- Amazon.co.jp ・本 (141ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309415826
感想・レビュー・書評
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タイトルの妙!
蹴りたい背中、推し燃ゆ、ウホッホ。
とにかく何の話?って感じではありますが
そういうことかっ!となります。
話も読みやすく、スラスラ読み進められる。母と子の会話の掛け合いが素晴らしい。詩的である。ただいかんせん、ナマモノである文学の賞味期限として、時代の変化による、若干の古さは否めない。しかし色褪せない部分として、自分自身の少年時代への懐古を味わえる作品でもあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1992年に49歳の若さで早逝した著者の、初期の代表作。
86年には根岸吉太郎監督によって映画化もされている(タイトルは同じ)。
私はその映画版が好きだ。
しかも、本作が一章を割いて紹介された『芥川賞を取らなかった名作たち』(佐伯一麦)も読んだから、なんとなく本作も「読んだつもり」になっていた。実際には今回初読。
手元にあるのは2017年に出た河出文庫版。道浦母都子による解説、与那覇恵子による解題が付されている。
離婚したばかりの中年女性と小学生の息子2人の生活を、軽快かつ繊細に、淡いユーモアと詩情の中に描き出した中編だ。
1983年の発表当時には、離婚や母子家庭といった題材を重苦しくなく描いたというだけで、かなり新鮮だったのだろう。
これは、約20年後の『猛スピードで母は』(長嶋有の芥川賞受賞作)に先駆けた作品だと思う。
もっとも、あの作品では本作とは逆に、小学生男子の視点から母子家庭が描かれるのだが……。
映画版では十朱幸代がヒロインを演じていた。当時40代半ばの十朱が演じたフリーライター像はリアルで、とてもよかった。が、原作を読んでみたら、主人公がライターという設定は映画独自のものだとわかった。
それはともかく……。
「解題」によれば、本作発表の前年、作家デビュー直後だった39歳の干刈あがたは離婚している。
当時、長男は11歳で次男は10歳。この作品には、離婚と息子たちとの新生活がそのまま反映されている。
《子供たちの言葉はほとんどつくらず、彼らの話した通りの再現を心掛けたと語っている》
《書き上げた時中学一年生になっていた長男に読んでもらい、彼の承諾を得て発表したという》(「解題」)
つまり、ほぼ私小説だったのである。
どうりで、主人公と息子たちの会話などに、ただならぬリアリティがあると思った。作り物感が絶無なのだ。
だからこそであろう、さしたる事件が起こらないごく普通の日常を、愛おしむように丁寧に描き出す文章が印象的だ。
たとえば――。
《枕元のスタンドの灯りを小さくした。次郎はつむった眼の睫の蔭から、母親が自分を見てくれているかどうかを、薄眼をあけて盗み見したらしく、見られていることを意識した微笑を口もとに浮かべていた》
かすかな表情、かわす言葉の端々などの日常のディテールが、どれも家族のかけがえのない時間であることが、このような文章から伝わってくる。
本書の解説で知ったことだが、干刈あがたという風変わりなペンネームは、「光よあがた(辺境)にも届け」との願いを込めたものだったという。
「あがた」とは、地理的な辺境(干刈の両親の故郷・奄美大島など)のみならず、「日常の片隅」の謂でもあるのではないか。
何気ない日常生活の片隅に潜む、幸せと大切なもの――それを描こうとしたのが、干刈あがたという作家なのだと思う。 -
シングルマザーとして離婚を受け止め、子どもたちに語りかけていた。E.T.が出てきてその時代だったか……となった。夫(父)と対立しすぎない感じが印象的だった。
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『ウホッホ探検隊』が初刊されたのが1984年。離婚する夫婦がまだ少なかった時代の作品です。今や離婚は珍しいものではなくなりました。とは言え、今も昔も母子家庭で子どもを育てていくことの大変さはあまり変わらないのではないでしょうか。船長を失った難破船のように不安だけしかないと思う。子どもがいなかったので(離婚が)随分楽だったと解説で道浦母都子さんの言葉、分かる気がします。子どもがいるから行く末が不安になる。でも逆に彼らに勇気をもらえることもある。いろんな生き方があってよいと思う。みんな幸せになってもらいたい。
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離婚した母と息子とのやりとりの物語。
母と子の会話が、ダラダラと総数117ページに書かれていてちょっと疲れた。
長男を『君』と表現し、次男を名前(次郎)で表現して、この区別はなんだっんだろう? -
離婚した家族の話。離婚した両親と子供の関係性がいい。お互いの接し方に悩みつつも、向き合う姿にほっこりした。
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2019.10.20
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文学
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福武文庫版で既読。