八本脚の蝶 (河出文庫 に 12-1)

著者 :
  • 河出書房新社
4.14
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本棚登録 : 1352
感想 : 75
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  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309417332

感想・レビュー・書評

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  • 死にたくなくて、生きることにしがみつく人と、生きていたくなくて、常に死に向かう人と、
    そのどちらでもなく、自然に生きていられる人と、その間には、どんな違いがあるんだろう?
    その三者は、本当のところは、全くお互いのことを理解できないのではないだろうか。
    根本から違うのだから、それはもう世の中は行きづらい。

    多様性という耳障りの良い言葉がはびこるようになったが、各々の生きることに対する姿勢には、この国は特に、全くと言ってほど多様性の容認がないように思う。

    生きたい人の命を奪ったり(戦争や殺人も)、死にたい人を何が何でも生かせようとしたりする(安楽死に反対したり…)のはやめてほしい。

    個人的に、彼女の好きな世界観や書物、物欲などに全く興味が重なるところがなく、かなり読み飛ばしてしまった。そのせいもあるのかも知れないが、結局彼女がどうして死にたかったのか、実際に何にそんなに苦しんでいたのか、わからなかった。人の心なんてわかるはずもないのだけれど、彼女の心を垣間見れるかもしれない、日記という形に惹かれて読んだ。

    『ここは、多分ある意味ある角度から見れば、既に楽園なのだ』という奥歯さんの言葉が気にかかった。

    雪雪さんの言葉
    正面から雄雄しく戦ってはならない。負けろ。
    あなたはどうしてそんなに、嘘をつくのが下手なんだろう。じぶんのの魂に誠実であってはならない。魂を売り渡して生きろ。醜くだ。逃げ道はある。

  • 二十五歳の若さで命を絶った女性編集者、二階堂奥歯。
    亡くなる直前まで書かれた約二年間の日記と、生前親しかった十三人の文章を収録。


    二十五歳で投身自殺をした女性編集者・二階堂奥歯さんが、編集者として働きながら自身のウェブサイト『八本脚の蝶』上で公開していた日記と、彼女を知る方たちの追悼文が収録された本です。

    序盤は、本と美を愛する女性の日記という感じ。様々の本の書評に、ファッション、コスメ、香水に美術。人形や映画、旅行、サブカルチャー。すべての美しいものと、人間や人間の作り出す文化を愛しているような印象で、生き生きしていています。
    正直、序盤を読んでいる段階では自殺した女性の日記だという事を忘れていました。中盤以降になって、だんだんと内面描写や本からの引用文が多くなり、アンバランスで不安定な精神状態があらわになるにつれ、作者の最期を思い出し愕然としました。そうか、この方亡くなったのか。

    文章力があるが故、終盤の日記は追い詰められた切実な泣き声にも、世界のすべてを恐怖する悲鳴にも見えてくる。
    怖がりだ、痛がりだ、と自分でも言っているように、周囲の物すべてが怖くて、痛くて、でもそれを受け流すことがどうしてもできなくて、まともに受け取りすぎて疲弊してしまったのかな。あくまで私感ですが、そんな印象を受けました。本当の所は、本人だけが知っていてもうわからないことだけど。

  • なぜ忘れていたんだろう。
    この本を持っていた。
    黒いハードカバーの単行本だったと思う。
    そうか……あっちは絶版になってしまったか。
    なぜ買ったのか。
    いつもの自分なら手に取るようなたぐいのものではないはずなのに。
    タイトルにも惹かれた。
    ペンネームにも惹かれた。
    でも、そうだ。あの手書きのポップ。
    「わたしが書店員であり続ける限り、この本を売り続けます」
    気合のこもった、使命感すら感じられる内容の言葉に押された。
    その本屋に行くたび、まだ売られているかが気になってパラパラと読み、置いてあるのを見つけるたびにホッとして、それを何度か繰り返したのちに保護するような妙な気持でレジに持って行った。
    押してくれてありがとう。
    でも重い。
    私は、現実の重さに耐えられそうにないからフィクションばかりを好むのかなぁ。

  • 【書評】 『八本脚の蝶』 二階堂奥歯 | キリスト新聞社ホームページ
    http://www.kirishin.com/book/46167/

    伝説の編集者・二階堂奥歯はなぜ25歳でこの世を去ったのか? 『八本脚の蝶』復刊に寄せて|Real Sound|リアルサウンド ブック
    https://realsound.jp/book/2020/03/post-519014.html

    二階堂奥歯 八本脚の蝶
    http://oquba.world.coocan.jp/
    ※泣くことも出来ず、、、

    八本脚の蝶 :二階堂 奥歯|河出書房新社
    http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309417332/

    • kurumicookiesさん
      眠りを妨げるくらいの本があるということが幸せです^ ^
      ただ、確かにそれは悩ましい問題です 笑
      眠りを妨げるくらいの本があるということが幸せです^ ^
      ただ、確かにそれは悩ましい問題です 笑
      2020/11/17
    • りまのさん
      にゃんこまるさん

      2021.8.3 この本買いました。
      思っていたよりも、分厚かったです。601ページもあるの。
      無事読了できるかしらん。...
      にゃんこまるさん

      2021.8.3 この本買いました。
      思っていたよりも、分厚かったです。601ページもあるの。
      無事読了できるかしらん。積ん読本が、たくさんあるの。ゆっくり読みます、、、
      2021/08/03
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      りまのさん
      猫も積読中、、、夏季休暇中には読みたいなぁ〜
      りまのさん
      猫も積読中、、、夏季休暇中には読みたいなぁ〜
      2021/08/04
  • 骨くらい折っていいのにその指で本の頁を捲る手つきで
     二階堂奥歯

     2003年ころインターネット上で注目を集めたサイト「八本脚の蝶」が、文庫本になった。25歳で自ら死を選んだ女性編集者の、約2年の日記である。

     1977年生まれ。国書刊行会を経て、毎日新聞社で書籍の編集にあたっていた。たいへんな読者家で、作家たちからも、その知性あふれる会話で一目置かれていたという。

     膨大な読書量は、日記に引用された古今東西の書物からもうかがえる。思想書はじめ、幻想文学、詩集、聖書、さらに漫画や性風俗雑誌のバックナンバーまで、幅が広い。引用部分を読むだけでも、彼女の読書への愛、知への渇望を追うことができる。

     加えて、独自の審美眼が披露されているのが、詳細な購買の記録である。具体的な店名も挙げながら、お気に入りのファッションブランドの衣類、香水、話題のコスメグッズなど、買ったものが列挙されている。「物欲乙女」を自称したくだりもあるほどだ。

     けれども、知性と美意識を備えたこの若い女性には、「物欲」では決して満たされない精神的な領域があったのだろう。

     その満たされない何かに、もしも少しだけ触れようとするのなら、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」が5回引用された点に着目することもできそうだ。労働哲学や人生論を書き残しつつ、30代で亡くなったシモーヌ。両者の魂の距離は、近い。
    (2020年3月8日掲載)

  • 宮澤賢治さん祭り開催中の私ですが、その感想の中で毎回出てくる教授が何故かこれもお勧めして下さったので、与えられる物は何でも美味しく頂いてしまう私は二つ返事で拝読。
    結果、睡眠改善中だと言うのにまた夜中まで読んでしまいました。この責任は教授にとって貰おうと思います。

    それ程に文章能力に長けている奥歯さんの赤裸々な日記。
    始めの方は好きなコスメやファッション、幻想小説や哲学の話等、好きな物に対する情熱を知的な文章にウィット感を添えて書き綴ってらっしゃったのですが。
    後半、それらはなりを潜めてしまい、見ているこちらが苦しくなってしまう程の、魂の救済を求める文章へ…。

    日記と言うよりは詩集と言っても過言では無い完成度の高さ故に、彼女の苦しみがなだれ込んで来ます。
    精神的に疲れていらっしゃる方はかなりやられてしまうかも知れません。(実際にそういう警告はされました)

    頭が良すぎる方や哲学を極めようとする方は、常人の何倍も物事を深く考えてしまい、疲れて限界を迎えてしまうのかも知れません。
    第三者から見た奥歯さんはどちらかと言えば普段は縦ノリのきゃぴきゃぴした女の子に見えていたそうで、それを思うと一見悩みの無さそうな人も本当は凄く耐え忍んでいるのかもと考えてしまいそうです。

    実際に前にバイト先でお世話になった方の姪っ子さんが21才で突然自死を選んでしまった事があり、とてもそんな事を考えていたようには見えない明るい方だったようです。

    教授はこの日記を耽美と表現されていて、何故?と不思議だったのですが、読んでみるとなるほど、奥歯さんの嗜好と考え方、文体など総合して非常に耽美な読み物でした。

    また死生観について向き合う事になりそうです。
    奥歯さんのご冥福をお祈りいたします。

  • web上に今も残るブログ「八本脚の蝶」(http://oquba.world.coocan.jp/)しかしその著者の二階堂奥歯はもうこの世界には存在しない。2003年4月26日、彼女は25歳で自ら命を絶った。早稲田大学卒業後、国書刊行会に入社、2000年の『山尾悠子作品集成』出版記念パーティーでは新人編集者として異例のスピーチ、のち毎日新聞社の書籍出版部へ転職。本書にも追悼文を寄稿されているそうそうたる面々の担当をしていた。本好きなら誰しも羨むような経歴の持ち主。

    亡くなった人の日記、というので、最初は『アンネの日記』のような印象を受けた。彼女が今も生きていたらどれほど意義のある文章を紡ぎだしていたことだろうと、惜しむ気持ち。しかしアンネと違い、彼女は自由に行動ができ、自ら死を選び取った。

    序盤は正直、20代前半でこれほどの膨大な本を読み、博識で明晰な彼女の言葉に感心すると同時に、どうやらかなり裕福そうな家庭、これだけの読書量とサブカル的趣味にもかかわらず彼氏もいてコスメや香水が好きでオシャレも大好き、ハイブランドでガンガン散財、という彼女の日常生活に対して、「なんだただのリア充か」という浅はかな嫉妬も感じました。変な言い方だけど、自殺した読書好きの女の子というだけで、外見コンプレックスやコミュ障、いじめ、不幸な生い立ちなどテンプレな何かを勝手に期待していたのかもしれない自分が浅ましい。

    しかし読み進めるうちに、どんどん彼女の入り組んだ内面に引き込まれていってしまった。これほど鋭い感受性では生き難かろうと思う反面、これほどの才能があれば何でもできただろうに、というアンビバレンツ。本当に辛かったことはブログには書かれていなかったのかもしれない。彼女はいつも自分をひとつの物語として読み解こうとし、物語の外へ出たがっていたように思う。内側と外側がくるりと裏返ってしまうような世界へ。

    そして2002年11月6日の日記にある一文が、彼女の内心の葛藤をとても簡潔に言い表していると思う。以下フレーズにも登録したけれど引用します。

    私はフェミニストでありかつマゾヒストである。
    フェアネスを求める私が、残酷さを愛するということ、この事態は許容されうるのか、私はそれをどう受け止めればいいのか、これは私にとって重要な問題である。
    女性を抑圧し支配し利用する言説と制度に反対しながら、責め苛まれ所有され支配され犯され嬲られ殺される女性の状態を愛することは、許されるのだろうか。

    舌鋒鋭くフェミニズムについて語る文章は頻繁にみられる。その一つ一つにウンウンと力強く頷き、現代でこそSNSなどを通じて広まってきているジェンダー問題を、2000年代初頭にこの若さでこれほど鋭く分析した女性があっただろうかと本当に感心する。そして彼女は他者の侵入をあくまで拒むことの象徴として貞操帯を愛し、子供を絶対に産まないと決意している。ふいに『悲しみのミルク』という映画を思い出した(https://booklog.jp/item/1/B007BFMX9I)。バルガス・リョサの姪にあたるクラウディア・リョサが監督した映画で、主人公は自分を守るために膣にジャガイモを常に詰めているのだ。彼女がこの映画を見たらどんな感想を聞けただろう。

    しかし同時に彼女は自分をマゾヒストであるという。殉教した聖女たちについての本を読み漁り、けして信仰からではなくキリスト教の本も読みながら『O嬢の物語』を愛読する彼女は、それほどまでの自己犠牲や苦痛をものともせず自分を捧げつくせる相手をみつけ奉仕したいという願望を根底に持ち続けていたのだろう。まあそんなことは私が分析しなくてもきちんと書かれているのだからいいや。

    膨大な引用、それらの本についての書評、日常生活、しかしどんどんコスメやファッションの話は減り、終盤はほとんど引用(書物からだけではなく、彼女の信頼していた雪雪さんという人物や恋人のメールからも)で埋め尽くされ、自身の言葉は語られなくなっていく。精神的な不安定さ、パワハラ的な言葉、彼女を追いこんだものが何だったのか想像するのは無粋かもしれない。生きていて欲しかったけれど、この感受性を保ったままでは生きられなかっただろうとも思う。

    余談ながら、2002年11月2日の日記に、黒百合姉妹のライブに行ったことが書かれている。その頃私もよく黒百合姉妹は見に行っていたから自分の日記を調べたらやはり、同じライブに私も行っていた。吉祥寺のSTAR PINE'S CAFE。あの洞窟のようなライブハウス、あの日同じ空間で、彼女と私も同じ音楽を聴いていたのか、と思うと不思議な気持ちがした。二階堂奥歯は実在していたのだ、と急にリアリティを感じた。

    比べるのもおこがましいけれど、結局、愚かで鈍感な私のような者は彼女の二倍近い時間を生き続け、賢く敏感であったがゆえに彼女は死なねばならなかった。もちろん生き永らえたからといって私が傷つかず楽々と生きてきたわけではない。ああでも、ここまで生きたらもっと楽になれたんだよ、と声をかけてあげたい気もする。

    2001年6月19日の日記で、ある編集者の自死について彼女はこう書いている。

    事情はまったくわからないのだけど、辛いからなどではなくて、「気が済んだ」から死んだのだといいなと思う。死ぬ瞬間幸福に飛べたならよいのだけれど。

    ※収録
    日記(2001/6/13~2003/4/26)
    記憶――あの日、彼女と
    空耳のこんにちは(雪雪)/教室の二階堂奥歯(鹿島徹)/エディトリアル・ワーカーとして(東雅夫)/2002年の夏衣(佐藤弓生)/六本脚の蝶から(津原泰水)/夏のなかの夏(西崎憲)/奥歯さんのこと(穂村弘)/主体と客体の狭間(高原英理)/最後の仕事(中野翠)/二階堂さんの思ひ出に添へて(高遠弘美)/夜曲(松本楽志)/ポッピンアイの祈り(石神茉莉)/旅(吉住哲)
    『幻想文学』二階堂奥歯ブックレビュー
    解説:穂村弘

  • 読んでいたが、読めなかった。というより、読むことができなかった、というのが正しいか。

    女の死は美化される。殺人、事故、死因はさまざまだが、特に顕著なのが自殺である。さまざまなフィクションやノンフィクションで、女の悲劇はドラマに成りうる。これは男性より女性のほうが一般的だ。
    わたしたちが二階堂奥歯を読むとき、一人の女性が死ぬまでの過程としてこの本を読むことができる。はたして、二階堂奥歯が自殺を選ばなかったら、この本は伝説的に語られる本になっただろうか? おそらくはならないだろう。
    これは露悪的な語りになってしまうが、この本において自殺が一つの「オチ」であり、美しいドラマになってしまうことをわたしは危惧している。自殺は痛ましい選択以外の何物でもなく、美化するべきものではない。かつて文豪が自殺を選んだ時代から連綿と、文学界での自殺賛美とも言える歴史は続いている。それがフィクションだったらまだ許せたかもしれない。しかしこの本はノンフィクションだ。
    死んだ二階堂奥歯は、この本が未だ読まれていることをどう思うだろう。まさか自分の日記が十数年もわたって読まれることなんて想像もしていなかっただろう。

    この本は、物語として消費するにはあまりにも痛ましい。願わくば、次の時代では実在の人間の死が舞台装置ではなくなることを願っているし、二階堂奥歯が死なない物語をたくさん見たい。

  • 虫や植物が、環境の変化にそぐわず死んでゆくものは自然死だと、人間にもそういうところがあると、最近別の本を読んでいて思った。何をいくら知ろうとも本人が抱く感情はその人でないと分からないので、生者だろうと死者だろうと他人へ浅はかなことは決して言えないのは前提としてもちろん、それを踏まえて、自然死のような自殺を迎えてしまう人がきっといると思う。美しい文体とノスタルジーな空気が心地の良い日記。彼女の受けた苦しみの記録にシンパシーを感じて安堵する人は少なからずいるのだろう。どう終えようが、生きて死ぬという一つのサイクルをキチンと果たしたのなら、もうその先は穏やかでなくてはいけない。穏やかであってほしい。

  • めったに複数の本を並行して読むことはないのだが、この本は少し読んで、一冊にかかりきってはだめだと思った。
    600ページにも及ぶ長さだから、ではない。
    その内容が、圧が、求心力が、多分相当なダメージを私に与えると思ったから。

    二十五歳で自殺する2年前からの日記。
    ここに書かれている彼女は、読書家で、おしゃれで、乙女で、身体が弱くて、有能な編集者。
    身体が弱いというのは大病をしたわけではなく、月に何度も高熱を出してはダウンしているところから私がそう思っただけだが。

    洋服でもコスメでも、またそれ以外の物でも、非常にこだわりが強く、本なども高価な古本を大量に買う。
    しょっちゅう熱を出して休むけど、ちゃんと転職もしている。(仕事ができる)
    東京で働く編集者って、こんな華やかな生活なのね、と思っちゃうような暮らしの中で、彼女は生きづらさに苛まれる。

    社会人になってからは一年に365冊以上、学生時代はその倍、小学生の時はその3倍の本を読み続けてきた彼女は、フェミニズムやジェンダーの問題に対して、鋭く切り込むことができる。
    が、社会生活の中で、耳をふさがねばならないことも多かったと日記には書いてある。
    そして、彼女の嗜好がエログロホラーにあるという二律背反。

    女性が女性という性の中に押し込まれるのは間違っている。
    しかし、拘束され抑圧された女性がいたぶられるシーンを読んだり見たりするのは好きだ。
    自分でもどうすることもできない性癖。

    いつ、どこで彼女はバランスを失っていったのか。
    何がきっかけだったのか。

    ”私は神を信じてはいない。キリスト教の神に代表される、意志を持つ神を信じていない。神が存在するならそれは信仰されるようなものではないだろう。信仰されなければならない神を私は信じない。”
    うん。
    私も。

    ”何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることができる。自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。でも、それは偽物だ。”
    これもわかる。
    しかし、全ての価値を自分で決めるのは、やはり相当な強さがないとできない。
    人は何処かで折り合いをつけるのだと思うけれど、彼女はそれをよしとしなかった。

    彼女は決して孤独だったわけではなく、愛する家族がいて、恋人もいた。
    その他にも彼女のことを心配して見守ったり言葉をかけたりした人も大勢いた。
    みんな彼女のことが心配だった。
    もちろん彼女はそんなことわかっている。
    けれども、倫理だろうと論理だろうと、彼女の心を変えることはなかった。
    だって彼女はこの世界に生きることが、本当に怖かったのだ。

    本当の自分が世の中に受け入れられないであろうことを、彼女はわかっていたのだろう。
    「元気だ」「明るい」「仕事ができる」
    全て自分ではないと思っていた。

    なんでそんなに自己評価が低いのかなあ。
    そんなに本を読んでも、全然救いにならなかったのかなあ。
    ってことをいくら他人が思ってもどうにもならない。

    家族は、そんな彼女をそのまま受け入れようとしている。
    死の数日前何度も自殺未遂を繰り返す娘に、彼女を心配して地元から飛んできた母が言う「奥歯は死ぬのに向いてないんだからもうあきらめなさいよ」は、どれほどの思いで発せられた言葉か。
    知人に「いつか娘は自殺するだろうことは覚悟している」といい、泣いた父親の気持。
    わからないわけがない。
    でも、生きることが怖くて、生きて行けなかった。

    死ぬひと月くらい前から、日記がすごいことになっている。
    毎日、何度も何度も書き継がれる、引用文の嵐。
    さすがにこの辺は、読んでいて気持ちが悪くなる。
    彼女が、死を前に内臓をすべて吐き出そうとしているかのようで、

    生前近しかった人たちの寄せる文章も、穂村弘の解説も、彼女の内面には踏み込まない。
    そんなことをさせないほどの強い自我が、きっと彼女にはあったのだ。

    最後に、八本足の蝶、とは。東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶のことで、彼女は修学旅行でそれを見つけてからずっと気に行って、自分のシンボルマークとしていたということだ。

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著者プロフィール

1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は現在も存続している。

「2020年 『八本脚の蝶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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