八本脚の蝶 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
4.11
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本棚登録 : 397
レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309417332

感想・レビュー・書評

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  • 骨くらい折っていいのにその指で本の頁を捲る手つきで
     二階堂奥歯

     2003年ころインターネット上で注目を集めたサイト「八本脚の蝶」が、文庫本になった。25歳で自ら死を選んだ女性編集者の、約2年の日記である。

     1977年生まれ。国書刊行会を経て、毎日新聞社で書籍の編集にあたっていた。たいへんな読者家で、作家たちからも、その知性あふれる会話で一目置かれていたという。

     膨大な読書量は、日記に引用された古今東西の書物からもうかがえる。思想書はじめ、幻想文学、詩集、聖書、さらに漫画や性風俗雑誌のバックナンバーまで、幅が広い。引用部分を読むだけでも、彼女の読書への愛、知への渇望を追うことができる。

     加えて、独自の審美眼が披露されているのが、詳細な購買の記録である。具体的な店名も挙げながら、お気に入りのファッションブランドの衣類、香水、話題のコスメグッズなど、買ったものが列挙されている。「物欲乙女」を自称したくだりもあるほどだ。

     けれども、知性と美意識を備えたこの若い女性には、「物欲」では決して満たされない精神的な領域があったのだろう。

     その満たされない何かに、もしも少しだけ触れようとするのなら、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」が5回引用された点に着目することもできそうだ。労働哲学や人生論を書き残しつつ、30代で亡くなったシモーヌ。両者の魂の距離は、近い。
    (2020年3月8日掲載)

  • web上に今も残るブログ「八本脚の蝶」(http://oquba.world.coocan.jp/)しかしその著者の二階堂奥歯はもうこの世界には存在しない。2003年4月26日、彼女は25歳で自ら命を絶った。早稲田大学卒業後、国書刊行会に入社、2000年の『山尾悠子作品集成』出版記念パーティーでは新人編集者として異例のスピーチ、のち毎日新聞社の書籍出版部へ転職。本書にも追悼文を寄稿されているそうそうたる面々の担当をしていた。本好きなら誰しも羨むような経歴の持ち主。

    亡くなった人の日記、というので、最初は『アンネの日記』のような印象を受けた。彼女が今も生きていたらどれほど意義のある文章を紡ぎだしていたことだろうと、惜しむ気持ち。しかしアンネと違い、彼女は自由に行動ができ、自ら死を選び取った。

    序盤は正直、20代前半でこれほどの膨大な本を読み、博識で明晰な彼女の言葉に感心すると同時に、どうやらかなり裕福そうな家庭、これだけの読書量とサブカル的趣味にもかかわらず彼氏もいてコスメや香水が好きでオシャレも大好き、ハイブランドでガンガン散財、という彼女の日常生活に対して、「なんだただのリア充か」という浅はかな嫉妬も感じました。変な言い方だけど、自殺した読書好きの女の子というだけで、外見コンプレックスやコミュ障、いじめ、不幸な生い立ちなどテンプレな何かを勝手に期待していたのかもしれない自分が浅ましい。

    しかし読み進めるうちに、どんどん彼女の入り組んだ内面に引き込まれていってしまった。これほど鋭い感受性では生き難かろうと思う反面、これほどの才能があれば何でもできただろうに、というアンビバレンツ。本当に辛かったことはブログには書かれていなかったのかもしれない。彼女はいつも自分をひとつの物語として読み解こうとし、物語の外へ出たがっていたように思う。内側と外側がくるりと裏返ってしまうような世界へ。

    そして2002年11月6日の日記にある一文が、彼女の内心の葛藤をとても簡潔に言い表していると思う。以下フレーズにも登録したけれど引用します。

    私はフェミニストでありかつマゾヒストである。
    フェアネスを求める私が、残酷さを愛するということ、この事態は許容されうるのか、私はそれをどう受け止めればいいのか、これは私にとって重要な問題である。
    女性を抑圧し支配し利用する言説と制度に反対しながら、責め苛まれ所有され支配され犯され嬲られ殺される女性の状態を愛することは、許されるのだろうか。

    舌鋒鋭くフェミニズムについて語る文章は頻繁にみられる。その一つ一つにウンウンと力強く頷き、現代でこそSNSなどを通じて広まってきているジェンダー問題を、2000年代初頭にこの若さでこれほど鋭く分析した女性があっただろうかと本当に感心する。そして彼女は他者の侵入をあくまで拒むことの象徴として貞操帯を愛し、子供を絶対に産まないと決意している。ふいに『悲しみのミルク』という映画を思い出した(https://booklog.jp/item/1/B007BFMX9I)。バルガス・リョサの姪にあたるクラウディア・リョサが監督した映画で、主人公は自分を守るために膣にジャガイモを常に詰めているのだ。彼女がこの映画を見たらどんな感想を聞けただろう。

    しかし同時に彼女は自分をマゾヒストであるという。殉教した聖女たちについての本を読み漁り、けして信仰からではなくキリスト教の本も読みながら『O嬢の物語』を愛読する彼女は、それほどまでの自己犠牲や苦痛をものともせず自分を捧げつくせる相手をみつけ奉仕したいという願望を根底に持ち続けていたのだろう。まあそんなことは私が分析しなくてもきちんと書かれているのだからいいや。

    膨大な引用、それらの本についての書評、日常生活、しかしどんどんコスメやファッションの話は減り、終盤はほとんど引用(書物からだけではなく、彼女の信頼していた雪雪さんという人物や恋人のメールからも)で埋め尽くされ、自身の言葉は語られなくなっていく。精神的な不安定さ、パワハラ的な言葉、彼女を追いこんだものが何だったのか想像するのは無粋かもしれない。生きていて欲しかったけれど、この感受性を保ったままでは生きられなかっただろうとも思う。

    余談ながら、2002年11月2日の日記に、黒百合姉妹のライブに行ったことが書かれている。その頃私もよく黒百合姉妹は見に行っていたから自分の日記を調べたらやはり、同じライブに私も行っていた。吉祥寺のSTAR PINE'S CAFE。あの洞窟のようなライブハウス、あの日同じ空間で、彼女と私も同じ音楽を聴いていたのか、と思うと不思議な気持ちがした。二階堂奥歯は実在していたのだ、と急にリアリティを感じた。

    比べるのもおこがましいけれど、結局、愚かで鈍感な私のような者は彼女の二倍近い時間を生き続け、賢く敏感であったがゆえに彼女は死なねばならなかった。もちろん生き永らえたからといって私が傷つかず楽々と生きてきたわけではない。ああでも、ここまで生きたらもっと楽になれたんだよ、と声をかけてあげたい気もする。

    2001年6月19日の日記で、ある編集者の自死について彼女はこう書いている。

    事情はまったくわからないのだけど、辛いからなどではなくて、「気が済んだ」から死んだのだといいなと思う。死ぬ瞬間幸福に飛べたならよいのだけれど。

    ※収録
    日記(2001/6/13~2003/4/26)
    記憶――あの日、彼女と
    空耳のこんにちは(雪雪)/教室の二階堂奥歯(鹿島徹)/エディトリアル・ワーカーとして(東雅夫)/2002年の夏衣(佐藤弓生)/六本脚の蝶から(津原泰水)/夏のなかの夏(西崎憲)/奥歯さんのこと(穂村弘)/主体と客体の狭間(高原英理)/最後の仕事(中野翠)/二階堂さんの思ひ出に添へて(高遠弘美)/夜曲(松本楽志)/ポッピンアイの祈り(石神茉莉)/旅(吉住哲)
    『幻想文学』二階堂奥歯ブックレビュー
    解説:穂村弘

  • 凄まじい読書量。書痴とはこういう方のことをいうのか。

    コスメオタとして生きている私には、この時代にすでに「イエベ 」「ブルベ」の概念があることに驚いた。でも、それは著者が特に美意識の高い人だというだけかもしれないな。

  • 本文(日記部分)を読んだ印象は、「社会的感覚異端者の哲学思考とその敗北」というものだった。
    しかしその後の、関係者による回顧録を読むに至って、あれ?なんか普通以上に社会生活出来てんじゃん?と感じ、なんだかよくわからなくなった。周りから結構愛されてますよ、あなた。なんでそんなに追い詰められてしまったのですか?
    子供の頃から頭が良すぎて、脳が金属疲労を起こしてしまったのかな。読み進めるにしたがって、日記からは切実な悲鳴が聞こえてくる。しかし僕にはそこに共感は起きなかった。思考の次元が違いすぎてるからかな。同じ社会的感覚異端者ではあると感じているのですが。
    有能な人だったのだろうと思う。周りに何かを残すこともできたのだろうと思う。でもやっぱり、これは著者の敗北の記録でしかないと思う。
    雪雪さんの存在が不可思議で仕方なかった。
    「八本脚の蝶」というタイトルは素敵です。

  • 祝文庫化。ハードカバーが出た時はタイトルに惹かれつつなんとなく見送った。古書価が高騰していたとは知らなかった。
    ハードカバーはポプラ社だったのね。なぜ文庫版は河出書房新社なんだろう。

    概要は文庫版が出てようやくチェックして知ったくらいだから、色々衝撃的だった。まずWEB上の日記が本になっているという事実。今もサイトは残っているのだからオリジナルは読めるのに、こうしてまとめられて本になっていると、ある種異様な存在感を覚えてしまう。印税は遺族にいくのかなとか、出版社の枠はURLより硬く苦しい気がするなとか、読んでいてちょっと後ろめたい気持ちもある。日記の主が自分と同じ時代に実在しただけになおさら。
    総じて、純粋で、真剣に生きていた人だったんだなという認識。豊かな感受性、指向性の精神と行動力がうかがえる趣味嗜好、「物欲乙女」の足跡と読書遍歴が眩しく、魂の悲哀は高く澄んで明るい。当人を知らない身からすると、一番近い感慨は中野翠のそれなのだけど。
    目を閉じるということが下手な人だったのかもしれない。自分が自分を見る目さえ、悪意ある人に歪められたものかもしれないのに。

    「記憶――あの日、彼女と」と合わせるとまた別の面白さがある。彼らが会って読んだ生身の著者。回顧録よりむしろ怪談のような。日記ではまるで風景の中に著者ひとりがぽつんといるような感じだったのが、実際には恋人との(もしかしたら賑やかな)道行きだったとわかったり。

  • 二階堂奥歯さんの亡くなる直前まで書かれた2年間の日記と彼女と関わりがあった人達13人による文章を掲載。日記を読んでいて彼女の趣味趣向が私と重なる部分が多くて親近感を覚えました。また彼女が紡ぎ出す言葉の数々は私の奥深いところまで刺し貫いて、激しく共振するよう。奥歯さんの圧倒的な知識と読書量、感性の鋭さ、豊かさには目を瞠るばかりです。日記は2003年4月になってから彼女の悲痛な叫びが書き込まれ、書物からの引用のみの内容が続いたり、身近な人達の言葉も記され、今にもバラバラに砕けそうな自己を、あらゆる「言葉」で保ち、ぎりぎりなところで生に繋ぎ止めていたその有様には只胸が痛むばかりです。それと同時に言葉が持つ力の限界さ、脆弱さに、無力感をまざまざと突き付けられて打ちのめされたような気分です。もっと奥歯さんが綴る言葉を読みたかったし、彼女の深い思索を辿りたかった。編集者として携わった本を読みたかった。それが叶わないのがとても寂しいです。

  • 彼女を通して読者は今までに観たことのない様々な宇宙に出会うだろう。その宇宙は膨張し続け、彼女の肉体を破ってしまった。しかし精神はここに生きている。蔵書することは彼女を人形として愛でることに近いかもしれない。彼女はそれを赦さないかな。1年に365冊以上という読量への嫉妬。生きていたら、という想いはぬぐい切れないが、ここに蔵書として彼女は冷凍保存された。

    Gregory Crewdson 『TWILITE』

    「「居ろ」
    って言ってもらった。
    私が、この世界に、いろ、って言ってもらった。
    「生きていていいんだよ」にはすりぬける隙間があって、生きていてもいいがそれは特別生きていたほうがよいというわけではなく、死んでも構わないという風にも受け取れる。少なくとも私はそう受け取ってしまう。
    とにかく私にとって自分の存在価値はないのだ。
    「居ろ」
    って言ってもらった」


    「どうか眠っているあいだに私が死にますように」

    「どんな専制君主でも、自殺を思い定めた名もない男が享受するほどの権力を、かつて手中にしたことはあるまい。」

    「私が語り得ることはすなわち、あなたに伝わり得るかもしれないことのみである。読む者としてのあなたの限界が、書物としての私の限界である」

    「他の〈私〉は、あるいは他の〈魂〉は、それを主題化し、ポジティブに語ろうとすると、そのとたんに他の〈人〉に、あるいは他の〈心〉に、すなわち隣人を持つものの隣人に変質してしまうのだ。(中略)
    それゆえ、他者に対する態度が、すなわち他の〈魂〉に対する態度がもし可能だとすれば、それはいわば独我論的な態度でなければならないことになる。それは、けっして出会うことのできないものに対する、〈私〉の世界にはけっして登場してこないものに対する、つまりはそれに向かって態度をとることができないものに対する、愛や同情や理解を越えた態度でなければなければならないのだ」

    「時々ふと存在していることに気づく。
    存在している。そこ主語は、あえて言えば「世界」であり「私」になるのだろうけれども、それは大した問題ではない。ここで直面しているのは、ひらけ、存在している、という状態なのだ。
    そのような状態に対し、覚えてしまうよろこびがある。
    本来、肯定も否定もできず、良いものでも悪いものでもありえない「あること」にたいしてとってしまうあり方がある。
    そのようなあり方を、祈りと呼ぶことはあたっているだろうか」

    「この姿でいることが、わたしの、ご主人さまへの愛の証だから。手足を切断されたときも、歯を全部抜かれたときもうれしかったけど…。瞼を縫い閉じられたときも、すごくうれしかった。ご主人さまの望む姿になることが。ご主人さまに快楽を与える以外何もできない無力な道具になることが」

    「もちろん、わたしだって人は想像のゲームを卒業していくものだということは知っていたわ。友達の中にも、そうなってしまった子もいたし。でもわたしは、自分はそうじゃないんだ、わたしにはそんなことはぜったいに起こらないんだって確信していたの。でも、その夜初めて、わたしだってちがわないのかもしれないと思いはじめたのよ。そこから逃れることなどできないのかもしれないって。ベッドに横たわったまま、大人たちは心を満たすためにいったい何をみつけたのだろうって考えていたことを覚えているわ。わたしにとっては大人が気にかけることなんてすべて退屈なことに思えたの。大人は自分を幸せにするためにいったい何を考えるのかしら、って。
     そのとき、わたしはものすごく恐ろしい、痛いほどの寂しさに襲われたの。もしこれが大人になるということなのだったら、大人になんてなりたくない、そう思ったわ」(トリイ・ヘイデン『機械じかけの猫』)

    飯田茂美『世界は蜜でみたされる一行物語集』

    すずめが とぶ
    いちじるしい あやうさ

    はれわたる
    この あさの あやうさ

    (八木重吉『朝のあやうさ』)


    ポール・デルヴォー作『こだま(Nostalgic Echo)』

    あのひとのほほゑみは やはらかく気高くて
    古い象牙の輝くやうで
    故郷を慕ふ心のやうで、暗い村の一
    クリスマスに降る雪のやうで、
    真珠ばかりに取り巻かれてるるトルコ玉のやうで
    助きな本を照らしてるる
    月の光のやうだつた
    (リルケ)


    あなたにお目にかかりたくて
    私は死にたくてたまらない

    われらが夢の中で経験することは、それをしばしばくりかえすかぎり、結局は「現実の」体験と同様に、われらの霊魂の全財産の
    一部分である。われらは夢によって、富みもし貧しくもなり、望みを増し減じ、ついには白昼にわれらの精神が醒めてもっとも明るい時にも、いくらかは夢の慣わしによって導かれる。(ニーチェ『善悪の彼岸』新潮文庫)


    泣いているのは世界が美しいからです。
    世界が美しいのは、失われたからです。
    とても綺麗です。どうか、この一瞬にすべてが消えますように。

    「あなたの中に、大きな欠落と同時に、つまり、
    それ故に、はげしい渇きがある。欠落を何かで満
    たしたいという、 その渇きを、大事になきい。一
    直線の線のように、渇きをずっと遠く、眼に見え
    ないところまで、 伸してごらんなさい。あなたの
    渇きの彼方に、神というものを置いてみるのです。
    遇きの無限の延長線上に、神の存在があるのです。
    おわかりでしょう。渇きを満たすのは、神だけで
    あり、あなたが渇望するからこそ、神というもの
    は存在するのです」

    久落から一直線に彼方無に向かう「求め」。 高橋た
    か子は充たきれたかったのだろう。しかしその
    「求め」自身は充たされることを求めてはいなか
    「ったのではないか。充たされるこことなくどこまで
    も彼方へ向かうはずだった「求め」たち。
    高橋たか子が、自分が求めていたものとして「イー
    ェス·キリスト」と出会ったとき、尋めゆく者が
    1人失われた。
    そして神がみはいった。「つぎに、尋めゆく者
    を創ることにしよう。いくら尋めゆくとも、神が
    みの創造にかかわる秘密をついに解きあかせずに
    ほろんでしまう者を」 (中略)
    人間は大空を仰ぎ見るときに、自分以外にも尋
    めゆく者があり、自分とおなじようにむなしい探
    索をつづけている者がある、ということを知る。



    古本屋帰りの小汚くておいしい中華料理屋で、買ったばかりの「接助」を読みながらごはんを食べていたら、文学部の教員のような雰囲気の四0歳くらいの男性が相席で向かいに座った。その時、私の視野をちらつと小さな光がよぎったのでその人をそれとなく見てみると、唇の端にラメが一粒ついている。
    うれしさのあまり、「あなたは、ついさっきまでキスをしていたんですね」と思わず話しかけようかと思ってしまった。「だって、唇にラメがついていますよ」。
    ああいいなあ。キスをしたばかりの人が偶然私の前に座るなんて素敵だ。
    (二階堂奥歯著『八本脚の蝶』より)


    「自分の吐く白い息、思い出した。楽しかった。転んで水に手をついたまま、はあはあいうのも楽しかった。そうだ。俺たちは、俺は、つるつるでごーふるだったんだ、最初から。そして、 そしてホチキスの..。」私は言葉を切って、深呼吸した。こわかったのだ。
    「そしてホチキスの針の最初のひとつのように、自由に、無意味に、震えながら、光りながら、ゴミみたいに、飛ぶのよ。」と、女は笑った。
    私も、笑った。笑うより他なかったのだ。
    (穂村弘『シンジケート』)


    「二階堂さんがどんな顔なのか知りたいんだけど、触ってもいい?」
    白い杖を持ち替えて伸ばされた手に手を添えて導くと、その指はそれまで誰もしなかった仕方で私を読んだ。
    これが私の形。
    うすい表皮で外界と隔たれているその輪郭を外側から指先は知り、内側から私は知った。

    切り傷ができると、そこから自分の身体がめくれあがっていくところを想像してしまう。そうすれば今度は輪郭のこちら側が内側になるだろう。
    私は世界を内に閉じ込めるために自分をくるりと裏返すのだ。

    愛撫や探索ではなく、知覚の手。あるいは創造の。その手に観測されて初めて私は存在するのだ。
    そのてのひらが加える圧力のままに私の身体はしなり、その手が描く輪郭を内側からなぞって私は瞬間ごとに現れるのです。

    だけどどうして物語って世界が一気に壊れてしまうのかな。今日の後の明日って突然に壊れてしまうのかな。現実にはそんなことはない。現実はもっとひどい。世界は少しずつ、少しずつ壊れていくのに。みんなが一生懸命生きて、支えているのに一ミリ一ミリ数えるみたいに落ちていくのに。きっとみんな怖いのよ。怖すぎて物語にできないのよ。世界が完全に壊れきるまで一つ一つ何かを失って、それでも生き続けなければならないなんて。やりきれない。

    「シアワセ こんなシアワセでいいのかしら?」
    「不安?」
    「ううん全然シアワセなんて当然じゃない?お母さんが良く言ってたわ シアワセじゃなきゃ死んだ方がましだって」
    これには続きがある。
    「お母さんは?」
    「……そのとおりに死んだわ」
    そしてユミちゃんは首つりでぐちゃぐちゃになったお母さんはちょうどこのレアステーキみたいだったと言いながらおいしいおいしいと食べるのでした。

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  • 「これまでに一番多く読み返している本は?」
    と聞かれたら、この本です、と答える。
    タイトルとペンネームの独特なセンスに惹かれて内容は一切知らずに買ったこの本。
    二階堂奥歯、というある出版社の編集者だった彼女のウェブ上の日記を書籍化したのがこの本。
    今回絶版となった単行本が文庫化され発売される、と知り、単行本も持っているのに買ってしまった。
    おまけに彼女のそのサイトはいまだにウェブ上に存在していて、本の内容そのまま読む事ができるのにもかかわらず。

    フェミニズムとマゾヒズムという、相反するものを自分の中に抱えてて、それにどう折り合いをつけていくのか。
    自分というものを丸ごと明け渡したい。
    でも身勝手な女性性を押し付けられる事に対しては怒りを覚え抵抗する。
    文庫本の帯に歌人の穂村弘の言葉があった。
    「今こそ彼女の言葉が必要なのに」
    私も本当にそう思う。
    生きていれば彼女は40代になっていて、その年代になったからこその彼女の言葉を聞きたかった。
    もしかしたら若さゆえの苦悩から解放されて、本の中の研ぎ澄まされた彼女ではなくなっているのかも知れないけれど、それでも。




  • 八本脚の蝶(河出文庫に12-1)
    著作者:二階堂奥歯
    河出書房新社
    2003年4月 26歳の誕生日を目の前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は現在も存続する。
    タイムライン
    https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

  • 文庫化。
    ポプラ社版の単行本(復刊)を持っているので再読。
    Webで公開されていた日記と、交流があった人物の追悼文、そして『幻想文学』に掲載された書評を収録。
    基本的には単行本版と変わりないが、この膨大な日記を読むと圧倒されるものがある。結末を知っているだけに……。

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著者プロフィール

1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は現在も存続している。

「2020年 『八本脚の蝶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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