- Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309460130
感想・レビュー・書評
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モデラート・カンタービレ。普通の速さで歌うように。そして陥る狂気。隠されていた情熱は密かに開花し、やがて濃密な香りを放ち風に撒かれてゆく。行く先知れずの開放は喪失への徒花、まるでドレスの胸元に刺した木蓮が萎れゆくように死にゆく。どうしようもない、彼女は囚われている。階級や制度に、家庭に、海に防波堤に、木々のざわめきに囲まれ。外に抜け出せぬのならば、奥に秘密の洞窟を見つけるしかない。しかし、そこにも外部は忍び込んでくる。揺れる光の反射、人々の陽気なざわめき。生きることが苦しくなる。愛に殺されたいと願う。
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「モデラート・カンタービレ」の意味は?
少年はピアノのレッスン中。でもそんな先生の質問に対して、彼は強情に答えない。つきそいの少年の母アンヌ・デバレードはべつだん、息子を叱りはしない。
出口の見えないやりとりが続くなか、外から女性の叫び声が高まる。人が集まってくる。どうやら、カフェの前で男が女を殺したようなのだ。
「普通の速さで、歌うように」
その日から、そのテンポで、なんだか長い長い気だるげな音楽が始まったかのように、その呪いにとらわれたかのように、アンヌ・デバレードはカフェに通いつめることになる……
そこには、かつて自分の夫のところに雇われていたショーヴァンという男がいて、2人は、事件について、あることないことを話し始めるのだ。
読みながら、ひとつの不安がずっと付きまとっていた。この2人は、殺人事件を再現しようとしているのではないか。
ほかにも、本書は、子育てに疲れた母親の話だとか、中流階級の抑圧を逃れようともがいている女性の話だとか、いろんな解釈ができる。
とはいえ、いずれにしても、本作にはずっと底のない絶望がぽっかりと口を開いていることはたしか。
マルグリット・デュラスの小説は、「考えるな、感じろ」という態度で読めば読むほど美しくなるという、不思議な魅力をたたえている。
それこそただ音楽に耳を傾けるように読む。すると、海辺の夕焼けや、潮の香り、ソナチネ、木蓮の花の濃い香りなどが、その絶望の淵をほのかに彩り始めるのがわかる。 -
ちぐはぐな会話と気だるい空気、木蓮の香り、潮の香り、ピアノの音、ぶどう酒、鴨、防波堤、四拍子で、、、2人の会話は噛み合っていないけれど、会話こそが恋愛なのかも、いや、恋愛ではないか、なんだろう、最後にキスだけして終わる。
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Theフランス文学というような、哲学を背景とした、解題するには難解な作品だ。しかし、その不可思議さに触れるのは気分がいい。
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会話がメインとなる作品だが、登場人物がそれぞれ自分中心に進めようとするので微妙に噛み合っていない。なのに「普通の速さで歌うように」それぞれが話す...独特だが何故か癖になる文章
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全体的に気だるい雰囲気。昔サガンにハマっていたのを思い出した。
フランスの奥様がバーで出会った男性と微妙な距離で毎日、ちぐはぐな言葉遊びのような意味のない会話をして、最後に口づけをして終わり。 -
いわゆる静か系の極致。短い本ながら中断を繰り返しながら読んだため、時期を置いてもう一度きちんと読みたい。
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『太平洋の防波堤』に『愛人』を読んだ以来だから、もう二年近くたつ。
わざと書かないで示す、というのが彼女の大きな文体の特徴といっていいだろうか。
アンヌは、ブルジョワ社会の脱出を試みると、あらすじで言い切ってしまっているが、実際、彼女が望んでいたとは書いていない。ただ、子どもを連れてピアノのレッスンに行くと、子どもはどういうわけか言うことを聞かず、外の海に憧れて、しょうがなくソナチネを引く。近くで起きた事件に心惹かれて訪れたカフェで、自身の生活をのぞき見する男と酒を飲むうちに、彼女は少しずつ、彷徨い歩く自身の何かに気付いていく。別にどうにかして男に会いたいとか、生活に不満だというわけでは決してないのだ。
日々はただ、気だるくモデラート・カンタービレで流れていく。調和しているはずの生活にどういうわけか、不協和音を聞いてしまう。自分の子どもさえも、自分の子どもでないような気がしてくる。木蓮の匂いで満ちる自分の家でさえ、どことなく居心地が悪くて、ここにいたらいけないような気がする。
ここではないどこかへ。自分ではないものに触れることで、自分を確かめる。見知らぬ男への口づけは恋愛だとかそんなものでは決してなく、乾いて乾いてしょうがない他者への渇望が、彼女を突き動かしたのだ。
カフェに通うきっかけとなった事件でさえ、聞かされれば聞かされるほど、魅力を失っていく。誰かに殺してもらうことで、この不協和音に耳が塞げるのなら、とっくに死んでいる。自分を影から見つめるロマンチストな男とは違って、彼女はどこまでも現実に生きていた。
最後に西日に向かう彼女の狂気は、解消されないこの不協和音に耳を塞いで、立ち上がるところにある。聞こえてくるものを聞こえないように毅然と立ち上がる彼女の姿は、サガンの『ある微笑』で鏡に向かって放たれたあの微笑と同じである。彼女の向う狂気は逃避行とか死とかそんなものではなく、赤い西日を受けて歩き出したその醒めた強さなのだと思う。 -
とても美しい小説
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