十九歳の地図 (河出文庫 な 1-2)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 26
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413402

感想・レビュー・書評

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  • 宇佐見りんさんの推し作家ということで読んでみたかった中上健次。
    「一番はじめの出来事」「十九歳の地図」「蝸牛」「補陀落」の4編からなるこちらが第一作品集とのこと。
    いずれも独立した短編だと思ったのだけれど、補陀落を読んでいるうちに、これらは康二という一人の男の物語であることに気がつく。
    「一番はじめの出来事」は康二が小学5年生の時の話であるけれど、仲間と秘密基地をつくって遊んだりする無邪気さ、無垢さが、家族の父親がわりだった兄やんの自殺を経験していっぺんに損なわれていく様が苦しかった。子供は無知で、無力で、でもそれは救いでもあった。ずっと子供でいられたらよかった。多分これは重松清の疾走を読んだ時にも感じた閉塞感。
    ひとつひとつの短編としてみた中では、「補陀落」がいちばん好き。女と遊ぶ金をせびるために姉のところにやってきた康二。そこで姉からえんえんと語られる聞き飽きた家族の話。この文体は宇佐見りんさんのデビュー作「かか」に色濃く影響しているようにも思った。
    きっと宇佐見りんさんが紹介してなかったら読む機会はなかったかもしれない。泥臭さがとても好みだったので、今後もいろいろ読んでみたい。

  • 十九歳の地図を読んで

    何者でもない不安と何者でもない居心地の良さを兼ね備える何色ともつかない人生の一時。

    世の中を知っていたと言えるのは、本当はこんな時期なんじゃないか。
    大人になれば落ち着き場所を見つけ、その場所に意固地になる。
    こんな純粋な持て余した感情は持てないんじゃないか。
    だから曇りのない目で世の中を感じ悟れる。

    解説では、主人公の電話する行為を神からの「メッセージ」と書いているが、僕はそれを読んで丸善の洋書にそっと「檸檬」を置くあの作品を思い出した。


  • 初めてこのような小説を読んだかもしれない。
    決して自分と境遇が近い主人公たちではないのに、まるで仲間を見つけたようなそんな気持ちになる。
    人間の脳の中の生々しくて、カオスで、暴力的で、しかし普段口に出すことがないような行き場のない感情や思考。
    それは幼少期から、いや幼少期の方がより感じていたものだ。
    日常でもやもやと心に渦を巻いていたものを書き表してくれているように感じた。
    また噛み砕いてゆっくりと読みたい。

  • 宇佐美りんが「推し」ている著者ということで手に取る。
    4つの中編が、当初は別々のものかと思いきや、最後の話しからどうも一人の男の小学生、19歳、20代半ばのことを書いていると読み取れる。
    社会の底辺で生きる若者、朝鮮への差別、、、「そこのみにて光り輝く」にも通じる重苦しさが、しんどいながらも読み切った。

  • 宇佐見りんさんが読売中高生新聞でおすすめしていたので、読んでみました。

    『一番はじめの出来事』『十九歳の地図』『蝸牛』『補陀落』の4編。

    今のように良い統合失調症の薬がなく、精神の病気で苦しんでいた家庭は少なからずいたと思います。
    戦後の皆が貧しい世代。被差別地区出身。社会へのフラストレーション。どうしようもならない陰の感情が表現されています。

  • 表題作の『十九歳の地図』のみ読んだ。

    19歳という子供でもなく大人でもない不安定な時期の鬱屈を、主人公がアルバイトの新聞配達で担当しているエリアの住民に悪戯電話をして発散する。

    このようなテーマはありきたりに思えたが、「かさぶたのマリア」と近くに住む家族のギミックが面白い。予備校生として上手くいかず落ちていく主人公は、落ちた人達を嫌いながらも、その苦しさに否が応にも共感してしまう。中でも「かさぶたのマリア」の言葉がリフレインする場面ではそれが顕著だろう。

    また、近所に住む夫婦は喧嘩ばかりしているが、セリフとして描写されるのは妻のセリフのみである。そして、この妻のセリフが主人公を痛烈に批判している。本作全体のリズムは、この外部の声によるところが大きいだろう。

  • 解説で古川日出男が「この作品集は一つのまとまりとして読まれてよい」と書いている。それに支援された気になって自分が読みたいように私小説的に読んでしまうと、いままで中上健次の小説を読んでいてどうにもわかりかねていた兄へのこだわりが、最後の「補陀落」でようやく腑に落ちた。少なくとも当人はそんな風に物語化してしまうようなことだったのだな、と。これはなかなかきつい人生の始まりだけれど、『鳳仙花』であれほどフサをうつくしく描いたのだから健次すごいね、と思ったのだった。

    中上健次の小説にあって、自然は美しく満たされているのに、人は酔ったり泣いたり包丁を振り回したりで大変にぐずぐずだ。この人は自然の一部になってただ生きることができたらどんなによかったか、と悩み続けたのかなあと思った。

    「蝸牛」を読んで。人間関係はふるまいがすべてで相互理解などは求めていないほうだと思っていたが、わかろうとかわかってほしいとか感じないのもさみしいしもろいものなのかもしれない。

  • 114pまでで断念。

  • 十九歳だったから読んでみた。

    私には難しい内容だったけど、読みやすくて分かりやすい文章が理解を促してくれて、心地よい読み心地だった。
    落ち着いたら中上健次の本をもっと読みたいと思った。

    落ちてる時ほど目を当ててしまうような不安感とか、先の見えない恐怖、案外抜け出せちゃえば上手くいったりするけど、後ろ盾が無いと抜け出すのも難しいよね
    一昨年の冬の私がこれを読んでたら死んでただろうな

  • 「切ない片思いや、不穏な謎、勇ましい冒険の融合したお話で、夢中になって読みました。」

    (『3652』伊坂幸太郎エッセイ集 2003年筆 p.104より)

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著者プロフィール

(なかがみ・けんじ)1946~1992年。小説家。『岬』で芥川賞。『枯木灘』(毎日出版文化賞)、『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』、『異族』など。全集十五巻、発言集成六巻、全発言二巻、エッセイ撰集二巻がある。

「2022年 『現代小説の方法 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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