- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309413853
感想・レビュー・書評
-
初出は『週刊毎日』(『サンデー毎日』改題)1944年7月2日号~12月24日号。連載開始直後にサイパンが陥落、フィリピンでの惨たらしい戦闘が続き、特攻攻撃が始まっていくというタイミングで書かれた小説。オーストラリアを臨む南方の孤島の部隊と銃後の若い女性とが慰問文を介して心を通わせるという物語には、確かにこの時期の戦争小説の約束事がたっぷり盛り込まれている。しかし、どこか落語の人情咄めいた、不思議な味わいが感じられるのはどうしてなのか。稲垣足穂のテクストと並んで、戦時末期の小説としては出色の出来だと思う。こういう作品がしれっと書かれてしまうあたりに、アジア太平洋戦争期の文学言説の面白さがある。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
報道班員として南洋の前線に出た画家の目で見た戦争と人々の暮らし。
追い詰められて死が目前に迫っている前線の人々の明るさと逞しさ、自分の死よりも国を優先させる考えが浸透している当時の人々に悲しくなりました。
軍人のみならず内地や南洋の一般人の考えもお国が優先の世界は純粋で美しいけれどとても脆くて歪で読んでいて辛くなります。日々爆撃を受け命の危険に晒されながらも内地から届いた慰問の手紙への返事に真剣に悩む分遣隊の人々の優しさに胸がつかえ、子供のように純粋なカムローの死に涙しました。
前線での爆撃の描写や物資の不足でサバイバル状態の分遣隊での日々の書かれ方は作者自身の報道班員経験が生かされておりとてもリアル。久生十蘭と言う作家の筆力の凄さをこれでもかと見せ付けられます。 -
みずからも報道班であった久生十蘭が、海軍報道班として南洋を訪れた画家久松三十郎を通して、戦時下の人々の暮らしを語る。勇を誇るでもなく、時局を批判するでもなく、『戦争』を生きる人々。その淡々とした筆致の中におかしみや悲しみが浮きあがってくるのは、久生の筆力であろう。
『この世には、自分は少しも人の為にならず、人の犠牲や労力だけを思うさま受けて死んでゆくものも多いが、どん助にしろカムローにしろ、また磯吉にしても、自分のことはなるたけ身をちぢめ、ただもう人の為になるようにばかり生まれついて来た人たちなので、こういう人たちの徳がまだ脈々と日本の隅々を貫き流れている間、日本は断じて戦争には負けぬのだと思い、日本という国の人知れぬ成長の源をみるような気がした』
太平洋戦争を批判することも賛美することも簡単ではあるが、空虚な批判合戦をする前に、まずは『戦時下』を生きた人々と向き合い、みずからと向き合うことが大切なのではなかろうか? -
久生十蘭の全集でしか読めなかった傑作長篇の初文庫化。南洋の報道班員の従軍小説。戦況をつぶさに記述、内地との往還。戦後70年記念企画。解説=川崎賢子。