創作のモチーフとする上では面白い。
■古代日本人の死生観
◯他界=前世+来世
→単に死後の国ではない。過去の自分と未来の自分が邂逅しえる場所。
・他界=常には手の届かない世界の事。死の国だけでなく、生に結合する世界も、他界として感じられていた。
→故に神界も他界。
古代の日本人の世界観は「日の出づる東=太陽と神の国=東方神界=伊勢」と、「日の沈む西=死の国=出雲」という二元的世界観であった。しかし、神界といってもそこは出雲とある種同様の他界(神聖他界)であった。故にまた、天皇ですら伊勢には足を踏み入れなかったのである。
(出雲と伊勢を世界の両端と考えていたのか?)
・実際には日本人は西方以外にも、山中他界、海底他界、海の向こう、地底他界など、自然に隔離された常世の一部にも他界を感じていた=手の届かない場所。(空は含まれないようだ)
・
■古代と蛇=祖霊であり祖神であり、すべての帰り着く存在
・蛇=人間にないものをすべてもち、特に男根の似姿と脱皮による生命の更新による命の化身
・カミ=蛇神(カム)
・蛇=カ、カカ、カヂ、カガチ、カ→ハ
・人間=蛇の末裔としての位置づけによる蛇神信仰
・産屋=とぐろを巻いた蛇の正位としての蛇胎(じゃたい)での模倣呪術。
・産着=ボロをまとわせ蛇姿から人姿への脱皮を行う呪術
・カニも幼年期の変態が多く、蛇の模倣呪術として生まれた赤子の上を這わせる
・鏡は蛇目(かかめ)で、蛇の目の光は日輪=日神のシンボル
・死者は祖霊に帰り、祖霊に合体し、いずれ祖神となるものである。
そのためには当然、改めて蛇に戻る必要がある。
・記紀における殯(身離れ=ムカレ)期間の、イザナミの身体の腐爛の様子の詳細な描写=腐敗し常変のものとしての肉体が朽ち、普遍の骨になっていく姿を「浄化」そのものとして認識していたということ。
・そしてその腐爛=浄化の過程を見守ることが遺族に課された義務だったのではないか。
・腐爛=肉体からの開放。他界への移動。「骨神(フニシン)」信仰としての、遺るべきものである骨=精髄。
→とはいえ宮田に置いてはこれを浄化ではなく、黄泉がえりの期待であり、死の判定期間と考えていた。
※最終的にこの風習は風化し、簡略化され、風葬となったり喪屋を立てることはなくなったが、墓の絵に喪屋と呼ばれるミニチュアを置くなどがなされた。
・箒の類感呪術。箒は掃いて浄化するもの。その語から類推される効力として浄化の呪術として用いられる。
・葬列においても前から二列に並んで、
前駆、松明2、箒2、銘旗、提燈2、供物、櫃、提燈2,棺、墓標、葬主、親族、会葬人、雑具
と列するように、前方に箒があったり、
他にも箒と箒で葬列を挟むとか、箒が重用される。
■荒神の森と、蛇神としての荒神&箒神
・箒神が他界から出て現れたことでアラハバキ=荒神となったという神話現象
これ故、荒神はもと箒神であり、蛇神信仰である。蛇=生死を司るものであることから、荒神は安産の神となっている。
・箒神は元々は主神であったが、それが座を譲る形で宮内を出て門神になったアラハバキは、やがてお客さんと呼ばれるようになっていく。そういう神のあり方。
・祖霊の集まる森は聖地で、他界。陰陽五行思想で言うところの五色土神を祀る森は、二三=ニソという隠語で表され、ニソの杜などと呼ばれる。
同様に、北斗七星も四三の星(シソの星)と呼ばれている。
→このような隠語表現などから、「土地や場所の名前をつける際に、元となった神話からの転じ名とする」のも世界観の参考になるだろうか。
■神事は古代儀式(葬儀)の再演であり、蛇の生態の再現。獲得を目指したもの。
・禊とは身削ぎであり、脱皮を意味する。
脱皮に際して水辺による蛇の生態の再現。