十九歳の地図を読んで
何者でもない不安と何者でもない居心地の良さを兼ね備える何色ともつかない人生の一時。
世の中を知っていたと言えるのは、本当はこんな時期なんじゃないか。
大人になれば落ち着き場所を見つけ、その場所に意固地になる。
こんな純粋な持て余した感情は持てないんじゃないか。
だから曇りのない目で世の中を感じ悟れる。
解説では、主人公の電話する行為を神からの「メッセージ」と書いているが、僕はそれを読んで丸善の洋書にそっと「檸檬」を置くあの作品を思い出した。
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宇佐見りんさんが読売中高生新聞でおすすめしていたので、読んでみました。
『一番はじめの出来事』『十九歳の地図』『蝸牛』『補陀落』の4編。
今のように良い統合失調症の薬がなく、精神の病気で苦しんでいた家庭は少なからずいたと思います。
戦後の皆が貧しい世代。被差別地区出身。社会へのフラストレーション。どうしようもならない陰の感情が表現されています。 -
初めてこのような小説を読んだかもしれない。
決して自分と境遇が近い主人公たちではないのに、まるで仲間を見つけたようなそんな気持ちになる。
人間の脳の中の生々しくて、カオスで、暴力的で、しかし普段口に出すことがないような行き場のない感情や思考。
それは幼少期から、いや幼少期の方がより感じていたものだ。
日常でもやもやと心に渦を巻いていたものを書き表してくれているように感じた。
また噛み砕いてゆっくりと読みたい。
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力強く鬱屈してる。
ブルースでありグランジロックでもある。
最後に涙したのが救いあるところなのかな? -
宇佐美りんが「推し」ている著者ということで手に取る。
4つの中編が、当初は別々のものかと思いきや、最後の話しからどうも一人の男の小学生、19歳、20代半ばのことを書いていると読み取れる。
社会の底辺で生きる若者、朝鮮への差別、、、「そこのみにて光り輝く」にも通じる重苦しさが、しんどいながらも読み切った。 -
表題作の『十九歳の地図』のみ読んだ。
19歳という子供でもなく大人でもない不安定な時期の鬱屈を、主人公がアルバイトの新聞配達で担当しているエリアの住民に悪戯電話をして発散する。
このようなテーマはありきたりに思えたが、「かさぶたのマリア」と近くに住む家族のギミックが面白い。予備校生として上手くいかず落ちていく主人公は、落ちた人達を嫌いながらも、その苦しさに否が応にも共感してしまう。中でも「かさぶたのマリア」の言葉がリフレインする場面ではそれが顕著だろう。
また、近所に住む夫婦は喧嘩ばかりしているが、セリフとして描写されるのは妻のセリフのみである。そして、この妻のセリフが主人公を痛烈に批判している。本作全体のリズムは、この外部の声によるところが大きいだろう。 -
十九歳だったから読んでみた。
私には難しい内容だったけど、読みやすくて分かりやすい文章が理解を促してくれて、心地よい読み心地だった。
落ち着いたら中上健次の本をもっと読みたいと思った。
落ちてる時ほど目を当ててしまうような不安感とか、先の見えない恐怖、案外抜け出せちゃえば上手くいったりするけど、後ろ盾が無いと抜け出すのも難しいよね
一昨年の冬の私がこれを読んでたら死んでただろうな -
解説で古川日出男が「この作品集は一つのまとまりとして読まれてよい」と書いている。それに支援された気になって自分が読みたいように私小説的に読んでしまうと、いままで中上健次の小説を読んでいてどうにもわかりかねていた兄へのこだわりが、最後の「補陀落」でようやく腑に落ちた。少なくとも当人はそんな風に物語化してしまうようなことだったのだな、と。これはなかなかきつい人生の始まりだけれど、『鳳仙花』であれほどフサをうつくしく描いたのだから健次すごいね、と思ったのだった。
中上健次の小説にあって、自然は美しく満たされているのに、人は酔ったり泣いたり包丁を振り回したりで大変にぐずぐずだ。この人は自然の一部になってただ生きることができたらどんなによかったか、と悩み続けたのかなあと思った。
「蝸牛」を読んで。人間関係はふるまいがすべてで相互理解などは求めていないほうだと思っていたが、わかろうとかわかってほしいとか感じないのもさみしいしもろいものなのかもしれない。 -
中上健次の書く、育ちの悪い若者たちの粗暴さが好きだなあ
千年の愉楽の衝撃が忘れられない
あと、一人称小説が抜群に上手い
「一番はじめの出来事」
全国の中学生の課題図書に推薦したい
自分が中1の時、石田衣良のフォーティーンを課題図書で読んでしばらく石田衣良にはまったけれど
もしこの本を読んでいたらどうなっていたのだろう -
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歌手・友川かずきの著書「一人盆踊り」に中上健次にまつわるエッセイが収録していたので興味を持った。
そういえば、以前なぜ友川かずきが映画「十九歳の地図」に出演しているのか疑問に思ったことがあったが、当時親交があったからかと合点がいった。
この「十九歳の地図」は4本の短編が収録されているが、解説等々を読むに全て同じ主人公とのこと。しかも著者本人の体験が強く反映されているようだ。
上述の友川かずきも弟が列車で自殺しており、肉親の悲惨な死を経験しているもの同士何か理解うるところがあったのだろうか。
肝心の小説の方は、少年期の原体験、青年期の鬱屈した精神、成人後の堕落が描かれていて、読んでいてどんどん気が滅入ってきた。
しかし、朝鮮人の住む家に石を投げるのも、東京駅に脅迫電話をかけるのも、もしかしたら自分も似たようなことをしていたかもしれないと思わせる、そんな気持ちになる。
もともと自分の中にもある暴力性に訴えかけてくるような感じもする。
それでいて、山や川や海や空やらの描写は人に対するそれと異なり清々しいほどに爽やか。
残念ながら補陀羅はうまく読むことができなかった。 -
長らく求めていた物語はこれだったのかも知れないと錯覚する一冊。鬱屈、陰惨とした作品であり、それでも爽やかさを孕んでる。普通であれば専らおかしな配分である。それが自身を刺激し、敬愛する彼も影響を受けることが酷く解り、後悔と羨望の目を向ける一冊である。
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サリンジャーと大江健三郎味を感じた
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3.8
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114pまでで断念。
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土や動物さらに排泄の臭いがまとわりつく生活空間に厭世観が漂う。若者、社会に抗う彼らの心情に時折共鳴するも隔絶も伴ってしまう。それは読者自身の俯瞰化なのか、登場人物への蔑みなのか、それとも言葉では明確化できない混沌した感情なのだと結論づけても物語は完結へと向かわない。筆者、中上健次は結末の道程を読者に投げつける。それは現在未来にどのような形で帰着するのか、それとも過去の悔恨に囚われるのか、放出される主題は “しこり” ではなく “余韻” として心に響く。
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短絡的に捉えたくはないが、19歳のやり場のない思いの吐け先、やり口
言い訳が貧しさ 貧困が差別を生み暴力へと繋がるパターンはもういい
そんな作品だった。
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表題作のみ読了。新聞配達をしながら予備校にも行かなくなってしまった主人公の鬱屈した感情のうねりが表現されているのだと思うが、かなり唐突感のある展開もあり、残念ながらあまり感情移入できなかった。ただ、1970年代の空気感はすごく伝わってくる。
著者プロフィール
中上健次の作品
