- 河出書房新社 (2025年3月6日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784309421735
感想・レビュー・書評
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諏訪大社を訪れたので、記念的な意味合いで、茅野駅近くの書店で購入。
面白いですよ。
諏訪大社の信仰に記紀神話にそぐわないものが多い…というところから、拝殿の向きが神体山や硯石に向かっていないこと(神社本庁の組織の中の神社と、古来の信仰の折り合いに)、御柱とは…など、不思議(ヘン)な神社だなぁと訪れて思ったところが解きほぐされて行く。
ただ、あくまで読み物。著者の「思う」「考える」ところに依拠するところは、どうしても多い。
とくに「縄文」についてのところは眉唾で、歴史学や考古学的にみて、どうなの?と思うところしばしば。2010年代の歴史本や日本論のトレンドだったんだと思うんですが古いもの、原初的なもののうち気に入ったものを縄文に結びつけ、現代にも生きる…的なことを無根拠に言いたがるきらいがあって。
この件、著者も反省?したのか「文庫版のあとがき」的なコーナーではだいぶトーンダウンしてます笑詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
御柱祭、御神渡、敗走し諏訪に閉じ込められた建御名方神、ミシャグジ神、物部守屋⋯。出雲地方出身として何となく親近感を覚えていた神話の国諏訪。その諏訪の信仰を諏訪・御柱・モレヤ神・ミシャグジ・縄文という5つの切り口から紐解いていく。その説が正しいのか正しくないのかは私には判断しようがないが、読んでいて非常に面白かったのは事実。縄文の昔から途切れずに流れ続けている何かが日本にはあると信じている。
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1. 諏訪大社の特異な形態:
四社で一社: 諏訪大社は、上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の四つの社から構成されるが、明治以前の記録では二座(本宮と前宮)であったとされる。それぞれの社の祭神が異なること、また、同じ諏訪湖周辺に鎮座しながらも、祭祀が統一されていない点などが、諏訪大社の不思議な形態として指摘されている。
「ところどころで祭神が異なっているし、祭祀の行なわれ方も同一というわけではない。」 (3ページ)
本殿のない神社: 上社本宮には本殿がなく、守屋山を神体山とすることや、御柱の存在が重視される点が、他の神社とは異なる特徴として挙げられている。
「諏訪の御柱は社殿とは直接の関係なしに屹立しているが、社殿のあるなしは実はあまり重要ではない。」 (90ページ)
2. 御柱祭の深層:
「心御柱」との関連性: 伊勢神宮の「心御柱」との比較を通じて、諏訪の御柱が単なる神木ではなく、天地を結ぶ「心」のような存在である可能性が示唆されている。
「心御柱は天地を貫くものというのが大義である。その柱にどなたの神霊が宿るとか、そういう考え方ではない。」 (98ページ)
御柱の扱いの特異性: 御柱が、山から曳き出され、川を渡り、人々に踏みつけられ、傷つけられるといった粗暴な扱いを受ける点から、御神木ではなく、「生贄」としての性格を持つ可能性が指摘されている。
「御柱に氏子の男たちが土足で乗る。急坂から突き落とし、冷たい川に放り込む。御柱は傷だらけとなるが、それを厭わない。」 (98ページ)
「御杖」との関連: 古代の記録にある「御杖」が、生きた竹を立てる儀式であった可能性が示唆され、御柱の起源と関連付けられている。
3. 洩矢神と守屋山:
物部氏との関係: 守屋山が物部氏と深く関わっていた可能性が示唆され、物部守屋の敗北と諏訪の祭祀の変化が関連付けられている。
「諏訪は物部大臣の所領であった。」 (122ページ)
「洩矢神」の謎: 氏神であるにもかかわらず「守矢神」ではなく「洩矢神」と表記される点について、何らかの特別な意味合いや由来がある可能性が指摘されている。
「にもかかわらず、なぜ始祖が守矢神でなく洩矢神と表記するのか、この点にも謎がある。」 (118ページ)
守屋山と本宮の関係の否定: 諏訪大社の宮司が、守屋山を神体山とする説を否定していることが紹介され、その背景には「守屋」との関わりを消し去りたい強い意図があるのではないかと推測されている。
4. 建御名方神の正体:
国譲り神話の解釈: 『古事記』における建御名方神の敗走の物語が、後世に創作・挿入された可能性が指摘され、本来の建御名方神は、より勇猛な軍神であったのではないかと推測されている。
神名の意味: 「建御名方富命神」という神名の変遷や意味合いが考察され、「ミナカタトミ」という古名が先に存在し、それが変化していった可能性が示唆されている。
「共通する訓み方『ミナカタトミ』が諏訪社の古名―あるいは祭神の古名―として十世紀以前に通用していたことであり、『御名方富』(男神の敬称・尊称)が先に在って、その後、『南方刀美』に変わり、そして現在は社(九二七年成立)の『神名帳』には、『建御名方富命神社』とある。」 (24-25ページ)
5. ミシャグジ信仰:
石神信仰との関連: ミシャグジが「石神」であるという説が紹介され、諏訪地方に特に多い男根型の石棒信仰との関連性が指摘されている。
「諏訪神社の御神体は『石棒』であると巷間言われている。確かに少なからぬ諏訪社でそうなっているようだ。」 (170ページ)
神長官との関係: 古代の諏訪において、神長官がミシャグジを依り代として現人神となり、祭祀を司っていた儀式が紹介されている。
「本宮は、元はミシャグジを祀るものであった。ミシャグジの依り代呪石であろう。」 (182ページ)
6. 縄文との連続性:
自然崇拝: 諏訪の信仰の根底には、山や森や岩といった自然物を神として崇める縄文的な自然崇拝が存在すると考えられている。本殿のない神社や石神信仰などがその証左として挙げられている。
「縄文人の信仰形態は自然信仰。その形態を引き継いでいるのが、本殿のない神社である。いずれも山や森や岩といった自然物を信仰対象としている。」 (224ページ)
「血祭り」の痕跡: 御柱祭の粗暴な儀式や、かつて行われていたとされる動物供犠(御頭祭)などに、「血祭り」の痕跡が見られると指摘され、縄文時代の祭祀との連続性が示唆されている。
「諏訪の神祭は、その形態にこそ縄文の濃厚な血の匂いを残しているのではないだろうか。」 (115ページ)
ミシャグジの起源: ミシャグジが縄文時代、あるいはそれ以前から信仰されてきた古い神である可能性が示唆されている。
「諏訪の神は、日本の神々の中でもひときわ古い神であるか、とくにミシャグジは縄文か、あるいはさらに古い時代から信仰されてきた神であるかもしれない。」 (210ページ)
7. 「まつり」の本質:
「祟り鎮め」: 祭りの本質は、世の災いを引き起こすと考えられていた神霊の祟りや怒りを鎮めるための儀式であるという考え方が示されている。
「本質は、祟り鎮めである。私たちの祖先は、世の不条理や災厄は怨みを持つの祟りであると考えていた。」 (220ページ)
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