消滅世界 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
3.46
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本棚登録 : 649
レビュー : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309416212

作品紹介・あらすじ

「セックス」も「家族」も、世界から消える……日本の未来を予言と話題騒然! 芥川賞作家の集大成ともいうべき圧倒的衝撃作。

感想・レビュー・書評

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  • 夫婦は『家族』である。
    この文章には全く間違いがない。意味そのままだ。
    それはこの小説『消滅世界』の中でも同じだ。

    しかし、この小説で描かれる『夫婦』は、本当に『家族』なのだ、つまり、兄弟や親子のような『家族』なのだ。
    そのような『家族』の間柄では、当然「セックス」などはしない。なぜならこの小説に登場する夫婦は『家族』だからだ。
    夫婦間の性行為は『近親相姦』と呼ばれ忌み嫌われている、というよりはむしろ犯罪に近い。

    『子供』は、夫婦のそれぞれの精子と卵子を受精させ、予め受精された受精卵を子宮内に着床させて『子供』を『妊娠』する。
    この世界で暮らす夫婦の間には「恋愛感情」は無い。人々の恋をする対象は、『家族』以外の恋人やアニメのキャラクターなどだ。

    村田沙耶香はこうした我々が当たり前に持っている価値観をいとも簡単に壊してくれる。その世界はまるで、ドラえもんに登場するひみつ道具「もしもボックス」で作られた世界だ。

    「もしもボックス」とは、公衆電話ボックス型で、中に入って受話器を掛け、「もしも○○が××だったら?」のように話してベルが鳴れば、その通りになるというひみつ道具。

      「もしも、この世からセックスがなくなって、子供がみな人工授精で生まれる世界だったら?」

    という条件を入力して作られて出てきた世界がこの小説に描かれた世界。

    この『消滅世界』の世界で『普通』に暮らす『普通』の人達、その中で描かれる主人公の坂口雨音は若干この『普通』からは逸脱している。
    彼女の『夫婦』間の『近親相姦』によって生まれた子供だからだ。
    雨音は、自らの出自と母親に嫌悪を感じながらも、他者への『異常』とされる恋愛にのめり込んでいく。

    雨音もごく普通に『結婚』はする。
    雨音が参加した婚活パーティー「30代限定、スタンダード婚パーティー☆」の参加者条件が

    「30代限定、子供希望、共働き希望、家事・家計完全折半希望、都内マンション購入希望、年収400万円以上希望 ※家の中に互いの恋人を連れ込んでの性行為厳禁」

    との宣伝文句が、ある一点だけを除いて、あまりに今の日本の社会そのままで逆に可笑しい。
    マッチングが成立し、雨音が挙げた結婚式では新郎新婦とそのお互いの恋人の4人で記念撮影をする。もはや、完全に我々の理解の能力を超える。

    この物語は雨音とその夫・朔が実験都市・千葉へ移住するところからクライマックスを迎える。

    そこでは『家族』という概念もなくなり、千葉に住む住民全員が『家族』であり、そこで生まれる『子供』は、住民全員の『子供』なのだ。そして、男性も人工子宮を身体に移植し、男性が子供を産むための研究も進められている。

    そして千葉で暮らす雨音の『異常』は徐々に『正常』へと壊れていく・・・。

    自分はこの本を読みながら、最初は吐き気を催すほどの嫌悪感を抱いていたが、やがて、このような世界が本当にやってくるのではないか、あるいは、もう既に足を一歩踏み入れてしまっているのではないかと錯覚した。

    「この『消滅世界』の方が真実で、今、ここにある世界の方が虚構なのではないのか?」
    と何度も、本から顔を上げ、自分の周りと自分の認識に齟齬がないかを確認した回数は1、2回ではすまない。

    それほど、この小説を読んで感じたショックは筆舌に尽くしがたい。

    芥川賞を受賞した『コンビニ人間』やこの『消滅世界』のように村田沙耶香は我々の常識や価値観を完全に打ち壊す。
    その常識や価値観のぶっ壊しっぷりの激しさが「クレイジー沙耶香」と彼女が呼ばれる所以なのだろう。

    我々読者は、彼女の描く特異な世界に足を踏み入れ、今まで自分が何一つ疑わず、安心して立っているこの地面が、実は『ごくごく薄いただの氷の膜の上』にあるということを強制的に体験させられる。

    そう言えば、ドラえもんの「もしもボックス」は、実は『新しい世界』を作る道具なのではなく、この宇宙には本当に無数のパラレルワールドが存在していて、その中から使用者の入力した事柄が実現しているパラレルワールドを探し出し、その世界と今の世界を入れ替えるというのが本来の機能らしい。
     
    『消滅世界』で描写されているこの異常な世界も我々が生きているこの宇宙の中に無数に存在するパラレルワールドの一つなのだ。
    「クレイジー沙耶香」はそのようなパラレルワールドを覗き見る能力を持っていて、彼女はそのパラレルワールドの一つをすくい取って、そこに暮らす人々の生活や心情を丁寧に描写し、こちらの世界にいる我々にそっと見せてくれているだけなのかもしれない。

    「家族」とは?
    「結婚」とは?
    「生殖」とは?
    「男」とは?
    「女」とは?

    自分が思っている答えと村田沙耶香の出す答えは全く違っているのだろう。
    だからこそ、村田沙耶香の小説にこれほど惹かれるのだ。

  • 夫婦とは家族で、家族がセックスをすることは近親相姦で、じゃあ夫婦は、近親相姦ではないのか。
    不倫は気持ちが悪いと言うけれど、家族以外と性行為を行うという点においては、とても健全ではないか。
    そんな風に思えなくもない。いつからこんなに不倫をバッシングするようになった?結婚したらパートナー以外との性行為をはじめとする異性交流が禁止、あるいは制限されるということは、逆に社会性のある人間を苦しめるのではないか。

    こんなにもセックスを不潔としなくても、と思いはしたけれど、ある意味で、とてもいい「家族」の形なのかもしれない、と同時に思えてくる作品。
    (子どもについて語る時の主人公夫婦はなんだかとても気味悪かったけれど。)
    自立した人間が増えてくると、こういう世界、価値観が当然になってくるのはおかしくないかもしれない。
    ほとんど人工授精、というのはあくまで物語であって、現実にはぶっ飛んでいるけれど、でも、子どもがほしくないなら信頼できる人とルームシェアをして、一生結婚しないことや家族を持たないこと、というのは有り得るし、夫婦にそれぞれ恋人がいて、それを許容する形っていうのも、自立した人間が、安心できる場として家族を捉えているとしたら、いい形なんじゃないかな、とかね。

    そうなるといよいよルームシェアと結婚、ここでいう家族との違いがなんなのかよく分からなくなってくる。結婚はただの子どものための契約、なのか。
    主人公も混乱して、それでも家族であると言い聞かせる。でないと、自分の存在を保てないから。
    だからこそまだ見ぬ子どもという存在への期待がどんどん高まっていく。子どもはそんなに万能か?しかしこの世界で「家族であること」を証明するのは子どもの存在だ。

    でも。必ずしも出産に至らないかもしれない命だってあるし、出産に至っても、継続困難な命だってある。たとえどんなに健康でも、「寂しい」その感情を知らない子どもが大人になるということ。それは人間から大切なものを奪うことと同じこと。傷つくことも、傷つけることも感じなくなる、そんな世界。それは間違いなく、ディストピアだ。

    世界が、ここまでに陥ることはないかもしれない。
    ただ、読み終えてリアルだったのはやはり、家族というものの捉え方かもしれない。家族は性的な繋がりを持たないけれど、夫婦は持っている。でも、夫婦も家族だ。現在主流となっている恋愛結婚が、「異常」な時代が来るんだろうか。家族をつくるとは、家族になるとは、なんだ。

  • 100年前の人から見れば、今のきっと家族のあり方や性のあり方は信じられないと思う。人工授精なんて、想像もつかないと思う。だから、村田沙耶香さんのこの物語も決して突飛なことではないのかもしれない。村田沙耶香さんは常に物事に違和感を持って向き合ってるのがすごいと思う。

  • 第二次大戦で男性が徴兵された影響で人工授精制度が進化したパラレル日本。人間の大半は出産目的としては不要となったセックスをしなくなり、ヒト同志の恋愛は稀にあるものの、性欲はアニメや二次元のキャラクターとの疑似恋愛で解消されている。夫婦がセックスすることは「近親相姦」と呼ばれて忌避され、場合によっては犯罪に。

    そんな世界に生きる雨音(あまね)は、両親の昔ながらの「交尾」で生まれた子供。母親はそれが正しいことだと雨音を教育するが、それがバレると異端視され、雨音自身もそういう母を嫌っている。このお母さんがとてもイヤな感じだ。言ってることは現実には私たちの生きている世界で「正常」とされている内容だけれど、すでにそれが「異常」とされているこの小説の中の世界でなくても、ひたすらに自分の価値観を娘に押し付け呪いをかけるその姿勢そのものがただただ不快。正しいか否かは問題ではない。自分と異なる価値観を認めない自己中心さが嫌。

    近未来ディストピアという点では『殺人出産』と同ジャンルだけれど、あちらはルールが極端ながらもシンプルで明確だったのに対し、本作の世界では制度自体が過度期ということもあるだろうけど設定がちょっと中途半端だった印象。恋愛対象に二次元を含んだことで反って散らかってしまった気がする。もしくは、その設定だけを究めて、人間同士の恋愛や性交が一切なくなった世界にしてしまえばそれはそれで別作品としてアリだったかもと思うけれど。総じてディストピア度では『殺人出産』のインパクトと説得力のほうが上。

    タイトルの意味的には、恋愛、結婚、家族、等の概念のみならず羞恥や寂しさといった感情までが「消滅」していった世界、ということなのだろうけど、個人的には結局性欲は消滅してない点と、その性欲と恋愛の関係についてモヤモヤが残ってスッキリしなかった。配偶者は家族であるから性の対象にしない、してはいけない、というルールはわかるが、それ以外の人間とはとっかえひっかえ「恋愛」をする、しかしそこにほとんどの場合セックス及び肉体的接触が一切含まれていない、というのなら、恋愛とは何を指しているのかの定義が難しい気がした。もちろん恋愛=セックスではないけれど。

    実験都市となった千葉では子供はすべて人工受精児となり管理され社会で育てられ、恋愛や結婚制度は不要、家族制度は崩壊という近未来図が描かれているけれど、似たような未来予想図のSFなら何十年も前から多数存在しているので『楽園(エデン)システム』というネーミングも含めとくに目新しさはなかった。すべての子供が『子供ちゃん』大人は老若男女問わず『おかあさん』と呼ばれる世界の気持ち悪さは十二分に伝わったけれど。

    結局、ディストピアか否かは問題ではなく、ラストでは主人公の母親との関係の歪みのほうが大きな問題だった気がした。

  • 文庫で再読しました。
    村田作品は価値観がぐらぐらして再構築される感じがとても好きです。
    生きていくと、いつの間にか新しい価値観や状況の中にいて、この作品の「どの世界でも正常な私」に知らず知らずのうちに皆なっているのかも、と思います。
    子どもの頃はこんな電脳世界になっているなんて影も形も想像していなかったので、この作品のような世界にこれからならないとも限らないです。
    「命あるものはみんな化け物で、私も、ちゃんと、化け物だったの。」という台詞にはっとしました。
    「どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」というのは村田さんの作品の根底に流れているもののように感じました。
    村田さんの頭の中はいったいどうなっているのだろう…これからも追いかけます。

  • 頭おかしくなりそうだった。半日で読んでしまった。わかるけどこわいけどわかる。
    その世界の形に狂うのが正しいというか、正しいとはその通りに狂うということ、っていうのはよく思うこと。

  • 思考実験のために設定を積み上げていく、という姿勢には、やはり違和感を覚えてしまう。
    それも割と後出し設定が多い。
    また近未来的環境の中にいる人の一人称は、現代の我々のものの考え方とは根本的に異なっているのではないかと思うが、いちいち現代的考え方に対する言い訳めいたエクスキューズを記述する。
    このあたり、SFの話法としては説明的すぎる、から、SFの枠だけ借りてきた卑怯な純文学と、どうしても感じてしまうのだ。
    今回は、

    ・キャラに恋するのは当たり前。
    ・精通や初潮と同時に避妊器具を取り付ける。
    ・夫婦はゆくゆく人工授精をする契約であって、恋は外注する。だって家族でセックスるするなんて近親相姦だし。夫婦で交尾するとか気持ち悪い。
    ・そもそもセックスは男女ともに下火だ。
    ・恋する対象がヒトかキャラか、セックスをするかしないか、はその人による。
    ・千葉県の実験都市では、家族(ファミリー)システムに替わる楽園(エデン)システムが始まっているが、男性の人口出産実験は、なかなかうまく行かない。千葉では、すべての大人が「おかあさん」として「子供ちゃん」を育てる。

    くらいの設定が、順次繰り出され、話運びの推進力になっていく。やはり卑怯。
    もっとも卑怯なのは、全員がキャラに恋をする、でも、全員がセックスを忌避する、でもない、過渡期に設定していること。
    こんなん、なんでもありやん。

    しかし「殺人出産」を再読するあたりで気づいた。
    作者の強みは、終盤急速に急激にドライヴする、エロなんだかグロなんだかバイオレントなんだか、もはやわからない、awfulなんだかterribleなんだかhorribleなんだかな、エグみ、なのではないか、と。
    ここまで積み重ねてきた設定の後付けは、まるで終盤数ページのこのエグみのためだけ、というくらい、エグい。
    そして、よい。毒っけがある。この毒は、もちろん本書においても引き継がれている。
    「コンビニ人間」でもそうだが、「変容のエグさ」とも言える。

  • 生殖と性欲と結婚が完全に切り離された時、人間の愛はどうなるか?という極限を描いてみせるディストピア(たぶん)小説。
    夫婦は家族なのだから、夫婦間での性行為は近親相姦ではないか。初っ端で提示される、この発想が凄い。そんな訳ないだろうと脊髄反射したくなるが、反論しようと振り返ってみると、家族や性の明確な定義が自分の中にも実はそれほど明確に無いことを思い知らされる。
    その先はストーリーの展開とともに、では二次元への恋は?同性愛は?男性も妊娠可能なら、性とは?愛と生殖が結びつかないなら、「腹を痛めた」子への愛とは?と次々に思考実験を迫られる。
    全体を通じて繰り返されているのは、「正常」「清潔」というキーワード。主人公は旧来の、つまり愛と性と生殖を結びつけた思想を持つ母親に育てられ、母親の影響と社会の「正常」な感覚を併せ持つ人物として描かれる。そこから主人公の生きていく世界はどんどん正常/清潔さを増し、主人公もまた違和感を覚えつつ適応していく。その様子はオーウェルの『1984年』のようだ。
    「正常/清潔」を求める社会が排除するのは「異常/不潔」だ。文中で「不潔」という語そのものはほとんど登場しない。しかし描写される。性行為についての「あんな汚いこと(p50)」という級友の評価や、性を超越して愛し合っていたはずの夫婦に、生物としての不潔さへの嫌悪感が生まれる場面(p229)等。母親への視線に終始含まれている嫌悪感も、裏に不潔さがある。
    「異常」の語は、一度だけ印象的に使われる。テキスト検索した訳ではないので、多分だが。「どの世界でも、私は薄気味悪いくらいに正常だった。それこそが、異常なのではないかと思うほどに(p225)」小説後半では「正常」であることのおぞましさが繰り返し強調される。
    では現実において、我々が異常/不潔と感じているものは何だろうか?

  • コンビニ人間を凌ぐぶっ飛びぶり。
    なのに、コンビニやスタバ、レストランや仕事など、暮らしぶりは現代のままなのが可笑しい。
    千葉県がピンポイントで実験都市の設定になっているのが笑える。

  • 私は子どもを望まない。介護には必要かもな、と思ったことがあるくらいだ。価値観は変わっていく。SNSのやり取りは平安時代のひとからみたら、趣がなく、つまらないものなんだろう。なんとも気持ちの悪い読了感であったが、こういう世界が来る日も近いのかもしれない。はじめての村田作品。これからお気に入りになるでしょう。

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著者プロフィール

村田沙耶香(むらた さやか)
1979年、千葉県印西市生まれ。二松學舍大学附属柏高等学校、玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。
2003年『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞を受賞しデビュー作となる。2009年『ギンイロノウタ』で第22回三島由紀夫賞候補及び、第31回野間文芸新人賞受賞。2010年『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補。2012年『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補。2013年、しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。2014年『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。2016年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。
2018年8月末、『地球星人』を刊行。

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